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コミュニケーションと空間に関する諸考察

 トー横キッズと呼ばれる子どもたちがいる。新宿歌舞伎町で相次ぐ若者の飲酒や暴力、市販薬の過剰摂取などのケースを見たとき、私たちは否が応でも「問題」や「支援」といった印象を抱くはずだ。しかし、本レポートでは、彼らを「課題」や「改善」の対象としてではなく、現代のコミュニケーションの最先端として、またトー横を未来のコミュニケーション空間と捉え直した独自の調査に基づいて、人のコミュニケーションのあり方について論じていく。
 「トー横キッズ」とは、東京都新宿区歌舞伎町の映画館を中心とする「新宿東宝ビル(TOHOシネマズ新宿)」周辺の路地裏でたむろする若者の集団のことを指す。数年前から家庭や学校で様々な悩みを抱えた10代前半から20代前半の若者が自らの居場所を求めて集まっているとされている。SNSなどを通じて集まる若者が暴力や殺人、性犯罪などに巻き込まれるケースもあり、社会問題として対策が急がれている。また、似たような界隈に大阪市中央区道頓堀の「グリ下」、名古屋市中区錦の「ドン横」、そして福岡市中央区天神の「警固界隈」などが存在する。
 そもそも、「なぜ若者がトー横に集まるのか」その理由については、多くの調査や考察がなされている。アンケートやヒアリングでは、「同じような境遇の人に会いに来た」「『トー横』は自分のことを否定せず受け入れてくれる」「同じような趣味の人と繋がれて友達を増やせるから」というような声を聞くことができる。また、その背後に、「家じゃ誰も気にしてくれない」「学校ではずっと友達がいなかったから」「話を聞いてほしかった」というように、若者が「トー横」に「居場所」を求めているらしいことが推測されている。
 しかし、それらの調査や考察には、ある種のアンコンシャス・バイアスが潜んでいるように思われるのだ。それは、「居場所のない子どもたち」という偏見である。そしてその問題意識は、「子どもは普通、家や学校にいるべきである」ということを前提としているのではないだろうか。だが、私たちが「一つところに留まる」ことを是としたのは約1万年前で、人類700万年の歴史の中でごく最近のことである。つまり、ホモ・サピエンスに限ってみても、30万年にわたる人類史のうち、約29万年は「一つところに留まる」定住生活ではなく、「その場から離れる」遊動生活を送ってきたのだ。
 ある場所からある場所へ移動することは、生活環境の悪化、成員間の不和というような人間が生きるうえで不回避的な問題に対する「万能な対処法」として私たちの身体に刻み込まれているといえよう。そして、それを否定し、「一つところに留まる」ことを前提とすると、問題解決のための、原因を特定し、それを排除する積極的な取り組みか、災難が去るまでひたすらに待つことが求められる。そして、それは「その場から離れる」だけと比べ、かなりの労力やストレスが予想できる。この意味で、「一つところに留まる」ことは、決して前提とも普通とも言えないのである。
 トー横キッズが「遊動民的な態度」の持ち主だとして、実際にトー横を観察して[1]疑問に思ったのは、「なぜZ世代でデジタルネイティブの若者がアナログな関係性を求めているのか」「なぜ新宿歌舞伎町のトー横なのか」という点である。そこには、コミュニケーションにおいて本質的な事項が含まれているように思われないだろうか。
 まず、「なぜZ世代でデジタルネイティブの若者がアナログな関係性を求めているのか」について、彼らが全員でないにせよ、家庭や学校、またはその両方で悩みを抱えていることは事実だろう。そして、これまでの家庭や学校は、デジタルではなく、対面の世界であった。そこは、言葉だけでない、「五感」を通じたコミュニケーションの場であった。しかし、通信技術の発達は、コミュニケーション様式を大きく変えた。それは、「五感」を必要としない、言葉だけの世界だ。だが、人は言葉だけで通じ合うようには設計されていない。コロナ禍においてリモートワークが進んだにもかかわらず、私たちは結局満員電車で出勤するようになったし、トー横キッズがコロナ禍を境に目立ち始めたのも、人が「五感」を通じたコミュニケーションを必要としている証左だろう。
 次に、「なぜ新宿歌舞伎町のトー横なのか」について、もはや子どもにとって「五感」を通じたコミュニケーション空間は、家庭でも学校でもなく、トー横界隈だといえるのだろうか。「五感」とは、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚のことを言う。これらは当然ながら感じるものであり、言葉で考えるものではない。言葉による表現を試みるならば、トー横界隈における光や音は強烈で、匂いも不快、長時間いることはとても耐えられる環境ではないように感じた。それだけ、世界を正確に把握することができなくなる環境だということだ。しかし、だからこそ、トー横キッズたちは、「人と繋がれる」のではないだろうか。
 以上を踏まえて、彼らのコミュニケーションを観察してみると、売買春が盛んな大久保公園とは対象的に、彼らは非常に距離が近いことがわかる。そこには、非常に似た格好の姿の同年代の者がおり、彼らは目を合わせて話したり、食事を共にしたりしている。光や音、匂いによって、世界や対象を正確に捉えられない麻痺とも言える状態で、食事を共にすることで得られる味覚の共同や身近な触覚は、「今、ここに、一緒にいる」ことを確かなものとして、「人と繋がれ」たと錯覚させているのではないだろうか。それは虚構であると言わざるを得ないが、家庭や学校が失ってきたものでもあるのではないだろうか。
 そして、その空間を保障しているのは、車から隔離された時速5kmの歩行空間であると思われる。そこでは、人間の歩く速度で世界が構築できる。安部公房は、新宿歌舞伎町について、

 「ここに生活はなく、ただ通り過ぎるだけの町である。しかし、無数の袋小路の集合体なので、その気になれば、どこまでも迷い込めるような錯覚にひたることも不可能ではない。その安全で自由な離脱感が、人をひきつける理由なのだろう。」

と、述べている。トー横も含め、新宿歌舞伎町には、人々から「五感」を奪う一方で、人々が新たな実感を錯覚する機能が備わっているといえよう。

 トー横キッズを観察すると、彼らは、定住先でのコミュニケーションの問題に対処するため、普通のこととして「その場から離」れ、トー横界隈に移動してきたと言えるだろう。確かに、トー横界隈では、「人と繋がる」ことができる。トー横キッズが物語るのは、人における身体的コミュニケーションのインパクトである。「五感」が麻痺してなお、いや麻痺しているからこそ、その力がより大きく顕現していると思われる。しかし、虚構でしか「人と繋がる」ことができないのではいけない。多拠点生活に注目が集まる昨今、他者や世界と対話できる「五感」を通じたコミュニケーション空間を整備していく必要がある。

参考文献

・NHK(2022)「新宿・歌舞伎町 “トー横キッズ”」『追跡 記者のノートから』
https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote56-2/
(2024/7/15)

・安部公房(1980)「再録 都市を捕る⑧ 証拠写真」『生誕100年記念特集 わたしたちには安部公房が必要だ』芸術新潮1980年8月号、新潮社、60項

・東京都生活文化スポーツ局(2023)「第 33 期東京都青少年問題協議会 第5回専門部会」
https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/tomin_anzen/about/kaigi/jakunen-shien/seisyokyo/33ki-menu/files/0000002142/siryou_senmonbukai5.pdf
(7/15)

・西田正規(2007)「人類史のなかの定住革命」講談社学術文庫

・二文字屋脩(2022)「〈動き〉を能う ― ポスト狩猟採集民ムラブリにみる遊動民的身構え ―」『不確実な世界に生きる―遊動/定住の狭間に生きる身体』年報人類学研究第10号

・山極壽一(2024)「森の声、ゴリラの目: 人類の本質を未来へつなぐ」小学館新書

[1] 5/13, 5/16, 5/17, 5/23, 5/24, 5/25の6日間。なお、5/18, 5/19はグリ下を調査。

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