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「創られる」文化をもとめて―スウェーデンの歴史から考える

フック

「日本とスウェーデンでは文化が違うから」
私たちは他国と自国の比較を行う際、その一言で議論を一蹴してしまうことがあります。
それでは、その「文化」はどのように創られたのでしょうか。本稿では、スウェーデンの歴史をたどり、福祉国家としての文化基盤である参加型民主主義とウェルビーイングがいかにして社会に根付いていったのかを考察します。

はじめに

「日本とスウェーデンでは文化が違うから」
私たちは他国と自国の比較を行う際、その一言で議論を一蹴してしまうことがある。
確かに、領土や気候といった物理的な条件はその国「固有」のものであり、国家的な野心がない限りでは変えようのないものであろう。一方、その国の文化とは、果たしていつの時代も変わらないものだろうか。そして、私たちが変えられないものなのだろうか。私は、福祉の研究をする中で、スウェーデンの福祉国家を支えているのは、国民全体に根付いている、参加型民主主義やウェルビーイングといった文化であると考えている。ウェルビーイングとは、ただ健康に生きるだけではなく、自分らしく豊かに生きることを表現している。それではスウェーデンの福祉国家としての文化基盤はどのようにして根付いていったのだろうか。少し歴史を振り返ってみよう。

合意形成型民主主義の歴史

スウェーデンは歴史的にローマ帝国の外にあったことや、ヴァイキングの文化の影響で封建化が限定的にとどまった。そうした中で、スウェーデン議会の起源は15世紀にまでさかのぼる。その後、17世紀には軍事大国となるが、1718年に大北方戦争での国王の死を契機に、18世紀には「自由な時代」が訪れる。当時の議会政治の先進度はイギリスをしのぐと言われ、1766年には情報公開法の先駆けといえる「新聞の自由に関する法」が制定された[i]。こうした透明性の高く国民からその内実が「見える」政治によって、国民と政治の信頼関係が生まれていく。この信頼関係は戦後スウェーデンの議会政治に引き継がれ、合意形成型の意思決定システムを育んでいく。
 19世紀中期までのスウェーデンはヨーロッパの周縁に位置する貧しい農業国であった。慢性的な食糧不足に悩まされ、アメリカにわたるスウェーデンからの移民が多くいた。工業化も他の北欧諸国に比べ遅く、19世紀後半から20世紀前半に訪れた。ここから、スウェーデンは急速な工業化を遂げる。鉄鉱石や木材などの豊富な天然資源があったことや、通信・交通手段の発達などがその要因といわれている。これらのハード面に加え、とりわけ、教育水準の高い労働力は社会の成長の大きな原動力となった。日本では明治政府による近代化政策の一環として1880年代に学校制度が整えられた。他方、スウェーデンでは工業化以前の1842年にはすでに学校法が導入され、公的に運営される初等教育学校制度が創設された。ルター派の国教会の一教区当たり最低一つの常設学校が設置され、すべての児童が無料で教育を受けることができたのである。[ii]学校教育は、工業化のための労働者の育成に寄与するにとどまらず、民主主義の質を高めることにも一役買ったことも想像に難くない。

福祉社会「国民の家」のウェルビーイングなリフォーム(・・・・・)

こうして工業化が進む中で、産業労働者を支持基盤とする社会民主労働党(社民党)が台頭する。スウェーデン型福祉社会を表す言葉として有名なのが「国民の家」である。この概念を提唱したのが、大恐慌時代、第二次大戦時から終戦直後と二度にわたり首相をつとめた社民党のP.A.ハンソンである。国民の家とは胎児から墓場までの人生のあらゆる段階で、国家が「良き父」として人々の要求・必要を包括的に規制・統制・調整する「家」の機能を演じる社会のことをよんだ[iii]。こうした概念のもと、戦後も社会政策を推し進めてきた。
 しかしながら、その福祉政策の内実はウェルビーイングとはかけ離れたものだったのである。こうした状況に一石を投じたのが、スウェーデンの作家イーヴァル・ロー=ヨハンソンであった。1949年に老人ホームを訪問した際の記録で、写真つきルポルタージュの『老い』を出版。1952年には、高齢者の処遇改善などを目指した論考である『スウェーデンの高齢者』を出版した。そこに描かれていたのは、当時の施設で「座して死をまつ」高齢者の姿だった。ヨハンソンは、著書の中で、かつて一族が老人を突き落とした崖といわれたエッテステューパ(日本の昔話に登場する「をばすて山」に類似している)になぞらえ、老人ホームの現状を鮮明にあぶりだす。その上で、高齢者福祉のありかたに二つの選択肢があるとする。一つは「高齢者を、彼らが活動的になれるような人生の新しい段階へと移行させること」である。そして、もう一つの選択肢は「瞬時になされ、かつ痛みを伴わないような思い切った方法で老人達に死をあたえること」である。その上で、当時の老人ホームを「無自覚なままに、素朴な良心に基づく危うさで後者の道を歩みつつある[iv]」と指摘するのである。
 ヨハンソンの著書は、スウェーデン社会に大きな論争を呼び、後にスウェーデンの高齢者ケアが施設型から在宅ケア中心となる源泉にもなったといわれている。もちろん、ウェルビーイングの考えを彼一人が広めたわけではないだろう。しかし、こうしたジャーナリズムによる問題提起にはじまり、研究者、政治家、国民とあらゆるアクターによる議論の中で発展していった。その積み重ねが現在のスウェーデンの文化になっているのである。ヨハンソンの著書の日本語版の編訳者の一人である西下彰俊は、あとがきにて、「福祉国家は、国家の誕生とともに『属性』として備わっているものではなく、『創られる特性(emergent property)』なのである。スウェーデンがまさにその先進例であるといえよう[v]」と述べている。

「創っている」プロセスを大切にする

 もちろん、「創られる特性」には時間がかかるものもあろう。先述のとおり、18世紀から続く合意型議会政治に代表される民主主義はまさにそれにあたる。しかしながら、こうした伝統さえ「属性」そのものではない。民主主義への道をミクロに見れば、日々の誠実な実践の蓄積なのである。明治憲法のもと日本に議会ができてせいぜい130年。まだまだ私たちの民主主義は「創っている(・・)」最中であるのではないだろうか。高齢者福祉を考えても、日本の介護保険ができて20年強。多様な介護サービスが生まれ、昨今では在宅介護や機能改善を図るサービスも増えてきた。福祉サービスをただ「あてがう」のではなく、ウェルビーイングの観点をもって社会サービスを提供する。こうした文化もまた日本では「創っている」最中なのである。  
 単なる「文化の違い」として諦めるのではなく、新しい文化を国民一人一人が創っていく努力が必要ではないだろうか。そうした努力の先に、私たち日本人が額に汗をして生み出した「独自」の文化が生まれるだろう。


[i] 篠原一『ヨーロッパの政治[歴史政治学試論]』東京大学出版会、1986年、pp.41.42

[ii] 岡沢憲芙『スウェーデンの政治―実験国家の合意形成型政治』東京大学出版会、2009年、p53

[iii] 岡沢憲芙、2009年、p73

[iv] イーヴァル・ロー=ヨハンソン『スウェーデン:高齢者福祉改革の原点―ルポルタージュからの問題提起』編訳 西下彰俊、兼松麻紀子、渡辺博明、新評論、2013年、p43

[v] 西下彰俊『あとがき(ヨハンソン、2013年)』編訳 西下、兼松、渡辺)、p211  

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