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自治体経営者としての知事に求められる条件とは? 松下政経塾とPHP研究所が主催する首長キャリアサミット「LEADERS(リーダーズ)」では、広島県三原市長として活躍する岡田吉弘氏(松下政経塾 第35期卒塾生)を登壇者に迎え、市長の条件について本音でお話をいただきました。
※この記事は、2025年11月3日、松下政経塾とPHP研究所によって開催された「首長キャリアサミット『LEADERS(リーダーズ)』〜自治体経営者の仕事を学ぶ3時間〜」に基づいて作成されています。
皆さん、こんにちは。広島県三原市長の岡田吉弘です。私は松下政経塾の第35期卒塾生で、2018年に卒塾してから7年の月日が経ちました。

まずは自己紹介として、こちらの写真をご覧ください。これは、三原を代表するお祭り「やっさ祭り」で踊っている私です。市役所の踊り手チームの一員となって、汗だくになりながら踊っています。

このやっさ踊りは、約450年前に小早川隆景公が三原城を築城したことを祝った踊りが起源になっていると言われており、現在まで引き継がれて市民の皆さんが大事にしています。三原市を盛り上げていく上でも、私はこのような歴史的な地域資源を活かしていきたいと思っています。

私の略歴をご紹介します。
私は広島県三原市の出身です。大学進学とともに県外に出て、技術系のキャリアを歩んできました。日東電工に就職し、愛知県の事業所に配属になりまして、両面テープの設計開発を行っていました。
両面テープというと文房具をイメージする方が多いと思いますが、皆さんがお持ちのスマートフォンなどにも両面テープはたくさん使われています。私は、機能性の高い工業用の両面テープを開発していました。
当時、一生懸命、仕事を頑張っていまして、特許も取得しました。自分の開発した製品で特許を取得し、その製品が売れると利益に応じて特許報酬をいただけるという制度があり、今でも特許報酬をいただいています。技術を生み出す人が大切にされる日東電工は、今でも素晴らしい会社だと思っています。

会社が中国の上海に工場を作り、私は製品の生産移管という仕事をさせていただきました。もう十数年前ですが、当時、円高の中で企業が海外にどんどん進出していくのは当たり前で、他の日本企業も同じような戦略を採っていました。
ただ、日東電工でそのような仕事を頑張れば頑張るほど、当然、私の働いている愛知県豊橋市の事業所の仕事がどんどん縮小していくわけです。そうした中で、事業所で働いている現場の人たちから、「わしらの仕事はどうなるのか」ということをひどく言われました。
仕事を通じて経験を積む中で、様々なことに問題意識を抱くようになりました。
社会の大きな仕組みを改めて考えるようになったときに、私の生まれ育った広島県三原市でも同じようなことが起こっていました。企業城下町として発展してきた三原市は、重工業が盛んな町でしたが、大きな企業がどんどんと縮小して撤退していたのです。
日東電工での自分自身の経験と、自分の故郷で起きていることが重なりました。
そこで、自分の人生を何に燃やすのかと、自分の命を何にかけるのかということを改めて考えるようになりまして、松下政経塾の門を叩くということにつながったわけです。

松下政経塾では、様々な経験をさせていただきました。4人の同期と共同研究をする中で、障害者の方々が生き生きと働くものづくりの現場を体感して、自分自身のものづくりに対する価値観が大きく覆されました。当時の市長選挙にも研修として入り、選挙とは何たるかを学ばせていただきました。
松下政経塾を卒塾すると同時に、私は三原市にUターンをして、教育事業を展開する一般社団法人を設立しました。自分自身の故郷に貢献していく上で、「政治家になる」「市長になる」という手段ももちろん念頭にありましたが、やはり事業の経営を通じて自分の故郷に貢献する道を見出していきたいとの想いから、教育事業をスタートしました。

主な事業内容は、プログラミング教育です。当時、 2020年から小学校でプログラミング教育の必修化という流れがありましたので、全国各地でプログラミングの授業が展開されていましたが、地方都市の三原市にはそのような事業がありませんでした。これは、教育機会の地域間格差という文脈で語られることもあります。
三原市の子どもたちがプログラミング教育を受けられる場がなかったという社会課題に対して、自分がその課題解決策を作ろうという想いを持って、同級生と一緒に法人を設立して教育事業をスタートしました。
市長に就任してからは教育事業から完全に身を引いていますが、今も同級生が中心になって、その事業を展開してくれています。

右上の写真が、私が、教育事業を実施していた時の様子です。子どもたちと保護者のみなさんが一緒に試行錯誤しながら、パソコンでプログラムを組んで作品を生み出していくというような取り組みを実践していました。
右下の写真は、趣味のランニングです。今、健康のために週2回以上走るようにしています。昨日もマラソン大会で10キロを完走してきました。自己ベストを更新しまして、今日は晴れやかな気持ちで来ています。
なぜ市長になったのか。先ほどの経歴の中でも少し紹介させていただきましたが、やはり「ふるさと三原市をもっと元気にしたい」からです。

その想いを実現するためには、様々な道があります。事業を通じて三原市に貢献する方法もあります。市議会議員として貢献する方法もあります。市長という立場で貢献する方法もあります。
自分の考える理想の三原市の姿を描いて、それを実践していく上では、どのような方法が有効か。私にとっては、三原市長という立場が最も有効であると考えました。その結果、三原市長に就任して、今に至っています。
そして、日本を元気にするために、地方から成功モデルを作っていきたいという想いを持っています。

松下政経塾では、国会議員として活躍する卒塾生の先輩の事務所でインターンシップをさせていただき、様々な会合に出席させていただきました。会合では喧々諤々の議論がなされており、印象的だったのは地方での成功モデルの話です。「こういう地方で、こういう成功モデルがあるから、それをみんなで勉強しましょう」という議論がなされていました。
国会議員だけではなく、国家公務員の皆さんも答えを探しています。日本のどこかに、日本を良くしていく、地方を良くしていく答えがあるのではないかという想いで模索しています。
三原市から成功モデルを作って、三原市民の皆さんに町が良くなったと思っていただけるだけではなく、それが横展開されて広島県全体や国全体が良くなることにつなげていきたいという想いで、私は三原市長として様々なチャレンジを行っています。
幾分かではありますが、市民の皆さんにとって誇りとなるような取り組みを生み出すことができたと思っています。今年、「日本子育て支援大賞」を受賞させていただきました。

また、「行政サービス改革度ランキング 県内1位」を取ったこともあります。
私が三原市の職員の皆さんに口を酸っぱくして何度も申し上げていることが4つあります。コンプライアンスの徹底、情報収集の徹底、広報の徹底、デジタル化による業務改善の徹底です。客観的な評価もされるという結果につながってきたことは、ある種の追い風になっていると思います。

また、行政だけでは到底できないようなことは、官民連携で乗り越えていかなければなりません。三原市から「新しい食文化をつくっていこう」「新しいお土産を作っていこう」という官民連携プロジェクトが始まっています。「広島みはらプリンプロジェクト」です。
プリンの中には、様々なものが盛り込めます。「三原市の特産品を一つ以上盛り込んだプリンを『広島みはらプリン』として認定します」という仕組みを官民連携で展開しています。市内で30店舗近い飲食店の皆様にご協力をいただき、100種類を超える広島みはらプリンが開発されています。この取り組みが農水省から評価をいただいて、アワードを受賞しました。
まだ市長になって僅か5年という期間ですが、徐々に取り組みを進めることができていると思います。
私が、今も昔も大切にしている話があります。自分自身に言い聞かせている話でもあります。
ここに、一杯のうどんのイラストがあります。松下幸之助塾主は、パナソニックの社員の皆さんに対して社員稼業の重要性を語られる上で、うどん屋の店主の事例を出しました。要は、「うどん屋の店主のように、皆さんに経営感覚を持って働いてもらいたい」という話です。

うどん屋の店主であれば、「このうどんの味はどうか」ということを客から聞き、あるいは「このうどんの今のコシはどうか」というようなことを客の表情から読み取り、それをこのうどんの改善に活かすのだと。それによって経営を改革して売上を伸ばすように努めるのが、うどんの店主なのだと。
皆さんにはそのように働いてもらいたいという話です。私はこの話がすごく好きです。

市長という立場でも、私はうどん屋の店主と同じような経営感覚を持って、様々な取り組みを進めていきたいと思っています。市長の仕事というのは、まさに自治体の経営です。

新たな取り組みを始める時、その分野に力を入れる時、予算をつけると同時に人的配置も強化する「選択と集中」を行っていくのが経営感覚だと思います。
様々な決断をしていくというのが首長の使命であり、一番の醍醐味です。自分が「こうするべきだ」「こうしたい」ということに対して、様々なリソースを集中させていくということです。これが首長の仕事であると私は考えています。
ここにある「百万円」という数字は、一体、何でしょうか。ヒントは、三原市内に誕生する施設の料金です。

答えは、ホテルの一泊あたりの宿泊利用料です。三原市には佐木島という島があります。橋がかかっていない離島です。この佐木島に、近々、富裕層向けのホテルが誕生します。ホテルといっても、このようなヴィラのような一棟建ての形態です。

佐木島には橋がかかっていないものですから、島の中にコンビニもありません。一見、不便なように見えるかもしれませんが、そのような環境を求めている方は世の中にはたくさんいらっしゃいます。
これは、NOT A HOTEL です。今、東京都内のタクシーの中でもたくさん広告を出しておりますので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
私は、NOT A HOTEL が、瀬戸内海エリアにホテルを展開したいという想いを持っているという情報を耳にしまして、すぐ社長に会いに行って佐木島のPRをしました。

当時は「厚かましい市長が来たな」と思っておられたようですが、直談判をして熱意を伝えれば、社長さんは動かざるを得ないわけです。「まあ、そこまでおっしゃるのであれば、一度、佐木島に見学に行きますよ」ということでお越しいただきました。
実際に訪れていただければ、佐木島の素晴らしさを肌で感じられるわけです。時の流れ、自然の豊かさ、いろいろなものを五感で感じていただいたのでしょう。その日のうちに即断即決で、「ここでホテルをやります」と言っていただきました。

これが市長としてのトップセールスのあり方だと思っています。私は、このような事例を一つでも二つでも増やせるように頑張っていきたいと思います。
合わせて、地域資源を活かしていくことが重要です。一見、我々にとって価値のないように思えるものでも、視点を変えれば価値があるものは地方にたくさんあります。それらを掘り起こして活かしていく、伸ばしていくことが、首長の仕事だと思います。
市長に求められる条件について、大きく二つ申し上げます。「ビジョン」と「危機管理」です。

「ビジョン」を持つということは、少し先の未来に向かって「こういうことをやっていこう」という理想を語る、夢を語るということです。それができる人が首長になるべきだと思います。
合わせて、「危機管理」という視点が重要です。市長という立場は「三原市民を守る」「三原市民の生活を守る」「三原市民の財産を守る」という極めて大事な役割を背負っています。

そのような危機管理の視点で、感染症対策や災害対応に当たっていくことが大事だと思います。大きな集中豪雨や台風が来たとしても、それに耐えられるまちを作っていくために、縁の下の力持ちとしての役割を果たしていかなければなりません。
目に見えない努力がたくさんあります。例えば、道路の中に埋まっている管路の整備も大事な仕事です。「着実に良い仕事を遂行していく」「縁の下の力持ちの人としての仕事をしていく」という覚悟を持っている人が首長になるべきだと、私は考えています。
三原市には、素晴らしい特産品がたくさんあります。ふるさと納税の返礼品のラインナップも揃えています。
三原といえば日本酒です。醉心というお酒があります。この醉心ファンは多く、日本酒好きの方には飲んでもらいたいと思います。
八天堂のクリームパン。今、東京でも買えるところが増えてきています。クリームパンはお土産に買ってもらえたらと思います。
また、島の中で育てた鶏が生んだ卵を使った卵かけご飯がとても美味しいです。私は、今日も卵かけご飯を食べてきましたが、これだけエネルギーが出るということです。朝からタンパク質を取って頑張っております。
瀬戸内海のお魚も新鮮で美味しいです。
このようなラインナップがふるさと納税の返礼品で揃っていますので、少しでも「三原市は面白い」と思っていただいた方がいらっしゃれば、ふるさと納税という形で応援よろしくお願いします。ご清聴ありがとうございました。
(司会)岡田市長、ありがとうございました。日本を元気にするために、地方での成功モデルが必要なんだという強い想いが伝わってきました。ここから、幾つか質問をさせてください。

(司会)岡田市長は市議や県議を務められることなく市長になられていますが、それゆえに大変だったことと、逆にプラスだったことはありますか。また、過去のキャリアから活かされていることがあれば、お聞かせください。
(岡田)まず、行政の経験が全くない状態で市長になりましたので、正直なところ、分からないことだらけでした。一方で、行政の経験がないので、様々なことに対して素直に疑問を持つわけです。そういう意味では、「これ、おかしいんじゃないか」というような改革の視点を無数に持って市役所に入らせていただいたので、様々な改革を進めていく上でも行政経験がないことがむしろメリットに働いたと思います。
一般社団法人を作って事業展開に携わったのは僅かの期間でしたが、今の市長としての仕事にとても役立っています。当時は、資金のやり繰りをはじめとして、子どもたちをどのように喜ばせてワクワクさせる学びを作っていくかというプログラム開発など、本当に知恵を絞って活動していました。

特に良かったのは、新しい事業を立ち上げて展開させるための広報の経験です。広報では、しっかりと様々な媒体を活用していくことが重要です。SNSでの発信だけではなく、やはりローカルテレビや新聞などに取り上げていただくことが大事だと痛感しました。
これは、自治体の経営においても同じです。 市がどんなに素晴らしい取り組みをしていても、知られていないということが結構たくさんあります。それを露出させていくために、プレスリリース資料に少し工夫を加えたり、記者や報道機関の皆さんとの信頼関係を築いたり、そのような経験が今に活きていると思います。

(司会)経営者としての経験が、市長になってからの指針につながっているということでしょうか。
(岡田)はい。当時の一般社団法人の予算規模は非常に小さく、今の三原市の予算規模の500億円とは全く違いますが、経営感覚に規模は関係ないと思います。先ほど、うどん屋の店主の話をさせていただきました。これは、松下幸之助さんがうどん屋の店主に対して敬意を表した上での例え話だったと私は思っています。組織のトップに立って経営する感覚を持つということは、規模に関係なく大事なことです。

(司会)ありがとうございます。岡田市長は35歳で市長になられたわけですが、若いリーダーとして、どのように周囲の方々の信頼を獲得していったのでしょうか。
(岡田)約束を守るということ。メールが来たらちゃんと返すとか、小さなことからしっかりやるということが、信頼関係を作っていく上ですごく大事だと思います。立場は関係ないと思います。
(司会)若さがハードルになったり、難しさになったりしたことはありましたか。
(岡田)ないですね。周りは思っているのかもしれませんが、私が感じたことはありません。別に関係ないと思っていますから。
(司会)岡田市長、ありがとうございました。


広島県三原市長 岡田 吉弘
Yoshihiro Okada, Mayor of Mihara City
1985年広島県三原市生まれ。2008年京都大学工学部卒業、11年京都大学大学院工学研究科修士課程修了、日東電工入社。14年~18年松下政経塾(第35期)。同年、三原市で一般社団法人RoFReC(ロフレック)を設立。20年、三原市長選で初当選、現在2期目。【詳しくはこちら】
指導者の条件/決断の経営
松下幸之助(著)
2025年12月に刊行50年を迎えるロングセラー。累計100万部超を記録し、松下幸之助の著作で『道をひらく』に次ぐベストセラーです。経営者としての体験をもとに、古今東西の政治家や武将などの事例をひきながら、指導者のあるべき姿を102カ条で具体的に説いています。松下幸之助が自らの姿勢を正すために著し、常に座右に置いた一冊です。松下幸之助選松下幸之助選集1巻(PHP研究所)に収録。【Amazonで見る】
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