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【LEADERS】市長の条件|大谷明(茨城県ひたちなか市長)

2025/12/10

自治体経営者としての知事に求められる条件とは? 松下政経塾とPHP研究所が主催する首長キャリアサミット「LEADERS(リーダーズ)」では、茨城県ひたちなか市長として活躍する大谷明氏(松下政経塾 第29期卒塾生)を登壇者に迎え、市長の条件について本音でお話をいただきました。

※この記事は、2025年11月3日、松下政経塾とPHP研究所によって開催された「首長キャリアサミット『LEADERS(リーダーズ)』〜自治体経営者の仕事を学ぶ3時間〜」に基づいて作成されています。

はじめに

茨城県ひたちなか市長の大谷明です。本日は、このような機会をいただきまして、ありがとうございます。

皆さんは、ひたちなか市をご存知でしょうか。この写真は、テレビでも取り上げられることの多い「ひたち海浜公園」です。

ここでは、一年中、お花を見ることができます。特に4月のネモフィラの季節には、多くの方々が国内外からお越しになります。丘の青、空の青、この向こう側に広がる海の青によって、青の三重奏を楽しめます。

この風景は、CNNが日本全国の絶景スポットを厳選した「36の絶景」の一つです。おかげさまで、毎年、多くの観光客の方にお越しいただいています。

ひたちなか市は、東京駅から北東に約100km、太平洋に面した自治体です。水戸市の隣りに位置しています。

常磐線の特急で言うと、東京、上野、水戸、そして、ひたちなかの勝田という駅になりますので、80分でスムーズに来られる場所です。

観光入込客数は、茨城県内で一番です。令和5年、令和6年と、茨城県内で、最も多く人が来たのがひたちなか市となっています。野外フェスなども盛んです。

食べ物では「干しいも」。サツマイモを蒸して薄くスライスする乾燥芋「干しいも」の生産量は、全国1位です。銀座一丁目にある茨城県のアンテナショップでは、年間を通じて売上の半分ぐらいは干しいもで、今、芋バブルが来ていると思っています。

私は、松下政経塾時代に、この干しいもをどんどん売り出すという研修報告をしました。当時はなかなか受け入れてもらえませんでしたが、15年ぐらい経って今のような状況になっています。

ひたちなか市は、ものづくりのまちとして発展してきました。日立製作所を中心とするものづくり企業が集積しており、電気製品や半導体関連の事業者も数多く見られます。

具体的には、日立ハイテク、JX金属、ルネサスエレクトロニクス、日立Astemoなど。大きな建設機械を取り扱う小松製作所なども立地しています。

太平洋に面したところには、重要港湾が作られています。北関東自動車道が直結していて、ものづくりという面で重要な役割を果たしているまちです。

未来の日本に個性豊かな地域を残したい

簡単に経歴を紹介します。私は、大学を卒業して、読売広告社という広告代理店に就職しました。その後、松下政経塾、茨城県議会議員を経て、茨城県ひたちなか市長に就任しました。一度、市長選に敗れております。4年間いろいろ勉強させていただいて市長に当選し、今は2期目です。

では、なぜ市長になったのか。一言でいうと、「未来の日本に個性豊かな地域を残したい」「ふるさと、ひたちなか市を次の世代に残していきたい」という想いがあるからです。

私は、大学時代に、バックパッカーとしていろいろな国を回りました。18歳の時に初めて行った海外がアラスカです。アラスカでは、1ヶ月弱、ずっとキャンピングカーで回っていました。田舎の喫茶店に入ったら、おかみさんが話しかけてきて、「私にも、あんたと同じぐらいの年齢の息子がいるんだよ」「うちの息子はすごいんだよ」と、息子自慢が始まりました。

日本では18歳ぐらいの息子がいると、一般的な息子自慢は「うちの息子は、どこの大学に入っていて…」とか、「どんな仕事をしていて…」となりますが、アラスカのおかみさんは「ちょっと待ってて」と言って、写真を取り出してきました。

その写真には、大きなグリズリーベアを仕留めて悠々とした男の子が写っていました。「うちの息子はね、あんたと同じぐらいの年齢だけど、この大きな熊を仕留めたんだよ」と話し始めて、「所変われば息子自慢も変わるんだな」「地域って、面白いな」「いろんなところに行ってみたいな」と思い、世界をめぐりました。

その経験を通じて、「いろいろな地域で、頑張っている人がいる。そこで生まれている魅力がある。そういったものを世の中に出していったり、頑張っている人を応援したりする仕事がしたい」という想いを持ち、広告代理店に入りました。企業の広告や地域の観光など、自分のやりたい仕事に関われていたと思います。

しかし、33歳の時、父と母が、2ヶ月くらいの間隔で亡くなりました。私は、足かけ2年ぐらい、東京と茨城を行ったり来たりしていたのですが、そのような中で自分の故郷を見つめ直す機会がありました。仕事でいろいろな地域の魅力を発掘するという仕事をしていましたが、自分の地元を見返してみると、いいところもあるし、課題もいろいろあると思いました。

また、父と母が亡くなった時に、いろいろな人から「あなたのお父さんと、こういうことをやったよ」とか、「あなたのお母さんと、こういうことやったよ」という話を聞いて、父も母も、一定程度、故郷ひたちなか市に貢献をしてきたんだなという想いが湧いてきました。そこで、自分も故郷のために何かしたいという想いで、松下政経塾に入りました。

生まれ育った場所「ひたちなか」

いろいろな地域があり、いろいろな課題がありますが、私にとってひたちなかというのは、やっぱり生まれ育った場所です。「だからなんだ?」と言われればそれまでですが、それでも、特別なのです。

皆さんにとっては何気ない平凡な公園も、私にとっては「誰々ちゃんと喧嘩をした公園」であったり、同じ海の風景も、病弱だった私を連れ出してくれた父から『ここは気持ちいいだろう』と言われた海の風景であったりというように、いろいろと情緒的な記憶が結びついています。

これは、ひたちなかの海沿いにある神社です。鳥居から海が見えます。

ひたち海浜公園の「みはらしの丘」では、今はコキアが色づいて綺麗です。

夜はライトアップもしています。

300年以上続く港の八朔祭は、海に神輿を入れてぐるぐる回します。伝統や作法がある歴史的なお祭りです。

これは、海浜鉄道湊線というローカル鉄道です。前代未聞ですが、線路を延伸させようとしています。海浜公園から3.1km延伸させるために、今、頑張っています。田園風景の中で走る列車の風景は最高です。

こちらは、現在、建設中の港湾です。上の方は埋め立てをしていまして、クルーズ船も来ます。

そして、干しいもです。

それを作る農家の仲間たちです。

地域でいろいろな活動しているおばちゃんたちもいます。

子どもたちには「自分たちでこのまちを守るんだ」という意識をもってもらうために、消防団員の背中を見て育ってほしいと思います。

そして、技術の伝承も進めていかなければなりません。

そう考えると、当たり前かもしれませんが、自分の故郷を次の世代に少しでも良い形で引き渡していくことが必要です。まちづくりにゴールはないと思いますので、そのような使命があるという想いで、今、市長をしています。

市長の仕事は決断すること

市長の仕事とは何か。私は、「決断する仕事」だと思います。市長は、さまざまな場面で決断を迫られます。

特に、私が市長に就任した令和元年、東日本を台風19号が襲いました。その時、茨城で国体を開催しており、ひたちなか市で、開会式、閉会式を行なっていました。閉会式が終わって、初めて障害者スポーツ大会を中止にしました。これも大きな判断でしたが、間髪入れずに台風対応になりました。

水戸とひたちなかの間に那珂川という川が流れており、栃木の方から水が流れてきています。ひたちなかでもだいぶ雨が降りましたが、栃木で大雨が降りまして、6〜8時間後ぐらいに下流のひたちなかが増水します。避難指示を出すべきか、否か——。

その見極めが大変で、雨風がすごい台風の真っ只中に避難指示を出すというのは、いろいろな意味で危険を伴います。しかも、それが夜であればなおさらです。市の職員に張り付かせて、情報を分析して、私も実際に外を見て確認しました。

夜中11時ぐらいからは、雨と風が弱まってきていました。しかし、夜中の2時40分から3時に海が満潮になると、川の水が入っていかなくなるから危ない。避難にはどのくらいの時間を要するのか。いろいろなことを判断しながら、夜中に避難指示を出しました。市長として1年目のことです。

一見、普通の判断だと思うかもしれませんが、夜中の12 時近くに対象者が何千人もいる地域に対して避難指示を出すわけです。全ての責任は私にあるという気持ちでないと、指示は出せません。重い決断だったと思います。

決断すること、その責任を自分が負うこと、そして、その責任を負いながら決断したことに関して後から検証して説明ができること。これらを日々考えながら仕事をしています。

実際、朝になると、堤防が決壊したところもありました。

家の中が水浸しになってしまった方もいました。

ご老人の方は、家に一回戻りたいと言って、このように手伝ってもらいました。

私もいろいろ話を聞かせてもらいました。

ゴミの山を片付けるために、どのような段取りで行うのか。一つ一つ進めていかなければなりません。

皆さんが手伝ってくれました。

市長という職業の中で、いいことも判断する。危険にさらされたときも判断する。その決断をするというのが、私の仕事だと思います。

ふるさとへの愛

市長に求められる条件については、候補者討論会のときに同じような質問がありました。相手の候補者は「こういう能力が必要なのではないか」と話していましたが、私の中で浮かんだ回答は「愛」でした。

50歳を過ぎて、これだけの人の前で「愛です」というのは恥ずかしいところがありますが、やはり今思っても「愛」だと思います。

いろいろな想いを持ちながら物事を前に進めていく中で、「自分は、なぜ、この仕事をしているのか?」と自問すると、それはやっぱり「ふるさとへの愛」「人への愛」があるからだと思います。

ですから、冒頭に言ったように、「ふるさとを何とかしたい」という想いが大切です。これは、比べるものではありません。誰かと比べてどうかということではありませんが、少なくとも市長として求められる条件があるとするならば、私は「その地域や人に対する愛があること」だと思います。

子供たちとも触れ合います。次の世代にしっかりと地域を受け継いでいく必要があります。

ご高齢になってからも、地域でいろいろなことに取り組んで下さる人たちがたくさんいます。まちづくりは、一人でできるものではありません。市民が主役だと思っています。

このようにいろいろと活動してくれる同世代の仲間もいます。仕事が忙しいにも関わらず、地域のために汗を流す人たちの存在は、本当にありがたいと思います。

それから、「まちづくりでやってみたいことを小さくお試しをしてみよう」という企画を推進しています。外にこたつを出して寛ぎたいということで、許可を出してこのような企画を実施しました。本当に面白いことを思いつくなと思います。いろいろな人に支えられながら、市民が主体のまちづくりを進めています。

自治体には、総合計画という最上位計画があります。ひたちなか市は、来年度に向けて、今、新しい総合計画を策定中です。これまで総合計画は行政主導で作っていましたが、この計画を作るプロセス自体を市民の皆さんと一緒に進めています。

いろいろな地域の人たちと一緒にワークショップをやったり、小さくお試しをしたり、それを集約して計画を作っていきます。要は、計画を作るというプロセス自体で、「我々のまちは、我々が作っていくんだ」という市民参加の意識を醸成させています。「そういう人たちが一人でも多くなれば、いいまちになる」という想いで進めています。

いろいろな取組を展開しています。先ほど紹介した「こたつde○○」、高齢者と一緒に行ける「オールディスコ」、竹を活用した「流しラーメンパフォーマンス」… これらは、ワークショップから生まれた、まちなかで「小さくお試し」プロジェクトです。今、このようなことを繰り返し進めています。

未来のリーダーへのメッセージ

最後に、未来のリーダーの皆さんへのメッセージです。

松下政経塾のパンフレットにも、私は、一言、添えています。それと同じ言葉を持ってきました。不易と流行です。不易というのは、時代が変わっても変わってはいけないもの、変わってほしくないもの。流行は時代とともに変わって、変えていかなければならないもの、変わっていくもの。

当たり前のことだと思うかもしれませんが、変えるものと変えないものには、どこに線があるのでしょうか。総論としては、不易と流行、変えるものと変えないものは、時代とともにあります。しかし、リーダーは、その見極めをしていく必要があります。

さまざまな出来事に対して判断を求められたとき、判断の座標軸がないと流されてしまいます。いろいろな人の話を聞けば聞くほど、わからなくなる。自分を押し通せば、人の話が入ってこなくなる。松下幸之助塾主は、「衆知を集めるには、主座を保つ」と述べました。要は、自分の考えをしっかり持った上で、人の話を聞いていく必要があるとおっしゃっています。自分の軸を定めた上で、不易と流行の境を判断していく。その軸を定めていくような時間を過ごしていただければと思います。

ひたちなか市は、昨年、市制30周年を迎えました。いろいろなワークショップの中で、市民の皆さんとキャッチコピーを作りました。ロゴも作りました。「人が咲くまち、ひたちなか」です。

いろいろなお花がいっぱいありますが、ひたちなか市に住んでいる人、ひたちなか市に関わってくれる人、さまざまな人たちが何度でも自分の花を咲かせてもらいたい。ひたちなか市に関われば、「人が咲くまち、ひたちなか」になる。そのような想いを込めて、このキャッチコピーを作りました。

今日、このような形で皆さんとご縁をいただきました。東京から80分、電車に飛び乗って非日常を体験しながら、いろいろな市民と触れ合ってください。ひたちなか市で、皆さんにとっても花が咲くような出会いが生まれたらと思います。ありがとうございました。

市長一問一答

意思決定で心がけていることは?

(司会)大谷市長、ありがとうございました。大谷市長のふるさと愛が伝わってきました。いくつか質問させてください。災害のお話を伺って、市長としての責任の重さ、決断の覚悟を感じましたが、いざという時に決断ができるように、日頃から心がけていることを教えてください。

(大谷)一生懸命生きるということだと思います。今この時、今この時を、一生懸命生きる。でも、後からあまり反省しなくていいと思います。タモリさんも、「反省しない」と言っていましたよね。「その時一生懸命やって、できたこともできなかったことあるけれども、それが自分の今日一番のパフォーマンスだということでやっていれば、反省は必要ない」という趣旨だったと思います。これは、傲慢になるということではありません。一生懸命やるということの裏返しが、その言葉になっていると思います。

人間、至らないこともいっぱいあります。不十分なこともいっぱいありますが、今日やれることを一生懸命やるということだけは、自分なりにはできるのではないかと思います。今日やれることをいかに一生懸命やれたか。「今日、俺、頑張ったな」と言って眠れるかということだと思います。

落選時はどのように過ごした?

(司会)去年、大谷市長にお話を伺う機会があった時に、とても印象的だったのが、最初の市長選で落選された時のお話です。当時、どのように過ごされたのかについて教えていただけますか。

(大谷)最初の市長選は、4期目を目指す現職と私の一騎打ちでした。有権者数が13万数千人の町で、1,790票差で負けました。惜敗率が94〜95%ぐらいだったと思います。一生懸命やって、負けました。11月末が選挙で、初めて無職で迎える大晦日と正月は、当時2歳の娘を抱えながら、「なかなか大変だな」と思っていました。

それでも、ふるさとというのは、温かいものです。朝、起きると、玄関に野菜が置いてあったり、お正月にお餅が置いてあったりしました。民話の世界で「笠子地蔵」というお話がありますが、「リアル笠子地蔵」でした。本当に温かいと思いました。みなさんに助けられながら、なんとか4年間を過ごすことができました。

(司会)その4年間は、どのように生計を立てていたのでしょうか?

(大谷)もともと広告代理店でマーケティングや経営のコンサルティングに携わっておりましたので、自営業として同様の仕事をしながら生計を立てていました。妻も同じ会社で働いていましたので、子育てをしながら手伝ってもらいました。何とか家計を回しながら、政治活動の時間を捻出して4年間を過ごしました。

市長選を振り返ると?

(司会)1回目と2回目の選挙で、何か変わったこと、手応えの違いはあったでしょうか?

(大谷)もちろん、生計を立てるために個人事業主でやっていましたけども、4年間、現職の市長と同じ気持ちで過ごしていました。だから良い準備ができたって思っています。自分が市長に就任した時には、「こういうことから始めよう」「こういうふうに考えよう」というように、自分の頭の中でシミュレーションができました。私にとって、4年間は、良い時間だったのではないかと思います。

ただ、やはり選挙は勝たなければ仕方ありません。いろいろな人を巻き込んで、いろいろな人に迷惑をかけてしまいます。それでもやはり、実際、どうなるかは分かりません。それでも、少なくとも4年間を乗り越えて、「なんとか自分は生活できるんだな」というように、自分の対応できる幅も広がったように思います。

失敗かどうかは、本人が決めることです。この時間があったからこそ、次に何かいいことができたのだと思えるかどうかは、その人の見方次第だと思います。 ただ、一つ言えるのは、「失敗するのは、チャレンジしているから」ということです。それを受け入れながら取り組めた4年間は、私にとって非常に良い時間だったと思います。

(司会)覚悟につながる4年間も、日々、懸命に過ごされていたことが伝わってきました。大谷市長、本当にありがとうございました。


登壇者

茨城県ひたちなか市長 大谷 明
Akira Ohtani, Mayor of Hitachinaka City

1973年生まれ。中央大学経済学部卒業後、株式会社読売広告社を経て、2008年松下政経塾に入塾(第29期)。2011年茨城県議会議員。2018年のひたちなか市長選挙に当選し、現在2期目。【詳しくはこちら


参考図書

指導者の条件/決断の経営
松下幸之助(著)
2025年12月に刊行50年を迎えるロングセラー。累計100万部超を記録し、松下幸之助の著作で『道をひらく』に次ぐベストセラーです。経営者としての体験をもとに、古今東西の政治家や武将などの事例をひきながら、指導者のあるべき姿を102カ条で具体的に説いています。松下幸之助が自らの姿勢を正すために著し、常に座右に置いた一冊です。松下幸之助選松下幸之助選集1巻(PHP研究所)に収録。【Amazonで見る

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