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【LEADERS】知事の条件|村井嘉浩(宮城県知事)

2025/12/1

自治体経営者としての知事に求められる条件とは? 松下政経塾とPHP研究所が主催する首長キャリアサミット「LEADERS(リーダーズ)」では、宮城県知事として活躍する村井嘉浩氏(松下政経塾 第13期卒塾生)を登壇者に迎え、知事の条件について本音でお話をいただきました。

※この記事は、2025年11月3日、松下政経塾とPHP研究所によって開催された「首長キャリアサミット『LEADERS(リーダーズ)』〜自治体経営者の仕事を学ぶ3時間〜」に基づいて作成されています。

はじめに

皆さん、こんにちは。宮城県知事の村井嘉浩です。1週間前に選挙(宮城県知事選挙:2025年10月26日投票)を終えたばかりで、日焼けで顔が真っ黒です。まだ挨拶回りも十分にできておりませんので、本当は東京に来る余裕もなかったのですが、松下政経塾から「ぜひ来て話をしてほしい」と声をかけていただいて、宮城から東京に足を運びました。

今日は、リーダーについてお話をしたいと思います。

私は、防衛大学校を卒業して自衛官になり、ヘリコプターのパイロットとして職務にあたっていました。その後、自衛隊を辞めて松下政経塾に入り、宮城県議会議員、宮城県知事となり、東日本大震災を経験しました。そして、先日、6期目となる宮城県知事の当選を果たしたところです。

なぜ、政治家を志したのか

私が自衛官の頃、国会では、国際平和維持活動(PKO)について議論されていました。ただ、そのほとんどは、「拳銃を持っていくべきか、否か」のように本質から外れた議論でした。

私は、「なぜ、政治家たちは、これほど重要なことについて、つまらない議論ばかりしているのだろうか」と強い不満を感じていました。

しかし、自衛官は、政治的な発言ができません。だったら、自分が政治家になろう——。これが、政治家を志したきっかけです。

その後、松下政経塾に入り、県議会議員を経て、知事に就任しました。松下政経塾に入塾する前、新聞広告に「志のみ持参」と書いてあって、これに感銘を受けたことを今でもよく覚えています。

リーダーとして心がけていること

ここからは、私が自治体経営のリーダーとして心がけていることをお話したいと思います。

遠方目標を示す

まず、リーダーとして重要なのは、できるだけ遠方の目標を示すということです。

ヘリコプターの場合は、A地点で45度の方向転換をしたとき、「できるだけ遠くに目標を取って飛びなさい」「そして、中間目標に向かって飛びなさい」と言われます。そうすると、「風で流されたり、中間目標を見間違えたりした時でも、遠方目標に行ってから反対方向に行けば元に戻れますよ」という教育を受けます。

これは、人生の意思決定においても非常に重要です。例えば、以下は、65歳以上の人口の推移と高齢化率のグラフです。ご覧の通り、高齢化率はずっと上がっていきますが、実は高齢者人口のピークは2040年に迎えます。つまり、高齢者に関わる社会保障費のピークは、2040年に迎えるということになります。

ですから、国会議員は、まず「2040年のピーク時に、どういうサービスを提供するのか」という遠方目標を示した上で、それに先立つ「2030年にはどういうサービスを提供するのか」「2025年にはどういうサービスを提供するのか」という中間目標をしっかり示していくことが必要だと思います。

対立を受け入れる気概を持つ

リーダーとして心がけていることの2つ目は、対立を受け入れる気概を持つということです。

松下幸之助塾主は、「万物はすべて対立しつつ調和している」と述べています。「これは自然の理法であり、万物はこの理法にもとづいて生成発展している」「社会の発展もまた対立と調和から生まれる」「これは自然の理法にもとづく社会の理法であり、これがなければ社会は止まってしまう」ということでした。

これは、非常に重要です。特に自治体のリーダーとしては、何か大きな改革を遂行しようとすると、必ず対立にぶつかります。そして、必ず批判されます。マスコミも、批判する側につきます。しかし、私はその時に、「これは、自然の理法なんだ」「大切なことなんだ」と思って仕事をしています。

今回の選挙では、「村井さんは傲慢だ」「人の言うこと聞かない」などいろいろ言われて、非常に苦戦しました。しかし、私はこの考え方に則って対立からは決して逃げず、正々堂々と「社会を変えるために」「全体の利益のために」と思って活動させていただいています。

常に全体の利益を考える

3つ目は、常に全体の利益を考えるということです。

人間というのは、誰でも欲があります。私だって、欲深い男です。しかし、リーダーとして、知事として、政治家として活動する時には、常に全体の利益を考えることを心がけています。

私は、県議時代に、自身の選挙区の定数を減らすという提案を行いました。 また、衆議院議員選挙の補欠選挙の時、私は自民党の宮城県の幹事長を務めておりましたので、手を挙げれば私が候補者になるだろうと思いました。しかし、行司役が相撲を取ってはいけないと考え、他の人に譲りました。このようなことが、結果的に周りの人からの評価につながって、知事選に出る時に応援してもらえたのではないかと思います。

これに限らず、対立しつつ調和する。そして、いろいろな政策を進める。改革を進めて悩んだ時には、私は常に、まぶたを閉じて1番多くの不定多数の人の笑顔を思い浮かべて政策を進めるようにしています。対立も厭わないということです。

素直な心で衆知を集める

4つ目は、素直な心で衆知を集める。

松下政経塾では、毎朝「塾是・塾訓・五誓」を唱和するのですが、その塾訓の中の一節が「素直な心で衆知を集める」です。

私は、最初、素直な心というのは、親が子供に「素直になりなさい」という意味での「素直な心」だと思っていたら、塾主のおっしゃっている「素直な心」というのは、「とらわれのない心」「一方に偏ったりしない心」ということでした。

私は自分なりに咀嚼して、これは「全てのものを、一旦、自分の中に受け入れる」ということを意味しているのではないかと思いました。

知事として改革を進めようとすると、議会ではさまざまな議論が起こります。当然、反対の意見もあります。しかし、反対の意見を「それも1つの意見」として、一旦、受け入れなければなりません。「なるほどな」と思って、一旦、受け入れる。そして、反対者からの意見が「その通り」と思って変更することもあれば、そのまま突き進むこともあります。ただ、どのような意見に対しても、「一旦、受け入れるか、受け入れないか」という姿勢の違いはとても大きいと思います。

私はもともと、いろいろな人の意見を「なるほどな」と受け入れる性格でした。自衛官の頃は、その性格が非常に嫌いでした。友達の中には「右に行く」と言って右に行って、間違えても「俺は間違ってない」と言えるような人がいて、そのような友達が羨ましかったです。しかし、松下政経塾に入って塾主の思想に触れて、「こういう自分の性格は、決して間違った性格ではないんだな」ということが分かって、自分に自信が持てるようになりました。

常に信ずることを言い続ける

最後に、常に自分の信ずることを言い続けるということです。

相手に情熱が伝わるので、しつこいと言われるぐらいまで、ずっと言い続ける。それは、結局、自分に対しても言い続けることになります。

具体的な取組み

それでは、具体的にどのように実践しているのかについて、お話させていただきます。

実践:遠方目標を示す

まず、遠方目標についてです。

私が宮城県知事になったのは、平成17年(2005年)です。この表は、宮城県の県内総生産における割合を示しています。宮城県は、第三次産業のウェイトが非常に高い県でした。8割ぐらいが第三次産業で、第二次産業のウェイトが非常に低かった。今までは人口がずっと増えるから良かったのですが、これから人口が減ってくるとなると、サービス産業としての第三次産業は、一気に衰退してしまうだろうと思いました。

そこで、どうやってバランスを取ればいいのかについて考えました。やはり、外からお金を入れなければならない。第三次産業は域内経済であり、外からお金が入りにくい構造です。したがって、中からも外からもお金が入る仕組みが必要です。宮城県の人たちが食べていけるようにするために、第二次産業と第一次産業(製造業)のウェイトを高めようと考えました。

具体的に言うと、トヨタ自動車の誘致、東京エレクトロンの誘致など、大きな企業の誘致に取り組んで成功しました。その結果、企業立地の件数は、昨年の12月までには500件を超えて、新たに3万人近い雇用が生まれたことになります。

平成17年と平成30年のデータを比較すると、第二次産業のウェイトが25%まで上がって、県内総生産額も8兆4000億円から10兆円になりました。

このような目標は、今日言ってすぐに達成できるものではありません。20年かけてコツコツと、その遠方目標に向かってずっと職員と力を合わせて取り組んできた結果として達成できました。これが、遠方目標の事例の一つです。

実践:対立を受け入れる気概を持つ

次に、対立を受け入れる気概を持つということについてお話をします。

今回の選挙でいろいろと話題になった水道事業について、私は決して宮城県の水を民間に売ったわけではなく、県が所有権を持ったまま運営を民間に自由にやってもらうという「コンセッション」という方式を導入しました。

その結果、20年間で3300億円かかるはずだったコストが2977億円となり、約10%減となる337億円のコストカットを実現しました。他の都道府県が水道料金を値上げする中で、宮城県は水道料金の引き下げに成功したということです。

議会ではずっと対立がありましたし、本当に厳しい批判もありました。しかし、結果として、大半の県議会議員の皆さんにも理解をしていただいて導入することができました。時間はかかりましたが、やって良かったと思います。

実践:常に全体の利益を考える

3つ目は、常に全体の利益を考えるということです。

震災の創造的復興の中で、仙台空港の民営化にも取り組みました。仙台空港には空港ビルがありまして、宮城県が作った第3セクターの会社で運営していました。皆さん、飛行機に乗る時には、早めに空港に行って、ご飯を食べて、お土産を買って、飛行機に乗って出発しますよね。ですから、誰が社長になっても黒字になるという素晴らしい会社で、その社長は副知事の天下りポストだったわけです。

私は、それを敢えて民営化しました。空港ビルを民間に差し上げました。売りました。なぜならば、仙台空港の空港ビルをリニューアルしようとすると、今までは税金を投入するしかなかったのですが、民間のお金でやってもらおうと考えたからです。JRの仙台駅は、JR東日本がお金を入れて綺麗にする。空港ビルも同じようにやってもらおうと考えました。

その結果、国に航空法という法律を改正してもらい、仙台空港を民営化しました。近いうちに100億円近いお金をかけて仙台空港はリニューアルされますが、県民の税金は1円も使わないでリニューアルをしてもらえるようになったということです。県職員のポストではなく、全体の利益を考えて実行しました。

上の写真は、今の施設の状況です。これが、さらに綺麗になります。コロナでお客様は減りましたが、だいぶ回復してきました。お客様の呼び込みについては、もちろん私たち行政も手伝いますけれども、基本的に民間企業が自分たちで努力して実践しています。

実践:素直な心で衆知を集める

4つ目は、素直な心で衆知を集めるということです。

県の施設として、美術館、NPOプラザ、県民会館の建て替えという問題がありました。当初、A案とB案がありました。A案は「県民会館とNPOプラザと美術館を1つにして、今ある美術館をなくし、別の場所に全部移転して固めよう」という案で、B案は「県民会館とNPOプラザを1つにして美術館を増築しよう」という案でした。

施設の建て替えは、非常にお金がかかります。しかし、国のルールに則ると、A案やB案ならば宮城県に有利な借金ができるということで、私はこれを実施しようと頑張ったわけです。まさに「対立しつつ調和する」の通り、どんどん対立しました。特に、美術館は、前川國男先生という有名な建築家が設計した建物として価値があるということで、ものすごい反発を受けました。

それでも「対立しつつ調和する」ということで 、私は頑張っていました。ただ、いろいろ話を聞いていくと、美術館は「築40年で古いとはいえ、まだ使えるだろう」「近くに博物館や国際センターなどがあって、文教地区が形成されているのでまだまだ使えるだろう」ということが分かりました。

結果的に、県民会館とNPOプラザを1つにして移転し、美術館は現在地で改修するということに落ち着いたということです。いろいろと批判はありましたが、素直な心でさまざまな意見に耳を傾けた結果、このようにしました。自分なりには、松下政経塾で学んだことをそのまま実践しているつもりです。

実践:常に信ずることを言い続ける

最後に、常に信ずることを言い続けるということです。

私は、県内総生産10兆円という数値目標を掲げました。選挙に出る時、候補者は皆、いろいろな数値目標を掲げます。ごまかしが利くような数字はいくらでもありますが、私はごまかしの利かない数、経済的に1番大きな分かりやすい数として、県内総生産額8兆5000億円を10兆円にするという目標を掲げました。

知事としてこの目標を掲げた最初の時に、県の経済担当の部長が私のところに来て、「10兆円なんて絶対に無理だ」と怒られました。すぐさま「なぜですか?」「どうしたらできるんですか?」と質問したら、「岩手県にあるトヨタ自動車の組立工場が2つぐらいないとダメです」と言われました。それに対して、当時45歳で若かった私は、「あ、2つでいいんですか」と言ったら、「こいつ、バカだな」というような顔をして、担当部長が帰っていったことを今でもよく覚えています。

ただ、20年間ずっと「10兆円を目指す」「10兆円を目指す」「10兆円を目指す」と言っておりまして、単年、1年だけですが、実際に県内総生産が10兆円を超えました。その後、コロナ禍で下がってしまいましたが、また上がってきまして、今、大企業の皆様と一生懸命に頑張っています。再び10兆円規模に到達すると考えています。

やはり、これはずっと言い続けなければなりません。この「言い続ける」は、意外と難しい。頭のいい人ほど、同じことを言い続けることに抵抗を感じるものです。私はあまり頭が良くありませんので、もう同じことをずっとブレることなく言い続けているということです。今回、6期目に当選させていただきましたので、6期目も同じことを言い続けて、10兆円をずっと維持できるようにしていきたいと思います。

今後の展望

今後の展望をお話します。

政治は国家経営である

松下幸之助塾主は、「松下政経塾は、政治と経済を勉強するところではない」「政治を経営することを学びなさい」とおっしゃいました。政治を経営する。国の場合は「国家経営」、我々の場合は「自治体経営」です。そして、塾主は、常に、「無税国家を目指しなさい」とおっしゃっていました。

我々は一自治体ではありますが、「私どもも、やっぱりそれを目指さなければならない」「無税自治体を目指さなければならない」と信じて頑張ってきました。

以下のグラフは、東北・宮城県における総人口の推移を示しています。青色の線が東北の人口で、赤色の線が宮城県の人口です。私が知事になった時点を縦の波線で示しています。

20年後の令和27年には、宮城県の人口は、今の220万人から減少して190万人を切ってしまいます。東北全体の人口はもっとすごい勢いで減少して、大正14年相当の人口になるということです。これだけ人口が減っていく中で、自治体を経営していかなければならない。極力、無駄を排除していかなければなりません。

私は、この20年間、いろいろな改革を進めながら、とにかく「民間の力を借りながら、小さな行政体を目指していく」「効率的な行政体を目指していく」「たとえどんなに反発があってもやっていくんだ」という強い気概を持って臨んできました。

私が知事になった時には、宮城県の借金は1兆2000億円もありましたが、今は8900億円です。20年間で、27%削減することができました。

ちなみに、棒グラフの赤い部分は県の借金ですが、本来は国が地方交付税として都道府県に渡さなければならないお金に相当します。国の財政は非常に厳しいということで、国が都道府県や市町村に借金させています。今の宮城県の財政状況は、国の借金を含めて見ても、全体の借金は徐々に減ってきています。

私は、この20年間、政策的な箱物は1つも作っておりません。今回、初めて県民会館の建て替えを行いましたが、それ以外は1つもありません。それなぜかと言うと、塾主が言われたように「経営をする」ということです。できるだけ小さな行政体にして、借金をつくらない行政体にしています。

天命に従って人事を尽くす

最後に、私の座右の銘は、「天命に従って人事を尽くす」。これは、一般的な「人事を尽くして天命を待つ」ではなくて、「天命に従って人事を尽くす」です。

皆さんにも必ず何らかの天命があると思います。その天命が何なのかに気づいて、どうすればいいのかが分かると、力強く歩みを進められると思います。

なんとなく自由に流されたり、あるいはこの方が稼げるからという形でやっていくと、必ずどこかで行き詰まってしまうと思います。「これが私の天命だ」と思える”自分の天命”を探していただいて、それに向かって徹底的に人事を尽くしていただきたいと思います。

知事一問一答

(司会)村井知事、ありがとうございました。ここからは、少しだけお時間を頂戴して、村井知事に質問をさせていただきたいと思います。

選挙戦で大変だったことは?

(司会)今回の宮城県知事選挙(2025年10月26日投票)は「今までに経験したことがないような選挙だった」とおっしゃっているニュースを見ましたが、特に大変だったことは何でしょうか。

(村井)ニュースになったのでご存知だと思いますが、今回の選挙では、SNSで徹底的に「デマ」が流れて誹謗中傷を受けました。デマが広がってしまうと、もう止められないですよね。ものすごい勢いで広がっていきました。最初はそうでもなかったのですが、選挙期間の途中からは、街を歩いていると、「売国奴野郎」「土葬野郎」など、本当にひどいことを言われました。

それでも、私は、有権者が選ぶ「選挙」というのは、「神の声」だと思っています。もし私が当選したら、神様は「お前、もうちょっと頑張れ」と言っている。落選したら、神様は「もう、お前じゃない方がいいんじゃないか」と判断したのだろうと受け止めます。

ですから、今回、本当に厳しい選挙だったのですが、私は敢えて対立候補と同じ土俵に立って、相手の批判を一切せずに、「自分はこう考えています」という訴えを続けました。これは、「神の声に従おうと。落ちれば落ちたで仕方ない」と思っていたからです。妻とも「こんなにすごい選挙はなかなかやらせてもらえないから、それはそれでいいんじゃないか」と話していまして、思い切って活動しました。

投票日の3日前くらいまでは負けていたと思うのですが、私の想いが何となく皆さんに伝わって、最後の3日間で盛り返してギリギリ勝ったということですね。選挙戦略や選挙戦術も重要ですが、やはり「芯をぶれないようにする」ということが非常に重要だと、私は思います。

災害時、どのように意思決定を行なった?

(司会)2011年3月に東日本大震災という未曾有の災害が起こった時、全員が不安な中で、災難時のリーダーとして何を頼りにどのように意思決定をなされたのでしょうか。

(村井)東日本大震災の時は、本当に目の前が真っ暗になりました。福島の原発事故を除くと、全ての被害の6割が宮城に集中しています。亡くなった方も6割、失った家屋も6割、行方不明者も6割が宮城に集中しています。それが目の前で起こってしまって、「なんで自分が知事をやっている時に…」と思いました。

しかし、ある人から「村井さん、これ、あなたの天命だよ」「あなたは、これをやるために、松下政経塾に入って、政治家になって、知事になったんだよ」と言われた時に、「あ、なるほど」と思いました。「これは天命だ」と。「このために自分は生まれてきたのだ」と思ったら、すっと気が楽になりました。

「だったら、この最大のピンチを最大のチャンスに変えてやろう」と、宮城県の復興を通じて国には法律そのものを変えてもらいました。水道法も変えてもらいましたし、空港の民営化では航空法を変えてもらいました。特例的に37年ぶりに宮城県で医学部を作ってもらって、医師不足の解消につなげました。

とにかく、さまざまなことを思い切って政府にどんどんぶつけさせてもらいましたが、これらのことは、私が考え方を切り替えたことによって実現できたのではないかと思います。

「衆知を集める vs 人の意見に流される」その違いは?

(司会)最後にもう1 つ、現役の塾生として伺わせてください。「素直な心で衆知を集める」という、松下幸之助塾主の言葉があります。素直な心とは、とらわれのない心。ただ、「自分の考えにとらわれていること」と「自分の信念を貫いていること」の違いとは何なのか。「衆知を集めること」と「人の意見に流されること」の違いとは何なのか。是非、村井知事に教えていただきたく思います。

(村井)私は、自分なりの解釈として、「全てのものを、一旦、自分の中に受け入れる」ということを「素直な心」だと受け止めています。一旦、受け入れる。例えば、議会でも共産党の方からいろいろご指摘をいただきますが、「なるほど、これも一つの意見だな」と思うかどうか。「あいつは間違っている」とするのか、「その意見も一つの考え方だな」と受け止めるのかによって、答弁する時の気持ちが変わりますよね。

「衆知を集める」というのは、「何をやったらいいですか?」「これをやってもいいですか?」ではありません。松下幸之助さんは、何日間も悩んで悩んで悩んで決めたことを、皆さんに「これ、どうかな?」「どうかな?」「どうかな?」と聞きました。

松下政経塾をつくる時にも、最初は、悩んで悩んで、それでも作ろうと思って、周りに相談した。すると、周りの人からは「やめなはれ」「やめなはれ」「やめなはれ」と言われて断念した。それでも、「どうしてもやりたい」「やらなきゃいけない」と考えた。それで、周りに相談すると、また「やめなはれ」「やめなはれ」「やめなはれ」と言われた。けれども、「やっぱり、それでもやる」と決めた。

つまり、何でもかんでも人に相談するということではなくて、自分で考えて考えて考え抜いた上で、人に意見を聞いていく。これが、松下幸之助さんの「衆知を集める」ということなのだろうと、私は解釈しています。

OBによって考え方は違うかもしれませんが、私はそのように捉えています。素直な心で、一旦、全てのものを受け入れる。そして、自分で考えて、咀嚼して、悩んで、「こうしよう」と決めた後に、皆さんに相談していく。それが、私の「素直な心で衆知を集める」です。

私は、ずっとこの姿勢で県政の運営をしてきました。ですから、職員に考えをぶつける時には、大体、自分で「こうやりたい」と思ったことをぶつけていきます。さまざまな意見を聞いて、自分の考えを変えることもあれば、変えない時もあります。私は自分なりに、「素直な心で衆知を集める」を実践しているつもりです。

(司会)質問は、以上とさせていただきます。村井知事、改めまして、本当にありがとうございました。


登壇者

宮城県知事 村井 嘉浩
Yoshihiro Murai, Governor of Miyagi Prefecture

1960年生まれ。防衛大学校卒業後、陸上自衛隊に任官。東北方面航空隊(仙台霞目駐屯地、ヘリコプターパイロット)などで勤務。92年に自衛隊を退職。松下政経塾に第13期として入塾。95年から宮城県議会議員を3期務めたのち、2005年の宮城県知事選挙に当選。現在5期目。2023年9月から25年9月まで全国知事会会長(第15代)。著書に『復興に命をかける』(PHP研究所)などがある。【詳しくはこちら


参考図書

指導者の条件/決断の経営
松下幸之助(著)
2025年12月に刊行50年を迎えるロングセラー。累計100万部超を記録し、松下幸之助の著作で『道をひらく』に次ぐベストセラーです。経営者としての体験をもとに、古今東西の政治家や武将などの事例をひきながら、指導者のあるべき姿を102カ条で具体的に説いています。松下幸之助が自らの姿勢を正すために著し、常に座右に置いた一冊です。松下幸之助選松下幸之助選集1巻(PHP研究所)に収録。【Amazonで見る

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