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人間観
2007年10月

入塾選考基準の「運のよさ」とは?
杉本哲也/卒塾生

「あんさんは運がよろしいですか?」塾主・松下幸之助が入塾選考の基準にかかげた「運のよさ」とはどうやって判断するのであろうか。塾主の人生を振り返りながら、その判断基準に迫る。

 

1.塾主の考えた入塾選考基準

 「あんさんは運がよろしいですか?」

 塾主・松下幸之助は、経営者であった頃、松下電器に入社しようとする社員に対して、こう聞いたという。経営だけにとどまらず、「運のおかげで成功するのだ」という考えが、塾主の人生のうえで重要な要素となった。

 塾主は松下政経塾を設立するときに、ジャーナリストの田原総一朗氏から取材を受け、塾生の選考基準として、次の4つを挙げたという。愛嬌の持ち主であること、ひと通り勉強ができること、皆の前で自分の意見をしっかり話せること、そして運の強いことである。

 まず愛嬌の持ち主であること。これは面接をして、本人に会って話してみればわかるであろう。面接に熟練した人ともなれば、ノックの仕方、「失礼します」という言葉と扉の開け方だけで愛嬌があるかどうかわかるという。べつに熟練した面接官でなくとも面接をして、自己紹介をした後にいくつかの質問に答えてもらえば、愛嬌の持ち主であるかどうかはわかる。実際、政経塾の設立当時から入塾選考には三度の面接が実施されている。塾のスタッフから役員まで、面接ごとに面接官は替わっていくが、いずれにしても愛嬌の持ち主かどうかを判断するには十分であろう。

 次に、ひと通りの勉強ができることは筆記試験や簡単な口答試験などで確認することができる。政経塾の歴史の中で、時期によって形は変わっているものの、論文を書いたり、筆記試験を実施したりしている。私が入塾選考を受けた際にも中学から高校程度の学力試験のようなものを受けさせられた。

 また皆の前で自分の意見をしっかり話せることも、演説をさせてみたり、ディベートをさせてみたりすることでわかる。面接の中でも、決まった答えのない、自分の考えを述べさせる質問をすれば、自分の意見を話せるかどうか見分けることができるであろう。私も入塾選考の際には、決意表明という形で15分間の演説を行ったり、受験生同士でチームに分かれてディベートを行った。面接の際には、時事的な問題に対する自分の意見を述べる質問もたくさんあった。

 しかし最後の運の強いことというのは、どういう風に判断するのであろうか。私はいわゆるお受験に合格して国立の中学校に通っていたが、そのときの入試の最終試験がくじ引きであった。これなら運の強さがわかるのかもしれない。しかしながら、松下政経塾の入塾試験にくじ引きというものはなく、どうやって受験生の運の強さを判断しているのであろうか。冒頭に述べた田原総一朗氏の取材の中で、「その人の運が強いかどうかがわかるのですか」という問いに対して、塾主は「まあ、私が見たらわかりますのや」と答えたという。もちろん塾主にも「その人の運がいいかどうか」を判断する基準があったであろう。塾主の人生を振り返ることでその判断基準を詳しく考えてみる。

2.塾主の運のよさ

 塾主は著書『人生談義』の中で「ぼくは運のいい人間だと思いますよ」と述べている。そう思うきっかけになった人生経験がいくつかあるようである。

 塾主はセメント会社の臨時雇いとして働いていたことがある。季節は夏だったが、仕事の帰りに船に乗っていると、近くを通った船員が足を滑らせて海に落ちたときに、抱きつかれてしまったために塾主も一緒に落ちてしまったそうだ。無我夢中で手足をバタバタしていたら、船が戻ってきてくれて救助してくれたのだという。塾主は「夏だったからよかったけれど、もし冬だったら死んでいたでしょうな」と締めくくっている。

 もう一つのエピソードは、塾主が独立して商売を始めたばかりの頃、自転車で製品の配達をしていたら、四つ角で車が飛び出してきて、吹っ飛ばされてしまった。さらに飛ばされた先が電車道で、そこに間が悪いことに電車が来たが、二メートル手前で止まってくれた上に、かすり傷一つなかったという。

 またこの他にも、昭和の初めに起こった恐慌の際に、取引の中心となる十五銀行が支払い停止になったが、その少し前に住友銀行とも取引を始めていて、困難なときに道が開かれたということもあったようである。

 いずれにしても塾主自身、「自分は運の強い人間だ」という風に考えているわけである。そして、塾主は自分の運命を信じることで、幾度となく困難を乗り切って、成功を収めたのである。

3.運のよさとは

 一般的に運がいいといえば、宝くじに当たるとか、または流れ星を見るとか、四つ葉のクローバーを見つけるなどといった、確率的に低くかつ大多数の人が望んでいることが起こることを指す。

 しかしながら塾主の人生を考慮に入れると、塾主はどうやら「運」というものをこのように考えていたわけではないようである。塾主は、客観的に見て幸いな事象が自分の身に起こったかどうかではなく、どんな事象に対しても自分自身が幸いと思えるかどうかで「運が強い」かどうかを判断していたのである。

 つまりどういうことかというと、塾主が「自分には運がある」と思う根拠になったエピソードは客観的に見て幸運かどうかといえば、足を滑らせた船員に巻き込まれて海に落ちたり、四つ角で自動車に吹っ飛ばされたりと、むしろ客観的に不幸なことであるといえよう。その中で、季節が夏であったり、船が戻ってきてくれたり、また電車が止まってくれたりしたことは、一般的にいえば、不幸中の幸いに過ぎないことである。悲観的な人であれば、「船員に巻き込まれて海に落ちるなんて、なんて運が悪いのだろう」「車に吹っ飛ばされるなんて、不幸だ」と考えてしまうだろう。しかしながら塾主は、これらの出来事から「自分には運がある」と考えた。要するに、塾主は客観的に見て不幸な出来事を、自らの意志でプラスに考えたのである。

 そしてその後も「自分には運がある」と信じて、いろいろな困難に対しても、「自分は運が強いのだから何とかやり遂げられるであろう」と信念を持って乗り越え、成功を遂げてきた。すなわち自分の運を信じて、自らの道を切り開いてきたのである。

 塾主が選考基準として塾生に求めたことは、この「自分の運を信じて、自らの道を切り開いていくこと」であろう。それぞれの人生で今まで色々なことがあったであろうが、何があったにしても、自分の生きてきた人生をプラスに捉え、それをその後の自分の人生に活かしていくことをリーダーたるものの条件として要求したのだと考える。自らの運を信じていれば、積極的に取り組めるし、勇気を持って行動することができる。そのことが自らの道を切り開くことにつながるのであろう。

 塾主は何事に対しても、成功して順調なときは「運がいいから」「人様のおかげ」、困難に直面しうまくいっていないときは「自分の努力不足だから、成功するに見合った努力をしないといけない」と考えていたようだが、「自分に運がある」と思って見合った努力をし続けていれば、何事もうまくいくようになるのである。まさに松下政経塾の五誓にある「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」ということである。

4.私の運のよさ

 このような観点で自分の人生を振り返ってみると、私にも「自分には運がある」と思うところがいくつかある。

 私事で恐縮だが、私は小学校五年生のときに父親が病死した。人にこのことを話すと、「小さい頃から辛い思いをなさっていたんですね」とよく言われる。確かに私も父親が亡くなる直前は「どうして友達の父親は生きているのに自分だけ父が死ぬのだろう」と考えていた記憶がある。しかしながら、今になって考えると父親が早く亡くなったために、母親はより愛情をかけて私を育ててくれた。おそらく子どもに対する母親の愛情の大切さというものは、人一倍どころかそれ以上に知っているつもりである。さらには父親の大事さというものを考えるきっかけにもなった。自分に子どもができて、子どもに対して父親として何をしてやればよいのかということが自ずとよくわかるのは、自分が父を早く亡くしているからであると思う。

 この他にも、私は人生の大きな節目となる大学受験、就職、結婚という場面において、悉く自分の思い通りにならなかった。しかしながら思い通りにすんなりといかず、その分苦労したからこそ、今こうしてすばらしい環境で身を修めることができ、家族の大切さを実感できる日々があるのではないかと思う。そういう意味で私も「自分には強い運がある」と思う。だからこそ、塾主の見えざる手に導かれて、この政経塾に入塾したのではないだろうか。私は自分の運命を信じて、これからも自らの道を、そしてこの国の明るい未来を切り開いていきたいと考える。

5.運よく生きるために

 自分の運がいいと考えるか悪いと考えるか、どちらが正しいのかはわからない。しかしながら、塾主が「自分に運がある」と考えて人生を生きた結果、多くの成功を遂げたことはほとんどの人が認めるであろう。そこから私たちが学ぶことはないだろうか。結局のところ、運のよしあしは天が決めるわけでもなく他人が決めるわけでもない。人は自分の考え方次第で運のいい人間にもなれるし、運の悪い人間にもなれる。少なくとも自分の運命を信じられる人間には、運のいい人生の道が広がっているのである。では自分の運命を信じるということは具体的にどういうことか。私は三つのことが大事であると考えている。

 一つ目は志を立てることである。志がなければ人生の方向性が定まらず、運命について議論することができない。つまり運命を信じるためには、少なくとも「自分がこうなりたい」「自分はこうしたい」という思いが必要なのである。できればその志が自分だけのためでなく、世のため人のためであるとなおよい。

 二つ目は縁を生かすということである。塾主も縁を大事にする人であったのだが、人は誰でも無数の縁の中で生きている。私は大学時代の研究室の先生に進められたのがきっかけで、D・カーネギーの『道は開ける』という本を読んだ。会社の新人研修のときに、研修のテキストに『道は開ける』の一節が掲載されていた。講師に「D・カーネギーの本を読んだことがある」という話をしたら、D・カーネギーの研修プログラムを紹介してくれた。D・カーネギーの研修プログラムに参加したら、そこで「何でも積極的に挑戦してください」と言われた。首都圏で配布されている『R25』という雑誌の松下政経塾の記事に出会ったので、積極的に入塾選考に挑戦した結果、私は今、塾生となっているのである。このうちのたった一つの縁さえも生かしきれなければ、今私は政経塾にはいなかったであろう。縁を生かしたからこそ、この塾に導かれてきたのである。大事なのは与えられた縁をどう生かすかである。自分の運を信じることができれば、すべての縁が自分にとってプラスに働いてくれるだろう。

 三つ目は与えられた環境に対して不平・不満を言わず、最善を尽くすことである。中国の古典『中庸』に「その位に素して行い、その外を願わず」という言葉がある。「人にはそれぞれ与えられた立場があるので、それに相応しい行動をとる」ということであろう。最善を尽くした結果、物事がその志に向かって思い通りにいっているときは、よほど悲観的な人でない限り自分の運命を信じることは容易であろう。ただし大事なことは、うまくいっている状況に対して、感謝の気持ちを忘れないことである。

 一方、問題は最善を尽くしているのに物事が思い通りにいかないときである。物事が思い通りにいかないとき、塾主は「自分の努力不足である」と考えて発憤したようだが、私は中国の古典『孟子』の言葉を思い出すようにしている。

「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓せしめ、其の身行を空乏せしめ、其の為さんとするところを拂乱せしむ。心を動かし性を忍ばせ、其の能くせざる所を曾益せしむる所以なり」(『孟子』巻十二 告子章句下)

 大訳をすると、「天が重大な任務をある人に与えようとするときは、精神が苦しくて肉体も飢え苦しみ、やること為すことがうまくいかず、意図することと食い違った結果がでてくる。これは天がその人を発憤させ、性格を強くして、今までできなかったことをできるようにするための試練である」ということである。つまり一生懸命やった結果、物事が思い通りにいかないというのは、天が自らに試練を課そうとしているのである。要するにその思い通りにいかない結果というのは天命であるので、その結果に従って生きていくところに新たな道があるということであろう。

 ただし天は大任を命じているに過ぎない。その天から与えられた困難を乗り越えて運命を切り開くか否かは自らの意志によるものである。自分にとっては不本意な結果かもしれないが、その天が下した不本意な結果を自らの意志で受け入れることによって、また人生が新たに展開していくのである。たとえば、受験や就職で希望していたところに行けなかった場合、「自分の希望でないところに行け」というのは天の意志であるので、その結果を受け入れ、行った先で一生懸命に取り組むことで、希望がかなう以上のいい結果が得られるのである。冒頭で紹介した私自身の体験として、中学受験のときにくじ引きがあったのだが、これに外れて不合格であったとしても、行った先で一生懸命やって、くじ引きが当たって難なく合格した以上に発憤すれば、それはそれで運がいいのである。大事なのは結果がどうであったかではない。得られた結果をどう見るかなのである。運命を作るのはまさに自分なのである。

6.我が国の運命を信じて

 塾主は松下政経塾の第一期生の入塾式で「この国に運命がある限り、この塾は必ず成功する」と述べた。塾主は我が国に運命があると信じていたからこそ、周囲の反対を押し切って、松下政経塾を設立したのだろう。現在、我が国にはたくさんの問題があり、行き先の見えない閉塞感が漂っているが、我が国の運命は天が決めるわけでもなく、他の諸外国が決めるわけでもない。国民が自らの国の運命を信じて、自国の道を切り開いていく以外に道はないだろう。私も国民の一人として、そして運命を信じた松下幸之助塾主の思いを引き継ぐものとして、我が国の道を切り開いていきたい。

参考文献

松下幸之助『人生談義』PHP研究所 1990年
松下幸之助『松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書』日経ビジネス人文庫 1989年
津本陽解説『松下幸之助の予言』小学館文庫 2001年
岩井虔『そう考えると楽ですね』PHP研究所 2006年
小田全宏『私たち塾生に語った熱き想い 松下幸之助翁 82の教え』小学館文庫 2001年
金谷治訳注『大学・中庸』岩波文庫 1998年
小林勝人訳注『孟子(下)』岩波文庫 1972年
2007年10月 執筆
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