論考

Thesis

松下経営哲学
~信頼関係があって初めて~

1.はじめに

 松下幸之助塾主(以下、塾主)は、松下電器社員に対しては迫力のある雷の落ちたような(1, p126)、晩年に関わった松下政経塾塾生に対しては諭すように絞り出すように、でも力強く度々叱っていた。塾主に叱られた経験のある人は口々に「恐ろしかった。でももっと頑張ろうと思えた」と話す。塾主は「叱られたら一人前」という言葉を残しているが、塾主の「叱り方」と松下電器を成長させてきた社員や未来のリーダーたちである塾生の「叱られ方」を通して、その言葉の真意と経営理念を考察する。

 まず前提として「怒る」と「叱る」の違いを押さえておきたい。「怒」の文字は「女性(女)が心臓(心)に手(又)を当てている様子」を表しており、「感情を込める」ことが原義である。一方で「叱る」は「口」に「七」という会意形声文字から成っており、「ㇱッ」というような鋭い音を出すことが原義だ。つまり、「怒る」とは「どのように、何を」伝えるかは問題ではなく感情が重要であり、「叱る」は相手に伝えることが大切となってくる。塾主は感情任せに怒鳴っていたのではなく、叱る相手に伝えたい何かがあった。だからこそ「叱る」ことを大切にしていたのだ。

2.「叱る」こと

 「好きな道に打ち込む喜びにみちみちている。この熱情からほとばしる生気は、力強いものがあると思う。そのあまり、時にはみなさんの処置、行動について、きびしく批判することもあるかもしれない。それは使命を思う故である。またその人を愛する故である。(中略)熱意がこもると、言葉の節々に激烈さが加わるかもしれない。真剣なるもののあらわれであると、よく理解していただきたいのである」
塾主は1950年7月に行われた緊急経営方針発表会にてこのように述べている。塾主にとって叱ることは自らの使命感や熱意からであり、叱る相手への愛情なのだ。また叱ることは人づくりであるとも捉えていた。本来家庭や学校がしつけを行うが、技術だけでなく、人間として、社会人として、優れている人を育てる役割を企業も担っていると考えていた。そのため叱る際の基準は、単なる好き嫌いや個人の価値観ではなく、以下の言葉にもあるように「公」の立場に立って許せるかどうかであった。
 
 「企業は社会に貢献していくことを使命とする公器であり、そこにおける仕事もまた公事である。だから、その公の立場から見て、見すごせない、許せないということに対しては、言うべきを言い、叱るべきを叱らなくてはならない。(中略)使命感に立っての注意であり、叱責である。」(2, p86)
人間は誰しも間違う事がある。だが、今後その人自身のためにならないことや、チーム内での大きな失敗に繋がる可能性のあることは未然に防がねばならない。だからこそ塾主は、小さい事でも厳しく叱っていた。

 例えば、当時のPHP研究所の研究部長が叱られたエピソードがある。『指導者の条件』(PHP研究所, 2006)をまとめていると塾主から「君、どない思う?」と聞かれた。「指導者に求められる条件120か条を一つ一つ読んでいくと、『ああ、自分は指導者の器ではないな』と思わされることがいろいろあります」と答えたが、それに対し塾主は「君は今、責任者の座に座っとるやないか。責任者の座に座っている者が、なんという言い方をする!(中略)『自分はこのページは合格点ではない』と思うなら、『どうすれば合格できるのか、何をどう心がければいいのだろうか』と、そういう思いで読んでいく、これが責任者の姿勢と違うか?それやのに君は、『このページは失格、このページも失格』と、そんな気持ちで読むのか。もし本当に失格と思うのなら、今その責任者の座に座っていることはない。辞めたらいい。」とお叱りになった。ただの本の感想ではあったものの、塾主はそこに責任者としての自覚や心構えの甘さを感じ取り、今後のために指摘されたのだった。

3.塾主の「叱り方」

 塾主は信頼や期待、愛情のもと一生懸命に全力で真剣に叱っていた。そのため、叱られた人は欠点を何とかして直してやろうという塾主の誠意と熱意を感じていた(1, p125)。
また気づいたらすぐに、その場に誰がいようと構わず叱る(1, p124)。行動の直後の方が当人が理解しやすいことに加えて、その場にいる他の者も同じ失敗をしている、もしくは今後する可能性があるためそれらを同時に防ぐことができるからだ(1, p125)。近年の「良い」とされる叱り方は、人のいないところに呼んで行うが塾主は、人をつくるために叱っているのに、それが本人の面子を壊したり恥をかかせたりすることになるはずがない(1, p125)し周りの人もアドバイスをくれるはずだと考えていた(5, p61)

 さらに塾主は、「叱る」行動に対して隠し味も加えていた。叱っている最中に「君だからこうして怒るのだ」「君ともあろうものが…」と褒めるのだ(5, p158)。さらに叱った後はフォローを忘れない。例えば、松下政経塾の販売実習後の成果発表会にて、塾生が「実績を出せず報告することがない」と述べたことで、塾主が怒りのあまり言葉にならないほど叱ったことがある。手元のタオルを机に叩きつけてひたすら怒っていたという。怒りが収まらずそのまま中止となった発表会後、叱られた塾生は「これで退塾か」と荷造りをしていた。部屋に訪ねてきた当時の副塾頭から封筒を渡され、恐る恐る開くと、中に入っていたのは「叱ってもらおう」という塾主のことばの一節だった。「自分を成長させたいと思う人であれば叱ってもらうことは大事な教師である」「愛情を持って叱ってくれる人を持つことは最高の幸せである」との言葉に塾生は感動したという(4)。塾主は、当時自分と同じ経営者志望だった彼に期待し、全国で首位を争う販売店に行かせていた。当塾生は「月曜日から水曜日は塾で学び、木曜日から日曜日は販売店で働いた。本当に大変で頑張ったとは思うが、売れなくてもこんなもんだと思っていた。1日に何十も売るのは自分より若い子たちだったため、大卒で塾に入れたという奢りもあって、どこか下に見ていたと思う。そんな私に塾主は、『相手がすごいと思ったら頭を下げて学びなさい。実績をあげる人がいれば、教えを乞う。素直に学ぶ姿勢がなければ一生体得できない』と教えたかったのだと思う。」と語った。

4.「叱られる」こと

叱られるとき、叱る人は叱られる人に対して関心があると言える。叱る行為は叱る人を疲れさせるにも関わらず叱ってくれるということは、叱られる人に対して期待があるからだ。それを「面倒だ」「うるさい」といった心持で受け止めてしまっては勿体ない。むしろ叱ってくれた人に対して感謝し、期待してくれていることを喜ぶべきだ。叱られた事柄を素直に受け止め謙虚に反省し、次回に生かしていけばそれは大きな糧となっていく。塾主は
「叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。(中略)何人も、より多く叱って貰うことにより、進歩向上が得られるのだ。(中略)然しながら叱る方でも真の親切から叱る以上、あくまでも矯正するところまで叱り通してやる根気がなければならぬ。叱られる方も亦叱って貰う事は自己向上の一大資料たるを感じて、これを受け入れてこそそこに効果が生れるのである。」(1, p130)
と述べている。塾主に叱られた人はそれを誇りに思い、「この人のためにまた頑張ろう」と思ったという。また叱られた思い出を、懐かしく親しみをもって嬉しそうに振り返る様子が映像資料に残っている。

 何が塾主をここまで「叱られる」ことにこだわらせるのか。それは幼少期の丁稚奉公時代に、厳しくも愛情をもって育てられたことが大きく影響していると考えられる。日常の作法から技術、また仕事に対する心構えなどをしつけられている(5, p141)。実際、塾主は「素朴な手荒さのなかには、やはりあたたかい情というもののあった懐かしさが今でも思い出される」と後に述べている(6, p24)

5.信頼関係が大事

「叱る/叱られる」は信頼関係があってこそ上手く機能する。叱る方は、叱られた人が納得する叱り方をしなければならない。まず叱る人が叱る事柄をきちんとできているか、それは公に許されないことなのか、考えなければならない。これらが満たされた注意であれば、叱られる人も反抗する理由がなくなる。その上で納得のいかない点は、叱ってくれた人に問うことはできる。塾主も常に言い分を心の底から聞いていたという(5, p57)。このようにリーダーは、日ごろから皆の意見をよく聞き、立場関係なく何でも言いやすい雰囲気づくりをしておく必要がある。不満や納得のいかない点があっても伝えることができない状況であれば、叱られても素直に受け止めることが難しくなる。1期生は塾主に遠慮なく質問し、時には塾主の意見を否定している。塾主が「素直になりなさい」を頻用するほどだ。彼らの一年目の修了式前日、塾主は「君たちにとっての販売実習は猫に小判だった」と叱っている。それは学びの宝庫である販売実習が身に染みていない様子の1期生全体に対しての怒りであったが、当時塾生だった野田元総理は「みんなシュン、となってしょげた。修了式当日には『頑張るからもうちょっと待ってくれよ、しっかりやりますから』というメッセージを届けるために、寝ずに塾生代表の言葉を考えた。謝辞の後、塾主が笑顔で握手を求められたときは、それは嬉しかった。また絆が深まったし頑張ろうと思った」(7, p91)(筆者意訳)と当時を振り返っている。

 リーダーは仲間を信頼し任せていい。人間は信頼されれば、それに応えようとするものだ(8, p45)。東方電機(後の松下電送)の代表取締役に就任しその再建にあたった木野親之氏は数々の使命を任された一人であった。無理難題だと思う事でも、塾主の「公器として成すべき事業だ」という信念に突き動かされ、全力で仕事に取り組んだ。塾主は叱咤激励を繰り返し、共に偉業を成し遂げていった。このように任された人物はその仕事に真剣に向き合い、その上で注意されたら素直に受け止め感謝する。しかし同時に、信頼関係のもとでどんなことでも報告することができる。塾主はトップに立ちながらも部下や塾生に「どう思う?」と尋ねて意見交換をし(9, pp252-253)、また客からのクレームや不満も聞き入れ対応をしていた。

 最後の責任をとるのはリーダーだ。だからこそ、公に間違っていることは叱って正す必要があるが、叱る相手が素直に受け止められる環境も作らねばならない。この信頼関係が松下電器を成功させた鍵であり、塾生に求めた姿勢であったと考える。

参考資料

(1) 遊津孟. 『松下幸之助の人づかいの真髄』. 日本実業出版社. 1979

(2) 鈴木崇之, 「怒る」と「叱る」で子どもは変わる!?健やかな成長を育む親子のコミュニケーション術とは?, Toyo link, 東洋大学,
https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/life/angryandscold (最終閲覧: 2024/5/23)

(3) 松下幸之助. 『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』. PHP研究所. 2014

(4) 加藤康之,『幸之助塾主激怒』, 松下政経塾通信 , 2016年11月塾主生誕記念号

(5) 藤井行夫. 『なぜ人づかいは松下幸之助なのか 松下幸之助の「叱り方」の研究』. アスカビジネス. 1985

(6) 松下幸之助. 『わが半生の記録 私の行き方考え方』. PHP研究所. 1988

(7) IMAGINEER. 『松下幸之助の人づくり-全身全霊で語りかける。経営の神様、85歳-』. イマジニア株式会社. 2016

(8) 松下幸之助. 『人生心得帖』. PHP研究所. 2012. pp45-51

(9) 木野親之. 『松下幸之助 叱られ問答』. 致知出版社. 1999

参考資料

加藤康之, 『幸之助塾主激怒』, 松下政経塾通信, 2016 年 11 月塾主生誕記念号

木野親之. 『松下幸之助 叱られ問答』. 致知出版社. 1999

後藤清一. 『叱り叱られの記』. 日本実業出版社. 1979

小柳道男編. 『私のなかの親父・松下幸之助―丹羽正治経営覚え書―』. 波. 1977. pp47-55,173-186

PHP研究所, 『「公」の怒り-松下幸之助のことば〈93〉』. 松下幸之助.com,
https://konosuke-matsushita.com/column/cat71/post-125.php (最終閲覧:2024年5月23日)

PHP総合研究所. 『エピソードで読む松下幸之助』. PHP研究所. 2009. p83, 113, 114, 181, 182, 237, 238

藤井行夫. 『なぜ人づかいは松下幸之助なのか 松下幸之助の「叱り方」の研究』. アスカビジネス. 1985

松下幸之助. 『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』. PHP研究所. 2014. pp83-92,150-155

松下幸之助. 『指導者の条件』. PHP研究所. 2023. pp20-24,80-81,102-105,112-113,178-181

松下幸之助. 『社員心得帖』. PHP研究所. 2020. pp22-23,78-82,97-102,126-134

松下幸之助. 『商売心得帖/経営心得帖』. PHP研究所. 2014. pp216-217

松下幸之助. 『人生心得帖』. PHP研究所. 2012. pp45-51

松下幸之助. 『必見! 松下幸之助、慈愛ゆえの「本気の叱責」』. テンミニッツTV.
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1113 (最終閲覧:2024年5月23日)

松下幸之助. 『道をひらく』. PHP研究所. 2014. pp70-71, 178-179, 214-215

松下幸之助. 『リーダーを志す君へ』. PHP研究所. 2011. p68

松下幸之助. 『リーダーになる人に知っておいてほしいことⅡ』. PHP研究所. 2010. pp29-30

松下幸之助. 『わが半生の記録 私の行き方考え方』. PHP研究所. 1988. p24

遊津孟. 『松下幸之助の人づかいの真髄』. 日本実業出版社. 1979. pp9-11,124-132, 138-149,204-208

IMAGINEER. 『松下幸之助の人づくり-全身全霊で語りかける。経営の神様、85歳-』. イマジニア株式会社. 2016

Back

野田怜弥の論考

Thesis

Reiya Noda

野田怜弥

第45期生

野田 怜弥

のだ・れいや

Mission

情報発信による「見えなく」されている人々や「排除」されている人々を赦し受け入れられる環境づくり

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門