論考

Thesis

「新しい人間観」から読み解く松下政経塾の建塾理念

 本稿は、松下政経塾(以下、当塾)の建塾理念を「新しい人間観」という松下幸之助(以下、塾主)の言葉から紐解いていくものである。当塾設立にあたり、なぜ「新しい人間観」への言及が必要だったのか。そもそも「新しい人間観」とは何か。そして、我々塾生はこの言葉をどのように理解し、何を為すべきか。これらの疑問に一つの仮説を提示し、我々塾生の使命を浮き彫りにすることが本稿の目的である。

1.松下政経塾の建塾理念における「新しい人間観」

 建塾理念を説明するにあたり、当塾の設立趣意書を読み解くことから始めたい。塾主は、設立趣意書において、戦後の日本の成長・発展には目をみはるものがあると述べ、その一方で人間の相互不信や悲惨な社会情勢が常に続いていることへの深い憂慮の念を示している。そして、このような悲惨な状況が生まれる原因として、「国家の長期的展望の欠如」と「具現化するリーダーの不在」[1]。を提示した。前述の観点から、「真に国家を愛し、二十一世紀の日本をよくしていこうとする有為の青年」を募り、彼らを育成するための機関として当塾を設立したのだと述べている。塾生が当塾で学ぶべきとされているのが、「『人間とは何か』、『天地自然の理とは何か』、『日本の伝統精神とは何か』など、基本的な命題」(1)であり、これらを探求し、リーダーとして体得すべき要素を養うことで、日本や世界に貢献するにふさわしい為政者が生まれてくるのだと塾主は確信していた。
 塾主が「新しい人間観」と表現するものは、すなわち下線部(1)のことである。これは、当塾の塾是にある「新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し」[2]という言葉が、設立趣意書における下線部(1)に該当する内容であることから読み解ける。
したがって本稿は、「新しい人間観」に着眼し、その言葉の意味を「①天地自然の理とは何か」「②人間とは何か」「③日本の伝統精神とは何か」の3要素から紐解いていく。

2.「新しい人間観」の第一要素:「天地自然の理」

「天地自然の理」とは塾主の宇宙観のことであり、宇宙全体を包括する造語であると言える。本稿では、この「天地自然の理」を「①宇宙の根源」「②宇宙の法則」「③宇宙の秩序」の3要素から説明する。
 塾主は、いっさいの生命体の存在の原点が宇宙にあると考えており、その力を「宇宙根源の力」[3]と称した。宇宙根源の力は直接人間の目で見ることができないが、物に働きかける「物的法則」と、人間の心に働きかける「心的法則」の2つの法則[4]を通じて、人間も知覚することができるのだと説いている。そして、これら2つの法則に従うことで、万物それぞれに与えられた天与の役割を、互いが活かし合う状態が生まれ、その状態のことを「宇宙の秩序」[5]と呼んだ。この「宇宙の秩序」こそが最も自然かつ最適な状態であり、その先に、調和ある繁栄がもたらされるのだと、塾主は述べている。そして、この根源から繁栄に至るまでの全てを包含した言葉が「天地自然の理」[6]であり、その一番の本質が万物の「生成発展」[7]だと塾主は述べた。

 この「生成発展」とは、「つねに変化し、たえず流転している」[8]ことを指し、天地自然の理に従うことで、万物は生成発展するのだと塾主は考えた。すなわち、万物の一部である人間も、天地自然の理に従うことで生成発展していけるのである。そのためには、「みずから(人間)に与えられた本質、天命を知って、そこに正しい人間観を打ち立てていくこと」[9]が必須であると塾主は述べた。では、この正しい人間観については、次章で詳しく述べることとしよう。

3.「新しい人間観」の第二要素:「人間とは何か」

 塾主は「人間は万物の王者」[10]。だと繰り返し述べた。本章では、まずその意図から紐解きたい。
 塾主は、人間のみが物的法則と心的法則のいずれも生かし、物心一如の真の繁栄を生み出すことができると考えた。動物は本能に従うことしかできないが、人間は本能と理性の両方に従うことで、真理に順応できる。それこそが人間に与えられた偉大な力であり、その偉大な力を発揮することが、人間に与えられた天命であり、本質なのだと塾主は主張した。
 塾主はその偉大な力を発揮させる方法を二つ提示している。一つ目が「衆知」[11]である。衆知とは、そこに異なる意見があるだけでは衆知とは言えず、自分の考えに固執せずに意見を交わし、そこから考えが融合調和されるときに初めて衆知と言えるのだと塾主は述べた。そして、大なり小なり全ての人の知恵が集められ、何の妨げも受けずに融合調和される時、それは高い「英知」となり、全世界中の人々の知恵が融合調和された、極めて優れた英知は神の知恵、すなわち「天知」[12]となるのだと説いた。
 そして、衆知を集めるための基本的な心構えとして大事なのが「素直な心」[13]であり、これが偉大な力を発揮させる二つ目の方法である。素直な心とは、とらわれることのない心である。お互いに自己の利害損失や感情にとらわれることなく、素直な心で何が正しいかということを中心に意見を交わし、衆知を集めることで、人間は自己の優れた本質を最大限に発揮することができるのだと塾主は訴えた。

4.「新しい人間観」の第三要素:「日本の伝統精神」

 新しい人間観の第三のキーワードが「日本の伝統精神」である。ここでは、塾主が示した「衆知を集める」[14]「主座を保つ」[15]「和を貴び平和を愛好する」[16]の三つの特徴について説明する。

 一つ目の特徴「衆知を集める」について、塾主は『古事記』や『日本書紀』の例を挙げて説明している。八百万の神々は、天照大神を中心に衆議によって物事を行っており、決して独善的に専断専行してはいないことに触れ、古くから日本人には衆知を集める国民性が根付いているのだと話した。

 また、二つ目の特徴「主座を保つ」について、天皇の主座を例に挙げ、以下のように述べた。「天皇にみられる、つねに主座を保つという姿、いいかえれば自分を失わないで自主性、主体性を持って教えを受け入れ尊びつつ、これを生かしていくということが、一つの日本人の国民性であり、伝統の精神だと思います。」[17]また、日本文化についても「日本人は、みずからの伝統、国民性に根ざしつつ、すすんで外来の衆知を集めてきた」[18]と話し、例として漢字や平仮名、カタカナ、仏教や茶道を挙げている。これらこそ、主座を保ちつつ広く世界に衆知を求めてきた日本人のよき伝統をあらわすものだと塾主は訴える。

 最後の特徴「和を貴び平和を愛好する」について、塾主は聖徳太子の十七条憲法を例に挙げ、国家の基本法である憲法の第一条に平和の精神を掲げていることの重大さを強調した。今日の日本の憲法も、前文において平和愛好の精神をはっきりと掲げている。塾主は「今日に生きるお互い日本人は、そのことをしっかりと自覚認識しつつ、そのよき伝統に立ってさらに衆知を高め、自国と世界の人々の調和ある繁栄、平和、幸福の実現に寄与貢献していかなくてはならない」[19]と訴えた。これこそが、建塾理念に通ずる塾主の真の想いではなかろうか。

5.「人間道」とは:「新しい人間観」を体現するための人間の歩み

 以上の通り、「新しい人間観」とは、天地自然の理で宇宙の根源から万物の生成発展を説明し、万物の一部である人間の本質、そして日本人の特性までを明らかにしたものであった。本章では、新しい人間観を理解した前提で、さらに塾主が提唱する「新しい人間道」についても言及していきたい。
 「人間道」とは、人間の偉大な本質を発揮するための人間の歩みとはどういうものかを示したものである。塾主は、昭和50年1月に発表した『新しい人間道の提唱』において、以下のように話している。
 まず、「それは、人間万物いっさいをあるがままにみとめ、容認するところからはじまる」[20]と述べている。必ずしも好ましい姿だけではなく、好ましくない感情も抱くのが人間であり、万物であるのだから、全てをあるがままに認めることが第一歩なのだと塾主は説いている。そして、「自然の理法に則して適切な処置、処遇を行ない、すべてを生かしていくところに人間道の本義がある」[21]とも語っている。すなわち、各々の特性を見極めたうえで、互いに活かし合う「自他共存」「調和共栄」が大切なのだと伝えているのである。さらに、本提唱の後半では、「かかる人間道は、豊かな礼の精神と衆知にもとづくことによってはじめて、円滑により正しく実現される」[22]と述べた。つまり、いっさいのものに対して感謝と喜びの心を持つこと、その心を素直に表すことが大切であると塾主は説いている。
 この人間道を力強く歩み、社会の各面にわたって実践していくことが大事なのだと塾主は訴えた。そして、すべての人がこの人間道を正しく歩むために、まずは中心に立つ人、すなわちリーダーたる者が、新しい人間観をよくわきまえ、人間道を正しく歩むことを誰よりも念願しなければならないと話した。これこそが、リーダーを輩出する当塾において、「新しい人間観」を提唱する意義であり、我々塾生に与えられた使命である。我々塾生は、「新しい人間観」を真に心得、「新しい人間道」を実践し続けなければならない。

参考

[1] 松下幸之助.” 財団法人松下政経塾設立趣意書”.松下政経塾.2010-07,
https://www.mskj.or.jp/about/mission.html ,(参照 2024-05-07)

[2] 松下幸之助.” 塾是・塾訓・五誓”.松下政経塾.
https://www.mskj.or.jp/about/oath.html ,(参照 2024-05-07)

[3] 松下幸之助.PHPのことば その37.PHP研究所,1975,p.11-12.

[4] 松下幸之助.PHPのことば その37.PHP研究所,1975,p.24

[5] 松下幸之助.PHPのことば その37.PHP研究所,1975,p.11

[6] 松下幸之助.PHPのことば その37.PHP研究所,1975,p.12.

[7] 松下幸之助.PHPのことば その37.PHP研究所,1975,p.4-5.

[8] 松下幸之助. 「人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて」(2016): 42. PHP文庫

[9]松下幸之助.PHPのことば その38.PHP研究所,1975,p.108.

[10] 松下幸之助. 「人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて」(2015): 58-59. PHPビジネス新書

[11] 松下幸之助.PHPのことば その37.PHP研究所,1975,p.44-45.

[12] 松下幸之助発言集43.PHP研究所,1993,p.202-204

[13] 松下幸之助. 「人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて」(2015): 74. PHPビジネス新書

[14] 松下幸之助. 「日本と日本人について」(2015): 77. PHPビジネス新書

[15] 松下幸之助. 「日本と日本人について」(2015): 91. PHPビジネス新書

[16]  松下幸之助. 「日本と日本人について」(2015): 107. PHPビジネス新書

[17]  松下幸之助. 「日本と日本人について」(2015): 94-95. PHPビジネス新書

[18]  松下幸之助. 「人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて」(2015): 115. PHPビジネス新書

[19]  松下幸之助. 「日本と日本人について」(2015): 110-111 PHPビジネス新書

[20]  松下幸之助. 「人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて」(2015): 122. PHPビジネス新書

[21]  松下幸之助. 「人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて」(2015): 123. PHPビジネス新書

[22]  松下幸之助. 「人間を考える 新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて」(2015): 123. PHPビジネス新書

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