論考

Thesis

松下電器起業 ~成功を信じて~

1.はじめに

 松下幸之助塾主(以下、塾主)が松下政経塾設立の根本となる建塾理念を定めた背景や想いについて、「松下電器起業」の観点から分析する。加えて、塾主がめざす国家像・人間像・精神像として政経塾に影響している、塾是・塾訓、特に五誓の制定に結びついた要因や理由について論ずるものとする。

2.丁稚奉公

 和歌山県和佐村の小地主階級にあたる旧家の8人兄弟の末っ子で生まれた塾主であったが、4歳の時父親が米相場に失敗したことで先祖伝来の土地や家を渡し悲境に陥った。小学4年生まで和歌山で過ごしたが、9歳の時父親の呼びかけにより大阪へ行き、火鉢屋に3か月、その後自転車屋の小僧として6年間丁稚奉公生活を送ることとなった。朝晩の拭き掃除や自転車修繕の見習い・手伝いの仕事を行う以外にも、ものの言い方やお礼の仕方などの教えを受ける。奉公先はあたたかい情があったものの職人気質なところもあり、疲れで仕事の腕が鈍ってきた時は小金槌で頭を叩かれることもあった。だからといって塾主は悲憤慷慨するのではなく、その時から”万事研修の事”と受け止めて勤しむ姿勢が培われたと考える。

3.大阪電燈入社

 塾主は大阪市が全市に電車を動かす計画を知り、今後自転車の需要は減るだろうと考える。また、電気事業の将来性にも大きな可能性を感じたことにより、自転車屋を辞めて大阪電燈に入社。見習工から検査員まで異例の若さで出世しつつ、20歳の時にはむめのさんと結婚。公私ともに順風満帆の生活を続けていたものの、自身のからだの弱さから勤め人は務まらないと考え始める。その上、検査員の仕事が短時間で終わるなど塾主にとってもの足りなく感じていたこと、現行ソケットから改良したものを主任に提案したが反対されたことなどの理由をきっかけとし大阪電燈を退職、そして独立自営の道へと歩み始める。

4.松下電器起業

4.1.独立自営の始まり
 独立当初、資金面と練物の調合法の研究に頭を悩ませた。練物の調合法の確立に向けて、練物工場付近に落ちている原料の欠片を拾って調べることや、元同僚から調合法を聞き出すなどをした結果、調合法が確立しソケットの開発を行うことができた。一方で、元手がわずかな資金であったにも関わらずソケットの販売売れ行きも悪く、資金が底をついてしまった。その結果、塾主含めて妻むめの氏、義弟の井植歳男氏、元同僚2名で始めた自営であったが、資金面の問題により同僚2名は去ることとなった。資金面が苦しい中でも塾主は諦めずにいると、扇風機の碍盤1千枚の製造依頼が届く。井植氏と全力を挙げて製造を行ったことで無事完納し利益を得ることができた。この経験から、「自らの力で、自らの足で歩いて[1]」いくことで道が切り拓かれると感じ、熱心熱意を持ち続けることによって、いかなる困難があろうとも「他の共鳴が得られ、知恵も力も集まって良き成果がもたらされる[2]」とある”自主自立の事”の考えに繋がったと感じる。

4.2.松下電器のごく最初の小さな基礎
 器具の考案製作を本格的に行いたい想いから、大開町の一丁目へと移転。創業の家として松下電気器具製作所をスタートした。碍盤他に最初に製作したのは「改良アタッチメントプラグ」。販売値段が市価よりも3割安くよく売れたこともあり、松下電器の第一声を業界に発した商品となった。次に「二灯用差込みプラグ」を開発。当初、吉田商店が総代理店として販売を担ったものの、他メーカーが値下げを発表したことにより契約解除に至った。そのため、塾主は「こうなると自分の手で売らねばならぬ[3]」と決意し大阪・東京の問屋を回ったことが功を奏して、最終的には販売の陣容が整備され相当に売ることができた。この事例は、「常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。成功の要諦は、成功するまで続けるところにある[4]」と示されている”素志貫徹の事”精神が確立されたきっかけと言えよう。

4.3.歩一会の発足
 売上の拡大により人手が集まってきた反面、「商売の前途や、またしだいにふえてきた人員の思想的影響についても、少なからず考えねばならぬこと[5]」となった。「松下電器の将来は、全員一体をなした精神から出発するにあらざればとの考え[6]」から大正9年に歩一会を発足。「松下電器の従業員は全部歩一会員であり、歩一会員にあらざれば松下電器の従業員にあらずとの観念を持つにいたり、所主も従業員も、皆ひとしく歩一会員なりとの鉄則[7]」のもとで結成された。「いかなる人材が集うとも、和がなければ成果は得られない[8]」と説いている”感謝協力の事”に起因すると考える。

4.4.数々の発明
 松下電器は配線器具に続く商品として自転車用電池式ランプを発売。松下電器の発展において大きな役割をなし日本各地に代理店が設置された自転車用電池式ランプであったが、当初販売に苦戦した。理由は、電池ランプは故障が多いというイメージが世間一般に染みついていた状況があったからだ。塾主はそのイメージを払しょくし実用的であると証明を行うために、各小売屋へ自転車用電池式ランプを無償提供し、ランプの連続点灯実験をしてもらうこととした。その結果、今までにない思い切った戦略をとったことで売上を拡大した。他にも、ナショナルの商標が初めてつけられたナショナルランプの品質の良さを知ってもらいたいという想いから、こちらも小売屋へ1万個無償提供する。それに伴って、電池屋から20万個の仕入れをする代わりに、そのうちの1万個に対し電池の無償提供願いを行うという新しい営業手法により、電池1万個の無償提供が実現。約束の2倍以上である47万個の乾電池が仕入れられるほどの爆発的人気となった。以上の経験から、既成にとらわれず、たえず創造していく重要性を”先駆開拓の事”として塾生に説いていると考える。

5.むめの夫人

 松下電器の成長を支えた人として、塾主の妻であるむめの夫人の影響が大変大きい。むめの夫人は大胆かつ、おおらかな性格であったたため、繊細な性格を持つ塾主の心の支えになっていたと感じる。また経営者の妻と従業員の関係を超え、従業員の方にご飯を作るなど家族のように面倒を見ていたことから、松下電器の家族主義経営の確立に至ったと考える。その他にも礼儀を常に重んじつつ、お金に対する価値観もしっかりしていたことから、松下電器の経営を行う上であるべき姿・理想の人として塾主の隣にはむめの夫人が居たことで、安心感もありつつ身の引き締まる思いで経営に向かうことができたのではないかと考える。

6.終わりに

 「松下電器起業」における経営するまでや、経営していくにあたり、抱えていた悩みや、状況の解決から塾主が学んだことが五誓として現在まで塾生に教えを与えていると考えた。塾主が説く教えを常に意識し、様々なことに一生懸命取り組んでいきたい。

参考

[1] 松下幸之助,”塾是・塾訓・五誓”.松下政経塾,2023,
https://www.mskj.or.jp/about/oath.html ,(参照 2024-04-19)

[2] 松下幸之助,”塾是・塾訓・五誓”.松下政経塾,2023,
https://www.mskj.or.jp/about/oath.html ,(参照 2024-04-19)

[3] 松下幸之助,私の行き方 考え方,PHP研究所,1986,p.85

[4] 松下幸之助,”塾是・塾訓・五誓”.松下政経塾,2023,
https://www.mskj.or.jp/about/oath.html ,(参照 2024-04-19)

[5] 松下幸之助,私の行き方 考え方,PHP研究所,1986,p.100

[6] 松下幸之助,私の行き方 考え方,PHP研究所,1986,p.101

[7] 松下幸之助,私の行き方 考え方,PHP研究所,1986,p.101

[8] 松下幸之助,”塾是・塾訓・五誓”.松下政経塾,2023,
https://www.mskj.or.jp/about/oath.html ,(参照 2024-04-19)

参考文献

松下幸之助,私の行き方 考え方,PHP研究所,1986,325p.

松下幸之助,リーダーを志す君へ,PHP研究所,1995,244p.

松下幸之助,リーダーになる人に知っておいてほしいこと,PHP研究所,2009,123p.

松下むめの,難儀もまた楽し,PHP研究所,1994,190p.

松下幸之助歴史館,松下幸之助歴史館(パンフレット),パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館,2019,59p.

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小薄潤弥の論考

Thesis

Junya Osuki

小薄潤弥

第45期生

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