論考

Thesis

「PHP」から読み解く松下政経塾の建塾理念

 「ぼくは夢を描いとんのと違うんや。ほんとうに実現したいんや。ぼくが思い描いているような、ほんとうに素晴らしい日本をなんとしても実現したいんや。」[i]松下幸之助塾主(以下、塾主とする)は晩年、口癖のようにこう語っていたという。塾主は壮大な夢を描き、それに向かって絶えず一歩前へと進み続ける実践者であった。そして、日本と日本人の未来をひたむきに想う、正真正銘の憂国の人であった。そんな塾主が晩年84歳にして、命を燃やして設立したのが財団法人松下政経塾(現・公益財団法人松下幸之助記念志財団 松下政経塾)である。松下政経塾では、真に国家と国民を愛し、二十一世紀の日本をよくしていこうとする有為の青年を募り、将来、為政者として、あるいは企業経営者など各界の指導者として真の繁栄、平和、幸福への道を開いていくことを目的としている。[ii]そして、その設立の動機は、33年前のPHP研究所創設の時にあり、松下政経塾はPHP研究の一環でもあると言える。以下、PHP研究所について説明する。[iii]
 PHPとは「Peace and Happiness through Prosperity」=「繁栄を通じて平和と幸福を」の頭文字をとったものである。PHPにおける「繁栄」とは、単に金持ちになるとか、暮らしが豊かになるということではなく、いわば物心一如の繁栄である。「物心一如の繁栄」という思想が最初に芽生えたのは、1932年のことであった。塾主はその年、ある宗教団体を訪問し、全国の信者からの献木を使って教祖殿などの建築をしている様子を目撃する。その当時、不景気真っ只中だったのにもかかわらず、多くの信者が喜びに満ち足りた顔をして働いている姿を見て塾主は大きな衝撃を受ける。そして、精神的安定と物質の豊かさの重要性、さらには事業経営にも使命があるということに気づき、「事業経営によって世の中から貧困を払拭し楽土を建設する」という真の使命を自覚した。[iv]
 しかし、それから数年後、日本が甚大な被害を受けた第二次世界大戦が開戦した。戦没者は推定数310万人[v]であり、松下電器の本社があった大阪の街も見渡す限り焼野原と化し、日本は敗戦国として経済面でも甚大なる被害を受けた。[vi]1945年8月15日、「終戦詔勅放送」によって天皇から日本国の敗戦が告げられた時には、全国民が大きな悲しみと衝撃に打ちのめされ、死んだような静けさの中にあった。その夜、塾主も大きな絶望感に苛まれ「われ、何をすべきか…」と自問自答を繰り返して眠ることができなかったという。しかし、「これではならない」と思い立った塾主は、翌日幹部たちを集め、「我々は陛下の思し召しを体して、力強く国家再建に立ち上がらなければならない」という宣言を行った。まるで、獅子が吼えるかのように激情を露わにし、自分でもそれと意識しないままに塾主は憂国の情を溢れさせた。そして、その数日後には平和産業による復興、真の日本精神による日本再建の宣言を行い、松下電器は誰よりも早く日本復興への第一歩を踏み出した。[vii]
 しかし、そこに立ちはだかったのがGHQの壁であった。松下電器は制限会社の指定を受けたことを皮切りに、財閥指定、賠償工場の指定、そして公職追放の指定など7つの凍結と制限令を受けた。「まじめに働けば働くほど、まじめに物を作れば作るほど損をする。正直者が馬鹿を見る。法を犯さなければいきていけない。」塾主はそんな日本の状況に危機感を持つとともに、国の政治に対しても強い関心を持ち始めた。[viii]
 当時の日本は悪性インフレの急進に加えて、大凶作による食糧不足に見舞われ、危機的状況に直面していた。また、道徳の乱れ、人心の荒廃も目に余るものがあり、物心一如の繫栄とは程遠い状態だった。塾主はそうした世相の中で、「これが人間本来の姿なのか」と疑問を持ち、人間そのものについて、また人間社会の意義について、さまざまな思いを巡らせた。そして、「危機的な状況の日本に、今こそ物心一如の繁栄をもたらし、真の平和と幸福を実現しなければならない」という激情に駆られた塾主は、1946年11月3日、その想いを実現するべくPHP研究所を創設した。PHP研究とは、人類に繁栄をもたらす方策の研究であり、PHP運動とは研究の成果を普及し、繁栄を実現するための運動のことである。このPHP研究所の設立は“実践思想家”松下幸之助の第一歩であり、どこまでも透き通った透徹の思想の表れであった。[ix]
 PHP研究所では当初、「働く者に豊かな生活を」「自由で明るい働きを」「民主の正しい理解を」「労使おのおのその営みを」「先ず無駄を省こう」「国費は少なく、効果を多く」「租税は妥当公正に」「企業の細分化によって画期的繁栄を」「働く者を生かして使え」「教育は全人格を」という十個の目標を掲げて出版や普及活動、講演会などを通して広く社内外の人々に訴えた。活動当初は、十分な成果を上げることはできなかったが、戦後の廃墟の中でのこの働きかけは飢餓に苦しむ人々の共感を得て、その考え方は次第に広がっていった。[x]1950年には松下電器の経営再建のため、「PHP」誌の発行を除いて塾主は活動を一時停止したが、その一方で、1952年には「新政治経済研究会」を設立して政治啓発運動を起すなど、物心一如の繁栄による真の平和と幸福を実現するための活動は続いていた。そして、1961年に再びPHP研究を始めた塾主は、1972年には塾主の命と魂を込めた一冊である「人間を考える―新しい人間観の提唱」を出版してPHP研究の基盤を確立させた。さらに1974年には、「崩れゆく日本をどう救うか」、1977年には「私の夢、日本の夢21世紀の日本」を出版するなど、塾主が目指す理想の日本の未来について多くの提言活動を行った。[xi]
 しかし、1980年代に入っても、日本はなお混迷を深めていた。PHP研究所において、繁栄、幸福、平和というものを強く求めて提言活動 を続けても、なかなか実現されない。そして、塾主は考え抜いた末、「国家の未来を開く長期的展望にいささかかけるものがある」という一つの答えにたどり着く。そこで、「新国土創成論」や「無税国家論」などの壮大な構想を発表しつつ、そのような理想の社会を描き実現する実践者を育てるべく設立されたのが、財団法人松下政経塾であった。つまり、松下政経塾はPHP理念を実践するリーダーを育成する養成所であった。塾主はかつて、塾生が活動の意義について問われた時、「繁栄や平和、そして幸福をもたらす活動をしている」と答えてほしいと語った。このように、松下政経塾は日本に繁栄、平和、幸福をもたらすためのPHP活動の一環であり、日本と日本人の未来をひたむきに思う塾主が、まだ見ぬ次の世代へと祈るような気持ちで憂国の想いを継承した場所であった。
 最後に、『松下政経塾 塾長講話』において塾主が語った言葉を引用したい。
 「自分の今までの経験からこういう風にして日本の政治、経済をよくしたいということは私なりに考えています。それを自分自身もやりたいとおもうけれども、もう年を取ってやれない。やれないから諸君に代わってやってもらう。そういうことが、この塾をつくった大きな一つの理由です。」[xii]このように塾主は、たとえ自らの命の灯が消えてしまっても、壮大な夢が実現されることを願って、自身の夢の後継者、まさに「自分の分身」のような存在を育成したかったのではないかと考えられる。私も松下政経塾生として、塾主が描いた壮大な夢を継承する実践者としてこれからの4年間を歩みたい。

[i]青野豊作「松下幸之助の遺言“繁栄日本は必ず実現できる”」(PHP研究所、2010年12月10日)、p.214

[ii]松下幸之助「財団法人松下政経塾設立趣意書」(松下政経塾HP、1979年1月22日)

[iii]松下政経塾「PHP研究とPHP理念」(松下政経塾、昭和56年4月1日)、pp.4-6

[iv]PanasonicGroup「3-4.真の創業」(https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/founders-story/3-4.html

[v]青野豊作「松下幸之助の遺言“繁栄日本は必ず実現できる”」(PHP研究所、2010年12月10日)、p.26

[vi]青野豊作「松下幸之助の遺言“繁栄日本は必ず実現できる”」(PHP研究所、2010年12月10日)、pp.24-26

[vii]青野豊作「松下幸之助の遺言“繁栄日本は必ず実現できる”」(PHP研究所、2010年12月10日)、pp.29-38

[viii]PanasonicGroup「81.7つの制限を受ける 1946年(昭和21年)」(https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/konosuke-matsushita/081.html

[ix]松下政経塾「PHP研究とPHP理念」(松下政経塾、昭和56年4月1日)、pp.6-9

[x]松下政経塾「PHP研究とPHP理念」(松下政経塾、昭和56年4月1日)、pp.26-30

[xi]青野豊作「松下幸之助の遺言“繁栄日本は必ず実現できる”」(PHP研究所、2010年12月10日)、pp197-199

[xii]松下幸之助「リーダーを志す君へ―松下政経塾塾長講話録」(PHP研究所、1995年3月1日)、pp55-56

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加藤みづなの論考

Thesis

Mizuna Kato

加藤みづな

第44期生

加藤 みづな

かとう・みづな

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経済性と幸福を両立する新日本的経営の探究及び若手企業家の育成

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