論考

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李登輝発言から中台問題を見る

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1999/9/28

「中国と台湾の関係は特殊な国と国の関係である」。今年7月9日、台湾の李登輝総統はドイツのラジオ局のインタビューでこのように言明した。中台関係の緊張は一気に高まっている。李登輝発言の真意は何か。

7月の李登輝発言から、台湾海峡を挟む中台関係は一気に緊張感が高まり、米中台の政府関係者はその対応に追われた。中国政府はこの発言に対して「台湾の独立、中国の分裂を意味するものであり、断じて許さない」と強い対決姿勢を明らかにした。さらに2ヵ月に渡り李登輝批判キャンペーンを行った。米国も台湾に対して厳しい反応を示した。クリントン大統領はこの発言に反対し、改めて台湾独立の不支持を確認した。他の国々ははっきりした態度を表明していないか、李登輝総統をトラブルメーカーとして受け止めている政府が多いようだ。台湾の外交部(外務省)はただ、「特殊な国と国の関係とは台湾独立を意味するものではない。我々の立場は従来通りである」と繰り返すばかりであった。

 李登輝発言のどこが問題なのか考えてみよう。国際法に照らし合わせて見ると、中国と台湾が一つの国とは言い難い。中華人民共和国と中華民国というそれぞれの国名を持ち、行政府、軍隊、金融システム、法律、貨幣など、共有するものは一つもない。しかしそれでも、米国を始めとするほとんどの国際社会は「中国は一つ、台湾は中国の一部である」という中国政府の主張を黙認している。王様は裸なのに誰も真実を言おうとしない。まさに童話のような状態である。どうやら国際社会には「発見されない問題は解決する必要がない」という「常識」があり、今回の李登輝発言はこの「常識」を破ったようだ。彼はただ事実を言ったまでである。この発言によって誰もが避けて通りたいやっかいな問題が表面化し、皆が直面せざるを得なくなったのだ。
 一番狼狽したのはおそらく北京政府であろう。かつて蒋介石時代、台湾も北京と同じように「中国は一つ」という立場に立っており、北京の中国政府の合法性を認めていなかった。中国共産党を反乱分子と呼び、台湾こそ中国の唯一の合法政府であると主張していたのだ。皮肉なことに、そのとき北京は台湾に対して特に過激な反応を示していない。李登輝総統の時代になって、台湾は北京政府の合法性を認めた。その途端、北京の台湾に対する態度が逆に厳しくなったのである。
 北京が一番心配しているのは、もちろん台湾の独立である。しかし、北京が考える台湾独立は、実は台湾の主張というよりはそれを取り巻く国際環境の問題である。台湾がいくら独立を宣言しても、国際社会がそれを認めなければ独立したことにはならない。
 台湾政府はずっと「中華民国は独立自主の国家である」と主張している。ところが「中国は一つ」という中国政府の強い主張によって、国際社会はどちらかを選ぶことを余儀なくされ、ほとんどの国は大きい方の北京を選んだ。しかし今回の「特殊な国と国の関係」という発言は「中国は一つ」という原則を放棄したものとして受け止められ、国際社会に二重承認が可能という、新しい選択肢を与えたことになる。北京の焦りも無理はない。困ったことに、李登輝発言は正論である。北京は説得力のある反論をもっていない。李登輝批判キャンペーンが2カ月続いても、内容のないスローガンが虚しく繰り返されるだけである。

 中国の厳しい反発が予想されたにもかかわらず、あえて発言したその真意は何か。台湾の独立を視野に入れている、少なくともその方向にある、と北京政府を始め多くは分析している。しかし、本当にそう簡単に解釈できるのだろうか。
 李登輝総統が無意味に中国を刺激するとは考えられない。台湾は外交分野において行き詰まっている。大きな原因は、台湾が独立するのではないかという疑惑からくる中国政府の圧力である。もし今以上に台湾が独立に傾けば事態は益々深刻になるだけである。しかも独立を宣言しても米国を始め国際社会は受け入れないだろう。さらに今の台湾には独立を支える十分な民意も世論もない。台湾独立を党の綱領として持つ民進党すら最近は意識的にそれを曖昧にしようとしている。与党の国民党が台湾独立に傾いても選挙では勝てない。ではなぜ、あのような発言を行ったのか。

 台湾の国民が一番関心を持っているのは、他の国と同じく、現在の暮らしの維持向上と将来に対する不安の解消である。台湾の国民が、世界の一員として生活を全うする権利を仮に生存権と呼ぼう。今回の李登輝発言は、実は台湾の生存権を求めようとしているものだ。北京政府は中華民国をもうすでに存在しない政府とみなしている。もちろん台湾を国名として名乗ることは認めない。今の台湾政府を「旧政府の残存勢力」と呼びその存在の合法性を否定している。これは台湾人にとって、自分の存在の否定につながり、アイデンティティを失うことを意味する。自分の存在を否定して生存し続けることができるだろうか。
 台湾は国際社会に対してアピールするカードを使い果たしている。かつて有効だった「反共」という旗印は冷戦の崩壊と共に色あせ、近年の実務外交に使っていた「民主主義」カードも最近は通用しなくなった。クリントン大統領は昨年、上海で「対台湾、三不政策」を声明し、台湾を追い詰めた。国際社会は中国という仲間を受け入れると同時に台湾というかつての仲間をいとも簡単に捨て去った。

 このような状況下で、台湾は国交のない国と経済文化交流を行いながら正式な国交を結べるように努力してきた。現在26カ国と外交関係をもっているが、中国の圧力で大変不安定な状態だ。今年7月、パプアニューギニアとの国交樹立が中国に妨害されたのはその例である。また台湾はほとんどの国際組織、国連およびその関連機関に参加できずにいる。台湾が国家として外国と付き合っていくことが困難な一方で、毎年多くの台湾人が外国に行っている事実がある。李発言の真意を、安易な「台湾の独立」と決めつけるべきではなく、むしろ彼は台湾人の生存権に関わる外交局面の打開を図ろうとしたのではないか。外交面で自主的な努力が出来にくくなった李登輝総統は、小手先の対処を止め、台湾が存在するという客観的な事実をはっきり明言することにしたのではないか。2200万人の台湾人の生存権を中国に求め、そして国際社会からの保証を得ようとしたのである。

 今回の発言は、国際社会に向けられたメッセージであると同時に、中国へ向けられたものでもある。台湾が生き続けるためには、中国政府の理解は不可欠である。これまで台湾政府は、中国の呼びかけに対し拒否の姿勢を貫いてきた。1992年に、北京と「一つの中国、各自表述」というコンセンサスを達成したが、一方的な合併になるかもしれない中国とのいわゆる「平和交渉」には、慎重な態度をとり続けてきた。国際社会は台湾のこの態度に、数年前までは理解を示した。しかし最近は風当たりが強くなっている。米国のマスコミや政府高官は台湾に中国との平和交渉を促す発言を強めている。
 今年10月、中国側代表の海峡交流協会会長・汪道涵氏が訪台する。曖昧な政策は台湾にとって非常に不利である、という判断が李登輝総統の頭にあったものと思われる。交渉を始める以上は相手に対等な立場にあると思わせなくてはならない。それには台湾と大陸の関係が何であるかをはっきりさせておく必要がある。そこで李総統は、汪道涵氏が来る前に「中国と台湾の関係は特殊な国と国の関係である」と、お互い対等な立場であると定義しようとしたのである。
 現状を認識しなければ全ては始まらない。今回の李登輝発言は中国に対する平和交渉開始への条件提示である。しかも、彼はこれを国際社会へもアピールした。台湾問題の平和解決には、中台の相互理解と国際社会の支持と保証が必要である。今回の李登輝の発言を不安定要因とするのでなく、両岸将来の平和交渉へのステップとしなければならない。

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