論考

Thesis

米国における日韓競合の現状と課題 ~韓国系住民の動向に対する考察から~

対立と協力が交錯する日韓の対米広報外交はどこに向かうのか

はじめに

 北東アジアの安全保障上の懸念に対する日米韓の協力した取り組みは、地域の平和と安定にとって欠かすことができない。それにもかかわらず、歴史認識問題をはじめとする日韓の不和が3か国連携の阻害要因となってきた。本稿は、米国国内における韓国政府の対米ロビーに関与・協力してきたとされる韓国系米国人の動向に対する一考察を示しつつ、今後の日本が行うべき対米広報外交の方向性を明らかにすることを目的としている。

米国国内における韓国系住民の影響力の拡大

 日本と近隣諸国との間の歴史認識問題が顕在化したのは、1980年代であった[1]。当時から韓国の反日感情は長く難題であり、日韓の対立は時に激しい緊張を生み出してきたが、これらの問題はあくまでも日韓の間で争われるものであり、日本としては、韓国との相互理解を促進し、韓国国民の日本に対する感情を改善することに注力していればよかった。

 しかし、2000年代半ば以降、日韓の間に存在する歴史認識をはじめとする諸問題が、当該国同士を越えて米国をはじめとする第三国を舞台に争われるようになった[2]。

 近年の米国における韓国系住民の増加は著しい。アジア系米国人の人口構成は、この約50年間で顕著な変化があった。歴史的経緯から長らく米国におけるアジア系最大のグループは日系人であったが、1965年に移民国籍法が改正され、出身国割当制限が撤廃されたことにより、日本以外のアジア各国からの移民が増加した。アジア系人口に占める日系人人口は相対的に低下する一方、アジア系全体での永住権取得者数は、1960年~1969年の36万人が1970年~1979年には141万人となって一気に増加し、2000年~2009年には347万人を記録した[3]。韓国系は特にその傾向が著しく、1960年~1969年には永住権取得者数は2万7000人程度であったが、1970年~1979年には24万人を越えた。その後も多少の増減はありながらも同程度の水準で推移しており、現在も年平均2万人前後の新規永住権取得者の存在がいる[4]。米国で生まれた彼らの子供は自動的に米国国籍を取得することができ、それに加えて、2005年以降の韓国系の米国への帰化者数も年平均約1万人から2万人前後を推移していることから、米国国籍を有する韓国系住民の増加傾向は明らかである[5]。

 人口を増加させた韓国系米国人は、政治団体を形成し、米国政治に対する影響力を拡大するようになった。選挙においても、特定のエスニック集団が集住している地域においては、候補者は彼らの声に耳を傾けることが欠かせない。特に、カリフォルニア州は全米最多の韓国系住民を有しており、その中でもロサンゼルスの韓国人街「K-Town」は7キロ平方メートルに12万人を超える住民を有するなど北米最大を誇っている。これらの地域においては、韓国系コミュニティの影響力を軽視することができない。

 日本・中国・インドに比べて人口や経済規模等において相対的に小さい韓国が米国国内で存在感を発揮している一因として、在米韓国大使館とこれらの韓国系住民が組織する諸団体との密接な連携があることが指摘されている[6]。2007年の米国下院における対日慰安婦問題謝罪決議の採択や2008年の米国地名委員会における竹島の表記を韓国領から主権未確定に変更する決定阻止は、日韓が係争している問題に関して、日本に対抗するような働きかけを韓国政府が米国国内にて体系的・組織的に行い、キャンペーンを成功させた典型的な事例であった[7]。米国国内で韓国政府が持つようになった影響力は、彼らの対日外交を有利に進めるためにも用いられてきた。

「慰安婦問題に興味はありません」と話す在米韓国系住民

 2013年と2014年には、カリフォルニア州グレンデールとミシガン州デトロイトに慰安婦像が設置された。既に2011年にソウルの日本大使館前に慰安婦像が設置されて日韓関係の懸案事項となっていただけに、米国での慰安婦像設置は、韓国政府の米国に対する影響力が増していることを感じさせたと同時に、韓国政府と在米韓国系住民が一体となって日本のイメージを低下させているような印象を残した。

 しかし、韓国政府と在米韓国系住民との間に一定の連携があるとしても、それは大勢の在米韓国系住民が日韓の間に横たわる歴史認識問題や領土問題といった懸案事項に興味を持ち、何かしらのアクションを起こそうとしていることを意味するわけではない。確かに、在米韓国系住民の中に反日的な感情を持つ人々が多いことは事実であるが、その状況は韓国本国とは異なる。更には、移民第一世代と第二世代以降との間でも相違がある。

 「実は、多くの韓国系住民は、慰安婦の問題にはあまり興味がありません。」これは、筆者が2016年7月から8月にかけて調査研究のために全米七都市を訪問した際、複数の在米韓国系社会の若手有力者から聞いた言葉だった。これらはクローズドな場での発言であり、在米韓国系社会のコンセンサスであると言うことは到底できない。日本人の私に対するリップサービスである可能性もある。しかし、更に彼らの話に耳を傾けた私にとっては、それらの言説は在米韓国系社会の現実を的確に説明し得ており、若年層の韓国系住民の本音であるように思われた。

 まず、米国における韓国系住民を取り巻く状況には多くの課題がある。多くの韓国系住民は、雇用環境の改善といった「目先の生活」の問題に精一杯である。また、1992年のロサンゼルス暴動の際に多くの韓国系住民が攻撃の標的になったように、他のエスニックグループとの関係改善も彼らにとって重要な問題である。実際には、慰安婦問題に興味を持つ余裕がないのが現実だ。

 更に、朝鮮半島から米国に渡った移民第一世代と移民第二世代との間にも大きな意識の差がある。2000年代に近隣諸国において反日感情が高まった理由の1つとして、歴史教育の影響が指摘されているが、米国で教育を受けて育った移民第二世代は基本的に日本に対するネガティブな感情は少ない。彼らの日本に対する思いは第一世代とは異なるし、もちろん韓国人とも異なる。愛情と憎悪が入り混じるアンビバレントな感情ではなく、純粋に日本の文化を好む韓国系住民は増えている。

 ロサンゼルス日本文化センター所長の原秀樹氏は、「自身のルーツが持つ歴史的因縁に束縛されない韓国系移民第二世代の存在は重要」と話していた[8]。日本としては、西海岸を中心に増加していく韓国系住民およびその他のアジア系住民の動向に常に注視しつつ、移民第二世代を強固な日本ファンにしていくための取り組みを強化していくべきである。そこにこそ、日本が歴史認識問題を乗り越える1つのヒントが隠されている。

日韓競合の力学は日韓いずれをも勝者としない

 ロサンゼルスの韓国文化院では、建物の入り口付近に、大きな竹島の写真が飾られている。筆者はこれまで数多くの広報文化施設を訪問してきたが、政治的なメッセージを有する展示物があることはあまり多くなく、これには違和感があった。日本と韓国との関係には、対米広報文化外交においてライバル的側面があることは否定できない。

 早稲田大学の李鍾元教授は、「戦後の日米韓トライアングルは、米国をハブとする冷戦体制の下、『日米』・『米韓』という2つのスポークスとして誕生した。この2つの辺を結ぶ『日韓』は欠落し、むしろ米国という『資源』をめぐって、日韓が競合する力学とともにスタートした」と述べている[9]。

 この構造は、現在の日米韓の関係においても変わらない。2010年頃から3か国の安全保障協力を強化しようとする動きが強まったが、李明博政権下の日韓で激化した慰安婦問題や竹島問題によって頓挫し、「日韓」の辺を結ぶことはできなかった。むしろ、日韓ともに米国の理解を得ようとして対米ロビー活動を積極化させ、競合の力学はより顕著になった。2015年12月の日韓合意以降、日米韓の連携は進んでいるが、日韓の歴史認識問題は日米韓トライアングルにおける重要な課題の1つであることに変わりはない。

 米国において日韓が争いを繰り広げることは、日米韓三者にとって大きなマイナスである。中国には、米国とは「第二次世界大戦の戦勝国」、韓国とは「帝国日本による侵略の被害者」としてそれぞれ共通の立場に立つことによって、日米・日韓を引き離そうとする思惑がある。日韓競合の力学は、日韓いずれをも勝者とすることはない。

 近年、日本の国際交流基金と韓国の国際交流財団は、映画上映会をはじめとする様々なイベントを共催するなど、両国の間には協力関係も見られるようになっている。筆者はいずれの団体にもインタビューを行ったが、米国における東アジアの存在感を共に高めていくべきであるという認識は共有されているように感じた[10]。これは、日韓にとって明るい兆しである。現在の日韓の対米広報文化外交は、対立と協力とが交錯する様相を呈しており、いかにして協力の範囲を拡大していけるのかが今後の課題であると言えよう。

提言

 日本としては、対米広報外交を有利に進めていくために、在米の韓国系住民と韓国政府関係者、双方へのアプローチを継続していく戦略をとるべきである。

 まず、カリフォルニア州など、アジア系住民の存在感が著しい地域の状況に常に注視し、現場の状況を的確に把握し、適切な働きかけを行い続けていくことが欠かせない。韓国系移民第二世代との関係を強め、彼らを強固な日本ファンにしていくための取り組みを行うことが必要である。

 それと同時に、歴史認識問題をめぐる韓国政府の主張の米国への浸透防止に留意しつつ、彼らと協調的関係を保ち、米国におけるアジアの存在感を共に高めていくことが望ましい。日韓がzero-sumの関係からwin-winの関係へと進化するために、両者の信頼を醸成していくべきである。

 筆者としては、これらの問題の改善に貢献するべく、将来的に、米国を拠点に、東アジア各国の対米広報文化外交やアジア系住民の対日認識に関する研究・情報発信を行いたいと考えている。

 
[1] 大沼保昭『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』中公新書は、戦争・植民地支配・人権に対する国際社会全体の捉え方が変化していく中で、近隣諸国は国交正常化によって法的に解決されたはずの問題の見直しを求めるようになったこと、戦後直後から存在していた韓国人・中国人の被害者意識と日本人の東京裁判をはじめとする戦後処理への不公平感が、中国の軍事的・経済的台頭と韓国の経済的・文化的台頭を契機に、日韓・日中の摩擦として表れるようになったこと、また、韓国では民主化が進み、国論の統一を図ることが難しくなり、反日が表出しやすい状況になったことなどを理由としてあげている

[2] 金子将史「転換期を迎えるパブリックディプロマシー」、『国際問題』No.635(2014年10月)p.40

[3] “2014 Yearbook of Immigration Statistics” August 2016, Office of Immigration Statistics p.6-11  https://www.dhs.gov/sites/default/files/publications/ois_yb_2014.pdf

[4] 同上 p.6-11

[5] “2014 Yearbook of Immigration Statistics” August 2016, Office of Immigration Statistics p.54  https://www.dhs.gov/sites/default/files/publications/ois_yb_2014.pdf

[6] ケント・E・カルダー(杉田弘樹他訳)『ワシントンの中のアジア グローバル政治都市での攻防』中央公論新社、2014年、p.192

[7] 同上 p.192

[8] インタビュー 原秀樹氏(ロサンゼルス日本文化センター所長)、2016年8月23日、ロサンゼルス日本文化センターにて

[9] 李鍾元「戦後日韓関係と米国―日米韓トライアングルの変容と持続―」木宮正史・李元徳『日韓関係史1965-2015Ⅰ政治』東京大学出版会、2015年、p.142

[10] インタビュー ①原秀樹(ロサンゼルス日本文化センター所長)、2016年8月23日、ロサンゼルス日本文化センターにて。②Byungkon Kim(Director of the Korea Foundation Los Angeles )、2016年8月24日、the Korea Foundation Los Angelesにて

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佐野裕太の論考

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Yuta Sano

松下政経塾 本館

第34期

佐野 裕太

さの・ゆうた

Mission

日本の広報文化外交、アジア太平洋地域の国際関係

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