論考

Thesis

「政治教育で日本を立て直す」~素志と実践~

「将来の日本を考えると、政治教育こそ最重要事である」-かつて、松下幸之助塾主はそう繰り返し訴えていた。それから30年が経ち、政治不信がますます高まる中で、私は政治教育の実現を目指して松下政経塾の門を叩いた。これまでの素志と実践を通じて、日本にとってあるべき政治教育について考える。

1.「若者と政治」をめぐる問題意識

 「政治には期待していない。関心を持とうが、投票に行こうが、結局何も変わらないから」

 2008年9月。大学3年の秋、就職活動が始まろうとしていた矢先、いわゆる「リーマン・ショック」が起きた。瞬く間に世界的な金融危機へと波及し、日本にも不況の波が押し寄せた。不況は、それまで「売り手市場」と言われていた就職戦線を直撃したばかりか、すでに企業から内定を得ていた大学4年生にも多大な影響を及ぼし、「内定切り」と呼ばれる社会問題にまで発展した。私の周りにも、就職活動が思うように捗らず就職留年や就職浪人を選ばざるを得ない若者が少なくなかった。次第に、かつてバブルが崩壊した時のような「就職氷河期」が到来したと指摘されるようになった。「安心して職に就き、未来に希望をもてるような社会に生きたい」―こうした若い世代の声を数多く耳にした。

 当時、若者たちが置かれた雇用情勢の悪化は、不況という世界規模の問題が背景にあり、それまでの就職活動のように個人の努力で克服できるものではなかった。就職支援や採用する側である企業への雇用支援など、政治の速やかな対応が求められていた。しかし、政治はすぐに問題解決に動き出そうとはしなかった。私は、「自分たち20代の声が政治に反映されていないからではないか」という問題意識を持ち、若者と政治をつなぐ活動に取り組むことにした。大学構内での選挙公開討論会を学生主体で企画したり、国政を担うリーダーと若者の討論を動画配信するなどの草の根活動である。その中で直面したのは、「投票率の低い若い世代への政策は後回し」という認識をもった政治家が非常に多いという現実だった。他方、学生や20代の社会人など若い世代の政治不信も大きく、冒頭紹介したような失望感が政治に対する諦めを生み、政治に声を上げたり投票行動をする「政治参加意識」を希薄にしているという実感をもったのである。

 とは言え、若い世代がいくら「安心して職に就き、未来に希望をもてるような社会に生きていきたい」と願っても、実際に投票行動を含めた政治参加をしなければ、その声は政治を動かすことはなく、雇用状況を始め様々な社会問題の解決にはつながらない。では、どうすれば政治参加意識は高まるのか。草の根活動を続けてきた身として、「政治に関心ある若者」を掘り起こすことはできても、もともと「政治に関心の乏しい若者」を巻き込むことは非常に困難であることは身に染みて分かっていた。やはり「学校教育」の段階から、政治参加意識を育む工夫が必要なのではないか。次第にそのように考えるようになったのは、日本と同様に民主主義を統治体制の基盤にしているアメリカやイギリスなど欧米諸国では、実際に「政治教育」が行われ、生徒は政治的議題について授業のみならず日常的に議論することが一般的だと知ったからである。

 そもそも「政治教育」とは、わが国の教育基本法で、「(政治教育)第14条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と規定されており、同法制定当時の条文解釈でも「国民に政治的知識を与え、政治的批判力を養い、もって政治道徳の向上を目的として施される教育である」とされている。しかしながら、実際の初等ならびに中等教育においては、政治について、知識や制度理解が中心の授業内容となっており、上記のような政治教育が実施されてきたとは言い難い。その背景は複雑であるが、政治学者の中谷美穂氏は、「戦後、イデオロギー対立が深まる中で、教育の政治的中立が過度に強調され、政治教育の条文の第2項の方に重点が置かれてしまい、本来であれば『政治教育を促進するための中立性が、教育を非政治化するための中立性へと転化してしまった』ことがあげられる」と指摘している。戦後学校教育の中で実際の政治に関わるような授業内容に取り組むことが敬遠され続けてきた結果、日本人は「政治参加意識」を十分に育むことなく今日まで来てしまったのではないか。若い頃から政治を「わが事」として考え、積極的に参加していこうという意識を持つ努力を続けなければ民主主義は機能しないし、それが今日の政治迷走を生む原因になっているのではないだろうか。

 戦後日本には欠如していた政治教育のあり方を探究し、政治の立場で一つの枠組みとして制度化し、学校現場に定着させ政治参加意識の向上を図ることで、本来あるべき日本としての民主主義を確立する―。

 大学4年の夏。私は、それが生涯をかけて果たすべき志であると決意し、松下政経塾の門を叩いたのである。

2.松下幸之助塾主が唱えた「政治教育」

 入塾後、最初に取り組んだことは、松下幸之助塾主との対話である。塾主は、日本人は「主権者意識」を十分に自覚していないのではないかと繰り返し指摘していた。主権者意識とは、一般に「国家統治の権力であり、国家の政治のあり方を最終的に決める権利=主権」を有する国民としての意識である。日本人としての誇りと自覚を持ち、社会において自分自身が果たすべき責任と役割を認識し行動する意識いわば「社会参画意識」と捉えてもよいだろう。ただ、日本国民がそうした「主権者意識(社会参画意識)」を持っているのか否かについては、「社会参画」の具体的事例が多数あるため定量的に計ることは難しいが、一つの指標として挙げられるのは「投票率」である。近年、国政地方に関わらず、投票率は国民全体としても低水準になっている。前出の中谷氏は、「男女普通選挙が導入された1946年からの衆議院選挙の投票率は、当初70%台を推移していたが、90年代に入って大きく下がり、選挙制度が改正された96年には59.65%という戦後最も低い投票率となった」と指摘しているが、最近は30~40%台まで投票率が落ち込む選挙も少なくなく、有権者の政治不信・投票離れはますます加速している。

 投票行動については、松下幸之助塾主は生前、選挙に行かない国民が増加していることを指摘して、国民とりわけ若者の社会参画意識が希薄になっていることについても強く警鐘を鳴らしていた。

「選挙は民主主義国家の国民として最高の権利であり、また義務というものであろう。投票率が低いということは、そういう国民としての自覚認識にまだまだ足りないものがあるのではないだろうか。…(中略)…将来の日本を背負って立とうという大学生が十人集まっても、その中には、“立派な日本を築くために、自分は政治家を志すのだ”という者が一人もいない、たとえいてもほかの者から「やめとけ」と言われるというのである。これは政治や政治家というものを非常に軽視している姿であると思う。これではいけない。これではわが国の政治がよくなることを期待しても無理だと思う。」

 私は大学卒業後に松下政経塾に入塾した身であるが、少なくとも自分と同様に政治への道を選ぼうとした大学生は勿論、そもそも若年層の政治参加の現状に問題意識を抱く若者も少なかった。それが、冒頭の「政治には期待していない」「自分一人が投票に行っても何が変わるのか」という若者の声に代弁されているのだろう。たしかに、国民に失望されるような政治を行っている政治家にも問題はあると思うが、「立派な日本を築くために」働くことができる政治家を選ぶことは私たち国民である。

 塾主は、国民が主権者意識を持ち、「政治を大事にする」という自覚と責任を育むために必要なものは「政治教育」であると続ける。

「そもそも国民が、政治というものを自分のものとしてみずから大事にしなければならないということを、正しく力強く教えられていないからではないだろうか。お互いが政治をよくし、社会の繁栄、人々の幸福を推し進めていくためには、まず、政治の大切さを教えるいわゆる政治教育というものを、国民に正しく力強く行っていくことが肝要であろう。…(中略)…真に日本の政治をよくしようというのであれば、そのためになすべき現下の急務はほかにもいろいろ考えられるであろうが、しかし私は一見迂遠なことであるようなこの政治教育こそ、二十年後、三十年後の新しい日本を思うにつけても、まず第一に考えなければならない最重要事であると思う。」

 「政治教育」の実施によって、国民は明確な主権者意識を自覚し、積極的に政治に参加していく。そうした国民が優れた政治家を選び出し、政治をより良くし、ひいては日本の長期的繁栄をもたらすという意味で、塾主は「政治教育」の必要性を訴えたのである。

3.シチズンシップ教育と政治参加

 それでは、実際に政治教育はどのように行っていくべきなのだろうか。2006年の教育基本法改正における中央審議会(文部科学大臣の諮問機関)の答申では、政治教育について、「政治や社会に関する豊かな知識や判断力、批判的精神を持って自ら考え、『公共』に主体的に参画し、公正なルールを形成し、遵守することを尊重する意識や態度を涵養することが重要であり、これらの視点を明確にする」ことが必要だと指摘している。私がここで着目したのは「公共」という言葉である。その「公共」を意識させる教育として近年俄かに注目を集めているのが、イギリスを中心に発展してきた「シチズンシップ教育」である。

 シチズンシップとは、教育学者の小玉重夫氏によると「ある一つの政治体制を構成する構成員であること」と定義され、日本では「公民的資質(公民性)」と考えられている。シチズンシップ教育に関する研究は多岐にわたるが、ブレア政権時に「シチズンシップ教育独立委員会」の議長を務めたバーナード・クリック氏(ロンドン大学バークベク・カレッジ教授)がまとめた同委員会の報告書によると、イギリスのシチズンシップ教育は、「生徒たちは、始めから、教室の中だけでなく教室を出て、また先生たちと議論するだけでなく生徒同士お互いに議論し合って、自信を身に付け、社会的および道徳的に責任のある行為を学ぶ。…(中略)…公共の生活において自分たち自身がどうすれば実際に役に立つようになるのか」を学ぶものだという。その根底には、「市民の自治と参加による権利と責任」(中川雄一郎明治大学教授)という理念があり、投票行動を含め主権者として政治や社会に参画していく意識と知識、責任感などを体得するための新しい学校教育の考え方である。すなわち、シチズンシップ教育とは「主権者として社会の中での権利と公共を担う義務および責任を意識させる教育」であり、まさに政治教育はシチズンシップ教育に包含されるものであろう。

 このシチズンシップ教育の理念は日本でも広がりつつあるが、その先進事例として挙げられるのが神奈川県である。同県では、2011年度から県内の全県立高校で県独自の「シチズンシップ教育」を導入しているからだ。同県教育委員会によると、シチズンシップ教育とは「よりよい社会の実現に向けて、規範意識をもち、社会や経済のしくみを理解するために必要な知識や技能を身に付け、社会人としての望ましい社会を維持、運営していく力を養うため、積極的に社会参加するための能力と態度を育成する」というもので、「政治参加教育」「司法参加教育」「消費者教育」「道徳教育」を併せた4本柱から構成されている。この中で「司法参加教育」については、2009年度から開始された「裁判員制度」に合わせて設定されたもので類似の事例は他の自治体でも見受けられるが、神奈川県のシチズンシップ教育で特筆するべき内容は「政治参加教育」である。政治参加教育に関しては、他の3つに先駆けて2010年度から全県立高校で導入されているが、具体的な授業としては、2010年夏の参議院議員選挙において、生徒が実際の政党マニフェストの比較検討などを行う「模擬投票」を実施したのである。参議院議員選挙は3年に1度改選が行われる関係で、全ての在校生が一度は模擬投票を体験できるという、わが国の政治教育史上においては画期的な試みである。

 実際に、私も複数の県立高校に伺い、担当教員と模擬投票に取り組んだ生徒にヒアリングをさせて頂いた。結論から言えば、模擬投票そのものは試みとしては成功し、生徒にとっても、政治に関心をもつ一つの契機になったようである。しかしながら、模擬投票以外の政治参加教育の具体的な取り組みが見えづらく、とりわけ「日常的な政治参加」をどのように推進すれば良いのか、学校現場では試行錯誤が続いているということである。これは重要な結果であり、政治参加教育の課題を如実に示しているのではないか。すなわち、参議院議員選挙における模擬投票は3年に1度しかできず、その他の選挙での模擬投票を検討しても、例えば衆議院議員選挙は4年間の任期の中でいつ衆議院が解散されるか分からず、統一地方選挙は年度始めの4月に行われるため、学校側が十分な準備ができない関係で、いずれも実施が難しいという現状がある。そのため、模擬投票は現段階では参院選でしか適用できず、それも3年に1度しか実施できない一過性の試みでしかないという問題がある。神奈川県の政治参加教育は「日常的な政治参加」という観点で見直しが必要であり、「政治参加意識の向上をどう評価すれば良いのか」という課題も併せて見受けられた。

 現場調査を通じて、これからわが国に必要な政治教育を含むシチズンシップ教育は、「3年に1度の参院選を用いた模擬選挙」のような限定的なカリキュラムではなく、日常的に、しかもどの学校でも実施することができるような新たな創意工夫が求められているという印象を持った。

4.「日本型シチズンシップ」を目指して

 現在、神奈川県立湘南台高等学校の依頼を受け、同校が今年9月から始める新しいシチズンシップ教育(政治参加教育分野)のアドバイザーを務めさせて頂いている。前述の「模擬投票」のヒアリング調査で伺った際、「日常的な政治参加意識の向上」に関して先生方と議論をさせて頂いたことが契機となった。同校は、神奈川県から2011年度の「シチズンシップ教育」の教育活動開発校に指定されており、今年度は「3年に1度の模擬投票」以外の日常的な政治参加教育の立案に取り組んでいる。私も担当教員の会議に陪席し、新たな授業形態の検討・実践・検証・総括に関わる機会を頂いている。今年度、同校がカリキュラムとして初めて挑戦することになったのは「模擬議会」である。総合的な学習の時間4コマを使って、高校生にとって身近な神奈川県の様々な施策をテーマとして設定し、実際の県議会を模して条例案を委員会で審議し、最後に各学級で本会議を開会し採決まで行うなど、同校の1年生約280名が約1か月に亘って、この「模擬議会」を正式な授業として経験することになる。

 「シチズンシップ教育」という名による、この新たな政治教育の試みを考えるにあたって重要なことは、内容そのものもさることながら、そこに「どのような理念があるのか」という点にある。おそらくは、前述したイギリスでのシチズンシップの理念を歴史・伝統・文化が異なる日本でそのまま反映することではなく、わが国ならではの理念(「日本型シチズンシップ」)を創造していく必要があるだろう。

 その理念と試みが、若者の政治参加意識やこれまで政治教育を敬遠してきた公立学校の現場にどのように影響を及ぼしていくのか、その結果と考察については改めて報告させて頂きたい。いずれにせよ、今後は同校のシチズンシップ教育の現場に密着する中で、わが国の公立学校における「政治教育」のあり方を研究すると共に、「日本型シチズンシップ」という理念を深め、「日本に本来あるべき民主主義」について探求していく所存である。そして、現地現場の視点と自らの理念を固めた上で、松下政経塾生として、目指すべき国家ビジョンについても明確にし、卒塾後はその実践者として世に訴え、実現するためにより一層の研鑽を積んでいきたい。

参考文献

松下幸之助『政治を見直そう 日本をよくするために』 PHP研究所 1977年
蒲島郁夫『現代政治学叢書6 政治参加』 東京大学出版 1988年
R・ドーソンほか著/加藤秀次郎ほか訳『政治的社会化 市民形成と政治教育』 芦書房 1989年
PHP総合研究所研究本部松下幸之助発言集編纂室『松下幸之助発言集』 PHP研究所 1991年
小玉重夫『シティズンシップの教育思想』 白澤社 2003年
高元厚憲『高校生と政治教育』 同成社 2004年
鈴木崇弘ほか編著『シチズン・リテラシー 社会をよりよくするために私たちにできること』 教育出版 2005年
松下政経塾編『松下幸之助が考えたこの国のかたち』 PHP研究所 2010年
小峰隆夫『政権交代の経済学』 日経BP 2010年
全国民主主義教育研究会編『政権交代とシティズンシップ』 同時代社 2010年
明治学院大学法学部政治学科編『初めての政治学 ポリティカル・リテラシーを育てる』 風行社 2011年
キース・フォークス著/中川雄一郎訳『シチズンシップ 自治・権利・責任・参加』 日本経済評論社 2011年

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西野偉彦の論考

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Takehiko Nishino

西野偉彦

第31期

西野 偉彦

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松下政経塾 政経研究所 研究プロデューサー

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