論考

Thesis

人は「生きる」のか「生かされている」のか

人は「生かされている」とよく言う。果たして人は「生きる」のか、「生かされている」のか。松下幸之助塾主の人間観から考えるその答えと、そこから見出す“三つの「トワ」”とは・・・。

1、「ありがたい」から読み取る「生かされる」

 人間の細胞一個が偶然に生まれる確率は、宝くじが百万回連続当選するに等しいほどの確率であるそうだ。更に、その細胞で構成される人間という存在も、約七十兆通りの染色体の組合せによって科学的に成り立っているという。目の数も耳の位置も口の開き方もみな同じなのに、顔かたちが全く同じ人間など存在しない。一人ひとりの人間は、この世でたった一つの、真に奇跡的な存在なのである。それだけ、今ここに頂いている命は、非常にありがたいものであり、何か見えざる力によって我々が存在している、「生かされている」と思わずにはいられないのである。

 そもそも、「ありがたい」とは、「有り難い」と書く。なかなか起こり難いこと、奇跡のようなことに対して不思議と感謝の気持ちを感じるからこそ、「ありがたい」という言葉があるのであり、人間という存在の奇跡を思うと、人間が生きていることに対して「ありがたい」という思いを感じずにはいられないし、人は「生かされている」と思うのである。

 私自身、二人の子供を授かり、先祖代々から受け継いだこの連鎖を切らすことなく継承できたことに誇りを感じているし、こうして奇跡的な細胞の組合せで私のもとに命を授けて下さったことに、ご先祖様や神仏すべてにありがたさを感じ、私の子供も、そして私自身も、「生かされている」のだということを痛感するのである。

 人が「生かされている」ことの「有り難さ」を真に受けとめることができれば、天から与えられた使命を持って生かされた以上、万物を調和し、より良い社会を作っていき、次の「有り難さ」を生むための連鎖のつなぎになろうと努力するのではないだろうか。

2.「性善説」から読み取る「生きる」

 しかし、一方で「生かされている」ということは、自分の意識や意志なくして生を受けているわけであって、どのように生きてもその責任は自分にはなく、悪いのは全て自分を生かした存在の方にあると言うこともできる。人間が「生かされている」限り、より良く生きなければいけない義務などない、ということも言えるかもしれない。

 確かに人間は、悪い心を持って生まれてくると性悪説に立ったならば、そう考えることもできる。そもそも、悪い人間が良い社会に存在価値を見出すとは思えない。つまり、生まれた時から持つ悪い心を良い心にするために生きているとすれば、本能のままに生きようと思う人間が出てくることもやむを得ないということになる。

 その意味でも、人間を考えるには性善説でなければならないのである。人間は生まれながらにして善い心をもち、互いに協力して良い社会を作ることができる存在である。そういった特質を与えられて「生かされている」わけであり、より良い社会を作り「生きて」いくことも当然その特質の中に含まれているのである。にもかかわらず、社会を乱すようなことがあれば、それは人間のあってはならない姿である。だからこそ、人間は私利私欲に溺れることなく、自律し続けなければいけない。

 つまり、人間は単に「生かされている」ことに甘んじていてはいけないのである。人間に与えられた特質を十分に発揮すべく、積極的に「生きる」ことを全うしなければならない存在なのである。それは、人間が「生かされている」からではない、今こうして「生きて」いるからこそ、自分の意志で、自分の力で「生きる」ことが求められているのである。

3.松下幸之助塾主の人間観の考察

 松下幸之助塾主は、「新しい人間観の提唱」のなかで、我々人間は天命を与えられた万物の王者であると説いている。この、万物の王者という言葉から塾主の人間観を考察することで、人は「生きる」のか「生かされている」のか、その答えを探りたい。

 万物の王者とはどのような存在なのだろうか。生物の頂点にそびえ立つ支配者なのだろうか。それは、すべてを支配する「力」を持つということなのだろうか。確かに、人類が進化し、技術が発達し、今では人間は地球を滅ぼすことさえできる存在になった。それでは、この「力」が万物の王者たる所以なのだろうか。

 この、万物の王者という考え方は、まさに性善説に立った人間の捉え方であるといえる。人間は、社会をより良くするという天分をもっている。だからこそ、それを発揮するべく積極的に生きなければいけない。どんな存在よりもその責任が重く、意味を持って生きなければいけないと思うからこそ、王者という言葉を用いて人間の天分がどんな存在よりも崇高であることを言ったのだと思う。王者たる所以は、その「力」ではなく与えられた「天分」の大きさのことなのであろう。

 つまり塾主は、先の論でいえば、「生きる」ことが大切であると説いているのだろうか。

 しかし、「生きる」上で大切なことは、天地自然の理法をあるがままに受け入れることであり、その上で、礼の精神を根底として、衆知を集めながら万物を適切に処置、活用していくことである、と説いている。つまり、大前提にある宇宙の理法という人間の根源と、その上で人間社会において人間同士がいかに生きるべきかという、今ある人間の人生との両面が、この万物の王者という言葉に詰め込まれているのである。

 ということは、「生きる」ことだけが大切なのではないということなのだろうか。
 それでは、宇宙や大自然の理法に対して人間はいかにあるべきなのか。

 まずもって、この自然の理法を素直に受け止め、その大きな流れの中に人間が存在するということを認識しなければいけないと塾主は考えている。つまり、人間は自然の理法の中で「生かされている」存在であるということに感謝しなければならず、同時に、全ての存在というものも人間同様、「生かされている」存在であるからこそ決して排除せず、あるがままを認めていかなければいけないと考えているのである。

 しかし、決して人間は自然の理法に全てを支配され、身動きを取ることを許されていないわけではない。大切なのは、それをあるがままに認めて順応し、そのはたらきに則って適切に万物を処置したり活用したりすることなのである。この前提に根付くことができれば、人間社会において、互いの存在を認め合い、衆知をもってより良い社会を作り上げることができるのである。こうして、自然の理法に則って万物を活用することのできる存在である人間こそが、万物の王者であるということなのである。

 つまり、あくまで人間は「生かされている」のである。「生かされている」という考え方によって、万物に対しての感謝と礼の心が自然と生まれ、自分という存在同様に、全ての存在の大切さやありがたさを感じることができるのである。そしてその前提の上で、「生きる」のである。そして「生きる」とは、人間社会を間違った方向に進むことなく、互いに向上発展していけるように衆知を集め、自然の理法に則って万物を生かしていくような生き方、人間道が求められていると塾主は考えているのである。

 つまり、人は「生きる」と「生かされている」、この両面を同時に持つことが大切なのであり、どちらか一つを選んだり、どちらかに優劣をつけたりするものではないのである。

4.私の人間観 ~人間をかたちづくる三つの「トワ」~

 塾主の人間観を通じて、私が捉える人間に重要な要素とは何か。自分の経験に照らし合わせて、三つの「トワ」という観点から考察したい。

(1)「とは」

 一つ目の「とは」は理念や定義の重要性である。

 私は、これまで金融機関で融資業務に携わり、多くの経営者と触れてきた。そこで私が大切にしたのは、経営者の経営観である。やはり、これまでの経験から得た自分なりの経営観を持ち、意味を持って事業をする人は不況でも粘り強い。どんな逆境も乗り越えられる信念が適切な判断力を生み、周囲の助けも集まって生き残る。そんな例をいくつも見てきたからこそ、私自身も自分なりの金融観とでもいうべきものをもつことができた。私は、経営分析や数値化された格付に融資をするのではなく、「人」に融資をする。その会社の利益や資産にではなく、「人」に信用を付す。そう考えてきた。そうした信念のもとで仕事をすることにより、人は誰もが欲や目先の利益に流されてしまうものであることを知り、それでもそうならない人は、人間としてあるべき自分の姿を持ち、自分の真の幸せや社会の幸せを切に考えていることを知った。どんなに素晴らしい人も、その素晴らしさ自体を良く思わない人が存在し、どんな不完全な人もその人を心から信頼し慕う人が存在するということに人間の難しさや不思議さを感じた。そうすることで、企業を見る目が変わり、不思議と仕事もうまくいったのかもしれない。

 結局は、経営観も金融観も何もかも、人間観なくしては語ることができないものである。経営とは何か、利益とは何か、お客様とは何か、そして人間とは何か。ものごとに「とは」を求めてそこから歩を進めていくことが天地自然の理をあるがままに見ていくためにはとても大切なのではないかと感じる。

(2)「永遠(とわ)」

 二つ目の「永遠(とわ)」は、人間の縦の軸の重要性である。

 私の祖父が亡くなり、その年に私が生まれた。祖母が亡くなり、その一年後に姉の子が生まれた。そして私の子供が生まれ、すぐに大叔父が亡くなった。

 人間は生まれて死ぬ。生まれるからこそ、生きるのであり、生きるからこそ、死ぬのである。そして人は死に、また生まれていく。これが自然の理法なのであろう。やはり、人は「生かされ」、そして「生きる」のである。

 しかし、もし人間の命が永遠だったならば、今のこの豊かな人間社会は存在しただろうか。この一生をいかにして「生きる」のかを考えるとき、そこに発展は生まれるのである。そしてその発展がその人の人生だけで成り立ったのではなく、人間の進化とともに少しずつ発展してきたことを考えれば、人間の命もまたその人の一生だけで成り立ったのではないことが分かる。一人ひとりの人生はどう頑張っても百年くらいのものである。しかし、その人の歴史はその百年だけなのではなく、人類の何十億もの歴史全てがその人の歴史なのである。こうして、一人の人間の一生は、切り離して横に並べていくものではなく、縦に積み上がっていく歴史の一コマであるということが分かれば、今を起点にして未来の永遠を見れば自然と、同じ分だけの歴史という永遠を見ることになるであろう。こうして人間の永遠なる存在意義、長久なる使命を知ることで、人間は生成発展の道を歩むことになるのである。つまり、人間の存在に「生きる」ことでつなぐ過去と未来の「永遠(トワ)」を求めてこそ、「生かされている」ことに感謝をし、積極的に「生きる」ことができると思うのである。

(3)「toi(トワ)」

 三つ目の「toi(トワ)」は、仏語で「あなた」という意味の言葉である。つまり、自分以外の誰かの存在の重要性である。

 私には二人の子供がいる。十ヶ月をかけて母親のお腹の中で大きくなり、生まれ出てきてからこれまでずっと、心から愛情を注いで育ててきた。しかし、子供の成長には、我々夫婦だけでなく、多くの人の手や心、多くの自然やモノが欠かせなかったし、生命それ自体も、誰かの手や多くの存在がなければ存在しえなかったであろう。こうして子供の生命に触れ続けることで、ご先祖様や家族に、お世話になった人に、友人に、生物や自然に、そしてモノに至るまで、全ての存在があって自分があるという感謝の心を意識するようになった。人は一人では生きていけない。あまりに当然のことであるからこそ、人は意識せず、その存在が当たり前になってしまうのであろう。しかし、「生きる」ということは、たった一人では成立しえないし、人間という存在だけで成立するものでもない。

 「生きる」ことは、自分以外の誰かに生かされ、自分以外の誰かを生かしていくということであると思う。つまり、人間が「toi(トワ)」を求めてこそ、本当の意味で、「生きる」ことや「生かされている」ことを深く考えることができるのである。

 「とは」を求め、「永遠」を感じ、「toi」を大切にすることで、人は「万物の王者」としての天分を発揮するべく「生きる」ことができるのだろう。まさに人間は真に偉大なる存在であると思うのである。そして偉大なる存在には壮大なる使命が課せられていることも同時に深く認識するのである。

4.まとめ

 人は、「生きる」のか、「生かされている」のか。その問いに、私はこれまで、「生かされている」と答えてきた。しかし、塾主ならば、「人は『生かされている』からこそ『生きる』のだ」と答えるのではないだろうか。「生きる」ことに意味を見出すために人間を知ろうとするのでない。まず人間を知ろうとすることで、人は「生かされる」ことに感謝をしながら、より良い姿を求めるために、互いに生かしあって「生きて」いくことができるのだろう。世の中の陰陽を捉え、二分してどちらが正しいかを決めることに意義があるのでなく、陰陽全てを一つとして捉えていくことの大切さを知った。

 そして、我々人間という存在が、いかにあるべきか、今の世の中がどうしておかしくなってしまい、これからどうしていくべきなのかということを、「万物の王者」という言葉から少しだけ読み取ることができたように感じる。

 これからは積極的に「生きる」とともに、人を「生かす」存在になりたいものである。

参考文献

松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年
財団法人松下政経塾『「新しい人間観」について』財団法人松下政経塾 1981年
松下幸之助『人間としての成功』PHP研究所 1989年
松下幸之助『私の人の見方・育て方-人事万華鏡』PHP研究所 1977年
松下幸之助『PHPのことば』PHP研究所 1977年
松下幸之助『わが半生の記録 私の行き方考え方』PHP研究所 1986年
村上和雄『遺伝子が語る「命の物語」』くもん出版 2008年

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杉島理一郎の論考

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Riichiro Sugishima

杉島理一郎

第31期

杉島 理一郎

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埼玉県入間市長/無所属

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