松下政経塾 The Matsushita Institute of
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研修レポート
2010年5月

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未来に誇れる日本を創ろう!(其の壱) ~これからの政治に課せられたもの~
大谷明/卒塾生

 

<はじめに>

 2009年11月19日に義妹が可愛い女児の赤ちゃんを出産した。2500グラム強の小さな赤ちゃんだ。11月19日は私の父の命日であり、偶然とはいえ何かの縁を感じる。すやすやと眠る小さな顔を見ながら「親父の命日という悲しい日が、君の誕生で嬉しい日に変わったよ」とそっと声をかけた。この子が頑張って長生きすれば22世紀を生きることになるかもしれない。小さな顔を覗き込みながら、はるか未来の22世紀はどんな世の中になっているのだろうと思いを馳せた。

 2009年は丑年。私の父親は1925年の丑年生まれだった。先日生まれたこの姪っ子も丑年生まれ。そう言う私も1973年丑年生まれ。ここにも不思議な縁でつながっている感じを持つ。私は生まれた年を入れると今回で4度の丑年を過ごしてきた。この4度の丑年を振り返りながら、育ってきた時代的背景を見つめなおし、私の生き方へどのような影響を与えているのか、そして志すこれからの政治へ課せられたものは何なのかを考えてみたいと思う。

<過去4度の丑年の出来事>

 これまでの丑年はどんな出来事があった年だったのであろうか。特筆すべきトピックスを挙げてみたいと思う。

◆1973年(0歳)

 第四次中東戦争の勃発により、深刻な石油危機が叫ばれたのがこの年である。「石油の供給制限による生産削減でモノ不足が発生する」という噂が日本中に飛びかい、トイレットペーパーや洗剤の買いだめに走るなど一部の消費者がパニック状態になった。また、1ドル308円の固定相場制から変動相場制に移行され、スタートは1ドル277円とこの後の円高に推移して行くのもこのころからである。

 政治的な事件では金大中事件が挙げられる。8月、韓国の野党・新民党の前大統領候補・金大中氏が東京九段のホテル・グランドパレスから拉致された事件である。監禁された後、韓国籍の貨物船に乗せられたとされるが、数日後ソウルの自宅前で発見される。事件はKCIA(韓国中央情報部)が関与した疑惑があり、日本の主権侵害などの問題が国会でも議論となった。11月韓国政府は事件への関与を認め、日本に陳謝することで政治決着した。

 また、1965年にアメリカが直接介入し、泥沼化していったベトナム戦争が終結されたのもこの年だ。ニクソン米大統領がベトナム戦争終結を宣言。アメリカが経験した初めての敗戦となった。この戦争によるベトナム側の戦死者は300万人、行方不明30万人、負傷者600万人と推定されている。アメリカ側の戦死者は5万8000人とされている。

◆1985年(12歳・中学1年生)

 中学1年生の記憶の中でも最も強く残っているのが日航機墜落事故である。8月12日羽田空港を離陸し大阪に向かった日航ジャンボ機が、午後6時50分ごろ、後部ドアの破損を訴える緊急連絡の後、消息を絶った。午後9時すぎ群馬県の御巣鷹山の尾根で機体が発見され、奇跡的に4女性が救出されたが、歌手の坂本九ら乗客乗員520人が死亡するという我が国航空史上最悪の惨事となった。

 また、為替とその後の日本経済に大きな影響を与えたプラザ合意が行われたのがこの年の9月だ。過度なドル高対策のため米国の呼びかけで、米国ニューヨークのプラザ・ホテルで行われたG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)により為替レートに関する合意が発表された。「基軸通貨であるドルに対して、参加各国の通貨を一律10~12%幅で切り上げ、そのための方法として参加各国は外国為替市場で協調介入を行う」というものであった。最大の狙いは、ドル安によって米国の輸出競争力を高め、貿易赤字を減らすことにあった。発表の翌日1日(24時間)で、ドル円レートは、1ドル235円から約20円下落した。この合意を受け、日本では急速な円高が進行し、バブル景気につながっていったとされる。

◆1997年(24歳・社会人2~3年目)

 自身も社会人になり、経済の不安定化と不況を感じながら生活していた思い出がある。この年は多くの会社が倒産した。ホテルを経営する法華倶楽部、寿司チェーンの京樽、北海道の有力地銀、北海道拓殖銀行、それから中国を中心に国際的に店舗展開していたヤオハングループの中核企業、ヤオハンジャパンも、である。中でも大きな衝撃をもって報道されたのが大手証券会社の山一證券の倒産だ。友人も何人か就職していた会社だったので、身近な実感としてもショックを受けた。10月、ニューヨーク株式市場は、香港市場の急落をきっかけにした株価不安を映して総崩れとなし、554ドル安の史上最大の下げ幅を記録。さらに東京市場で株価の急落を引き起こしたのに続いて、香港、さらにロンドン、フランクフルトなど欧州市場にも波及し世界同時不況となった。

 7月、香港がアヘン戦争以来155年の英国統治から中国に返還され中国香港として新たなスタートがなされた。また、英国皇太子妃ダイアナが交通事故で死亡した事件もこの年の8月である。

◆2009年(36歳・松下政経塾生)

 昨年のサブプライムローン問題に端を発した米国の住宅バブル崩壊をきっかけに資産価格の暴落が起こり、2008年9月米国名門投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻する。負債総額、約64兆円という史上最大の倒産となり、リーマンショックとして世界的な金融危機を招く事になる。日本も例外ではなく、2009年の日本経済は深刻な不況に見舞われた年となる。完全失業率は過去最悪の5.7%に。有効求人倍率も過去最低の0.44倍となった。為替も1ドル86円台に突入し、輸出産業に大きな打撃を与えた。

 こうした経済環境のなか行われた夏の第45回衆議院議員総選挙では民主党が308議席を獲得し政権交代が行われたことは記憶に新しい。

 特筆すべきトピックスを振り返りながら過去の丑年を振り返ってみた。上記に挙げた出来事はあくまで私の主観をもとに選んだものである。こうして改めて思い起こしてみても経済不況、政治の不安定の世相が思い起こされる。非常に乱暴な言い方ではあるが、12年を周期で不況、不安定の底が丑年にあたっているようにも思える。それは大きな循環のめぐり合わせとも思える。因みに1925年、父の生まれ年の丑年は、普通選挙法成立、治安維持法公布。松下幸之助塾主がナショナルの商号を初めて使用した。

<1985年丑年と1997年丑年のあいだ>

 現在の私に最も影響を与えた期間、それは1985年から1997年の間ではないだろうか。12歳の中学生入学から24歳の社会人2~3年目である。いわゆる思春期から親ばなれしていく独立期の多感な時期がこの時期なのだ。社会人13年間を経て、松下政経塾に入塾をするという選択を決断する、政治への志を漠然と立てていたのもこのころだ。政治を志した背景はいろいろあると思う。しかし、この時期をすごした時代背景にも大きく影響を受けているのではないだろうか。

 中学への入学。もの心がつき、どんな社会の中に自分は生きているのかという認識がはっきりしてくるのがこのころではないだろうか。私が初めて認識した世界はとはどんなものだったか。世界ではアメリカとソビエト連邦という2つの大国が冷戦を繰り広げていた。日本でも自由民主党と社会党といういわゆる55年体制と言われる政治構造があった。私の思い出の中では、世界においても日本においてもこの枠組みは大変強固なもので、ある意味において安定が支配している世の中だった。こうした中、上記で取り上げたようにプラザ合意によって円高が進み日本はバブル景気へと進んでいく。

 バブル経済またはバブル景気とは一般的に、1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51ヶ月)間を指すのが通説となっている。この期間は私の中学、高校時代がぴったりはまっている。子供心にもなんとなく浮き足立っていく世の中の雰囲気を覚えている。安定した政治体制、好調な経済、まさに世界第二位の経済大国日本を実感したのもこの時期だった。しかしこの後、世界的に大きな出来事が起こるのである。

 1989年11月、ベルリンの壁が市民らによって壊される。それまで東西ドイツを隔てていた壁がなくなったのだ。そしてベルリンの壁崩壊から1年も経たない1990年10月3日に東西ドイツは正式に統一されることになった。ベルリンの壁崩壊はすでに民主化を果たしていたポーランドを除いた全東ヨーロッパに波及しチェコスロバキアではビロード革命、ルーマニアではルーマニア革命を引き起こした。そして1991年8月、共産主義の総本山であったソビエト連邦まで崩壊したのである。あの超大国ソ連がなくなってしまうインパクトは言葉に表せないくらい大きかった。

 さらに日本でも大きな政治の変革が起きた。1993年非自民党政権である細川内閣が誕生したのだ。1955年の結党以来38年間政権を維持し続けた自由民主党は初めて野党に転落した。

 日本の経済もバブル景気が崩壊し、その後の失われた10年と言われる深刻な経済不況に突入していく。1991年にバブル経済が終わったとされているが、景気のタイムラグから雇用の悪化などの実感をともなうのは就職活動を向かえる1993年くらいからだろうか。それまでの就職活動は好況を受けて売り手市場であった。1人の学生がいくつもの企業内定をもらい、企業は内定者を逃さないように接待するといったものだった。しかし、バブル崩壊後は軒並み採用を控えて新規採用をぐっと減らしてきた。有効求人倍率も1991年が1.40倍であるのに対し、1994年には0.64倍と悪くなっている。

 私の多感な時期というのは、世の中は変化していくということを体感し、実感した時期だった。安定から不安定に、それまで変わらないと思っていたものが変わり、あったものがなくなってしまう、そんな時代であった。その変化を生み出すのは人間だということ、政治だということを目の当たりにしてきた。そして変化の先にあるのは一人ひとりの生活の変化であった。

<歴史の変化と人びとの生活>

 大学2年生の1992年、3年生の1993年と連続して、夏休みを利用して統一されたドイツを訪問したことがある。統一後、まだ2年しかたっていない旧東ドイツにも足を運んだ。初めて訪れた年には、槌音のたえない工事現場がいたるところにあったのを思い出す。それでも街中ではまだ、紙で作ったとされるトラバントも走っていたり、街角には旧態としたポスターが貼られていたりして、旧東ドイツ時代を偲ばれるものも多くあった。東西ドイツ時代の国境検問所であったチェックポイントチャーリーのすぐ脇には、1963年に開館した民間の博物館、壁博物館がある。そこには自動車・飛行船・潜水艦・トンネルなどを使って壁を越え西側に逃亡しようとした人々の紹介のほか、ドイツ分断の歴史やベルリンの壁についての資料を数多く展示してあった。それらの展示物を通して旧東西ドイツの人びとの苦しみや痛みが心に突き刺さった。旧西ドイツ側に建てられてあった「YOU ARE LIVING IN THE AMERICAN SECTOR」の標識が分断されたドイツの象徴のようで深く印象に残っている。数年前まではここで多くの命が失われたと言うのに、いま現在は何の苦労もなく行き来できるこの現実を実感したことの意味は大きかった。

 「政治は変わらないし、誰がやっても同じだから」という声を耳にすることがある。しかし私はそうは思えないのである。私が体験してきた半生において、政治は常に変わってきているし、誰がどんな政治をするかで多くの人びとの暮らし、生活に影響を及ぼしてきた。政治は私たちの現実に直結するのだという実感があるのだ。塾主、松下幸之助はインタビューで「政治の上手い下手は、戦争が上手い下手よりも恐ろしい」と語っている。大きな歴史循環の中、環境変化の中でどのように舵取りをしていくのか、それが政治なのではないだろうか。私が政治を志した背景にはこうした時代背景も大いに影響していると感じている。

<今、直面している大きな環境変化>

 刻々と変化する時代環境の中で、私たちは今までには経験したことが無い大きな環境変化に直面している。それは人口減少社会の到来だ。2005年は大きなターニングポイントの年として人々に記憶されるだろう。この年、厚生労働省が人口動態統計を取り始めてから、初めて日本は人口の自然減を体験したからだ。統計によると、出生数と死亡数の差である自然増加数は2004年がプラス8万2119人であったのに対し、2005年はマイナス2万1266人であった。国勢調査でも、2005年10月1日現在の総人口は1億2776万8000人で、前年を約2万2000人下回っており、日本が人口減少時代に突入したことを裏付けている。少子化の影響で日本がいずれ人口減少に転じることは、以前から予想されていた。しかし、当初は2006年が“減少元年”になるとみられていた。現実はその予測を追い越し、1年前倒しになってしまったのである。そして人口減少は今後確実にその変化のスピードを増していくのである。未来は予測することが難しく、不確実なものであるが、この事実においてはほぼ間違いなく起こる未来の姿なのである。

 政治にしても経済にしても、変化のきっかけは環境変化であろう。環境が大きく変化したことで、旧来のシステムが機能しなくなり、新たなシステムが模索される。今、日本は明治維新や敗戦にも匹敵する環境変化にさらされている。それが急激な人口減少社会であり、超高齢化社会である。「日本は国土のわりに人口が多いので、少なくなるのに何の問題があろうか」という意見もある。たしかに、人口が少なければ少ないなりの国家運営があるだろう。しかし問題は人口が多いか少ないか、という部分にあるのではなく、人口が減るスピードにおいて急激な変化が生じることが問題なのである。さらに言うならば、人口構成において世代間のバランスが崩れ、相対的に支える世代が少なくなり、支えてもらう世代が多くなることが、多くの問題をはらむ要因なのである。

 この社会環境の変化は日本だけではなく、先進国に共通したものだ。これまでの歴史の中の日本のように、どこかの国から学び、追随して問題を解決していけば良いのか。答えは否である。日本は世界に先駆けて急速に人口減少社会、超高齢化社会が進行しており、これらの問題へ対応した新たなモデルはまだ世界にはないのである。こうした前例のない環境変化に対して、私たち日本人はどのように向き合い、チャレンジしていく必要があるのか。その答えはまだなく、進むべき道を模索しているのが現状ではないだろうか。

<これからの政治に課せられたもの>

 こうした環境変化の中、これから数十年間の政治に課せられたものは急激な変化にいち早く対応し、今後起こりうる衝撃をいかに軽くしていくか、ということになる。そのためにはこれまでの価値観の延長ではない、新たな価値観に基づいて社会を描いていくことなのではないかと思うのだ。それはもしかすると忘れていた日本としての価値観なのかもしれない。今後ますますグローバルな動きは加速し、世界はフラット化していくだろう。こうした環境変化に対応できる新たな国家経営の方向を指し示していくことが政治に求められている。私はそのキーワードとなるものが「地域」と「コミュニティ」なのではないかと思っている。答えとなるものは、実は私たちの身近なところに、足元にあるのではないだろうか。

 これまで右肩上がりの日本の状況では、前例踏襲、事なかれ主義が横行していた。人口減少社会は、これまでの価値観の延長で語ると右肩下がりの社会である。昨年と同じことをしていたのでは、ベースが下がっていくため同じではなく、むしろ悪くなってしまう。今こそ生活実感の中から、地域の現場の中からの様々なアイディアが求められている。こうしたアイディアを出しやすい環境づくりと共に、「試しにやってみよう」というチャレンジ精神を尊重する政治が必要なのである。また、グローバル化、フラット化が進めば進むほど、アイデンティティや独自性が問われることになるだろう。そうした意味で、地域の個性や伝統などの資源に目を向けるチャンスとなるのではないだろうか。日本にはまだまだ多くの個性や伝統を持ったユニークな地域が沢山ある。これらの力のベクトルを思い思いに伸ばしていくことが、日本の活力に繋がっていくものと信じている。こうした動きを、より的確にレスポンスよく実行するための統治体制として、地方分権や道州制の議論があると思っている。地域発のアイディアを効果的に試していくための権限と財源を、受益者である人々が暮らす地域に近いところに移していくという発想には賛成するところだ。しかし、この分権議論には地域の側からの視点も必要となる。与えられた分権ではなく、「自分たちの地域は自分たちで創る!」、という気概のもとに必要な権限、財源を地域自らが“奪権”していくことが何よりも大切なことであると思うのだ。

<おわりに>

 塾主、松下幸之助は昭和7年に松下電器産業の使命を達成するための今後の進むべき方向として、250年の経営方針を打ち出した。25年を1節としてそれを10回繰り返すという考え方だ。なぜ25年を1節としたのかという問いに対して塾主は「建設時代10年、活動時代10年、社会貢献時代5年、計25年を1節」という考え方と合わせて「一人の人間が会社に入ってから現役を退くまでの年数が概ね25年だから」という主旨の答えをしている。日本国家においても私たち世代が中心となって担える時間は限られている。この時間は先人達から任された時間であり、未来の次世代から任された時間でもある。現在の世の中は長い歴史の時間軸の中で一時預かったもの、という考え方をしたとき、今さえ良ければ、自分達さえよければ、という考え方にはならないのではないか。そうした考えには断固として立ち向かわねばならない。日本という国家を受け継ぎ、育み、しっかりと引き継いでいく私たち世代の責任は重い。先日生まれた姪の顔を覗き込みながらそう思わずにはいられない。

 一口に丑年と言ってもいろいろあるようだ。私が生まれた1973年は癸丑(みずのとうし、きちゅう)にあたる。1985年は乙丑(きのとうし、いっちゅう)、1997年は丁丑(ひのとうし、ていちゅう)、2009年は己丑(つちのとうし、きちゅう)ということだ。この後、2021年、48歳には辛丑(かのとうし、しんちゅう)で還暦を迎える2033年で一回りする。陰陽五行では丑は陰であり、冬。また丑三つ時といえば草木も眠るといわれる真夜中だ。しかし、丑をすぎて春になり、朝が来る。今年は寅年。陰から陽に転じていく年である。しかし、干支の移り変わりだけに期待するということであってはならない。時代を前に動かすのは、人の意思の力と具体的な行動なのだから。「誰かがやるだろう」という思いから、「私が、やる!」という一人ひとりの意識の変化と行動力が問われる時代になっている。塾主も好んで使ったと言う彫刻家、平櫛田中氏の「今やらねばいつできる、わしがやらねば誰がやる」という言葉を今一度胸に刻み込もう。未来に誇れる日本を創るのは誰でもない、私たち自身の行動にかかっているのだ。

2010年5月 執筆
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