松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

日本語英語


研修レポート 一覧へ戻る
製造実習
2007年9月

研修レポート

製造実習レポート
熊谷大/卒塾生

 

 私は、水密テープを貼りながら、ジンキー塗布をしながら、考えた。この自分が生きてきた中でももっとも「無個性」および「非創造的」な日々であった作業を通して、教鞭をとっていたときのことを考えていた。

 外壁からの水漏れを防ぐテープを、実習の前半は永遠と行った。もちろん一人の単調作業。末端の作業で、取るに足らない、しかし、人の手で仕上げなければならない作業である。手ほどきしてくれたのは、この道6年のベテラン派遣作業員(30歳)だった。後半は屋根のフレームを接合させた部分にジンキーといわれる錆止めを塗布する作業を行った。ここでも作業の仕方を具体的に教えてくれたのは、派遣の方だった。

 大概、今の教育の掲げる目標は、個性豊かな生徒、自由、自立、たくましい生徒、自己主張、なども入るかと思う。しかし、この作業を通して、私は製造現場と教育現場の乖離をはっきりと見た気がする。例えばこんな話がある。塾の先輩で引きこもりや不登校の生徒を学校復帰、社会復帰させようと奮闘している方がいる。その先輩が、引きこもりの生徒だった子を工場に就職させた時の苦労話とその結果を教えてくれた際、こう言っていた:
「やっとの思いで引きこもっていた人を、工場に就職させたら、一日だけで、やめて帰ってきた。本当に残念だよね。」

 頻繁にある例だそうで、それを聞いた私は、ああ、そうですか、それはかわいそうですね、という同情の念が喚起されたのだが、今、感じるのは 「そりゃ、当たり前だなぁ」ということ。

 つまり、製造工場の現場が、今の教育にマッチしていないことが、私も現場に入ってみて、よくわかったのだ。工場で工員は、厳密にいえば、機械設備の補助役である。したがって、寡黙、機械や寒暖の激しい工場内部に負けない忍耐強さ、危険にあわないように俊敏な動きと意識などが求められる。もっと誤解を恐れずに言えば、そこで人間は機械の一部である。ここでは、現在の学校で推し進められている教育目標である個性や創造性などは利用しない。それは、上の正社員がやることで、末端の作業員にかんしては、勤勉に持ち場の作業を全うすることだけが求められる。

 自分の経験とも照らし合わせても、今の教育界の流れは、教師はエンターテイナーでなければならない、授業はバラエティお番組のように楽しくしなければならない、だ。そうしなければ、肝心の生徒が授業についてこない。教員が学校の授業で楽しいをしてもらおうといくら努力をしても、引きこもったり、不登校になってしまう子供たちがいる。そうした子供を、やっとの思いで社会復帰させたとしても、その子供たちが経験したエンターテイメント性に溢れた「授業」と現実の作業現場には差がありすぎるのではないか。そう感じたのだ。

 こうした乖離を解消するためには、教職員をもっと製造現場に受け入れるという策をとらなければならない。進路に最も影響を与えるのは教師。その教師が製造業の実態をわからなければ生徒の進路は浮かばれない。教職員の研修先として工場利用奨励し、自分の生徒が工場に就職したけれども、すぐやめてしまう、という悲惨な状況を作るのではなく、教師が生徒の個性と資質をとらまえたうえでの進路指導ができるようにする。

 自分の教員時代を振り返り、深く反省もした。今の教育の求める社会人像は、「IT企業」向きに偏向していないか、と。そうでなくてもホワイトカラー向きの人材ばかりを念頭に育成していたとしきりに反省した。私の教えていた教科が英語と言うのもあるが、それにしても、あくまでもサービス業を重視した教育に重点が置かれていると理解できた。現在の若者論を述べるとき、仕事に就いたはいいが、身につかない、すぐ辞めてしまう、と言ったものや、今の子供たちが飽きっぽいとか、苦労を知らない、という風に思いがちであるが、果たしてそうだろうか。もしかしたら単純に現行の教育思潮が、第二次産業の労働形態にそぐわないだけではないだろうか。

 自分の思い込みや机上の空論だけでは物事の本質を見失ってしまう。現地現場主義の大切さを再確認するとともにモノづくり大国日本の見過ごされがちな一面、教育と製造現場の重要な関係を垣間見た気がした。

2007年9月 執筆
  1. HOME >
  2. 卒塾生一覧 >
  3. 熊谷大 >
  4. 製造実習レポート
ページの先頭へ