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地方自治
2006年7月

塾生レポート

「松戸スタイル」の推進 ~2006年松戸市長選挙・公開討論会を通じて~
山中啓之/卒塾生

昨今では政治不信が国政に限らず、地方にも確実に広がっている。その影響は選挙の投票率という数値で顕著に表れる。本稿は、私を0歳から育ててくれた松戸市という地方自治体を例に、私が「松戸スタイル」松戸市長選挙・公開討論会での経験を通じ、政治と市民をより密接に繋げ、地域から政治不信脱却を試みた体験を纏めたものである。

 

1.はじめに

35.7%―――これは今から4年前の、平成14年松戸市長選挙における投票率である。

 私の住む松戸市には、今年の前後約1年間にかけて合計4つの選挙がある。平成18年4月の衆議院補欠選挙(千葉7区)に始まり、同年6月に松戸市長選挙、続く11月に松戸市議会議員選挙、そして来春の統一地方選挙(千葉県議会議員選挙)である。更にもう少し幅を広げて見ると、1年数ヶ月前には、千葉県議会議員選挙の補欠選挙もあった。今年はいわゆる‘選挙の年’と言える。

 しかし、上記の選挙のうちの2つの補欠選挙が行われた理由は、いずれも当選者の公職選挙法違反(連座制等)による失職が原因であった。47万人以上を擁す大人口の都市である自治体・松戸市。その松戸市でこの約1年間で不名誉な事件が複数発生し、それを全国に知らしめてしまったという事実に対し、私は一市民として非常に残念であり、情けないと思う。この数年のうちに同一選挙区から、国会議員、県議会議員、市議会議員がたて続けに汚職によって退職した自治体は、松戸市くらいのものだろう。勿論、政治家の汚職が政治不信を招くということは説明の必要もない。それが、近年叫ばれている‘有権者の政治離れ’を助長していることも間違いない。そしてその政治離れの結果が、松戸市に限らず、選挙における「投票率」に顕著に表れることにも先に述べた通りである。

 「金権千葉」などと揶揄される千葉県の政治だが、なぜこんなに我が松戸市において不祥事が後を絶たないのか。その原因の追究は本稿の中心にはしないが、この政治不信からくる政治離れ=低投票率をまずなんとか回復しなければならない。なぜならば、低投票率は我が国の誇る民主主義の存在自体を危うくするからである。民主主義の本質は、広く民から衆知を集めて、より良い社会をつくる活動の基盤である。冒頭に挙げたように、3人に1人程度しか投票に行かない投票率の中で、果たして本当に民主主義は実現されているのか。数多くの(過半数の)市民が住み良いと感じる社会の実現へ近づく事はできるのだろうか。答えは否である。故に私は、行動した。

国民の政治離れの原因

 公開討論会への参加を語る前に、そもそも国民の政治離れの原因は何かを考える必要がある。昨今の国民の政治離れの原因は、大きく分けて3つあると考えている。

1)歴史的な観点―政治家の問題

 戦後一貫して、政治に向けられた問題がある。それは、政治家のスキャンダルなどによる政治不信の大きな波である。ロッキード事件やリクルート事件など、度重なる政治家の金銭不祥事は今も後を絶たない。この恒常的な政治に絡んだ不透明な金銭問題が、国民の政治に対する信頼を失い、政治離れを引き起こした最大の原因であろう。

 また、「世襲」により、明らかに結果が見えている選挙も、政治に対する失望や、政治家は一部の人間にしか関係のない遠い存在という感覚を助長していることも事実であり、問題である。

 またそれらのことから同時に、「公約」というものに国民が重きを置かないようになってしまったのも事実である。政治家は公約を守らないのが当然、と国民が思っている節があるといったら言い過ぎであろうか。しかし事実として、過去の国政選挙の結果を見ても、選挙後にその政策が問われることは少なかった。本来なら一度決めた公約は遂行するのが政治家の義務であろう。しかし、政治家と政党のあり方に関しても、節操なく離合集散を繰り返している。これでは、いくら口で熱弁を振るったところで、選挙民には説明がつかないだろう。この点が、国民の政治離れを助長する一番の原因である。

2)法的な視点―公職選挙法

 次に、公職選挙法の問題がある。公職選挙法はいわゆる「べからず集」であり、候補者に色々と、~~してはならない、といった事を示している。以前は、公開討論会さえ自由に開く事ができなかった事実を考えると、政治は常に国民から遠いところに置かれていると言わざるを得ない。なぜなら、候補者の政策や人柄が、身近に伝わる機会が今よりも制限されてきたと言えるからである。

3)地域的な視点―松戸の場合

 松戸市のようにベッドタウンでは特に顕著だと思われるのが、この地域的な問題である。朝から東京をはじめとした各都市に働きに出かけ、夜遅くに帰ってくる生活を送る社会人が多い地域では、昼間や平日は極めてその街に触れる機会が少ない。よって、その地域に愛着や問題意識が沸きにくいという事実がある。これはある種防ぎようのない現象であるが、この点も、国民の政治離れを加速させている一つの要因である。

2.「公開討論会を開く会」への参加経緯

 平成12年、「松戸で公開討論会を開く市民の会」(現在は改称し、「公開討論会を開く会」となっている)が発足した。この会では松戸市に関係のある国政選挙・地方選挙においてボランティアが集まって公開討論会を開き、『政策と人柄で候補者を比較検討する』(公開討論会を開く会「沿革」より引用)ことによって、地域の『政治的・社会的課題への関心を高めると共に、投票率の向上へ寄与すること』・『より解り易い政治と選挙の実現』(同引用)を目的としている。

 私がこの会に参加したのは、平成18年4月の衆議院補欠選挙(千葉7区)の公開討論会が行われる少し前である。地元の媒体誌で会員募集を知り、その趣旨に大いに共感したため、会員として会の運営に参加したのが参加の経緯である。特定の政党・団体等に偏らず、公平中立を遵守して公開討論会を開くというスタイルは、松戸市の様々な社会的問題を客観的且つ多面的に捉えたい一市民としての私にとって、また、日々新たな発見と発展を目指すべく研修を積む松下政経塾の塾生という立場の私にとって、松戸市の課題について考えることのできる絶好の機会であった。

3.『松戸スタイル』とは

 ここ数年、公開討論会は各地で行われるようになってきた。その活動は、構想日本、リンカーン・フォーラムをはじめ推進団体の努力の賜物であり、全国ですでに1,000例を超え、今後有権者にますます浸透してゆくものと思われる。

 松戸市において、この「公開討論会を開く会」では、この討論会をより地域に定着させるため、全国に先駆けて積極的に先進的な取り組みをしている。それを本「開く会」では松戸独自のスタイル―『松戸スタイル』-と呼んでいる。その特色は、以下に挙げられる。

~『松戸スタイル』の中身~

1)青年会議所(JC)との協働―――本会は市民と青年会議所メンバーによる4年以上の協同で運営している。これによって、従来より広く一般の市民からも意見を取り入れ、様々な立場(主婦・学生・自営業・サラリーマン、他)や年齢・性別に関係なく、互いの立場を尊重しつつ、常に活発な議論を交わす事に成功している。
市民からなる「開く会」が‘主催’となり、青年会議所が‘共催'と表記されているのも、関心のあるボランティア市民が主体となっていることの1つの表れである。

2)「公開討論会を開く会」への名称変更―――更に、今後もできるだけ多くの市民を取り入れようとする姿勢をより明確にするため、「松戸で公開討論会を開く市民の会」という名称から一変し、昨年より「公開討論会を開く会」とシンプルに変更した。これは、松戸市民に限定せず関心のある人なら誰でも参加できるようにとの想いをこめて、「松戸」という地域の名称である単語をあえて入れないようにしたのである。つまり、より広義で発展的な活動にしたいと考えているのである。

3)地元出身コーディネーターの輩出―――今まで松戸市における首長選挙の公開討論会では、会の進行を司るコーディネーターという役を、主に外部から招聘してきた。前回の千葉県知事選挙では北川正恭早大教授をお呼びし、前回の松戸市長選挙では福岡政行白鴎大学教授に担って頂いた。しかし、前回の衆議院補欠選挙(千葉7区)の公開討論会からは、いわゆる今までの‘著名人’ではなく、選挙区地域を知悉する地元出身者のコーディネーターへの起用を企画、そして実現している。先の衆院補選では「公開討論会を開く会」会員の山田達郎氏が、そして今回の松戸市長選挙では私(山中啓之・同会員)がそれぞれコーディネーターを務めた。これは、会の存在目的である地域への関心の定着や、地元で末永く持続的な活動をする組織の在り方として、進化していると言える。勿論、金銭的な面でも運営を助けていることも、事実である。「より良い討論会を」という奇麗事だけでは運営はできない。有名人コーディネーターの招聘には、何かとお金がかかるのだ。

4)ローカル・マニフェストの無料配布―――今回の市長選挙では特に新しい取り組みが行われた。それがこの、ローカル・マニフェストの配布という積極的な試みである。自治体の首長選挙ということで、立候補予定者としてはやはりどのような政治を行うのかを示すマニフェストの提示は欠かせない。これは全国的な傾向でもあり、今後もより推進されてゆくだろう。しかし『松戸スタイル』の公開討論会ではこの各立候補予定者から事前に回答してもらったマニフェストを、当日参加していただいた方々全員に配るという、極めて全国でも稀な方法を実行した。マニフェストを配る目的は当然、各立候補予定者の政策の明示や相違の明確化によって、投票の判断材料に充ててもらうためである。一見簡単そうだが、マニフェストの当日配布を実現するために、事前のテーマ設定から各立候補予定者への依頼、原稿準備の人手や費用面の問題、公職選挙法に抵触しないように無料化に配慮するなど、様々な苦労と試行錯誤を経て実現に至った。特にこの画期的な出来事の実現は、元JC理事の佐藤博之氏の尽力による所が大きい。

5)自治体(松戸市)基礎データの提示―――今回の市長選公開討論会では、公開討論会の開催に先立ち、基礎自治体としての松戸市の現状―人口や出生率、犯罪認知件数、商工業の売上げ、市の担税力や決算額といった自治体の基礎的なデータ―を、市のHPなどから得た公式情報を元に、青年会議所がパワーポイント10枚程度にして纏め、会の開会直後にスクリーンに表示してコーディネーターが参加者全員に説明した。この目的は、より松戸市を統計的に認識して、問題点や課題点をみつける際の参考になればとの思いからであった。無論、全ての内容をカバーできるわけではないが、討論会に初めての参加者にとっては、自分の住む市の客観的理解に役に立つと考えている。例えば、市民といえども意外に、自分の住む自治体の決算額を知っている人はそれ程多くないのではなかろうか。私も今回の資料で、より市に対する理解を深めたのも事実である。ここでも会の趣旨に則り、主観的で偏った問題提起等は一切せず、公平中立な立場を保ちつつ、行政資料(市や県のHP等)を基に資料を作り、人口等の客観的なデータの紹介に留めた。

4.内側(運営側)から見た「2006年松戸市長選挙・公開討論会」

 さて、本稿で私が一番言いたいことが本章である。

 衆院補選に引き続き、今回の市長選の公開討論会を開催するにあたり、私は運営側として携わった。公開討論会は、時間にすればたかだか2時間のイベントである。しかし、その2時間を実現させるまでの舞台裏の苦労を今回知ったことが、私の一番の収穫であった。具体的な運営概要は、数ヶ月前から最低週に1回は集まり、当日の内容について話し合う。勿論、話し合いに使う会議室の費用もボランティア達がみずから自腹で負担する。話し合いは、主婦や勤め人、自営業、学生、無職の人間まで様々な立場の人間が参加し、それぞれの考えを率直にぶつけ合うという、毎回、楽しみながらも非常に活気溢れる議論のうちに行われた。その中でも、運営過程で至難を極めたのが当日の内容の決定である。ここではこの内側(運営側)から見た‘公開討論会のできるまで’を踏まえつつ、公開討論会の意義を論じたい。

 公開討論会と聞くと、その名が徐々に世間に浸透してきたように思われる方も多いことだろうが、実際の運営はボランティアによる市民の有志とJCのメンバー等が中心となって、何もない状態から一つ一つ内容を模索し、議論し、最終的に当日の人員配置などの運営面まで含めて全般的に決定し、作り上げてゆくのが現状である。口で言うのは容易だが、職業を持つボランティアが仕事の合間等をぬって集合し、限られた時間(と財力)の中で作り上げてゆくことは、現実的に非常に難しい。そして、それこそがこの活動の醍醐味でもあると気付いたのは、討論会が終わって1ヶ月以上経ち、ようやく落ち着いて過去の資料を整理することができるようになった、つい最近の事である。

 会の活動内容は実に多岐に亘っている。まず何よりも先に、そのつどの選挙に対して‘公開討論会を開くかどうか’という根本の1点について、メンバー一人一人から意見を問うところから始まる。そして開催が決まると、日時や会場決めなどの時間的に余裕のない物理的な開催条件を確保することにとりかかり、平行して討論会の内容面について議論していく。その一つ一つを全て列挙するのは文面の都合上割愛するが、公開討論会を開く上で、討論会の成否を決定する要と私が信じている以下の3点に絞って記したい。

1)当日の討論会のプログラム内容・時間配分の決定-特に、「相互討論」の内容・時間配分の決定
2)「ローカル・マニフェスト」の設問の決定
3)コーディネーターとしての役割

1)当日の討論会のプログラム内容・時間配分の決定

 まず、当日の討論会の形式(プログラムの流れ)の決定についてである。内容によっては、公開討論会とは名ばかりで、合同個人演説会の枠を出ない公開討論会‘モドキ’もまだ全国には存在する。公開討論会と銘打つ以上は、やはり各立候補予定者が政策・意見の相違を互いに討論しあうべきである。なぜならそれが、公開討論会が公開討論会である必要条件だからである。折角一堂に集まった立候補予定者達が、一人一人の所信表明をするだけで終わってしまっては、実質的に‘討論会’とは言えないのだ。だから、立候補予定者同士の相互討論の時間は確実に確保する必要がある(内容は3)にて後述する)。その他にも「所信表明」、「ローカル・マニフェストに対する質問」、「会場質問」、「まとめ」などを含め、間延びせず、しかも中身の濃い公開討論会にするために、設定時間内に行わなければならない内容は実に多い。

 話し合いの結果、今までの公開討論会の前例を参考にしつつ、以下のように決定した。

<2006年松戸市長選挙・公開討論会概要>
開催日:2006年6月4日18:00会場、18:30開会。
於:松戸市民会館ホール。参加パネリスト(立候補予定者)4名。
主催:公開討論会を開く会。
共催:社団法人青年会議所。
後援:社団法人日本青年会議所関東地区千葉ブロック協議会。参加者、約800名。

  1. 会場・受付開始
  2. 開会―主催者挨拶、コーディネーター入場・討論テーマの説明、パネリスト(立候補予定者)入場
     ※ここから、討論会が開始する。
  3. 所信表明(各3分/人)
  4. ローカル・マニフェストに対する質問(各2分/人×4問)
     ※4の終了直後に会場質問用紙を回収。
  5. 相互討論(各8分/人)
  6. 会場質問(各30秒/人×5問)
  7. まとめ(各2分/人)
  8. 閉会

 ここで私が考えるのは、「公開討論会」と一口に言っても、コンテンツ次第では非常にその内容に差が出るということである。それも一概に「良い」とか「悪い」とかではなく、それぞれの討論会で何に焦点を当てているかに、会の明確な相違が出るのである。言い換えれば、民主主義の推進といった大上段に掲げる目的から、投票率の向上、有権者の政治的・社会的関心の高揚、住民の政治参加、公平・平等性の確保、更には討論会の面白さなどといった個人の主観のよるものまで、様々な面で「公開討論会を開く会」の力量が問われることになるのである。加えて、地域性も充分に加味し、結果的に参加者(聴衆)・立候補予定者・運営者の全員が最大限満足することのできる討論会が、その地域にとって有意義な討論会ということになる。

 プログラム中でも特に決定に時間がかかったのが「相互討論」の内容と時間配分である。「相互討論」とは、各立候補予定者が他の立候補予定者に、互いの政策をぶつけ合い、市政に対する姿勢を有権者に比較してもらう場である。政治家の資質として欠くことのできない、政策。いわばこの「相互討論」で、政治家(この時点ではまだ立候補予定者)の中身がわかるのである。従って、この「相互討論」の内容と時間配分をどのくらいとるか、という点は重要なのである。限られた時間とはいえ、さすがに1~2分という時間では殆ど政策を比較できないまま終わってしまう。しかし、この部分だけに10分以上を充てたりすると他の内容が薄くなる。討論が活発にならなかった場合も懸念される。結局議論の末、前回の衆院選の公開討論会も参考にしつつ、最終的に各人8分という時間に決定した。

 この時、‘どのように相互に討論してもらうか’という、相互討論の「形式」についても平行して議論していた。当然、本来は順番などを決めず、自由に各立候補予定者に挙手してもらい、活発な議論が行われる事が望ましかった。しかし、会として公平性を担保するためには、特定の人にだけ発言が偏るのを防ぐ必要があった。そうすれば他の陣営から苦情が来たりすることは明らかである。それでは会の存続自体すら危うくしかねない。では、一つの話題に関して順番に全員が発言すればどうか。こうすれば、公平性は確保される、という意見が出た。しかし、それでは実際は「相互」討論とは言えず、あまりにも形式にこだわりすぎた、無味乾燥の‘議論モドキ’になってしまう可能性が高い、参加者(有権者)もそれを望んではいないのではないか、という意見が出た。

 そこで、4人の立候補予定者に持ち時間を与え、8分という時間内ならば自由なテーマで、自由な対象者(他の立予定候補者)を選んで議論を投げかけてよいという方法をとることにした。これで私には一見、「相互討論」はうまくいくかに思えた。

 ところが、である。ここからが長い議論の始まりだった。8分の持ち時間全部を各立候補予定者の裁量に委ねてしまうのは問題がある、という意見が出たのだ。先にも述べたように、公開討論会を開く会では、常に特定の候補者に偏ることなく、あくまで意見・政策を明確にすべく、公平中立の立場を厳守して進行にあたらねばならない。今回は特に、首長(松戸市長)選挙であるため、1人の現職市長に対して、他の新人候補たちは議論という‘武器’によって自分の政策の優位性等を示そうとする。そのため、現職に対して、一斉に集中的な討論が挑まれることが考えられた。そうすると、どうしても開く会としては「全員の意見を公平に聞く」といっても、実質上、圧倒的に現職市長とその他の対立という構図が出来上がってしまう。それを許容するような討論形式では良くないのではないか、という意見が開く会メンバーの中から少なからず出た。

 一方で、それはそれで一つの自然な状況であるから構わない、という意見も出た。つまり、討論上の発言の機会は平等に与えて、発言の内容は各立候補予定者に委ねるのだから問題ないという考え方である。その結果がどうであれ問題はないのではないか、そもそもそれを参加者であるお客さん(聴衆)も望んでいるのではないか、という考えである。私は個人的には、この後者の考え方に近かった。どうしても、ある意味で行政に直結している現職市長の政策と、他多数の新人候補者が言う政策との間には、市民の関心の大きさに違いがあると考える方が至極自然である。たとえ私が運営側に立たない一松戸市民として考えても、その点は変わらなかったからだ。また、現在続く松戸市政に対して、今の市政を担う現職市長に代わって自分が立候補を決めた以上、新人候補者として現職に勝る政策を考えて有権者に示すのは義務であると考えるからだ。同時に現職市長はそれら一つ一つに(たとえ2時間の間、質問が集中して体力的には疲労したとしても)明確に答える説明責任を持つ立場であると、私は考えている。

 以上のことから私は当初、公開討論会においては「相互討論」の時間配分を多く確保し、その質問内容・対象も完全に立候補予定者に委ねるという考えを主張していた。しかし、会員の中で意見は分かれた。各候補者に完全に討論の内容・対象を委ねると、現職市長に対する同じような質問や批判が集中してしまい、かえってお客さんの関心の有無とは関係なく議論が展開されることも考えられる。つまり、‘面白くない’討論会になるかもしれない。そうなると市民の政治に対する関心は薄れてしまい、結果的に民主主義の推進や投票率の向上を目指した本会の目的と、実際の討論会の効果が乖離してしまうおそれがある。そうなっては元も子もない。この点も考慮せねばならない。

 実際、このバランスは非常に難しい。数ヶ月の議論を経て、決定したのが以下のルールである。

『各立候補予定者は、8分の持ち時間の中で、自由なテーマ(政策)について、他の対象者を自由に選んで質問してよい。但し、最低1回は全員(他の3人の立候補予定者)に質問しなければならない。その際、全員に対して同じ質問でなくても構わない』

 メンバー全員で考えた挙句、最低限の公平性を上記のように「最低1回の全員への質問」と決め、それ以外はある程度自由な裁量を確保するようにしたのである。

2)「ローカル・マニフェスト」の設問の決定

 先に『松戸スタイル』の項でも挙げたように、松戸市の地域の特色性を出すために、「ローカル・マニフェスト」と称して、各立候補予定者に同じ設問を10個ほど用意し、事前に回答を得た。そしてそれを当日の参加者全員に配布した。

 定数‘1’しかない自治体の首長―松戸市長―という立場。無論、その政治的権限は市議会議員よりも極めて大きい。そのため、選挙では数ある市の問題に対して何を特に論点にするか、今の市政をどうしたいのかが、より明確に問われる必要がある。そこで我々開く会が用いたのが「マニフェスト」という手段であった。公開討論会では当然、各立候補予定者が自分の重点的政策を中心に披露すると思われたが、各人バラバラでは意味が薄い。全立候補予定者が一堂に集まる機会はおそらくこの1度しかないであろうから、バラバラに政策を言うよりも、同じ政策に関しては徹底的に他の立候補予定者と比べて、その論を検証する必要がある。有権者に比較してもらい、よりよい方を判断してもらい、投票の際の一助にしてもらうことが本質である。故に、ある程度は全市民が重要と感じている市の問題や課題を選んで、同じ土俵に立って論議してもらう事が必要になってくる。この「全市民が重要と感じている」という判断は非常に難しい。実際に全市民から意見を聞くのは不可能である。開く会のメンバーは市政に対する意識は高いかもしれないが、47万を越す松戸市の人口に対して考えれば、極めて少数であることは否めない。下手に政策テーマを決めると、「一部の人間による偏ったテーマ選考だ!」・「特定の候補の得意なテーマに偏っている。不公平だ!」とも言われかねないため、この点に関しては、開く会は相当気を遣った。ここでも上記①の相互討論の時と同様、メンバー内の会議で長い議論が行われた。テーマ決定の際に参考にしたのはメンバー個々人の意見に加え、前回までの討論会の各資料や新聞等のメディアに加え、市や県のHPなど、地域の問題や時事問題も多く耳を傾けるようにした。色々とテーマは挙げられたが、市長選挙であるから、市に関連の深いものを中心にテーマ設定をした。例えば、外交問題や北朝鮮の拉致問題などはどちらかというと国政の扱う問題であるのに対し、松戸市内でここ数年特に駅前や住宅街で問題となっている‘犯罪(治安)’の問題や、高齢化率が全国平均よりも高い松戸市において昨今問題となっている‘高齢者の孤独死’の問題などに触れるようにした。

 長い議論の結果、10テーマに絞り、「ローカル・マニフェスト」として各立候補予定者に事前に依頼し、各テーマについて回答を得た。勿論マニフェストには欠かせない、具体的な目標(数値が可能なら数値も)・手段・財源・期限を明示してもらった。

 10テーマは以下の通りである。

1)財政について(安定した税収の確保をどうするか?等)
2)団塊世代の受け皿(2007年問題も踏まえつつ)
3)犯罪・治安対策 
4)地方分権の中での松戸市のあり方(合併、中核市、他)
5)パートナーシップ条例などの市民参画
6)コミュニティの再生
7)公的医療のあり方(松戸市立病院のあり方も含む
8)環境対策(ゴミ問題など)
9)子育て支援について
10)松戸市のPRについて

 もし「この10個のテーマでは自分の政策は充分に語れない」という立候補予定者が出るかもしれないため、この10テーマに加えて、さらに3つまでなら自由にテーマを設定して、他と同様に具体的な目標(数値が可能なら数値も)・手段・財源・期限を明示してもらった。これによって、各人の自由な政策を保障しようとするのが一つの意図だった。

 そして、自由テーマを含む以上の最大13のテーマについて各立候補予定者に、自分がその中でどのテーマを優先して考えているかを明確にするため、優先順位をつけてもらった。13のうち10はあくまで我々が選んだテーマなので、公平性の担保の意味もある。それを当日のマニフェスト中に一覧表にして示したのも新しい試みだった。

 ここまでテーマの内容決めは全て、『公平性・平等性の確保』という、一度気にすると動かしようのない命題の中で行われた。その中でいかにして、少しでも紋切り型でない、しかも参加者全員が満足する『松戸スタイル』の公開討論会の実現へ近づけるかというのがある意味で目標となった。今までにない新しい討論会という、未知の企画への創造に向けての、「開く会」メンバーによる、飽くなき知恵の出し合いだったと思っている。

3)コーディネーターとしての役割

 今回の討論会で、私は公開討論会の進行を務めるコーディネーターの役を拝命した。私がこのコーディネーター役を務めた討論会を体験して、学んだ事は非常に大きい。この貴重な経験を、後の活動に活かしたいと思っている。今までは「公開討論会を開く会」の一メンバーとして話してきたが、ここでは特に‘コーディネーター’の立場を経験した者として、考えた事・感じたことを記す。

 今回の討論会を終えて、一番強く考えさせられたのが、公開討論会におけるコーディネーターの役割である。コーディネーターは、討論会の円滑な進行役である。同時に、何度も言うが、全ての立候補予定者を平等に扱う必要がある。故に、進行上、特定の意見に対して同意しようが疑問を抱こうが、同じような反応を示さねばならない。特定の人の意見にだけよく頷いたり、「そうですね」などと言うことは当然許されない。拍手などは論外である。そのため、どうしてもある程度は機械的な進行になってしまう。例えば最初の1人が所信表明を終えると「はい、では次の人、お願いします。」の繰り返しで、進行役としては面白みを全く出せない。しかし、それがコーディネーターの役である。この点は前例である北川氏や福岡氏を見ても、非常に参考になった。いい意味で「黒子」に徹するのがよいコーディネーターであると、小田全宏氏はご自身の著書『立候補者をみきわめる公開討論会の開き方』の中で語っている。開く会としてもこの方針に沿って、コーディネーターは私見を挟まぬよう細心の注意を持ってあたるように注意した。

 また円滑な討論会の推進を阻む要因を抑止・制止するというのもコーディネーターの重要な役割である。かつての公開討論会では、特定候補の陣営が大勢で前のほうの席を占拠して、その候補には拍手喝采で迎え、他の対立候補には怒号まがいの野次を飛ばすといった事が稀にではあるがあったという。それを避けるため、今回、会場からの拍手・野次は、コーディネーターの案内がある場合以外は一切禁止するというルールを決め、討論会の開会直前には司会から改めて参加者に注意を促した。私は個人的には、適度な野次や拍手は討論会の盛り上がりにつながると考えていたので許可してよいとも考えていたのだが、会として決まった故にここは厳しくそのように踏まえようと心構えをして臨んだ。結果、当日の討論会では、特定候補への拍手や野次に対する注意をする必要に何度も迫られた。特に、最後の現職の「まとめ」の際の発言に対する野次が繰り返され、私も繰り返しマイクで会場に注意を促した。会場の参加者側からは見えなかったと思うが、トラメガを会場に持ち込んで、舞台の方へ向けてきた参加者(?)も居た。舞台上に居た立候補予定者とコーディネーターの側からはしっかりとその光景が見え、一瞬トラブルになるかとひやっとしたが、担当の警備の方―この警備も開く会の会員である―が制止して下さり、事なきを得た。

 また、私が考えさせられたもう1つの野次に関するちょっとした‘事件’を紹介する。

 会の終了後、私が会場内の通路の途中を歩いていると、客席から出てゆく大勢の人ごみの中で、色々な方に声をかけられた。「お疲れ様」が多かった。そんな中で1人、ある人に『もっと野次を徹底して注意しなきゃだめじゃないの!』とお叱りの言葉を頂いた。しかし、その方の言葉が終わるかどうかわからないうちに、それを遮るかのように、その方の2人ほど後ろの方が、私に強い口調でこう言われた。『野次や拍手ってのはね、自然に起こるんだからほっときゃいいんだよ!あんた(山中)が勝手に止める権利なんてないんだよ!』と。このお二人から受けた言葉には、非常に考えさせられた。前者の方の御意見は、私がコーディネーターとしての役割を徹底すべき所をしていなかったと判断されての発言である。私の会場の野次への注意の甘さを指摘されたという点は、心して受け止めたいと思う。しかし後者の方の御意見は、私がコーディネーターとしての役割を徹底しても注意されてしまうだろう。いや、私がコーディネーターとしての役割を徹底すればするほど、その方は『(拍手や野次を)止めるな』と言われるだろう。これには、私は異論を呈したい。私は、私個人の考えで野次や拍手を止めたのではない。公開討論会を開く会で議論を経た総意として、決められた方針に沿って運営したのである。私個人が決めたことではない。故に、「注意が足りない」とのお言葉は受け入れられるが、「注意するな」というのは、開く会の会員としては、受け入れられないのである。

 しかし運営上の背景を、通りすがりに注意されたその一瞬でそこまで伝えることは不可能である。この種の事態は、討論会が終わってしばらく続いた。それは、討論会の中では、立候補予定者の他は、殆ど私しか舞台に居ない。故に、聴衆は私をある意味で「開く会」の‘代表窓口’として捉えても、無理のない話である。『コーディネーターの個人的裁量で、会が進行されている(=平等でない)』と感じる方が中には1人2人いらっしゃっても仕方がない部分がある(10人も20人もいては困るが)。他の会の人はあまり表に出てくる機会がないからだ。討論会の参加者(聴衆)の感想は、激励も批判も含めて、私の所に向かってくる場合が非常に多い気がした。公平中立という点に関しては特にメンバーの間でも脇を締めて意識して取り組んだし、個人的にも「ここまで公平中立に配慮するとなると窮屈だな」と思う点がいくつかあった事も事実である。しかし、会の意義とその存続を考えると、やはり公平中立に徹して行うスタンスは間違っていなかったと確信している。

 後日、参加者の方々から何か意見があるたびに、私は冷静に「これは主に私の責任か、否か」を考えるように心がけ、反省すべき点に関しては反省した。勿論、責任の線引きが明確にできない事の方が多かったが、今後の運営を考えるにあたって、大変参考になったことは間違いない。参加された方々からの直接的・間接的に得た感想からも、収穫は大きかった。立場によって討論会を見る視点が違うという点や、また、以前は純粋に参加者(聴衆)として公開討論会に参加していた時と今回の運営側になった際の感覚の違いが明確になったことも、「公開討論会を開く会」に参加しなければ得る事のできないものであったと確信している。

5.今後の公開討論会の課題と展望
~進化する『松戸スタイル』のために~

 以上で、公開討論会の概要と松戸ならではの公開討論会の取り組み―『松戸スタイル』-については御理解頂けたと思う。運営上の苦労は私よりも他の開く会メンバーの方がずっとしている。その意味で、今回の公開討論会は結果として約800人の参加者に来ていただく事ができた。1,200人で満席の会場だった事を考えると、まずまずの成功裏に終わったと言えるだろう。

 一方で、今回の松戸市長選挙の投票率を見ると、前回を1ポイント以上下回る、34.4%という低投票率であった事は、公開討論会の会員としては見逃せない結果である。当日の天気等に多少影響された事などを差し引いても、今後の課題として残ったのは事実である。

 しかしながら、公開討論会は常にその前例を踏襲し、かつ凌駕すべく、毎回毎回進化している。これは参加いただいた方々からのアンケートにも如実に表れている。そして公開討論会は、今後もより内容の濃いものに、有権者と候補予定者、そして運営側にとっても満足度の高いものへと、進化し続けるだろう。そして、より成熟した民主主義の社会をつくる力強い原動力となるだろう。

 公開討論会に、決まった正解はないと思う。ただその時のベストを尽くす、それだけである。

 最後に、今回の公開討論会に足を運んで下さった皆様、立候補者の皆様、公開討論会を開く会の会員及び関係者の皆様に、心から御礼を申し上げたい。本当に、どうもありがとうございました。

 そしてよりよい松戸市のために、皆様と今後とも意見交換等をする事ができたら、この会の意義もより増してくると思います。

<主な参考文献>

●『立候補者をみきわめる公開討論会の開き方』小田全宏/毎日新聞社/2000
●『実践 ザ・ローカル・マニフェスト』松沢成文/東信堂/2005
●『よい政治家の見分け方』本間正人/ディスカヴァー・トゥエンティワン/1996
2006年7月 執筆
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