松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

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100km行軍
2005年10月

研修レポート

100km行軍!~この狂的イベントの楽しみ方~
山中啓之/卒塾生

 

 「どうやって歩こうかな」。
入塾以来、事あるごとに、そんな事を考えていた。それ程100km行軍に対する私の思い入れは、以前から強かった。

―時は約1年前、私がまだ入塾を志していた頃にまで遡る―
当時社会人だった私は、政経塾HPの中で100km行軍の様子が書いてあるのを見つけ「うわ、大変そうだなぁ。」と思った。HP中には更に、ある塾生が『ゴール後、他のグループの応援に自転車で出かけた。ゴール後こんなに元気な塾生を未だかつて知らない。』と紹介されていた。私は「この塾生、すごいな」と思うと同時に、松下政経塾生の底力を見たというか、この‘与えられたものをこなす(=ただ100km歩く)だけで満足せず、滾るパワーを出し惜しみせず限界まで発揮している’姿に何故だか無性に感動を覚えると同時に、「自分もやってみたい!」と鼓舞された。
―その気持ちを胸に入塾し、自ら100km行軍を迎えたことに対して、嬉しさと緊張感がこみ上げる。

 100km行軍は、塾の活動の中でも世間に良く知られている研修だと思う。だがそもそも、100km歩く事の意味は何だろうか。意味などないと言い切る者もいる。しかし、全てのものには元から意味があるのではなく、人間が意味を持たせるのだとするならば、私は自分にとって価値のある‘意味’を持たせようと思う。この研修の発案者である平野仁先生は、100km行軍の説明にあたって『辛い時に辛い顔をするのは誰でもできる。皆が辛い時にこそ、周りを明るくする位の‘笑顔’でいられる人間になれ。』と繰り返し強調されていた。なるほど、面白い。その通りだと思った。

 そこで私は、100km行軍では自分の持てる最大限の力を出す事を決意し、目標を立てた。目標はシンプルだ。『辛さを、楽しみに変えて歩く事』-もっと簡単に言えば、始終楽しんで100km歩くこと、である。

 そのために我がロ組では事前に数回ミーティングを行い、歩行計画を立て、当日は実際の歩行状況を勘案しながら、時間と体力の許す範囲で、歌を歌ったり記念写真を撮ったりしながら、明るく楽しむ事を忘れないコンセプトで歩いた。100kmもの長い道のり、暗い気持ちで歩いていたら、ただの辛い研修になってしまう。私は100kmの道すがら、普段お世話になった人達へ手紙を出しながら歩いた。道にポストはいくらでもある事を、下見の際に知ったからだ。これも、楽しく歩きたいと思ってやったことである。

 また、ただ100km歩くだけでは物足りないと感じた私は、足に1kgの重りをつけて歩いた。(どこからそんな根拠のない自信が沸いたのかはわからないが、)自分の限界に挑戦したかった。と言っても、私が決して特に体力自慢だからという訳ではない。別にガタイも大きくなく(むしろどちらかというと小柄な方だ、)過去に100km歩いた実績などもモチロンない。だが、ただ一つ私が他の人間にも絶対負けない―正確には、負けたくない―と思っているものがある。それは、気力である。精神力である。100km行軍は、肉体以上に精神力の勝負だと思っていた。‘できる’‘できない’の話ではない。なにがなんでも‘やる’という覚悟こそが重要なのだ。この想いは完歩した今も変わらない。

 一見狂的な発想に思われるかもしれないが、そもそも100km歩く事自体が狂的であるのだから、こちらも狂的に(?)徹して楽しもうと思った。聞くところによると、かつては100km行軍前日に足の皮が全部剥けてしまったにもかかわらず、当日は激痛をものともせず参加し、完歩したという強者の先輩もいるらしいから、それに比べれば私の試みなど、まだまだヒヨッコの部類である。『楽しんで歩く』ために加えて、重さを1kgにしたのは訳がある。万一、重りのために足を痛めて私が一人でもリタイアすると、チーム全員が連帯責任で失格となってしまうためである。私が買いに行った店には1kg・2kg・3kgの重りがあったが、一番軽い(とは言え歩行中はすごく重く感じる)1kgにしたのはそのリスクを最小減に抑えつつも最大限自分を鍛えたかったためで、いわば苦渋の選択であった。だが、たとえ1kgでも重りを付けた時点で「足が痛くなったからリタイア」などという言い訳はもう許されなくなった。できもしないならば初めから重りなどつけるな、という事になるからである。私は自ら退路を立つことで、士気を最大限にまで鼓舞した。更に、同じ組の人たちに無用な心配をかけぬため、当初は重りを付けている事も内緒にして歩いていた。(が、20km付近の休憩地点で靴を脱いだ時にばれてしまい、結果として組員にいらぬ心配をかけたことは今回の反省材料である。)

 こんな確信犯的な私であるが、来年以降はもっと我々の度肝を抜いてくれるような事を涼しい顔でひょこっとやってのけてくれる塾生が現れてくる事を、私は心のどこかでひそかに期待していたりもする。100km行軍は発想次第でまだまだ‘楽しめる’と思っているので、実に奥が深い。

 また、『楽しむ』ための第二段企画として、我々ロ組自身が最後の最後まで笑顔で楽しむため、そして今までサポートしてくれた周囲の方々をも楽しませるために、ゴールテープを切る直前にパフォーマンスでダンスをしようと企画した(当然、事前予告は無し)。ロ組隊長の兼頭さんがその才を活かして独創的な振付けを考え、坂野さんと共に前々から練習を重ねた。当日もゴール(政経塾)数100m手前にある駐車場で振付けの確認をするため、最後の‘セッション’をした(笑いたい人は笑って下さい。本望です。)。そして、ゴール直前、塾のアーチ門の前でゲリラライブを敢行した。まさか100km歩いて疲れて帰ってきた人間が小刻みなステップのダンスを踊るとは誰も思わなかっただろうから、ちょっとしたサプライズを楽しんで頂けたと思う。そして何より、ロ組の我々が100km歩いてきたにもかかわらず、あの時だけは足の疲れも忘れて心底楽しんで踊ったのも事実である。一瞬でも周囲に「笑顔」が届いた事は、本当に嬉しかった。

 以上のように、「楽しんだ」事は事実である。目的は達成した。だが一方で、-今まで意図的に本文中には書かなかったが-この100kmの道のりが辛いものであった事は間違いない。40kmを越えてからは足の重りが急にズッシリと重く感じ、一歩ごとの疲労感は並大抵のものではなくなった。更に50kmを越えると足の接地面には一歩ごとに痛みが走り、夜通し歩き続けるため強烈な眠気にも襲われたし、そこに加えて蓄積された疲れや、深夜になり気温低下による体温の急な変化等々…様々な障壁があったのも事実である。少しでも気が緩んだら大変危険な状態になっていた事は歩いていて肌で感じたし、ゴールまで油断を許さない100kmだった事は間違いない。人間は、窮地に立ってこそ真価が問われる。その意味で、全力で‘辛い’100kmを、チームで声を掛け合って励まし合い、‘楽しむ’ことが出来たのは、何物にも代えがたい貴重な経験となった。サポートして下さった方々から受けたご恩を、私は来年、後輩へときちんと返せるだろうか…はたまた、この狂的行事の魅力にとり憑かれてしまって、来年もまたサポート隊のお世話になるのだろうか。

 今年の100km行軍は無事終わったが、私の人生の行軍は、まだ中間地点にすら来ていない。一休みしたら、また歩き出したいと思う。まだまだ先にあるものを見つめながら。

 歩むたび 身をば気付き(=傷付き)を覚えつつ 我が思ひなほ 前ぞ向きけむ

特記: あれはスタートしてから40kmを越えた辺りだったであろうか。空もすっかり闇に包まれた頃、最初に我々が疲れを感じて、栄養補給にバナナを買おうと思った時の事である。コースに面した青果店でバナナを買おうと立ち寄った際、「今、100km歩いているんです」と言った私に、閉店間際で忙しいにもかかわらず、ご主人は「がんばれよ」と温かい言葉をかけて下さった。更に、「これも持ってけ」と、大量のバナナとみかんを頂いた。歩きながらほおばったみかんの果汁は、身体中に染み渡った。うまく言葉では言い表せないが、涙が出るほどやたらうまかった。この時の感覚を、私は一生忘れない。末筆で恐縮ながら、深く感謝を示したい。

-久里浜の青果店「有賀」様、大変お世話になりました。どうもありがとうございました。歩くのに疲れた際には、是非また立ち寄らせてください。   山中 啓之



「50km休憩地点。本当の戦いはここから。」
2005年10月 執筆
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