松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

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関西研修
2005年6月

研修レポート

松下幸之助生誕の地に立って
山中啓之/卒塾生

 

 「松下政経塾で学ぶチャンスを下さり、どうもありがとうございました。」
政経塾の理念を知り、塾生としての使命を認識する事を目的として行われる、毎年恒例の関西研修。そこで一番最初に訪れた和歌山市にある松下幸之助の墓前で、私は手を合わせた。学生の頃より地方自治に関心を抱き、自分の住む松戸市の事ばかり考えていた私が、政治について本気でもっと幅広く深い知識や考察力を得るために学ぼうと門を叩いた松下政経塾。そこに縁あって入塾し、日々の生活を送れている事をまず感謝した。

 松下幸之助の人物像については、本やビデオ等を通してある程度理解しているつもりだった。しかし、この研修を通じて自分の無知と理解不足な点が多々露呈し、そのギャップを埋める作業により、結果的に一層理解が深まった事が収穫であった。

 私がこの研修から学んだものは2つある。1つ目は松下幸之助の様々な『産物』であり、2つ目は自分の使命の重さ、である。前者の具体的な『産物』には、いわゆる松下電気の製品の数々がある。創作品のアタチンから歴史を経て現在の最先端の科学技術を結集したモノまで、本社に併設されている技術館にて丁寧に案内をして頂いた。モノづくりの軌跡を辿りながら、更に私は歴史館でそれらを松下幸之助の人生と照らし合わせつつ拝見した。彼の作り出したモノにまつわるいわゆる‘偉業’は多くの書物に残されているので、その繰り返しをするのも甚だ意味が薄いと思い、私はたとえ稚拙でも、自分が感じた事を率直に記したいと思う。松下幸之助の考えとは、それ自体は至って普通である。―ideas for life―この言葉に集約されているように、消費者の役に立つようにと、人々の生活が豊かになるモノをたくさん作り出した。この点は至って'普通’である。私がここで彼に感銘を受けたのはその点ではなく、この一見‘普通’である事を、徹底して実践した事である。それも並の人間では到底できない次元である点に、私は感銘を受けた。彼はその‘普通’の事を、‘普通’でない位に実践した人なのである。その一つに、過去に前例の無い‘新しいこと’への挑戦がある。当時、企業秘密であった練り物の製法を新米にも教えて作らせたり、モノがなかなか売れない時に無理に売らず、逆に『お金はいいので使ってみて下さい』とタダで配ったり、不況時にも社員を解雇せずに通常の給料を出して、社員の士気と結束、ひいては会社の評判を高めたり・・・。「できない」理由を考えず、なんとかして「できる」方法を追い求め、生み出してゆく。その徹底振りには、学ぶところが大きい。これは経営以外の仕事でも、勉強、人間関係、趣味など、人生の様々な場で困難に出遭った時の対処法としても通じるからだ。発想が前向きなのは当然であるとして、それに対して悉く明確な結果(成果)を出す。その点、凄いと言わざるをえない。

 彼の残した『産物』は製品だけではなく、もう一つある。それは、‘人’だ。彼は、日本と世界の人々の繁栄と幸福を真に願っていた。そして、本当の豊かさとは何かを考えていた。そしてそこには必ず、‘人間’を大切にする気持ち―簡単に言えば、人を思いやる気持ち―があった。感謝と協力、そして和を重んじた彼の思いは、私が訪れた松下電器本社や関連施設、PHP研究所などをはじめ、全ての場所でそこにおられる‘人々’に「歓待」という形をもって強く浸透していると感じた。一連の研修で出会った方々は皆どなたもこちらが恐縮してしまうくらいに様々な点で配慮して下さった。上手く言葉では言えないが、その様子はかえってこちらが自分の人間としてまだまだである事を悟ってしまうくらいのものであった。ここにも「お客様第一主義」を貫いた松下幸之助の真剣に人間を思う心-言わば‘松下精神’とでも言うもの-が、そこで働く‘人々’の中に脈々と受け継がれているのを感じた次第である。 松下幸之助の残した『産物』は、このようなハード(モノ)とソフト(人の心)の両方の形で、今も確実に存在していると感じた。

 松下幸之助が人類の繁栄や幸福を願うという考えに至る過程について、私は致命的に誤解していた点がある。それは私が、「彼は松下電器の社長になり、相当稼いで、幸福になったに違いない。そして金銭的には余裕ができたから(金儲け以外にも)他の人々の幸福を事を考える余裕ができたのだろう」と考えていた点である。言葉を変えれば、衣食足りてたまたま礼節を知るようになったのだという認識であった。勿論、それでも充分社会にとっては有益だし、他の人がやらない事をやろうとする点では偉人だと思っていた。しかし、この研修で各種の施設見学や彼に纏わる人々のお話を聞くうちに、私の考えは違う事に気がついた。歴史館の資料からも彼の人間性が伺えるが、彼は決してそのような軽い、そして上からものを見たような考え方はしていなかった。父親が米相場で失敗し、齢わずか9歳で小学校を中退して丁稚奉公に行くところから、彼の‘経営’人生は始まる。そしてアタチンからナショナルランプ等、様々な試行錯誤と汗の結晶でできた製品の販売を経て、松下グループの会長まで登りつめる。言わば彼は一生の中で、貧乏のどん底から納税額日本一の経営者まで経験したのである。この辛さに耐えた少年時代があるからこそ、将来自分が人を使う際にも使われる側の身になって考えられたわけで、それを経営者の頂点になっても彼はずっと忘れなかった。そんな彼が真に「社会を、人々を、豊かにしたい」と発した時、それは思いつきや立場を利用した偽善ではなく、彼の深い人生経験からくる、実感のこもった心の声だと私は考える。すなわち彼の「楽土の建設」の考えと、幼少期から青年期に味わった貧乏時代や辛い体験は切っても切れない関係であり、彼の心は全てその人生中において肌で感じた実体験として、着実に育まれてきたのだと私は確信する。 人は自分のためではなく、他の人々のためにと思った時にこそ、強い力をもって、たとえどんなに苦しくとも辛くとも耐え抜き、自分の信じる道を貫いて、事を成し遂げる事ができるのだと思う。青臭い理想論だとあなたは思うだろうか。もしもそう割り切ったのならそれまでである。ただ、そこから逃げる事をせずに真正面から向き合ったのが、松下幸之助という人物である。それがこの研修で一貫して強く感じたことであり、同時に、自分にとっての『使命』でもあると思った。

 「今後、社会のために全身全霊をかけて精進してゆきます。」
この言葉を最後に私は墓前を後にした。この約束は、たとえゆっくりでも、一生かけて、確実に果たしたいと思う。青臭い理想論を、青臭い理想論で終わらせないために。

2005年6月 執筆
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