松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

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2004年3月

塾生レポート

自分らしく生きられる社会を目指して
白岩正三/卒塾生

 
 去る3月13日松下政経塾を卒塾した。お世話になった方々、多くの友人に祝福されながらの門出となった。この三年間実に多くの出会いと学びに恵まれた。おかげで多くの想い出とともに卒塾の日を迎えることができた。これまでご支援、ご指導をいただいたすべての方々に心より感謝をしたい。

 同期の結束も強く、彼らからも多くを学ばせてもらった。「闘う改革者」として頑張ろう、「伝説の22期」づくりをしようと切磋琢磨しながら研修活動を続けてきた。同期7名で執筆してきたメールマガジン「MAGAZINE TAO」でその一端をお伝えできたことは大きな喜びである。

 卒塾に際し、これまでの活動の振り返りと今後の決意を綴った卒塾論集を執筆した。その卒塾論集の紹介をもって、塾生最後の報告書としたい。

はじめに

「政治を正さなければ日本はよくならない」。塾主松下幸之助の言葉が入塾から三年経った今、ずしりと心に響き渡る。これまで壁に突き当たるたびに、塾主の説く「本質を見極める」努力をしてきた。なぜ松下政経塾を志したのか、そもそもの問題意識は何なのか、何を成し遂げようとしているのか。ことあるごとに、入塾審査時の願書を読み返してきた。

 私が入塾後、研究・実践しようと考えたテーマは「市民、若者の国際協力に対する貢献とその体制作り」であった。「国際協力の第一歩は異文化理解及び国際交流と考えられる。政府が国民参加型国際協力の構想を掲げる中、実際に市民がいかに途上国と出会い、交流を深めていくことができるのか。また、若者達が教育やボランティア活動を通じていかに国際協力を推進していくことができるのかを検証したい。地域社会主体での国際協力には地方自治体や教育機関、企業の協力も不可欠である。したがって、それぞれの役割や今後の可能性についても研究したいと思っている。海外との比較はもちろん、自治体への提言等も自ら活動に参加しながら行っていきたい」。

 これが入塾時の私の問題意識であった。国際協力活動や研究を続け、アフリカ学の修士号を持つ私は、若者や国民がいかに国際問題に関心を持ち、主体的に活動に携わっていけるのか、またその環境を社会全体でどう整えることができるのかを模索しようと思い松下政経塾を志したのである。

新しい人間観の創造

 松下政経塾に入塾して以来、松下幸之助の考えや教えに触れ、「人間」とは何か、「幸せ」とは何か、「素直」とは何かを絶えず考え続けてきた。「新しい人間観の創造」というとてつもなく大きな課題を課せられた政経塾生として、多くの方々との出会いの中で、また様々な分野の現場を見聞きする中で物事の本質を探る努力をし、「人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献する」道筋を模索してきた。

 その中で私は、人間の幸福の最たる姿は「自分らしくあること」ではないかと考えるようになった。独自の視座や価値観をしっかりと保ちながら、理想とする個人の完成に向けて努力をしていく姿こそが自分らしい姿である。そのためには夢を目指すことのできる社会環境の整備が必要不可欠である。

 私は在塾中、国際レベルと国内レベルの二つの側面からこの問題へのアプローチを試みた。一つはグローバル化が進み、ますます世界の貧富の差が広がる中で、発展途上国の貧困層が将来に希望を持てるように日本に求められることは何かの追求であり。もう一つは日本国内において既存の価値観の変容が求められる中で、どのような教育改革が必要かという追求である。貧困が生活や将来に影を落とす発展途上国では今日の食べ物を確保するのが精一杯で、明日さえも夢見られない若者が多い。また日本においては「偏差値」や「肩書き」という一つの価値観を軸に人は将来を目指すべきだという圧力が存在しており、将来に夢を持てない若者が増えている。私はこれらの問題の打破や、夢ある社会の実現を目指して国際理解と教育、人材育成を中心に松下政経塾において研修活動を行ってきた。

国民参加型国際協力

 私は中学時代から漠然と国際社会に対する興味を持っていた。高校は新設されて間もない大阪府立高校の国際教養科に進学し、そこで英語や諸外国の文化に親しむ機会に恵まれた。イギリスへも留学し、旅行などで多くの国々を訪問する機会も得た。そのたびに世界の身近さを感じ、国際問題に対して非常に強い関心を持つようになった。イギリスからの帰国後、私は日本の国際交流と国際理解の推進を目的に、国際交流・国際協力支援団体CLUB GEORDIE(クラブ・ジョーディー)を設立した。また大学においては国際発展政策を専攻し、国連やNGOを中心とする国際協力体制について、また貧困撲滅のための教育支援を中心とする社会開発のあり方について学び始めた。単なる文化交流の枠を越え、国際社会のあり方やその国際社会の中での国家のあり方、個人のあり方に関心を見出し、特に教育面でいかに先進国が途上国支援を進められるのかを継続して研究したいと考えるようになったのである。

 平和学の権威であるヨハン・ガルトゥング氏は平和には二つの定義があるとしている。一つは消極的平和で「戦争や紛争のない社会」のことだと説明する。もう一つは積極的平和で「構造的暴力のない社会」、つまり、人間の潜在能力が如何なく発揮できる社会であると定義している。私はこの積極的平和は機会の平等を意味すると考える。つまり人間が平和、幸福になるためには「潜在能力が発揮できる環境」を平等に提供するべきなのである。

 しかしながら、どれだけの才能を持って生まれても、またどれだけの努力をしても報われない人は多い。資本主義社会においては、経済的格差が原因となり、機会の平等が担保されていないからである。貧困によって教育の機会が得られないため、必要な学歴や知識、技術が修得できない。そのために職に就けず、生活や医療、教育のための収入を確保できないなどという、いわゆる「貧困の輪」が存在している。幸せな生活をするどころか、人間としての最低限の権利に対する機会の平等さえも保証されていないのが現状なのだ。

 私はその解決の糸口を教育環境の整備に見出すため、大学卒業後、再びイギリスに渡り大学院でアフリカ研究を進めた。日本とは地理的にも文化的にも非常に希薄な関係であるアフリカに目を向け、先進国の途上国への教育支援のあり方を模索する。アフリカの現状を見聞きする中で、先進国の協力の重要性を改めて認識した私は、いかにして先進国の国民に世界や途上国の現状に目を向けてもらえるかについて、国際理解や開発教育などの視点から研究を始める。

 結論から言えば先進国国民の理解がなければ途上国への援助は強化されない。ではその関心喚起のためにはどのような手法が必要となるのか。その最善の策は途上国の抱える問題を「身近に感じてもらう」ことである。世界と自分たちはつながっているということ、自らが関心を持ち行動を起こすことで多くの人々を救えるということ、真の世界平和のためには先進国の国民としての責務が存在するということを知ってもらわなければならない。そのために日本においてどのような活動の展開が求められるのか、どのような情報提供が求められるのかが私の研究テーマであった。

 外務省でも長年「国民参加型」の国際協力を模索しているが、政府やNGOの取り組みだけではなかなか国際協力の裾野は広がらない。入塾後、私は国際協力の第三の波を起こすためのアクターとして、地方自治体の国際協力、企業の社会貢献、学生活動などの現状と課題を研究してきた。また学校教育での導入(開発教育・総合学習)や高等教育機関での人材育成についても学びを深めてきた。自身でもCLUB GEORDIEを通しての活動や、タイ国チェンライでのボランティア活動を通じて国際協力活動に微力ながら貢献してきた。

 CLUB GEORDIE設立当時、組織のモットーとして「The First Step to the World」を掲げた。世界の隅々にまで、夢のある、いきいきとした笑顔を広げるために、日本国民が世界への第一歩を踏み出すための環境をどう整えていくのか、今後も挑戦を続けていく決意である。

教育改革と人材育成

「子ども達の「生きる力」が失われてきている。多様な人間と交わりながら知識を高め、経験を深める姿勢、社会に関心を持ち共通の問題に目を向ける姿勢、将来に希望を持ち目標に向けて努力する姿勢が多くの子ども達から消えてしまった。コミュニケーション能力が極端に欠如し、社会の中で人間関係を構築できない子ども達が増えている。公の概念は失われ、「個人主義」や「自由」という言葉だけが一人歩きする。そして、夢のない中で、学び甲斐のない教育を経て、働き甲斐のない就職をし、生き甲斐を持たずに過ごす若者が増えてくる。国家として、人間として強く憂慮すべき事態である。」

 これは昨年開催した教育シンポジウムの開催趣意書の冒頭の部分である。さきに触れたように「偏差値」という一つの価値観で縛った教育が先行する中で、子ども達は社会と遮断された生活を余儀なくされている。子ども達は異年齢層と接し、社会と接することで自然と多くのことを学ぶはずである。しかし現代社会はどうであろうか。子ども達は限られた範囲でのみ生活を営み、多様な価値観や職業との出会いが制限されている。

 私は初等教育での体験学習の推進と中等教育での専門教育の導入、加えてリカレント教育の充実が必要だと考えている。体験学習によって社会とつながっていく。そうすることで人生観や進路選択能力を身につけることができる。その中で世の中の様々な問題にも目を向けるようになるのではないかと期待している。それが将来の夢や目標設定に必ずつながるはずである。またその目標の実現のためには、早い段階から専門的な学習ができ、また柔軟な進路選択が可能となるように専門教育とリカレント教育の機会を拡大しなければならない。そうすることで、学び甲斐を持って学びを深め、誰しもが、いつでも目標に向けてチャレンジできる環境を整備することができる。

 学歴社会の価値観に縛られ、偏差値の高い学校、大きな会社を目指し続ける日本からは自殺や不登校問題は無くならない。関心分野の勉強をしている時、好きなことをしている時、人はいきいきと輝いている。それは自分の心に素直な時であるからではなかろうか。今後も継続して理想の教育のための政策実現の道を模索していくつもりである。

政治を正すために

 外交にしても教育にしても帰する所は政治である。私たちの生活や将来は政治によって左右されているのである。だからこそ政治を正さなければならない。そして政治を正すためには国民の政治への関心を喚起しなければならないのだ。

 選挙での低投票率が続いている。権利を行使することなく、社会への不満だけをぶつける人は後を絶たない。政治家は自分のことしか考えていない。誰に投票しても世の中変わらない。そもそも政治に興味がない。確かに政治腐敗のニュースは多い。メディアの悪影響も受けて無条件の政治不信が日本中に蔓延している。

 経済的に豊かになった日本では、政治や社会に無関心でいても、思考停止状態であろうとも今は生きていける。しかし、無関心でいるうちに確実に危険性や不利益は生じている。そして現状は維持できたとしても、将来へのツケは日増しに増えているのである。政治家も国民も要は問題を先送りにしているに過ぎない。その危険性や不利益が表面に出てから政治を糾弾しても、そうなってから政策を非難しても時すでに遅しなのだということに我々は早く気づかなければならない。今の日本の債務問題や年金問題などはまさにその顕著な例である。

 政治家に既得権益があるように国民一人一人にも既得権益がある。痛みを回避し、今までの既得権益を守ろうとすれば、そのツケは次代を担う若者達へとさらに重くのしかかる。右肩上がりの日本経済を支え、経済大国日本を造りあげたのも我々国民なら、こんな借金大国を生み出したのもまた私たち国民である。政治のせいだ、不況のせいだと言うけれど、こんな世の中にした政治を結果的に「よし」としてきた私たち国民のツケが、じわりじわりと自らの首を絞めている。今の社会に責任ある者が不利益を負担することで将来の子ども達が救われるならば、そして日本が発展するならば、多少の痛みを覚悟してでも、今こそ改革を進めなければならない。私はそれが政治の責任であり、それが国造りだと考えている。今後もその重要性を多くの人々に語りかけていきたい。

結びと決意

 松下政経塾では「現地現場主義」を徹底している。現場を訪問したり、現場の声に耳を傾けたりすることが重要だと考えるからであり、物事の本質は現場にこそあると考えるからである。

「百聞は一見に如かず」という。文献や机上の空論だけではわからないことが多い。しかし、自らの目と耳で見聞きし、体験をしても、すべてを理解することは不可能である。自らがその立場におかれなければ感じることのできない「感覚」があるからだ。私たちは経験をもとに「想像」によってその「感覚」を理解しようとする。しかし我々が想像できる範囲は我々の体験から生まれるものであり、殺される恐怖とて、食べるものに困る貧困とて、実際の「感覚」は我々の想像する「感覚」とはほど遠いものなのかもしれない。また、一人の限られた時間では体験できる現場の範囲も限られてくる。

 肝心なことは、様々な現場を知る人々とのネットワークを構築し、耳を傾け、本当の「感覚」を疑似体験することによって、私たちの「想像」の幅を広げることである。そうすることで自らが理解できる許容範囲を膨らませていくことができる。しかし「現場」だけにとらわれてはいけない。ある場所での常識が他の場所では非常識であるかもしれないからだ。現場をしっかりと見つめつつも大きな視野に立ち、物事の本質を見極める必要があるだろう。

 現場からの学びをしっかりと整理した上で、自らの考えを社会に発信していかなければ社会を変える力は生まれて来ない。文字通り一人でも多くの賛同を得なければならないのだ。「一人でも多くの理解を」、「一人でも多くの参加を」、「一人でも多くの幸せを」、政治家や活動家、研究者を問わず改革を目指す者なら誰しもがよく使う言葉である。しかし、「一人でも多く」と訴えながら、大きな枠組みの話しかできない者、隣人に訴えることを忘れている者が多い。また「一人でも多く」と説きながら、その同じ口で他人を否定する者も多い。もちろん改革のための枠組みや政策を考えることは重要であり、多くの人々に働きかけることも大切である。しかし理想を語りすぎて現実を見失うようでは改革者としては未熟である。また、いかにゴールを目指すかのみを語り、スタートの一歩目を踏み出すことを忘れるようでは改革者には成り得ない。

 もっとも肝心なことは、今置かれたそれぞれの立場で何ができるかを考え、そして行動を起こすことである。私自身も引き続き自分のできることは何か、自分にしかできないことは何か、そして自分のすべきことは何かを考え続け、信じた道に向かって一歩ずつ歩みたいと思っている。10の挑戦の中で、1つでも活きてくればそれでいいではないか。行動してこそ開かれる道があり、失敗してこそ学ぶ現実がそこにある。そう思って今後もただただ前進あるのみである。「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」のだから。

2004年3月 執筆
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