松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

日本語英語


塾生レポート 一覧へ戻る
2003年11月

塾生レポート

生きる力を養う教育を目指して ~地域の教育力を考える~
白岩正三/卒塾生

 

はじめに

 去る12月7日、ホテルグランヴィア大阪鳳凰の間で松下政経塾大阪フォーラム「生きる力を養う教育を目指して~地域の教育力を考える~」を開催した。主催者として企画準備にあたる過程で、また当日のシンポジウムを進める中で得た学びや気付きを振り返りまとめてみることとする。

 松下政経塾では本年度から「最終学年である三年生は各自のテーマに沿ったシンポジウムを開催すること」という決まりを導入した。そこで教育をテーマに研修を進めていた吉田健一塾生と私との共同企画で教育シンポジウムを開催することに決めた。教育といっても多様な分野がある。吉田塾生は道徳教育や不登校問題、フリースクールやコミュニティースクールなどの第三の教育について研修を深めていた。一方で私は社会体験学習、国際理解教育、専門学科教育や青少年活動支援などについて学びを深めていた。したがって、最初の共同作業は現在の教育問題を整理し、政経塾として何を発信するべきかというテーマ設定の作業であった。様々な議論を経て我々が注目したのが「生きる力」の低下である。「生きる力」を定義することは難しい。我々は現代社会を振りかえり、子ども達や若者にコミュニケーション能力が不足していること、選択や決定に対する自己責任が不足していること、加えて「公」の概念が著しく乏しいことを問題視し、それを「生きる力の低下」だと考えた。

 では「生きる力」を養うためには何が必要なのだろうか。私は今までのCLUB GEORDIEの活動の経験から、また政経塾を通しての研修活動から子ども達や若者と社会との「接点」を増やすことが最も有効だと考えた。社会の中で様々な体験をすることで、様々なことに関心を持ちはしないだろうか、社会の中で一人では生きてはいけないということに気付きはしないだろうか。また多くの人々と接することで世の中の喜びや苦しみを感じ、多様な価値観を学ぶのではないだろうか。そして接点を増やすためには地域コミュニティの連携、ひいては地域の教育力を高めることが重要であると考えた。そのような問題意識と期待を込めて、我々は開催理由と目的を以下の開催趣意書にまとめた。

開催趣意書

 子ども達の「生きる力」が失われてきている。多様な人間と交わりながら知識を高め、経験を深める姿勢、社会に関心を持ち共通の問題に目を向ける姿勢、将来に希望を持ち目標に向けて努力する姿勢が多くの子ども達から消えてしまった。

 コミュニケーション能力が極端に欠如し、社会の中で人間関係を構築できない子ども達が増えている。公の概念は失われ、「個人主義」や「自由」という言葉だけが一人歩きする。そして、夢のない中で、学び甲斐のない教育を経て、働き甲斐のない就職をし、生き甲斐を持たずに過ごす若者が増えてくる。国家として、人間として強く憂慮すべき事態である。

 原因として考えられるのが、教育の現場と社会との接点の希薄さである。社会から学ぼうとする教育環境や、社会で育てるというコミュニティ環境の双方が整備されていないのである。戦後の発展の中で、我が国の従来の地域社会は崩壊し、子どもを地域社会が一体となって育てるという風土が都市部を中心に失われてきた。その結果、近年のさらなる少子化、核家族化、都市化による子ども達と社会や異年齢層との接点の希薄さも受けて、改めて地域社会が一体となって子ども達を育てることの大切さが認識され始めている。

 では、このような現況を改善して行くためには何が必要なのであろうか。我々は現在、断絶されているかに見える「社会」と「子ども」を直接結び、社会全体が次世代を育てるという視点が世の中に広くもたらされ、具体的な取り組みがなされる事が重要だと考える。「教育」の主体は「学校」だけに留まるものではない。本来は「地域」という輪の中に「学校」と「家庭」という両者が存在すべきであり、学校が地域社会と接点をもちながら、家庭とともに地域の中で子どもたちを育むことが重要なのではないだろうか。

 そうすることで子ども達は社会の中に何かしらの関心を発見するとともに、「公」の概念を培うことができる。社会の仕組みがどうなっているのか、地域ではどのような問題が存在し、どのような取り組みがなされているのか、また世の中にはどのような職業があり、どのような苦楽が存在しているのか。その中で成人して生きていくためには何が必要なのか。世代を超え、分野を超えて子ども達が積極的に社会に入っていくことによって、またそれを地域社会が支援することによって、子ども達は知識見識を深め、ひいては「生きる力」を備えることができるはずである。

 本シンポジウムでは、以上の問題意識を踏まえ、地域の中で学校や家庭、地域の団体・個人がどのような協働のもとに子ども達を育てていくべきなのかを議論する。兵庫県のトライやるウィークの例に見るように、体験学習、奉仕活動は全国的な広がりを見せている。すでにその様な教育を実践している例を参考にしながらの議論を踏まえ、今後のあるべき姿を問うていくものである。
 趣意書を書き上げた後、シンポジウムの内容を基調講演、塾生発表、パネルディスカッションの三本立てとすることを決め、講演者とパネリストの人選を進めた。講演者は地域と学校、家庭の連携・協働を進める大切さを説いていた文化部文化部長の寺脇研氏に依頼することに決め、パネリストは行政と地域の立場からの代表として現場での教鞭経験も豊富な大阪府教育委員会主事の松宮新吾先生、次世代教育委員会委員長を務める社団法人大阪青年会議所理事の上村征司氏にそれぞれ依頼をし、快諾をいただくことができた。

基調講演

 当日は多くの方にご来場いただき、教育に対する社会の関心の強さを改めて認識した。基調講演での寺脇氏の講演内容のポイントは大きく二つあった。

  一つ目は教育改革をどう進めるかの大前提として日本社会がどうあるべきかという議論が必要だという指摘である。単に昔はこの様にしていたからうまくいった、だから昔に戻そうだとか、あの国ではこの様な取り組みをしているから、日本も挑戦してみようという考えは完全に思考停止状態である。教育が何を目指すのか、子ども達をどう育成するのかは、将来に向けて日本がどのような針路を取るかによって変わってくる。教育は単なる手段であって目指すべきものは社会の発展である。まずあるべき社会論を議論し、そのためにどのような改革がなされるべきなのかを考えて行く必要があるという。

 二つ目は教育改革が進んでいる現在、現場での改革が進んでいないのは「できない」からではなく「やっていない」からだという指摘である。改革によって以前はできなかったことができるようになった、実際に改革を進めている学校も少しずつ増えてきている。現在改革が進んでいないとすればそれは学校側に大きな責任があるとする指摘である。それはしかし直接的には校長や教師の責任ではあるが、要求しない保護者や地域の住民にも責任の一端はあるとする考え方である。

 寺脇氏は「子どもは着実に次代に適用しようと変わり始めている、結局は大人が将来に対して責任をもって変わっていかなければならない」と指摘した上で、日本は近い将来に対してあらゆる選択が迫られるようになる、だからこそ「考える力」が今求められていて、だからこそ「考えるゆとり」が求められている。それがゆとり教育の真意である」と締めくくった。

塾生発表

 第二部は第三部のパネルディスカッションへとつながるように塾生が基調発表を行った。私の発表の趣旨は以下の通りである。

 夢に向かって頑張っている人達に対してよく放たれる「好きなことをやっていて良いな」という言葉に隠された心理的背景を分析すると(1)自分も夢を持っていて追求したいが、その環境(経済的、時間的余裕や家族の後押し)が整っていない、(2)自分にはまだ夢さえも見つかっていない、(3)好きなことなんて実現できるわけがない、自分だって追求したいけど、こんなに苦労している、などの理由から悔しさ、憤り、うらやましさなどがあるのではないか。だからこそ教育改革によって、義務教育で関心分野の発見や挑戦ができるように様々な体験ができる環境を整えてあげること、またその夢への挑戦に対して家庭、学校、社会それぞれが挑戦することの喜びを伝えるとともに、そのチャレンジを応援していける社会を築かなければならないと感じている。

 また自身のCLUB GEORDIE設立時の体験を振り返り、当時は友人にさえも「そんなことできないよ」と笑われ、支援を求めた行政や企業、組織には「そんなお遊びにはつき合っていられない」と一蹴された。こうした経験から志ある若者のこうした夢や挑戦に理解を示し、サポートまではできなくても応援する社会が必要ではないかと考えている。また活動を通じて子ども達が小さなきっかけで物事に関心を持つこと、それを家庭や学校がサポートしてあげれば子ども達はアクションを起こす可能性が大きいことを学んだ。

 今は学校も地域も「お金がない、時間がない、情報がない」と言うけれど、実は各地に財産はたくさん眠っている。それが自然環境であったり、歴史文化であったり、人材であったりする。こうした「財」を活用することによって地域の教育力は強化されるのではないかと締めくくった。

 吉田塾生はなぜ教育に関心があるのか、教育の何が問題なのか、どのようにしてそれらの問題を解決できるのかの三点にしぼり報告を行った。

 まずは自身の受けた教育を振り返り、「あらかじめ用意されたものを刷り込まれているだけで、それに対してどう考えるのかということまで教えてくれる先生がおらず不満だった」と言う。そして同じ様な境遇の子ども達を一人でも救済するために教師となり教育問題に取り組んできたと紹介した。

 続いて教育活動を通じて吉田氏が感じている現在の教育の問題を以下のように大きく三点述べた。一つには「豊かな社会」の達成後いかに生きていくべきなのかが分からなくなっていることだと言う。つまり何のための「学び」なのか、どの様な世の中にすべきなのかを議論することなく、すでに自明のごとくその「答え」が用意されているのだと語る。

 二つ目には現代社会が「子ども絶対主義」、子どもの自由を放任し過ぎている社会となってしまっている点だと言う。今までは地域が子ども達に道徳を伝授してきたが、最近はそれがなくなっているどころか学校で教えてもそれを試す場がないという。

 最後の問題点として持てる者が伸び、持たざる者がますます弱者となっていくという教育機会の階層化を挙げていた。

 これらの問題の解決のためには既存の単線型教育制度や早期振り分け型教育を見直し、柔軟性のある教育、いわば「一人で三種類くらいの人生を送るのが普通」という価値観を育ませる教育が重要だと言う。また教育に臨む者として「こうすれば楽に人の上に立てる」という考えを改め、「好きなことを追求することで自分が幸せになり、社会が発展する」という考え方をすることが重要だと述べている。いずれにしてもシステムを変えただけでは世の中は変わらない。人がどう変わるのか、その考え方や価値観を理解することなくして制度だけを変えても意味がないと締めくくった。

パネルディスカッション

 寺脇先生の講演を受けてのそれぞれのパネリストの感想を述べ合うことでパネルディスカッションの幕が開いた。上村氏は、大人が教育の当事者という自覚がないことは問題だと言う点に特に共感したと述べられ、松宮先生はどのような人間を創りあげていくのか、なぜこのような教育が行われているのかが集約されたような理念を打ち出すことが重要だという認識を示された。白岩は、改めて教育問題とは大人がどう変わっていくのかに収斂されることが多いと感じたと述べた。

<子どもの夢の実現に向けて>

 大人が変わるという点に言及して白岩は「子ども達は変わった」という世間の批判に対して、例えば最近の子どもは夢がないと言われるが、子ども達に夢がなくなったのではなく、子どもの夢を摘む大人達がいる。例えば子どもが努力しなくなったと言うが、子どもが努力しなくなったのではなく、勉強以外は努力だと認めなくなった大人社会が悪いのではないかと提起した。

 松宮先生はそれを受け、子どもの夢実現のためには今後の教育にはゴールイメージ型の教育が必要だと説明された(以下参照)。
ロードマップ型:カーナビゲーションシステムの様に、ゴールまでの道のりを提示する教育手法。渋滞になると回避の指示を出したり、高速道路を利用するならどのルートが安いかなどを指示したりするように、先生がすべての指令を与える教育手法。

ルートファインディング型:生徒が現在どこに居るかのみを示し、ゴールまでの道のりは生徒自身に探させる教育手法。

ゴールイメージ型:生徒が今どこに居るのかも含めて自分で考えさせる教育手法。生徒に与えられているもの(学校、授業、教師など)を明示した上で、自らが考えながらゴールを求める。これにより生徒に考えるゆとりを与え、また教師にそれぞれの生徒に対してどの様なケアができるかを考えるゆとりを与える。
 上村氏は公立の学校は地域がどのように育てたいのか、そのために何をすべきかを考える必要があるとした上で、特に夢の実現の仕方を社会の中で学ばせることが重要だと付け加えた。そしてそのためには行政よりもむしろ地域が主体となって進めるべきではないかと述べられた。

 寺脇先生は今の子どもはとにかくいろいろ考えている、ただ大人に言わないだけだと指摘された。「夢がないことを悪いと思っている子ども達がいるがそうではない。夢を持ちたいと思っていればいい。夢がなくてもいいと思うのは駄目だが、見つかっていないことは悪くはない」と加えて訴えておられた。

 また寺脇先生は教師や大人は夢を文学的に語らず、リアリズムで考えさせる必要があると指摘された。例えばサッカー好きの少年が中田英寿選手のようになりたいと語ったときに、可能性がゼロではないので「なれるわけがない」というのは嘘であるが、可能性が限りなく低いわけであるから「頑張ればなれる」と伝えることもまた嘘となるという。重要なことは夢の実現のために何が必要かを考えることであり、先ほど大人が夢をつぶしているという指摘があったが、夢を摘んでいるというよりはむしろ、子ども達に考えることを辞めさせているという方が現状に近いのではないだろうかと問題視する。

 松宮先生はだからこそ「ロードマップ」型ではなく生徒に考えるゆとりを与えることが大事だと指摘する。自分で考え、自分で判断することこそが夢の実現につながるという。

 白岩は学生が夢のプロセスを表面的にしか受け止めないことを問題視する。例えば国連職員になるためには、どのような学歴や現場経験が必要かということは学ぶのだが、その裏に隠された努力や葛藤までは計算に入れていない。ただ単に必要な条件を揃えただけでなれると考えるのは甘いと指摘する。

 寺脇先生も現実的にあることはしっかりと教えなければだめだと同調された。中田英寿にはなれなくはないけど、そのためには何が必要かを考えないとだめである。そうすると結局勉強しなければならないということが理解でき、学校の勉強というのは夢の実現のためにあるのだということが理解できるようになってくるはずであると述べられた。

<地域に開かれた学校とは>

 モデレーターの吉田氏の進行で、議論は「地域に開かれた学校」に移る。まずは松宮先生が大阪府の取り組みを紹介された。大阪府の中心的なプロジェクトは「学校支援人材バンク」の活用である。地域との連携は必要であり、それを進めて行くためには地域のどこに誰がいて、どのような能力を持っていて、どう活用するべきか、また学校側がどのような人材を求めているのかをしっかりと把握していくことが重要だという。地域の方々にしても教育に参加はしてはみたいが、学校が何を求めているのか分からないという現状もあるわけであるから、情報が双方向からリンクすることが大事だと述べられた。そのつなぎ役となる行政としては「情報を的確に伝えあう」ことが職務となるという。

 上村氏は大阪青年会議所が取り組まれている「根っこ学校」を紹介しながら、その過程で実施したアンケート結果(子を持つ親200名に実施)では家庭と地域の連携が必要と考えている親は大多数にのぼったが、その反面、双方連携がとれていないと回答した人は90%にものぼる。その問題を学校に素直にぶつければいいのだが、学校も地域も双方が構えてしまいうまくコミュニケーションが取れてないことがわかったという。青年会議所としては地域で何かしたいと思っている人たちの受け皿を作らなければと思っていると、今後の課題を説明された。

 白岩は地域に開かれた学校という言葉だけが一人歩きをしているが、施設開放やパソコン講習に留まっている学校が多いと指摘する。「学校は地域のものだ」という意識を住民がもつこと、またそのためにも常に地域住民が学校に集えるような環境作りを進めるべきであると言う。図書館の一般開放や祭りの共催などを進めるのも面白いのではないかと提案する。

 寺脇先生は最後に地域の人間が学校を批判するということは関心を持ってくれている証拠であるわけだから、どうすれば改善できるかという観点に立ち、何ができるかを議論していくべきだと述べられた。地域住民が子どもに関わるのは面倒くさいことだろうが、本当は楽しいということを知ってもらうことが必要で、大人が考え体験すればそれは伝わるだろうとまとめられた。

<質疑応答>

 後半は会場の参加者からの質問に回答する形式でパネルディスカッションが進められた。以下主要な質問とその回答の概要をまとめておく。
Q1
教育改革が進み現場の裁量が増えれば文科省のすべき仕事は少なくなってくるのではないか、また国家として教育により目指すべき人物像を声高に訴えるべきではないか。

A1
寺脇先生:もちろん文科省の職務は縮小するし、それが望ましい方向であると考えている。国家が理想の人物像を確立すべしとの意見に関しては、理想の社会を国が決めるというのはもう時代遅れであるので、今後は首長を中心に地域性と整合した政策を進めていくべきであると思う。

Q2
国民は、政治家は選べるが教員は選べないという問題がある。この点については改善できないか。

A2
寺脇先生:教師も選べないことはないが、手厚く守られすぎてきたのは事実であろう。例えば高知県では知事の方針により教師が飲酒運転したりセクハラをしたりすれば一発で免職できることになっている。各地域で様々な取り決めはできるのではないか。

Q3
白岩氏の言う「日本には好きなことを目指す文化がそもそもないのでは」という問題提起には共感する。共同体としての義務があることで、「私も我慢するのだから君も我慢しろよ」という社会文化があるためだと思うがどうか。

A3
白岩:「保証」と「自由」は足して100であると考えている。好きな道で生きようと思えば自由度は90あるが、将来や仕事への保証度は10でしかなくなるので、ある程度保証は諦めないといけないだろう。逆に安定した家庭生活を過ごそうと思い、安定度を90求めると、自由度は10しか残らないので好きなことを追求するという道をある程度我慢しなければならなくなる。個人の幸福感、人生観の問題なので、どちらが良いかという問題ではないが、日本では保証を求める人が多いことが起因しているのではないかと考えている。

Q4
特色ある学校や特色ある教育が注目されているが、現場体験もないのに体験学習を指導している教師が多い。もっと厳しく教員の取捨選択をするべきではないか。また中学校では「特色ある学校」をどう考えるべきか。

A4
松宮先生:校長の裁量でできることが増えており教員の自己実現のできる場を設けることもできるはず。

寺脇先生:高校と中学ではそもそも「特色ある学校」の意味が違う。特色ある中学とは 特色ある高校を選択する能力のある子どもを育てる学校であると考えている。

Q5
今の母親は子どもとのふれあいや子どもを育てる心のゆとりが少なくなってきている。親としての学ぶ力も必要となっており、そのために地域の教育力が必要なのだと考えているが、どうか。

A5
上村氏:昔に戻らなければいけないという短絡的な答えではないが、昔は家族では補えないものが地域で補うことができた。コミュニティ力の強いところは今でもお互いに子どもの面倒を見合っているし、ノウハウが世代を超えて語りつがれている。その継承が大事だと考える。

寺脇先生:突拍子のないことを聞いてくる子どもに対してどうやったら説得できるかなど、子どもと接してみると考えることが多くなるので楽しいのだということを学ぶ必要があり、それこそが「文化力」である。母親や地域の人が、自分が変わる意志をもつかどうかが大事で、その意志によって人生は楽しくなる。

Q6
考えることは大事であるが、考えるもとは批判力や批判的思考力であると思うがどう思うか。

A6
白岩:日本では肩書き社会や学歴社会が根強く蔓延っているし、メディアの影響も大きい。その社会文化の中でいわゆる権力や信頼のあるものに対しては洗脳されたがごとく絶対的な信頼を寄せてしまい疑うことがない思考停止状態になっているのは事実であろう。

松宮先生:日本人に論理的思考力や批判力がないことは確かであろう。子ども達はプレゼンテーション能力を身に付いてきているし、ディベートによる学習などで説得力も少しずつは増してきている。しかし正解のない問題はとけないという現状がある。ちょっとした教師の努力、教え方によって、思考力は身に付くのではないかと思う。

上村氏:企業においても指示待ち人間が増えてきていると言われている。批判力は確かに必要だが、その批判をどこに向けているのか、何が目的なのかがより大事だと思う。批判すべきものに対してどう進んでいくのか、実現までの持続力、忍耐力などがさきに考えるべきものではないだろうか。

寺脇先生:批判力よりも「どういう社会を提案したいのか」という議論が大事である。そこには論理的議論が必要であり、そのためには接する人間(大人、教師、行政)が論理的でなければならないと指摘する。
 パネリストの皆さんに最後に一言ずつメッセージを述べていただいた。

<白岩>

 変わるべきは大人であるということの再確認ができた。世の中の人は気づかないうちに何かしらの業界人(政治、教育、学生)になっておりその枠の中から抜け出すことは非常に難しいと感じている。その視点だけで物事を計ろうとすると本質を忘れてしまったり、多様性が失われてしまったりして子どもの価値観が理解できないようになるだろう。

 地域の国際協力を観てみて感じたことを紹介すると三島村の事例が参考になると思う(以下URL参照)。熱心にジャンベ(楽器)を練習する子どもをみて、大人もバンドをつくり練習を開始する。これこそが生涯学習であり、地域で子ども達を育てるということではないだろうか。その環境が整った背景には離島独特の教育に対する危機感、政策決定の柔軟性、地域コミュニティの結びつきという強みがある。これらが特に都市部で失われつつある今、その結びつきこそが地域の教育力向上に対して問われているのだと思う。

http://www.mskj.or.jp/getsurei/shiraiwa0204.html

<松宮先生>

 私は「It takes a whole community to educate our children」というステッカーを車に貼っていて常に地域の教育力については考えている。地域が学校の現状を知っているかというとよく分かっていない、学校も地域のことをよく分かっていない。やはりそれぞれの情報を正しく伝えていくことが今後求められているのであろう。学校が何をしているのか、何を求めているのか、地域は何がしたいのか、何ができるのか、これをしっかりと伝えあうこと、行政がそれを調整することが大事だと考える。そこから輪が広がっていくのではないだろうか。

 また地域住民が納税者意識を持つことが大事。納税者が満足しているかどうかの視点を教育従事者は忘れてはならないと思う。最後に「生きる力」の定義であるが、「我」をどう生きるか、と同時に「我々」をどう生きるか、どう生かしていくのかということも考えていく必要がある。その観点から地域の力を引き上げる、学校のもっているものを地域に還元することが大事。

<上村氏>

 地域の人間がまず当事者意識と自覚を持たなければならないと思う。未来の社会を創り出していくのが子ども達。その子どもの時間を地域の人が今借りていると思いながら教育を考えることが大事だろう。怖がらずに、面倒くさがらずに自らが関わっていって欲しい。子どもの元気な街は元気のある街にもなるので、子どもを元気にさせてあげるのも大人の力であると考えている。

<寺脇先生>

 考えること、そして考えることは楽しいということが分かれば社会は変わってくると思う。先生も考えると十分素敵な教育環境ができあがる。大人もそう。考えれば希望が生まれてくる。とにかくすべてのことについて考えたり、問題提起したりしていくことが大事です。

シンポジウムのまとめ

 学び甲斐ある教育、働きがいある就職、そしてひいては生き甲斐ある人生を送るためにはどのような教育を提供すればいいのか。その問題を解決するキーワードは「地域との協働」にあるのではないかと考え今回のシンポジウムを企画した。

 大家族やコミュニティの力があり、経済成長が続いている時代には、時代に流され、画一的な教育を施していればそれでよかった。しかし時代は変わり、日本経済の先行きも不安定になってきた今。時代に流されていた教育から時代を読む教育へ、画一的な教育から個性豊かな教育へとその環境を変化させなければ、子ども達の未来、日本の将来には不安が残る。

 そういった意味からも21世紀の教育のキーワードは寺脇先生のおっしゃるように「文化力」=考えることにあるのだろう。その考えるゆとりを子ども達に与えるのが「ゆとり教育」であり、大人に与えるのが「生涯学習」である。そして双方に与えるのが、体験学習であるとも考えられる。地域の教育力を高めるためには、子どもとともに大人が学びを深め、確固たるたる自分を持つことが前提となる。その上でうまく連携、協働が進めば地域の教育力は高まるであろう。

 多くのパネリストが指摘したように子ども達は昔と変わらずすくすくと育っているのかもしれない。大人こそが時代に乗り遅れ、大事なことを見失い、子ども達の価値観を理解できずに、彼らの夢を摘んでしまっているのかもしれない。時代の移り変わりとともに、子ども達に考えさせ、彼らに夢を持たせる機会が失われてきた。今一度人間とは何か、人の幸せとは何かを考え、未来の日本のために地域から教育を変えていく重要性に気づかなければならない。今回のシンポジウムがそのきっかけの一つとなれば主催者としてこれほど嬉しいことはない。

パネリストの顔ぶれ

  • 寺脇 研 (てらわき けん) 文化庁文化部長
    75年に文部科学省に入り、職業教育課長、広島県教育長、生涯学習政策担当審 議官などを経て02年8月から現職。総合学科高校の創設、業者テストや偏差値による進路指導の廃止、学校週五日制下における家庭や地域の教育力の向上などに関わる。現在は、文化による地域の活力の向上に取り組む。同省のスポークスマン役を担って教育改革について積極的に発言を続け、「ミスター文科省」とも呼ばれている。著書に『21世紀の学校はこうなる』(新潮社)など。

  • 上村 征司(うえむ らせいじ) 社団法人大阪青年会議所 理事
    98年に社団法人大阪青年会議所入所。幹事、副委員長などを経て 03年に理事並びに次世代教育推進委員会委員長に就任。夢と希望溢れる未来の大阪を目指し、次世代を担う子供たちが人間力を育むことのできる地域の教育力の向上に取り組む。(株)エスキース 代表取締役

  • 松宮 新吾(まつみや しんご) 大阪府教育委員会 指導主事
    80年に大阪府立長尾高校へ赴任。以後、府立交野高校、千里高校を経て、01年から現職。教育工学を専門とし、LLやCALLラボを活用したカリキュラム開発やマルチメディア教材の開発に携わる。現在は、スーパー・イングリッシュ・ランゲージハイスクールや学力向上フロンティアハイスクールを担当。

  • 白岩正三(しらいわしょうぞう) 財団法人松下政経塾22期生
    大阪府出身 英国エディンバラ大学大学院アフリカセンター卒業 アフリカ学修士 2001年財団法人松下政経塾入塾 主に国際理解、教育、青少年育成をテーマに研修を行う。
    国際交流・国際協力支援団体 CLUB GEORDIE 代表 http://geordie.fc2web.com/
    メールマガジン配信中 http://www.shiraiwa-net.com/

  • 吉田 健一(よしだ けんいち) 財団法人松下政経塾22期生
    京都市出身。大谷大学文学部・立命館大学大学院政策科学研究科博士前期課程修了。政策科学修士。京都市立中学校講師(社会科担当)を経て2001年財団法人松下政経塾に入塾。「教育問題」を研修テーマとし、全国の様々なタイプのフリースクールや自治体設置の不登校児童対策施設などで研修を行う。また、新しい道徳教育・古典教育の必要性を感じ、京都で先人の生き方や東洋の古典に学ぶ「志行塾」の立ち上げを計画中。
2003年11月 執筆
  1. HOME >
  2. 卒塾生一覧 >
  3. 白岩正三 >
  4. 生きる力を養う教育を目指して ~地域の教育力を考える~
ページの先頭へ