松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2002年10月

塾生レポート

世界平和への第一歩 ~5名の女子学生のゼロからの挑戦~ 後編
白岩正三/卒塾生

 
 一行は関西空港からワークショップの会場である関西学院千刈セミナーハウス(兵庫県三田市)を目指す。このセミナーハウスで1週間、寝食をともにしながら若者、女性の立場で世界平和について考えることとなる。参加者はスリランカ側がペラデニア大学(シンハラ人)4名、ジャフナ大学(タミール人)4名、イースタン大学(ムスリム教徒)2名の計10名。日本側がMMメンバー、顧問の田島幹雄氏にシニアアドバイザーの筆者の計7名に加え、日替わりでボランティア(通訳・議事録等)が参加した。入浴や食事などの生活関連の連絡を済ませ、この日は早々の解散となる。

 10月5日、ワークショップがいよいよ始まる。10月8日開催予定の公開ワークショップ(後述)までに実りある議論をし、三田合意を決議しなければならなかった。旅の疲れを癒したり、ゆっくりと日本文化に浸ったりする余裕もなく、セミナーハウスに缶詰状態となり、連日議論を交わすこととなる。以後、簡単にワークショップの流れを紹介しておく。

 初日(10月5日)は自己紹介やアイスブレークから始まり、ワークショップの目的の確認やそれぞれの将来の目標などを共有することに時間を割いた。スリランカの紛争問題に対しては、政治レベルではノルウェーの仲介のもと関係者間の対話が進んでいる。その中心人物であるノルウェーのスリランカ和平大使Erik Solheim氏は今回のMMプロジェクトに寄せたメッセージの中で「現在タイで進行中の和平交渉と平行して、いかに市民レベルでの信頼醸成構築が重要なのか」を謳っておられた。スリランカ問題は紛争かテロかという微妙な問題もあり、MMも政治レベルではなく、あくまでも一学生として「平和に対して今後どのように行動していくか」にのみ絞って議論することを決めていた。そのためにもMMのそのスタンスと平和の定義をまずは明確にする必要があったのだ。

 実際、平和を定義することは大変難しい。紛争のまっただ中に居るスリランカの学生と、平和ぼけといわれる国に生まれ育った日本の学生とでは自ずと平和への肌感覚や想いも違うであろう。狭義の平和にとらわれると、どうしても紛争に焦点が当てられ、過去に目を向けてしまう。広義の平和を考えることで、未来に目を向けて建設的な議論をしたいというのがMMの思いだった。

 紛争の現実を知った上で議論をしたいが、紛争問題に直接目を向けると混乱を招く。MMにとってもいかに議論を進めていくかは苦渋の選択となる。議論の結果、女性の平和構築における役割の重要性が指摘され、女性のエンパワメントが平和につながるのではと焦点を当てることとなった。特にスリランカ社会では男尊女卑の傾向が未だに根強い。女性が解放され、積極的に社会と関わることで、平和な社会を実現できるだろうという考えがMM内で共有されていたのである。したがって、初日は女性のエンパワメントに絞り、その現状と課題を議論した。

 初日の議論で出てきた論点を整理し、2日目(10月6日)の議論は(1)家庭内における女性の立場、(2)公共生活への等しい参加、(3)職場における女性の立場、(4)高等教育における機会の均等の4点の議題に絞ることとなった。議論を通して学ぶスリランカにおける女性の立場や、感じる学生の平和への切なる願いにMMメンバーは日本に居ながら平和を考えることの難しさや、男女差別が人権まで侵害していることの「現実」というものを目のあたりにする。日本とスリランカの温度差に加えて議論を複雑にしたのが、スリランカの学生間の生活環境の差であった。宗教的な理由で男系社会の顕著さが目立つムスリム、比較的保守的なタミール、西洋的なシンハラと、それぞれのグループでも社会の捉え方が異なっていたのである。

 議論を活性化させるために、前述の4つの議題に対してそれぞれ分科会を設け、MMを含めた各大学の学生達が均等に分かれるように2つのグループに分けて議論を進めた。午前中いっぱいに及ぶ分科会での議論を経て、午後からは各グループからの議論のサマリーを含めたプレゼンテーション、そして質疑応答、全体議論へと移った。議論は尽きず予定時間を大幅にオーバーする事となる。それだけに大きな進展もあった。議論を通して、三田合意の鍵となるべき点が浮かび上がってきたのである。スタッフ一同、限られた時間内で成果を出すことの難しさを痛感させられた一日となった。残り一日、まさに時間と疲労との闘いであった。夜のスタッフミーティングでは一日の議論を踏まえて、(1)家庭での教育、(2)学校での教育、(3)社会認識の向上、(4)経済的自立、(5)女性団体のネットワークに絞り翌日に議論を続けることを決定した。翌日の議論では一気に合意文書の決議まで進まなければならない。そのためのドラフト作成をスムーズに行えるように、スタッフミーティングではサンプルとして、(1)家庭での教育のドラフトを作成した。

 3日目(10月7日)は朝のセッションより前述(2)~(4)のグループにそれぞれ別れて議論を進めた。数時間のグループでの議論の後、それぞれのグループがドラフトを持ち寄った。フロアにあがってきた各グループのドラフトを全体で議論し、昼休みにスタッフで一本化し、午後のセッションで提示、全体討議で数点の修正を経て、三田合意が決議された。昨日に、ある程度の議論ができていたこと、各グループの意見が反映されていたことからこの日の議論はスムーズに進んだ。全会一致で三田合意を決議した時は参加者全員の顔が疲れ切った表情から一転、安堵の笑顔へと変わっていた。

 この3日間、私は議長として、ワークショップを取り仕切ってきた。一連の議論を見守る中で感じたことをここで挙げておきたい。

 繰り返しになるが、やはり生まれ育った生活文化の違いが非常に大きいと感じた。もちろん女性のあり方は日本でも大きな問題となっており、各地の自治体でも男女共同参画推進などに取り組んでいる。しかしながら、単に同等の社会的権利を求める日本とは異なり、女性のエンパワメントはスリランカの一部では生命の保証、政治への参加を求めることを意味する。同様に民族間での生活環境の差も大きかった。たとえば、一部では有効とされていた女性団体や学生団体のネットワークが一部では全く機能していないという事実もあった。また、教育の必要性にしても民族によって女性に積極的に教育機会を提供する者と比較的消極的な者とに別れていた。日本人学生も含めて、違った価値観、違った生活文化の中から一つの共通の価値観を求めることの難しさを感じた。

 もう一点はこれも繰り返しとなるが、紛争の「現実」であろう。スリランカの一部の学生と話をする中で「なぜ紛争解決を議論するのに女性問題だけしか語らないのか」という疑問が私に寄せられた。政治的問題には触れないとする今回のプロジェクトのスタンスは説明したが、やはり本当に紛争を解決するためには現実に目を向けて話し合うことが必要だと感じた。一方で私は紛争自体に目を向ける危険性も認識していた。実際にワークショップの議論の中で紛争に話が及んだときは険悪なムードとなったこともある。MMの中にもだからこそ敢えてその議論に踏み込むべきだとする考えを持っていた者もいる。一方で日々の生活の中で交流を深め、友情を育むことこそが重要だとする考えの者もいた。スリランカの学生の話では、民族間で紛争に関する話をする機会は自国に居ると皆無だそうだ。その点を考慮すると、今回こうして3つの異なるバックグラウンドの学生が集まり、紛争や平和に関して意見交換をしたこと自体に大きな意味があったのだ。地道ながら互いの交流を深めることが長期的には成果を生むのではないかとも考えられる。いずれにしても頭で考える平和には限界があり、紛争地域に生まれ育ってこそ感じる平和問題がそこにはあるのだということを感じさせられた。

 この時点でワークショップは無事に終了し、公開イベントを残すのみとなった。

 4日目(10月8日)は三田合意を携えて公開ワークショップの会場となる関西学院大学三田キャンパス(兵庫県三田市)に向かった。学生を始め支援者や一般の方々の参加もいただき、アットホームな雰囲気の中でワークショップが進められた。MMのこれまでの活動やワークショップの紹介の後、地元の多くのマスコミも注目する中、三田合意を紹介した。質疑応答などを受けたあとはスリランカを少しでも知ってもらうために交流会を開催した。参加者と楽しそうに語るスリランカ学生の顔から疲労の色が消えていたことに喜びを感じたのを覚えている。

 5日目(10月9日)は千刈の山と大学以外に日本を体験できなかった学生達に少しでも日本を知ってもらうために、デイトリップを催行した。大阪城を見学し、大阪城公園でボランティアによる、よさこい踊りを堪能する。またその後訪れた大阪国際平和センター(ピースおおさか)では紛争の展示を観て自国スリランカの生活と重ね合わせながら平和について考えたようだ。個人的には、ピースおおさかの訪問を通して生活と紛争が密着しているスリランカの学生がどのような反応を示すのかに関心を寄せていた。ライフル銃を片手に緊迫した表情を見せる兵士の写真を見て、「そうそう私たちの町もこんな感じ」という学生に改めて現実を見ながらも、一方で様々な戦争の展示を観て、「日本も戦争の廃墟からここまで復興できたんだから、私たちもがんばれば立派な国になるはずよ」という学生に励まされた。

 6日目(10月10日)は公開シンポジウムを開催した。もず氏の基調講演ではスリランカと日本の交流史の紹介とともに、スリランカの紛争の現状についてお話をいただいた。「あなた方は歴史を作った」とMMの今回のプロジェクトに対して手放しの賞賛を与えたことはMMメンバー始め、関わった多くのボランティア達に大きな勇気を与えたことだろう。基調講演の後、三田合意に至るまでの経緯をMMが紹介した。涙で声を詰まらせながら語る山名の姿に今までのMMの苦労がすべて現れていたように思う。その後、田島教授のコーディネートのもと各大学から一名ずつが登壇しパネルディスカッションを行った。最後のあいさつでは代表の宮垣は涙とともにこう締めくくった。「政治家でもない、経済学者でもない、ただの一人の女性、一人の人間の私たちにできることは、民族を超えて、国境を越えて、信頼醸成を作っていくこと、友情を築いていくことだと思います。学生がスリランカへ帰ってからも、この5日間で培った友情を続けていって欲しいと思います」 未来に向けての堅い決意と大きな期待とともにシンポジウムは幕を閉じた。シンポジウム後の交流会では両国のお茶やお菓子が並べられ、アットホームな歓談が行われた。

 翌10月11日、スリランカ学生一行は帰国の途につく。関西空港では涙の別れとなったが、1週間育んできた友情こそが平和への第一歩となるはずだとMMの誰もが確信していた。スリランカにおいてどのように三田合意が進められるのか、またMMとして三田合意の遵守のために今後どのような仕掛け作りができるのか。今回のプロジェクト自体はこれで無事に終結したが、課題は多く残されている。これらの課題への対応も含め、今回の貴重な体験を基にしてプロジェクトの運営マニュアルを作成することで日本の国際化に貢献することも今後のMMに寄せられた期待の一つである。

 さて、今回私は様々な理由からMMプロジェクトを支援したが、その中でも若者の人材育成や社会参加への私の強い関心が支援を決めた最大の理由となっている。当然のことではあるが、社会を変えるためには社会を変えるための活動をする参加者のパイを拡げなければならない。そのためには以下の2点を推進しなければならないと私は考えている。一つには、社会問題に目を向けさせるために社会との接点を持たせる教育を提供すること。もう一つには、関心を持った者が継続的な行動を起こせるように新規参入の障壁を減少させ、環境を整備することである。

 学校での勉強やメディアを通して我々は多くのことを学ぶ。しかしそれは情報の一方通行に過ぎず、「どこかよそのできごと」以上の何物でもない。それでは社会との接点を持たせるためにはどうすればいいのか。参加型学習や体験学習の機会を提供することがその答えの一つと成り得るであろう。情報収集や体験を通して、ある物事を自らの身近な問題だと捉えさせること、社会の諸問題に対して、自分ならどういう方策を取るか、自分にもできることは何かを考えさせることこそが社会との接点を持たせる一歩目となるだろう。知ること、学ぶことだけで終わるのではなく、何ができるかまで踏み込んだ議論を教育の場で行うことを提言したい。田島教授は世界平和や貧困の根絶などの大きな目標を掲げながらも、草の根レベルで実際に行動を起こすことの重要性を授業で説いている。それが今回のMMメンバーの自発的な研究の継続にもつながっているのだ。

 関心は芽生えたとしても、多くの者は「自分たちには何もできない」と感じてしまうのが現在の日本社会である。日本においては狭い視野での教育や社会のしがらみを前提とした教育がなされてしまっているのが現状である。社会の常識とされる範囲での進学や就職が激励され、何か好きなことをしよう、社会をよくしてやろうと若者が志したとしても、支援を与えるどころか、「世の中あまくないよ」、「普通の会社に就職しなさい」とその夢を壊す方向へと導かれることが多い。小さな頃から世界中のどこでも、どの分野でも将来仕事ができるという可能性を示し、自由な発想のできる子供を育てる教育、また「そんなこと難しいよ」と引き留める姿勢よりも、「頑張ればできるかもしれないよ」と応援する姿勢の教育が必要であると私は考える。宮垣はMMへの支援を求める活動の中で、幾度となく「夢物語」だと笑われたと話す。努力すれば目標は叶う、こんな小さな一歩でも世界は変えられると活動を続けてきたMMを信じてくれた支援者の方々が居たからこそ今回のプロジェクトが実現したのである。

 このように何か行動を起こそうとする若者を支援する環境も育まなければならない。日本の肩書き中心社会においてはカネ・ヒト・モノすべてが大きな組織に集中してしまう傾向がある。一つにはどうせ投資をするのであれば、潜在的可能性よりも今までの実績にかけたいという心理、もう一つには新興的な政治団体や宗教団体に対するアレルギーのせいでNGOやNPOに不信感を持つ国民性があり、なかなか新規参入者や団体に対する支援が得られないのが現状である。今回のMMプロジェクトでは学生であるということ、また大学自体が後援をしているということで信頼性はあった。さらに信頼を増すために外務省、文部科学省、国連広報センターの後援を得たことは支援者側を安心させるのに大きな材料ともなった。しかしながら、このような後援の冠がなくとも、人材育成の側面から若者を積極的に支援していく風土を育てて行く必要があるだろう。またそのためには、若者の側も支援を頂く対価として責任を持って継続的な活動を続けること、定期的に支援者とのコミュニケーションを図っていくことが必要不可欠である。

 スリランカ学生の一人が私にこう言った。「私が生きている間はスリランカに平和が訪れるなんて思わない。あなたはなんでそんなに楽天家、理想家でいられるの」 私はこう答えた。「信じること、願うことから始めなければ何も始まらない。どんなに大きなプロジェクトだって最初は小さな一歩から始まったはずだから」 その一歩目を踏み出す勇気を与える教育と、歩みを確実なものにするための支援こそが未来への投資となるのである。MMプロジェクトの最大の功績は、「たった5人の学生であっても、努力すれば世界平和に貢献することができる」ということを自らの行動をもって示したことであろう。参加学生や支援者の心の中にはMMのこの勇気ある挑戦がいつまでも深く刻まれ続けることだろう。

【参考文献】

Mother Moonホームページ
http://osaka.cool.ne.jp/mothermoon/index.html

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