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私の志は「100年後に国際社会で生き残れる主権国家日本」の実現である。しかし、我が国周辺には核兵器を含む大規模な軍事力を有する国や地域が複数存在し、インド太平洋地域の安全保障環境は極めて厳しいと言わざるを得ない。我が国のみで周辺地域の平和と安定を守ることが難しい以上、同盟国である米国はもとより、我が国の平和へのコミットメントに賛同する国を増やすことが重要である。防衛白書には「同盟国のみならず、一か国でも多くの国々と連携を強化することが極めて重要である」[i]との記述があり、これをインド太平洋地域のパートナー「同志国」として扱い、二国間及び多国間関係を深めていこうとする動きが活発だ。我が国はこうした同志国と、どのように信頼関係を構築すれば良いのか。私は今回、東南アジアで最大の人口規模を擁し、マラッカ海峡及びロンボク海峡などのシーレーン(海上交通路)の要衝を持つインドネシアに40日間[ii]滞在し、日尼両国の政府関係者、外交官、軍人・自衛官、シンクタンク研究員、ジャーナリスト、ビジネスマンといった幅広い関係者との対話を重ねた。その成果の一端を記したい。
まずインドネシアの外交方針を整理したい。彼らは1945年の建国以来、非同盟中立を堅持している。1955年には東西冷戦から距離を置く非同盟運動の相互連帯を謳った「アジア・アフリカ会議」、いわゆるバンドン会議を主導するなど、同国の歴史は非同盟中立と共にある。我が国が日米同盟を基軸とし、西側諸国の一員として国際社会と向き合っているのに対し、インドネシアは非同盟主義に基づき、自国の利益と立場を最大化する中立的な外交方針を採用しているのだ。インドネシアの掲げる「独立かつ能動的な外交方針[iii](Free and Active Policy)」は、冷戦期以来の非同盟中立の伝統を受け継ぎ、いまやグローバルサウスの国々の多くが同様の外交方針を持っている。そうした非同盟国家と「同志国」になるためには、何が必要なのか。彼らは米国、中国、ロシアといった軍事大国に偏重することを嫌う。だからこそ平和主義を掲げ、長年にわたるODA供与を行い、二国間関係を大切にしてきた日本が信頼され、パートナーとして選ばれる理由がある。
私はジャカルタに滞在する間、多くのインドネシア人と対話をする機会に恵まれた。その中で何度も彼らの口から発された言葉がある。それは「心と心」だ。遡ること1974年、田中角栄首相(当時)がジャカルタを訪問した際、日系企業の経済一辺倒とスハルト政権への反発から大規模な反日デモが発生し、迎賓館から空港へのヘリコプター移動を余儀なくされるというマラリ事件[iv]が発生。インドネシアを含む東南アジア諸国からの浅からぬ反日・嫌日感情に衝撃を受けた日本政府と日系企業は方針を転換し、諸外国の文化を積極的に学び、日本文化を紹介するという相互文化交流に力を入れることとなる。その流れの中で1977年、福田赳夫首相(当時)が東南アジアを歴訪し、最後の訪問地フィリピンで発した言葉こそ「心と心のふれ合う相互信頼関係[v]」だ。以降我が国はこの「福田ドクトリン」を礎に、東南アジア諸国との対等なパートナーを目指し、今日の信頼関係を築いてきた。
では、今日に繋がるこの信頼関係を維持発展させるためには何が重要か。私は二国間の経済協力こそ鍵であるという仮説を持った。なぜなら非同盟中立国家にとって外交安全保障の二国間協力には構造的な限界があり、それを乗り越えられるのは民間分野における経済協力だと確信を得たからだ。「尼日経済対話フォーラム[vi]」に参加したインドネシア及び日系企業・団体、合弁企業の方々にヒアリングを行うと、企業同士の投資や合弁事業、サプライチェーン、さらには人的交流といった積み重ねが、二国間関係の基盤を形作っていることがよく分かった。それは政治家や外交官が信頼を作り出す前に、力強い民間セクターが目の前の相手を幸せにしたいと願って、商売や交流を続けてきた結果だ。むしろ経済的な往来があるからこそ、「この関係を大事にしよう」という政治的意思が芽生える。製造業からサービス業、人材交流に至るまで、多様な分野でグローバルサウス諸国と信頼を育むことが、未来の外交の土台となる。まさに「外交は経済に支えられている」のだ。
マラリ事件から半世紀余り、私はジャカルタで大規模な反政府デモ[vii]に遭遇した。国会議員の高額住宅手当に対する抗議から始まったデモが、警察部隊の介入やバイク運転手の交通事故死を契機に反政府デモへと拡大し、一部は放火を伴う大規模な騒乱に発展したのだ。市内大通りのバス停は破壊され、街には警察を罵る言葉の落書きが溢れ、警察とデモ隊が鋭く対立する現場を何度も目撃した。私は今回の抗議の根底に、中間所得層の一部が貧困層に凋落している経済状況や、中所得国の経済成長が鈍化し高所得国入りが難しくなる「中所得国の罠」への市民の不安や不満があると考える。研修拠点であるオフィスの目の前でデモ隊が道路を占拠し、自動車が放火される光景を目の前に、「経済こそインドネシアに求められていることだ」という確信は強まるばかりであった。
我が国が平和と安定を享受し、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」を実現しようとする時、非同盟中立国家の協力は欠かせない。彼らが同志国であるためには、我が国が彼らの経済状況を真に理解し、先進国入りを目指そうとする不断の努力に手を差し伸べ、対等なパートナーとして献身的な経済協力を惜しまないことが必要なのだ。「心と心の触れ合う相互信頼関係」に代表される福田ドクトリンは、今日的文脈でさらなる真価を求められている。私は「①相手国の発展を支えるニーズの把握」「②ニーズを満たす日本の強みの理解と活用」「③世界の中で日本が第一に選ばれる分野の強化」の3点を重視することにより、我が国が「信頼され、尊敬される国家」に近付くのではないかと考える。官民を挙げて相手国を想う経済協力を中心とした温かい外交こそ、日本のファンを増やし、国際協調主義を基盤とする平和秩序に貢献できる。その思いを確信に変えて、次なる国、人々との対話に臨みたい。
[i] 防衛省『令和7年版日本の防衛-防衛白書-』日経印刷、2025年、p.359
[ii] 2025年7月28日(月)から9月5日(金)までの40日間
[iii] 国益を重視した独立かつ能動的な外交方針。この外交理念に基づき、ASEANを重視した地域外交、国際的な課題への対応に積極的に取り組んできている。 (外務省「インドネシア共和国 基礎データ」2025年9月25日、
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/indonesia/data.html(2026年2月18日参照))
[iv] 一九七四年一月一五日、ジャカルタで、田中角栄首相の公式滞在日程初日に、日本の「経済侵略」に抗議する学生デモが導火線となって大規模な反日暴動が発生し、首都中心部は機能マヒ状態に陥った。
(小川忠『インドネシア イスラーム大国の変貌 躍進がもたらす新たな危機』新潮社、2016年、p.183)
[v] 一九七七年八月一八日。この日、東南アジア歴訪の旅にあった福田赳夫首相は、最後の訪問地マニラで、対東南アジア外交の理念について演説した。(中略)世にいう「福田ドクトリン」である。
(小川忠『インドネシア イスラーム大国の変貌 躍進がもたらす新たな危機』新潮社、2016年、p.188)
[vi] 「INDONESIA-JAPAN EXECTIVE DIALOGUE 2025」詳細は下記記事に詳しい。 じゃかるた新聞「熱気あふれる対話の場 日イ エグゼクティブ・ダイアログ2025開催」、2025年8月7日、
https://www.jakartashimbun.com/free/detail/69511.html(2026年2月18日参照)
[vii] 2025年夏のインドネシア大規模デモについての詳細は、JETROアジア経済研究所の下記記事に詳しい。
水野祐地「インドネシアの大規模デモと暴動-プラボウォ政権「利権分配」体制と政治エリートの慢心」JETROアジア経済研究所、2025年10月20日、
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2025/ISQ202520_027.html
(2026年2月18日参照)
・小川忠『インドネシア イスラーム大国の変貌 躍進がもたらす新たな危機』新潮社、2016年
・小川忠『変容するインドネシア』めこん、2023年
・川上隆朗『寛容なるイスラム大国-インドネシア民主化の光と影』朝日新聞社、2003年
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Ryuki Saito
第45期生
さいとう・りゅうき
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100年後に国際社会で生き残れる主権国家日本の実現