活動報告

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関西研修レポート

1.はじめに

 松下政経塾に入塾して、はや2ヶ月となるが、未だもって入塾直後の新鮮さは失われていない。ただ一つだけ、慣れ親しんで自分のものにしてしまったかのような言葉がある。それは「塾主」という言葉である。これは、塾の設立者である松下幸之助翁(以下、塾主)の松下政経塾での敬称であるが、今回の関西研修を通して触れたのは、「塾主」ではなく、「創業者」であり、「創設者」であった。これを通して「塾主」に今一度新鮮な思いを抱いたことは大きな気づきでもあった。

2.「経営の神様」たる「創業者」

 関西研修の始まりに訪れたのは、創業の地、大開町である。大正7年に松下電気器具製作所をこの地で創業してから、昭和8年に門真市に移転するまでの創成期15年間がここに集約されている。大開町はその名の通り、阪神野田駅から西に向かって大通りが二股に分かれ、大きく末広がりしている。この「大きく開く」という町の名に惹かれて創業の地をここに選んだというエピソードからも、塾主の成功への伏線とその人間味を感じて取ることができる。また、この大きく開く二股の分かれ目に、昭和の金融恐慌の折に、塾主の人情から出た縁がきっかけで、経営の危機を救われることとなる住友銀行の支店が位置されていることも、何か深い意味があるように思えて仕方がない。この地を歩き、塾主ゆかりの方々からお話を聞けば聞くほど、経営の神様の偉大さを肌で感じることができた。そして同時に、こうなるべくしてなったのではないか、と天の操り事と思えるほどのドラマチックなつながりや出来事が次々に起きていく塾主の神様たる所以を垣間見たように思えた。

3.「カリスマ哲学者」たる「創設者」

 続いて、京都にあるPHP本社にも訪問させていただいた。そこには、塾主の発言録を手書きで書き残したものから、メディアに取り上げられた紙面等の記録が見事なまでに整理されており、塾主の想いを継承しようとする所員の方々の並々ならぬ決意と努力の結晶を窺い知ることができた。と同時に、PHP活動の初期の記録を見て驚いたのは、塾主はPHP創設時から確固たる理念を有していたということである。禅問答とも思える様々な人の質問や意見に対して、首尾一貫主張に狂いがなく、また言葉の迷いもほとんどない。速記録というより、原稿と思えるようなその文書の数々を見るにつれ、PHP活動が大きく広がっていったことが、まるで当然であったかのように思えて仕方がなかった。この地においても、塾主の人並み外れたカリスマ性の所以を見たように思えた。

4.「人間」たる「松下幸之助」

 しかし、本当に塾主は、神様であり人間離れしたカリスマであったのだろうか。確かに、私自身もこの関西研修で塾主への畏敬の念をさらに強めた。しかし、本当に大切なのは、経営の神様と称された塾主の昇りゆくあざやかさでも、抜群のカリスマ性でもない。裸一貫、志一本で踏み出したその第一歩目が、必ずそこには存在していたということだ。そしてその根底には、誰よりも人のことを考える塾主の溢れ出すほどの人間味を感じ取らずにはいられないのである。私は思う。塾主は神様ではない。最も人間らしい人間であると。

5.まとめ

 今回の研修では、「創業者」と「創設者」としての塾主に多く触れることができた。これは「塾主」と呼び慣れた私にとっては、恥ずかしながら、改めて塾主を多面的に見るとても良い機会となった。そして、呼称は変われども、松下幸之助という人物はただ一人。塾主がどんな人生を歩み、どんな思いをもって様々な顔を見せてきたのか、そして最後に託した松下政経塾への思いはいかなるものなのか。訪れる全ての場所で、我々塾生に課せられた使命の大きさを知った。我々はもうすでに裸一貫の一歩目を踏み出した。これから、最高の人間たる「塾主」から人間観を学び、まずは人間を磨くことから始めなければならないと決意した関西研修であった。

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杉島理一郎の活動報告

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Riichiro Sugishima

杉島理一郎

第31期

杉島 理一郎

すぎしま・りいちろう

埼玉県入間市長/無所属

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自治体経営における『無税国家』と『新国土創成』の探求

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