活動報告

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関西研修レポート

 久々に大阪の街を歩いた。ある意味で地方都市よりも昔の面影が残る街である。高層ビルと近代的な立体交差点が張り巡らされる街並みの一方で、公園では早朝から多くの人が集まりカラオケ大会。ブルーシートの壁の住人たち。猫が通る隙間のないくらい密集した住宅地。大阪の街とは色々な人が寄り集まってできた街なのである。生きる活力に満ち溢れているといえよう。

 しかしその一方で、多くの問題も抱え続けてきている。在日外国人問題、被差別部落問題、日雇い労働者問題など。そういった混在する街、大阪で松下幸之助は松下電器を創業し、発展させていった。その出発はゴチャゴチャした街の小さな町工場であった。

 大正7年、大開町(現:大阪市福島区)に工場兼住居の松下電気器具製作所を構えた。創業時には周辺には何もなく西野田と呼ばれ、まさに野と田んぼしかない地であったようだ。現在は下町の面影を残す住宅や商店などが建ち並んでいる。

 松下幸之助は創業間もないころに、その日に入った従業員にも練物の技法を教えている。「制作するにあたっていろいろと意を用いなくてはならないし、経営上得策ではない。よろしく開放して、便宜、だれでもその衝に当たらすべしと思った」と事もなげに答えている。

 これがどれだけ従業員にやる気を引き起こしたことであろう。当時の感覚ならば従業員はただの使用人。場合によっては会社の物や情報、ノウハウなどを盗んでいく恐れのある連中であるという疑いのまなざしを向けていた人が多かったのではないだろうか。「それは松下君危険だよ」と同業者から指摘されている様子は当時の経営者の感覚を反映しているだろう。言葉にすると平易だが、実際の経営場面においては信用して任せたという点は個々の人間の力を引き出し、事業の発展に結び付いた要因の一つであっただろう。

 現在、大開町では松下電器創業の地として地元の方々が中心となって松下幸之助の偉業を今に伝えている。そこで感じたことは、松下幸之助は本当に地元の人に愛されているという事実である。松下幸之助の事業、そして哲学の原点がこの町で生み出されていったのである。それは大開町の町の方々との親密な交流の中からさまざまなヒントを得、二股ソケットも、アイロンもラジオも生み出されていったのである。門真に本社が移転してからも町の発展や十一会との交流など続き、松下幸之助自身、大開町に対しての感謝の念が多分にあったことがうかがえる。それが大開町の人々にいまだに愛されていることにつながっているのだろう。大開町の人々にとって松下幸之助は、わが町から生まれた成功者なのである。現在の町の復興のシンボルとして住民は誇りに思っている。

 人は人によって磨かれ、その能力を開花することができる。大開町はその原点の地として人間とは何か、人間の能力とは何か、繁栄するということはどういうことなのか、といったことを考えさせられる地であった。

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寺岡勝治の活動報告

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Shoji Teraoka

寺岡勝治

第28期

寺岡 勝治

てらおか・しょうじ

一般社団法人学而会 代表理事

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