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「100キロ行軍」を終えて

「100キロ行軍」-それは政経塾の設塾以来、毎年行われてきた伝統の行事である。茅ヶ崎市の政経塾から横須賀市を経由して、三浦海岸を一周して政経塾に戻る100キロの行程を、一昼夜24時間以内で歩き切るという、狂気的な行事である。第26回目となったその行事に、9月29日と9月30日の二日間に亘って挑戦した。今、完歩を果たし、思うところを述べたい。

実はこの行事の約1ヶ月前から、左足首を痛めていた(腱鞘炎)。血豆が潰れて朱に染まった靴で帰ってきた先輩や、疲労骨折寸前の脚を引き摺りながら帰ってきた先輩などの逸話を事前に聞いていたが、事前に30キロの練習歩行を行った際の感覚から、100キロも大丈夫だろうと軽い気持ちで臨んだ。

実際、序盤戦は快調であった。5キロ毎に50分前後の所要時間で通過できた。左足首は5キロ過ぎから早くも鈍痛を感じ始めていたが、未だ問題とは感じなかった。紺碧の青空と湘南海岸を右手に仰ぎ見つつ、チームメイト(25期日下部塾生と26期源馬塾生)と雑談しながらの歩行は楽しくすらあった。

しかしやがて陽が沈み、街灯がつき始めた40キロ地点過ぎの浦賀辺りから、土踏まずの部位が徐々に足の親指付け根辺りを中心に、足裏全体に痛みが広がりはじめた。やがて55キロ地点附近を通過すると、土踏まずの部位がつったような感覚になり、足裏全体の痛みが激痛に変わり、腱鞘炎の痛みすら支配してしまうほどになった。ここからゴールまでは、ひたすら苦行以外の何物でもなかった。三浦半島の南端、城ヶ島附近は街灯の無い道路も多く、夜は静寂に包まれていた。そこに「ペタッ、ペタッ」という一定のリズムで打つ単調な音のみが響き渡る。1メートルずつ目的地に進む我々は、歪んだ形相も加わって、恐らく狂気の集団に見えたに違いない。実際に深夜過ぎてからは、何度か巡回する警察カーからの警戒を受けた。

70キロ地点過ぎからは、ひたすら自分の内面と対話する時間になった。克己心が試されているところであった。徐々にペースも落ちてきていた。5キロ毎のラップは1時間15分近くにまで遅くなっていた。休憩ポイントにいるサポート隊に会うことが心の支えであった。熱茶を用意頂いたり、足を揉み解して頂いたりと、感謝に絶えない。束の間の休憩を引き上げ、激痛を感じる足裏を思いつつ、またトボトボと果てしない先にあるゴールに向かって歩を進める、そんな繰り返しであった。この行事の発案者である平野さんの出陣式での訓示が想起された。「辛いときこそ鏡に映る自分を見よ。鏡に映る自分に笑顔で返せるか、それが一番大事だ。」朝焼けの残る街のショーウインドーに映る自分を見ては、何度か意味無く笑顔を作ってみた。

最後は時間との格闘になった。政経塾の正門をくぐり、雪崩れ込むようにして、アーチ門下に張られている白テープをきった。23時間47分。なんとかぎりぎり間に合った。塾職員や先輩などに囲まれて、労いの言葉などを頂いている間、完歩出来たことに対する満足感と、長かった行程における情景が走馬灯のように思い起こされた。ゴールがあるということは有り難いことであると思った。「千里の道も一歩から」と謂うが、ゴールがあるかどうかが分からなければ、最初の一歩も踏み出すのに躊躇してしまうであろう。時速50キロで通り過ぎていく車の側で、その10分の一の速度でしか進んでいないことに焦りも感じた。しかしゴールがあると分かっていれば、どんなに長い道のりであろうとも、一歩一歩着実に進んでいけば、必ずゴールに辿り着くものである。問題は長い道のりの中で迷い悩むときに、どこまで自分自身のゴールを確信できるかであろう。今回の経験はそのようなことを感じさせるものであった。

サポート頂いた塾職員や先輩達には、心より深甚なる感謝を申し上げたい。来年は、この伝統の行事に挑戦することになる後輩達のために、しっかりとサポートをしてあげることで、その恩返しとさせて頂きたい。

以上

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千田勝一郎の活動報告

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Shoichiro Chida

千田勝一郎

第26期

千田 勝一郎

ちだ・しょういちろう

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