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関西研修「塾主を知る」 レポート

 これまで、私たち26期生は、塾主の著作や塾員の方のお話及び塾主研究の講座を通して、塾主の考え方を学んできた。私にとって、その目的は、ただ自分が松下政経塾の塾生であるから、というだけでなく、自分自身の哲学や理念の土台をつくるうえで、何らかのヒントが得られることを期待したからである。しかし、塾主の世界観や人間観について、なぜか私にはどうしても心にひびかない部分があった。今回の研修で訪問した松下資料館の高橋支配人が、「塾主のことをよく知ったうえで評価してほしい」とおっしゃっていたとおり、私の塾主研究がまだ不十分であったのはその一つの理由となりうるであろうし、実際に塾主と話を交わしたことのない立場としては、自身の言葉を体現化した「ひと」としての塾主に触れていないという点で、それだけ塾主の言葉を自分の中で実感できていなかったためなのかもしれない。したがって、今回関西研修における私の個人的な課題は、塾主の人生の軌跡や塾主と共に生きてきた方の話を通じて、自分の言葉で塾主の考え方を表現できるほどに共鳴できるかどうかであった。そして、研修が終了した時点での結論を言えば、塾主についての理解はより進んだということは確かであるが、同時に疑問も増えてしまった。このレポートでは、関西研修を終了した現時点での、私の「塾主観」を整理したいと思う。また、同時に、本居宣長記念館の参観と伊勢神宮の参拝を通じて感じた「日本人のこころ」についての考察を一言付け加えたい。

 私が今回感じた「塾主観」を一言にまとめるならば、それは「矛盾」であり、主な理由は次の二点である。

 まず一点には、「衆知を集める」という塾主の理念。塾訓に取り入れられた一言でもある。しかし、こんなエピソードもある。真々庵の徳田さんがおっしゃっておられたが、真々庵の名前をつけるときに、一つの言葉は「真」に加えてもう一字を何にするかで塾主は「衆知を集め」、皆の意見を聞いた。どれに対しても「それもええなあ」と塾主はうなずきながらも、やはり真以外の言葉で適するものが見つからず、真の字を二つ重ねて「真々庵」としたと言う。また、真々庵の庭にあった赤松を、塾主が庭師に伐るよう頼んだが、庭師は、この赤松はこの庭の景観には重要だとして伐らなかった。しかし塾主はやはり伐った方がよいと考え、4度にわたって庭師に頼み、庭師がやむなく伐ったところ、庭がぱっと明るくなり、より一層すばらしい庭になったと言う。いずれのエピソードについても、塾主が始めに自身の確固たる信念を持っていたことが伺え、徳田さんは「衆知を集める、というのはただ集めるのではなくて、まず自分の考えを持ってから皆の意見を聞く、ということです。」とおっしゃっておられた。つまり、塾主は「衆知を集める」前から自分の考えを持っていたということであり、衆知を集めた結果、自身の考え方を180度方向転換させた、というエピソードは聞かないのである。私はこれについて肯定も否定もしているわけではない。ただ、私が当初イメージしていた塾主にとっての「衆知を集める」とは、集めた結果その意見を取り入れるというよりは、自分の意見が正しいことを衆知によって確認する作業に近かったのではないかと思わずにはいられないのである。このことは、戦乱の時代にとらわれず、自らの哲学を通して松下電器を大きくしてきた確固たる意志の強さにも現れていると思う。

 二点目は、塾主の家族への視点についてである。塾主の著作は膨大であるが、なぜか塾主自身が、むめの夫人や娘、孫について記述した著書は極端に少ない。そして、何よりも国家とは何か、人間とは何か、ということを考えてきた塾主に、「家族とは何か」について論じてある文章がひとつもないのである。今回の研修で、特に確認したいのはそこであったが、残念ながらやはり見つからなかった。これについて関係者の方々に質問を繰り返したが「当時はまだ男尊女卑の時代でしたから・・・」「最終的には娘さんもご夫人も、塾主の家族であって良かったと言っている」といった解説しか返ってこなかった。自身の家族に対する感謝の表現はともかくとしても、国家百年の計を論じていた塾主がなぜ、家族という最小の社会の百年については考えようとしなかったのだろうか。「人間を考える」は人間すべてをさしているし、松下電器関係の方やPHP研究所の方から、塾主の人間観を体現化した話は伺うが、家族に対して人間観を尽くした話がないとすれば、そこにはどうしても矛盾を感じずにはいられない。

 私は幸之助塾主の信者ではないが、塾主を理解しようとは思っている。少なくとも政経塾の設立の理念に共感しているからこそ塾生であるのであり、人材教育の場として、学校でも企業でもなく、しっかり人間を見つめたうえで国に向かっていこうとする人を育てようというまっすぐな理念には賛成している。しかし、残念ながら、塾主の人間観のすべてに共鳴できるわけではない。今回の研修中、塾主を知り、かつ塾主の考え方を体現できている方にお目にかかりたかったが、残念ながらそういう方にはお会いできなかった。つまり、塾主に影響を受けた人物の中で、純粋に「松下電器創業者」という看板や、「松下政経塾塾主」という看板を取り払い、塾主の思想としての人間観だけを捉えた場合、どこまでその思想が人を引きつけることができるのかどうかを知りたかった。なぜなら、そうでなければ、その他の宗教や哲学と同様に、百年後までその思想や精神がそのまま受け継がれるかどうか分からないし、同時に、私の中でも真に価値があるものとは捉えにくいからである。ただ、今後も、塾主が本当に私の疑問や期待に答えてくれるのかどうか、この研修で感じた矛盾を解決してくれるほどその思想がさらに深みをもってくれているか、という視点で、私自身の中でさらに塾主研究を続けたいと思う。

 最後に伊勢の神宮について一言感想を述べたい。伊勢の神宮は、天照大神や八百万の神をまつった神社の総称である。雨が降るうすもやの中で、周囲の山々や河に溶け込むような内宮も、地道に繰り返される厳粛な儀式も、あくまでも日本人のこころを表した結果で、こころそのものではないのだと思うが、この場所で、私自身も日本人のこころの原点に引き戻してもらったという気になった。儒学の授業でもどうしても孔子の考え方に私は心から賛成できない部分があったのだが、仏教も儒教もまだ渡来していなかった日本で、木、山、水、岩、土など、すべての自然の産物を「神」として祭る。さらに、自然のものだけでなく、後世の「ひと」すらも神としてしまう。すべてのすばらしいものに対する畏敬の念を次から次へと「神として祭る」という形で現していった寛容の精神は、現代日本の原点なのではないかと感じ、自分の中にも直感的に非常にスムーズに入って来ることを実感できた。その意味で、本居宣長が、仏教渡来以前の万葉集に載せられた和歌の言葉一つ一つに、日本人のこころのルーツとして「漢意」を排した「大和心」を感じたことには非常に共感を覚える。言葉は考えを表すものではなく、考えを規定するものであると私は捉えているが、万葉集の言葉そのものの研究を続け、その考えを知ろうとする方法は、言葉が存在する限りにおいては非常に優れていると思う。今後も古代の日本のこころに対する知識や理解を深めたい。

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