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関西研修を終えて

 もうすぐ、入塾してから2ヶ月が経つ。面接や内々定後の面談で「政治家になりたい!」と言ってきた私ではあるが、実を言うと内定後、そして入塾してからはさらなる苦悩の連続であった――「本当に自分の天分は政治家なのだろうか?」「自分に真の良い政治ができるのだろうか?」。小学校の頃から、「政治家になる」ことを目指してきた私が、なぜここまで苦悩するのか、自分でも正直分からないが、志高く経験豊かで優秀な同期や先輩、壮大な塾生の使命、「松下政経塾」の一員であるという重み、そういったものが一気に自分にのしかかってきた感である。この自問に対する答えのきっかけとなれば、そういう思いを持って、私はこの関西研修に参加した。

「郡盲、象をなでる」

 関西研修最初の研修先は京都府木津町にある松下資料館であった。資料館見学に先立って行われた支配人の高橋氏のお話で、高橋支配人は「郡盲、象をなでる」ということをまずお話された。正に私にとって「松下幸之助」という人間は巨大な象である。あまりに大きすぎて、ましてやお亡くなりなった現在では、その全体像や、真の姿を知るのは難しいことである。自分は「松下幸之助」を尊敬していると思っていながら、また公言しておきながら、もしかすると、今まで一部の著作から知りえた一部の思想の部分だけ、しかも自分にとって都合のいい所だけ理解して、塾主を理解した気に、また他人よりも塾主を知っている気になっていなかっただろうか。「塾主を知る」ということは、思想の部分だけではなく、文化的活動や企業経営活動など、ありとあらゆる方向から研究しなければならないのではないか。正に一番初めの研修にふさわしい、私にとって大変重みのあるお話であった。

「真々庵と根源の社」

 正直、最初お恥ずかしながら「真々庵」についてはそれほど関心が無かった。実際に訪れた時も、松下電器の役員級の方しか入庵できないすごい所なんだ、くらいの認識であった。しかし、根源の社、そして白石に杉の石庭を目の当りにした時、その認識は変った。この白石に杉の庭は、一般的には邪道だと言う人もいるという話をうかがった。実際、塾主が何故、普通やらないような庭を造ったのか謎でもあるらしい。しかし、私はあの庭の真ん中に立ったとき、うまく言葉では表せないが、何故このような庭を造られたのか感じるものがあった。静寂につつまれた、白の世界の中に、疎らに生える杉の木。神秘的というか、神々の世界のような、大げさに言えば、この宇宙を想像した「根源」の世界。そして、その庭の先に根源の社がある。塾主はこの神々の世界を模した場所で、「根源」と向かい合ったのではなかろうか。稚拙ではあるが、そう感じた次第である。

 そして、お庭の見学の後、お茶をいただいた時、床の間に掛けられていたお軸に、はっとさせられた。「開花二十一世紀」。一見して、今では何の変哲もない言葉かもしれない。しかし、そこには「昭和五十四年一月四日」と記されていた。つまり塾主は21世紀を迎える20年以上も前に、21世紀の大いなる発展を祈願していた。政経塾設立の年の元旦に。私は塾主の塾設立に対する思いの強さ、塾の使命の大きさを身にしみて痛感した次第である。

おわりに

 この関西研修では、この他にも、ここには書ききれないくらい大変多くのことを感じ取り、学ぶことができた。PHPの江口社長は講話の中で「松下幸之助と直結しなければならない。師は松下幸之助である、と言い切れるようにならなければいけない」とおっしゃった。この関西研修で私は塾主研究の、そして塾主の目指した日本、夢の研究、実践のスタート地点にやっと立てた、そういう気がする。その志を実現するために、自分は政治家となって実践するべきなのか、はたまたそうではないのか、実際これからも悩むであろう。在塾期間中大いに悩みたいと思う。しかし、大事なことは、目的は日本の繁栄、幸福の実現であるということである。どんな立場になろうとも、その実現のための自己研鑽に日々励まなければ。そうあらためて感じさせられた研修であった。

 塾主が今、生きておられたら、こんな私にどんなアドバイスをくれるのだろうか。

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長谷川毅の活動報告

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長谷川 毅

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