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2023年7月21日(金)~23日(日)まで行われた栃木県那須烏山市の「山あげ祭」に金井町若衆団の一員として参加した。地域の祭典の担い手不足も素志の原点であることから6月より地元那須烏山市に於いて素志研修を行った。当市における山あげ祭の意義と活動報告を記していきたい。
1560年(永禄3年)、烏山城主の那須資胤が疫病退散・五穀豊穣・天下泰平を祈願し、牛頭天皇を烏山に勧請したことから始まる。当初奉納相撲や神楽が奉納されたが、人々は、神は自然の山に天下ると考えた。烏山の人々は町中に山を上げることでそこに神を呼び込むために烏山特産の和紙を使う山を上げることで疫病退散を願ったのである。竹の網代に組んだ枠に烏山特産の和紙(程村紙)を幾重にも張り重ねた「はりか」に山をかたどり、はりか山を作り、それをあげ、そこで歌舞伎を披露する形に変遷していったのである。
当番町は中町→泉町→鍛冶町→日野町→元田町→金井町の順番で執り行われる。 2021年の日野町当番の際、金井町の役回りは2年後に控える「受々当番」という年で、祭典2日目の土曜日に八雲神社の神輿を早朝より正午にかけて渡御を執り行う。2022年の元田町当番の際には役回りは翌年に控える「受当番」という年で、祭典3日目の日曜日に神輿を八雲神社に送る還御を執り行う。筆者は渡御の年に交通主任、還御の年に四隅の主任の一つである隅主任の役職を頂いた。この受々当番・受当番の流れは金井町当番(受当番町中町・受々当番町泉町)、中町当番(受当番泉町・受々当番町鍛冶町)、泉町当番(受当番町鍛冶町・受々当番町日野町)、鍛冶町当番(受当番町日野町・受々当番町元田町)…と続いていくのである。受当番・受々当番の際に使用する八雲神社の飾り紐を縛る紐の他、当番で使用する一切の道具の貸し借りはもちろん、他町のものは一切触れることは許されないのである。
当番町としての動きは前年末から半年以上の年月を要する。
12月28日 大祓祭(注連縄変え)
1月10~12日、17~19日、24~25日 追儺祭準備
1月21日(土) 新年総会
2月3日(金) 追儺祭
2月4日(土) 片付け
年末~節分の追儺祭までは追儺祭に伴う準備を執り行う。年末の大祓祭から当番町としての役回りを担当し、年が明けてから当番町の役が回ってくる。
2月26日(日) 当番準備
3月1~2日、7~9日、14~16日、19日、22~23日、28~29日 当番準備
4月2日、4~6日、11~13日、18~20日、23日、25~27日、29日 当番準備
5月7日(日) 竹搬入
5月9~11日、13日 当番準備
5月14日(日) 白山あげ
5月16~18日、23~25日 当番準備
5月28日(日) 烏山学受け入れ
6月4日、6~8日 当番準備
6月11日(日) 大屋台組み 主任発表
6月14~16日、18日、20日~22日 当番準備
6月25日(日) 小屋台組み 当番準備
6月27~29日 当番準備
2月の下旬より、6年前の当番で使用した舞台装置を烏章館という作業スペースに運び、作業が始まる。舞台装置のメンテナンスと山の絵の剥がし→和紙張り直しをひたすら行う。一区切りは5/14日の白山あげである。若衆・臨時若衆・自治会の皆さんが集まり、約40人で絵を描く前の大山を上げる。それまでに大山の紙貼りを終え、それ以降は中山・前山貼りの作業を行う。山の作業が終われば館や座敷、橋波等の作業に移る。
7月1日(土) お注連建て 奉告祭
7月2日(日) リハーサル
7月3~8日 当番準備
7月9日(日) 当番準備 庭割り
7月10日~19日 当番準備
7月20日(木) 笠揃
7月21日(金) 出御祭 天王建 鍛冶町訪問 日野町訪問 泉町訪問
7月22日(土) 渡御祭 中町訪問 元田町訪問 全町大屋台パレード
7月23日(日) 還御祭 天王送り
7月24日(月) 片付け
7月25日(火) 片付け お日待ち
7月31日(月) 輪くぐり
8月
7月に入るといよいよお祭り月である。7/1日(土)には奉告祭等行事が執り行われ、金井町小屋台が芸題を掲げ、全町を練り歩く。7/2(日)のリハーサルではすべての舞台装置の点検と踊り子との打ち合わせを行う。ここで出た課題を祭典までの準備期間、各部署にて仕上げにかかる。一部署で作業が終われば他部署の手伝いに主任は手伝い、すべての部署で準備完了になるまで共同作業は続く。上のような日程で当番町若衆は動いていった。1~5月までは基本週末のみの準備参加となったが、6月以降は本格的に準備参加となった。
6月11日の主任発表をもって金井町若衆は主任に任命されることとなった。破風前主任・舞台主任・座敷主任・橋波主任・舘主任・前山主任・中山主任・大山主任・演出主任それぞれ就任し、主任発表以降は各自の持ち場の作業となる。筆者は中山主任を拝命し、舞台装置の一つである中山の責任者として準備を進めることとなる。
舞台装置の取り扱いには危険が伴う。けが人を出さないようにすることとや熱中症対策にはとりわけ気を遣う事となる。主任として怪我人0、熱中症0を基本とし、どの様に楽しみ、人を楽しませ、祭典と町を盛り上げていけるかが問われてくる。
祭典本番、中山には臨時若衆が9人付き、主任含め10人のチームとなる。基本動作は移動→舞台設営→中山あげ→公演→中山おろし→中山解体→積み込み→移動であり、これを公演日程分行う。
20日(木)の笠揃・宵祭りは実質的な予行練習となり、21日(金)からの天王建て・他町訪問・自町公演を執り行う。臨時若衆と一括りにしても、毎年当番町を手伝う臨時さんや、6年に一回の金井町のみ当番に携わる臨時さん、今回初めて山あげ祭に携わる臨時さん(主に地銀・地元信金等からの派遣)等、臨時若衆と言っても動きのレベル感は実にまちまちである。レベル感もバラバラな臨時さんに的確な指示出しをするにも主任としての動きが非常に重要となる。指示を伝えるだけでなく、自ら動いたり紐の縛り方や動きの流れを一緒にこなしていくことや、臨時若衆同士が教え合ったりすることで山あげの舞台装置の技術の伝承が行われるのである。公演を重ねる毎に臨時若衆の動きにも無駄がなくなり、最終日23日(日)の頃には一つのチームとしての仕上がりを各部署で見せる。最終的には主任はそこまで動くことはなく、臨時若衆さんの手で舞台装置はいつの間にか組みあがるようになるのである。主任だからと偉ぶるのではなく、周りの方々に主任にして頂くということを実感する経験となった。
日本には大小含めて数えきれないほどの「祭」が存在している。祭の多さは日本にとっての正に豊かさの象徴なのではないだろうかと改めて感じた。栃木県那須烏山市の「山あげ祭」は宮座という組織が残っている。それは宮司-責任役員-八雲委員のみならず、自治会-中老-世話人-木頭・行司(副木頭)-若衆-子供座に至るまで伝統の継承に心が正に入っているものであった。
日本に小さな祭りや神社を守る氏子、こういった人々や風景を我々は改めて大切にしていかなければいけないのではないだろうか。塾生は国家の議論でつい話が大きくなり、こうした身近にある素晴らしいものに目が届かないということがあるだろう。私は入り込む地域の伝統や文化をまず認識した上で地域での活動を始めていくことを提唱していきたい。政治家や経営者として、連綿と続く歴史と伝統に対して自分は何ができるのか、まずは素直に受け入れる事が肝要ではないか。安易にしきたりや伝統に対し、理論武装する姿勢は一度考えた方が良いものであろう。自分自身、次の研修先に向かう際にどのように入り込むことが出来るのか、今回の経験が他の地域にどう生かしていくことが出来るのか、自分なりの検証を進めていきたい。
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Shintaro Watanabe
第43期
わたなべ・しんたろう
Mission
首都機能等移転を含めた地方分散社会の実現