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防衛の要衝としての対馬、交流の要衝としての対馬

 我が国は巨大な管轄海域をもつ有数の国である。国土面積は約38万平方キロメートルである一方、領海と排他的経済水域を合わせた管轄水域は国土面積のおよそ12倍の約447万平方キロメートルである[1]。また、2016年に制定された「有人国境離島地域の保全及び特定有人国境離島地域に係る地域社会の維持に関する特別法」では148島の有人国境離島がその対象として示された。大きな管轄海域を維持していくうえで、国境離島に対する振興は重要課題として認識されている。

 2022年夏、筆者は南西諸島へ向かった。安全保障の最前線である南西諸島の防衛について調査することが目的であった。そこで認識したのは、観光産業において優位性を有していない島々における生活上の様々な問題である。産業振興、人口減少、物価高など、課題を住民の方々から聞く中で、国境離島での生活を維持する重要性と、その達成の難しさである。そして2022年秋、単体の国境離島としては佐渡島に次いで二番目に多い人口を誇る対馬に向かった。韓国からほど近いその立地から韓国人観光客を主たるターゲットとして観光業が潤い、島外の受験生が韓国語学習のために対馬高校へ進学するなど、その島の優位性を活かした施策が多くなされている。また、元寇において二度侵攻された歴史的な事象から、最近ではビデオゲームの舞台となった。国境離島の防衛の観点からも、観光地としての観点からも、一度訪れる必要性を感じていた。

 安全保障を論じる際、対中脅威論から南西諸島がその議論の中心となることが多い。確かに中国の度重なる領海・領空侵犯は、主に南西諸島が対象とされ、それゆえ2016年には与那国島に、2019年には宮古島に自衛隊の駐屯地が新設された。石垣島においても2022年度中の駐屯地新設が決定しており、かつ宮古島・石垣島の両島にはミサイル部隊が置かれることとなる。

 離島における防衛や経済圏の確立を念頭に置いたとき、改めて焦点を当てるべきであるのが対馬であろう。南部にあたる下対馬最大の集落である厳原から福岡までの距離は海路でおよそ138㎞であるのに対し、対馬と韓国・釜山までの最短距離は約49.5kmと、地理的側面においては九州よりも朝鮮半島に近い。対馬はこのような地理的条件でありながら、歴史を見ても一貫して日本の支配下にあった。

防衛の要衝としての対馬

 歴史を振り替えても、対馬は我が国の防衛上の重要拠点であることがわかる。663年の白村江の戦いにおいて半島で敗れると、倭国は唐と新羅の侵攻に備えて翌年に防人[2]を設置した。811年から935年まで続いた「新羅の入寇」では対馬は四度に渡り新羅から領土的侵略を受け、防人らを対馬に配備した。元寇の際には損害を最前線で被ったほか、1419年には「応永の外寇」によって李氏朝鮮が対馬へと侵攻した。戦国時代末期、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592~93年、1597~98年)においては、30万の兵士の中継地としての機能を担った。
 近代では1861年にロシア国籍の軍艦ポサドニック号が浅茅湾に入港し、芋崎を占拠し軍事施設を建設した「ロシア軍艦対馬占領事件」が起きた。一貫して日本国が占有しながらも大陸や半島からの侵略は常にあった。そうした地政学的リスクを鑑み、日本政府は対馬の要塞化に着手する。1878年には陸軍は対馬分遣隊を派遣し、1886年には対馬警備隊が設置された。1920年に対馬要塞司令部に改編されるかたちで廃止となった。この間、日露戦争(1904~05年)において、05年対馬沖で東郷平八郎率いる連合艦隊がロシア軍のバルチック艦隊を打ち破った。
 第二次世界大戦が終結すると、対馬は再び朝鮮半島からの領土的野心に見舞われることとなる。1952年1月、大韓民国初代大統領である李承晩は「隣接海洋に対する主権宣言」を公表、いわゆる李承晩ラインの設定である。竹島が韓国の領有の内側であることが主張された一方、対馬はその範囲外とされた。しかしその宣言がなされる前段である1949年1月には、李承晩は文禄・慶長の役において日本が不法に対馬の領有を奪ったとの議論を展開し、対馬における韓国の領有権を主張したが、米国国務次官補のディーン・ラスクの書簡により却下された[3]。竹島とは異なり、領有権における係争事項とはなっていないが、後述するとおり、対馬を韓国領とすべきと主張する議論は今でも一部存在する。
 米軍は戦争終結から3か月後の1945年11月、軍艦2隻で厳原港に入港し、砲台の爆破を目的に占領下に置いた。朝鮮戦争が勃発すると対馬最北端の海栗島にも基地を設置し、警戒監視などを行った。59年5月に米軍が撤収をすると、当該基地は航空自衛隊に移管された。1980年には陸上自衛隊の管轄として対馬警備隊が再組織された。現在、国境警備を所管する陸上自衛隊の警備隊組織は4つあるが、いずれも対馬警備隊をモデルとして組織された。

 先述したとおり、今でも対馬韓国領とする主張は少なからず韓国で存在する。2005年3月、韓国の慶尚南道馬山市の市議会は対馬が韓国領であることを宣言する「対馬島の日条例」を制定したほか、2008年には韓国与野党国会議員50名が「対馬返還要求決議案」を国会に提出したことが臨時国会にて指摘された[4]。2019年6月19日、韓国の慶尚南道の昌原市で開催された「対馬の日」記念式で主催者は「対馬は数多くの歴史的資料で朝鮮の領土と記録されている地」であるとした[5]。また、同様の韓国の領有権主張や「返還」要求は李承晩をはじめとして韓国の指導者よりなされていたのは既に述べたとおりである。

 他国の領土的野心が少し不安なかたちで見え隠れするのが、海上自衛隊基地付近の中国人による土地買収である。海上自衛隊・対馬防備隊の本部がある竹敷は、先述にあるロシアが不法に入港した浅茅湾の中心にあり、入り江が多い。2008年にはこの基地を見渡せる位置に韓国資本のホテルが開業し、安全保障上の懸念が高まった。ちなみに横須賀基地周辺の高台の土地は、中国やロシアの資本が流入している。また、石垣島の海上保安庁の船が停泊する港近くの住宅は、中国資本が購入している。こうした出来事が土地規制法への動きを加速させた。

 南西諸島に防衛予算や自衛隊の人員が割かれる中で、やはり領土を守る観点で対馬が重要であると考えられる。2022年9月16日には重要土地規制法が施行され、離島部の防衛に資する法整備が進んでいる。「歴史的に見て、重要な要衝地である」「仮想敵国はない」というのが対馬に関わる行政関係者の見解である。議論の俎上に載せられることは少ないが、領土を防衛するために、土地に関する諸外国の動向を見定める必要がある。いずれにしても対馬は一度として他国の手に渡ったことのない日本固有の領土である。

交流の要衝としての対馬

 防衛の最前線としての側面を前述で強調したが、対馬は半島との交流の要衝として機能が大いに果たされてきた歴史もある。上述の朝鮮出兵においては宗義智が豊臣秀吉の命を受けて出兵した。その後、徳川幕府が成立すると、宗義智は対馬府中藩主に任ぜられ、講和のための外交担当を担った。1609年に和平条約(己酉条約)が結ばれると、朝鮮通信使が始まり、1811年までの間に12回来日し、多分野において交流がなされた。その際、朝鮮半島より持ち込まれた青磁獅子形硯滴などは対馬博物館に今も残されており、朝鮮半島と対馬の交易関係の深さが物語られている。2012年には対馬の仏像や経典が相次いで韓国人窃盗団によって盗まれる事件が起きたが、いずれも朝鮮半島で作られたものであり、その入手方法が略奪か交易かで議論となった。また、金田城跡や古墳などは朝鮮式の山城である。対馬は明治維新以降も国防や交易の最前線として重視され、門司税関厳原出張所は朝鮮貿易港に指定されるなど、半島との貿易の窓口の位置を保ち続けた。
 今でも対馬を歩くと至るところに朝鮮との交流の深さを感じることができる。厳原港から入港したところからハングルが大きく表記されている。後述するが、対馬での韓国人観光客が非常に多いことから、街中でハングル表記が多く見られる。

(厳原港付近)

 食事においても朝鮮半島との交易拠点であったことの歴史をうかがうことができる。対馬に住む韓国人が作った焼肉料理「とんちゃん」のほか、原種に近い品種で作る「対州そば」などがその代表である。「ろくべえ」はさつまいもを原料とした太くて短い麺であり、スープには鶏、魚介、名産であるしいたけが用いられる。いずれも島外ではなじみがなく、半島からの影響を大きく受けていることがうかがえる原料や製法を用いている。

(ろくべえ)

(出典:長崎新聞)

 2000年以降は対馬―釜山間の旅客船の航行が増加し、2018年にはピークの41万309人の渡航者を記録し、大きな経済的な利益をもたらした。また、元寇をテーマにした「Ghost of Tsushima」が2021年にアメリカのゲーム会社より発売され、世界的な大ヒット作品となったことを受け、現地では聖地巡礼やコラボ商品の販売がコロナ禍後のインバウンド需要の目玉となっている。2022年12月には釜山との連絡船が再開するなど、観光業において韓国から多くの利益を享受している。他にも文化的な交流が盛んであり、特に現在の日本におけるK-POPブームは、本島の学生の視線を対馬に集める一因となっている。対馬高校では公立高校で唯一、韓国語を履修することができることから、K-POP好きな女子中学生を中心に、離島留学する者が増えているという。

対馬から離島政策を考える

 対馬の事例からどのようなことが離島政策において適切と言えるだろうか。中央からの施策としては重要土地規制法を実効あるものにする必要がある。
 重要土地規制法だけではなく、歴史を鑑みると、他国からの領土的野心を念頭に防衛を考える必要がある。先述したとおり、対馬には「仮想敵国」はない。現状は中国人による重要土地の買収が脅威として認識されているが、歴史を鑑みればロシアによる不法占拠や日露での海戦が存在する。日本の領土である対馬を日本国の領有の下に置き続けるためにも、中国や朝鮮半島だけでなく、すべての隣国からの脅威を念頭に置かなければならない。
 一方で韓国は昨年尹政権に移行したことで、日韓の関係性が比較的友好的なフェーズを迎えている。韓国の二大政党制において、政権交代や与党の支持率下落が日韓関係を大きく左右することは明々白々である。もっとも、対馬の領有を主張する声が高まったとしても、何らかの実力行為に及ぶ可能性は相当に低い。
 隣国からの連絡船によって観光客需要を増やす施策については、これは南西諸島においても議論する価値があるだろう。その点において対馬はモデルケースといえる。与那国島は日本の最西端という立地条件と独自の文化を有し、観光資源に恵まれている。その一方で、交通の便の悪さから実際の観光客需要は少ない。かねて台湾との文化的接点が多くある南西諸島全体として、連絡船を開通させることはコロナ禍後の日本の観光客需要増大に資するところだろう。そのうえ、台湾は日本と政治的軋轢が比較的少ないことも、南西諸島の優位性として指摘することができる。
 対馬は、韓国人にとっては「最も近い日本」であることから観光地として、日本人にとっては「最も韓国に近い日本」であることから観光地としても、あるいは中学生にとっては越境留学先としての価値を有している。日韓の相互理解において一役買っているということに異論は少ないだろう。南西諸島においても、より見えるかたちで台湾との文化交流や交通整備を積極的に行い、施策を講じていくことで、日台双方にとって文化・経済・教育といった側面で有益となることであろう。

[1] 内閣府「国境離島WEBページ」https://www8.cao.go.jp/ocean/kokkyouritou/kokkyouritou.html(2023年3月17日閲覧。)

[2] 読みは「さきもり」。飛鳥時代から平安時代初期まで存在した律令制度の下で施行された軍事組織のこと。

[3] 藤井賢二「奇怪な対馬韓国領説」談論風発、山陰中央新報(2019年9月22日)。

[4] 質問第二十二号、第173回国会(臨時会)、2009年11月10日。

[5] 藤井賢二「奇怪な対馬韓国領説」談論風発、山陰中央新報(2019年9月22日)。

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