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台湾の対日感情・対中感情

 1895年の下関条約締結から1945年の第二次世界大戦終結に至るまで、日本の植民地であった台湾。日本の旧統治時代の建物が現存し、年齢80代以上では今も日本語を話せる人がいる。いわば日本に最も近い外国である。そして隣国の中で唯一、旧統治時代を「負の歴史」とひとくくりにすることなく、正と負の両側面から評価する国である。日本に対しては一貫して友好的な姿勢を示してくれている隣国でもある。
 日台交流協会の調べによると、「台湾を除き、あなたが最も好きな国(地域)はどこですか」という問いに対し、2021年度には60%が日本、5%が中国と回答している[1]。また、「最も親しくすべき国」のアンケートでは46%が日本と答え、中国と回答した者はわずか15%だった。2018年度には最も親しくすべき国として中国をあげた人は31%いたが、これが半減した数字となった[2]

台湾の対日感情

 台北市内にある剝皮寮歴史街區は、古い街並みを保存・再現したエリアだ。街区の建物内には、統治時代の建築方法・様式についての展示や、日本によりもたらされた学校制度の説明、当時が再現された教室などがある。台湾では修学旅行が学校行事としてあるが、これは日本が持ち込んだ文化であり、旧統治時代の修学旅行時の集合写真も展示されていた。
 また、台北以外にも、旧統治時代の建築物である宮原眼科が台中市に、林百貨店が台南市にある。いずれもお菓子屋、百貨店として営業している。

写真①:剝皮寮歴史街區内の展示
写真②:剝皮寮歴史街區内の展示

 台湾には日本の軍人を祀る廟が複数存在する。たとえば台南市にある鎮安堂飛虎将軍廟には、現地住民を守るために命を落とした杉浦茂峰が、高雄市にある鳳山紅毛港保安堂には旧日本海軍の第三十八号哨戒艇と艇長の高田又男が祀られている。
 軍人だけではない。鳳山紅毛港保安堂では2022年7月の安倍元首相の殺害を受け、9月には安倍元首相の銅像が設置された。台南市には台湾にダム技術をもたらした水利技術者である八田與一記念公園があり、敷地内には墓石、記念館、当時のダムが存在する。

写真③:鳳山紅毛港保安堂の安倍晋三像

 一面的であるという指摘もあろうが、台湾が旧統治時代の歴史を冷静な視点で振り返っており、その延長上に現在の良好な日台関係が成立していると理解することができる。

台湾の対中感情

 では台湾のこうした対日感情の背景には何があるのか。前述のような旧統治時代の日本の功績が評価されている面があるが、それだけではない。1947年に起こった二・二八事件や、その後の白色テロといった中華民国政府の暴政が、日本の統治への評価を高めている面がある。
 台湾人をどう分類できるかについて、その分け方はいくつも存在するが、大きくは本省人と外省人に分けられる。前者は1945年の第二次世界大戦終結以前から台湾に居住していた人々を指し、先住系本省人と漢族系本省人に大枠で分類される。案外、知られていないが台湾は原住民が多く存在し、数にして約50万人以上が居住する。中華民国政府は16の原住民がいて、総統府建物の中にそれぞれの文化を紹介する展示もある。台湾の人口を分類すると以下の通りとなる。

 1945年10月25日の台湾光復[3]以降、大陸での国共内戦の影響により、中国国民党ならびに国民党軍が台湾に流入した。彼らは要職を占め、既に居住している本省人を厳しく抑圧した。先述の二・二八事件はそうしたことへの不満から起こった抗議デモと、それに対する武力制圧である。1か月余で知識人や抗議デモ参加者を中心に約2万8000人の台湾人が殺害された[4]。その後も白色テロにより中華民国政府(国民党政府)は戒厳令を発し、反体制派に対しての政治的弾圧を行った。また中国語(北京語)教育が推進され、学校で台湾語や客家語をはじめとした、中国語とは異なる言語を使用することによる罰則などが存在した。今でも一部の層は「中国語」や「北京語」といった表現を使うことを避け、その特性から「國語」や「台湾華語」といった語句を用いることが多い。
 これらを鑑みたときに言えることとして、本省人のマインドにおける反中意識は単に共産党だけに向いているわけではなく、大陸から来るあらゆる脅威に向けられているということができる。もちろん李登輝政権において二・二八事件や白色テロに関する謝罪がなされ、旧台北新公園は二二八和平公園へと改名され、記念碑が設置されたことにより、過去の清算の一端が成された。(もっとも、李登輝元総統自身は当事者ではない)。
 現在では国民党政権をこうした歴史観から恨む層は少なくなったものの、事件の責任者である蒋介石の銅像や紙幣への印字に反対する運動が存在することからも、本省人と外省人との間に生まれた深い溝は今も残っている。そしてそれは高齢者層にとっては、日本による旧統治時代と国民党政権下での戒厳令時代を比較した際に、前者がより好ましく思われるのだろう。 

台湾の現場から:人々は何を考えるのか

 筆者は2022年12月、2023年1月の二度に分けて台湾へ渡航し、様々な政治活動をモニターした。そうした中でやはり目についたのは反中感情の高まりであった。「台湾の原宿」と称される若者の集う街、西門町の駅前には台湾独立を主張するプラカードやのぼりが掲げられていた。
 台湾独立を掲げる政治団体のパーティーに参加する機会を頂いた。2022年12月当時は中国共産党政府のゼロコロナ政策に反発した中国国民が白紙運動を展開している時期であり、この会合においてはそれを支援するために白紙が配られ、大合唱の下掲げられた。また習近平・中国共産党総書記の辞任を求めるのぼりも広げられた。

写真④:白紙を掲げる人々
写真⑤:習近平の辞任を求めるのぼり

 日本ではよく「旧統治時代を懐かしむ高齢者が親日であり、若い世代はそうでもない」という声が聞かれた。しかし現地に赴くと、もちろん戒厳令下を生きた高齢者層が当時の国民党政府への反発心から親日感情への転じている場合もあるが、そうではない若年層や中年層も親日であることがわかった。冒頭にも挙げた「2021年度台湾における対日世論調査」ではそれぞれの項目に対して「日本」と回答した人の中での年齢別比較を行っているが、「日本が最も好きな国である」と回答した割合のトップは30代が73%でトップ、ついで40代、20代である。「日本を最も親しくすべき国」と回答した割合は40代、30代、20代の順で多かった[5]。むしろ高齢者層よりも若い世代の方が日台関係をより深化させていくべきと考えていることがわかる。
 一方で台湾をめぐる安全保障の問題はシビアである。前記の世論調査を参照すると「台湾人が考える台湾に最も影響を与えている国」の上位国は2021年度の結果ではアメリカ58%、中国25%、日本13%である。2018年度の結果は上から中国45%、アメリカ33%、15%であったことを鑑みると、台湾の人々の視点が元来の両岸関係を主眼に置いた国際社会観から、米中対立の狭間に台湾を位置付けた国際社会観に変容してきたことがうかがえる。台湾は意図してか意図せずしてか、米中対立の時代のプレイヤーとなっており、そのことは台湾の人々も認識するところとなったといえよう。

友好な日台関係と日本の役割

 世論調査や現地での情報収集から、台湾は日本との関係性をさらに深化させていくことに世代を問わず積極的に考えていることがわかった。そしてそれは迫りくる安全保障上の危険に呼応してのものであると同時に、安倍晋三元首相が「台湾有事は日本有事」と発言したことや、コロナ禍でのワクチン提供に対しての感謝からの思いでもあった。
 現在、中国では、コロナ政策の失敗や白紙運動への参加によって逮捕された人の開放を求める運動によって、内政に揺れが生じている。そうした中で中国が台湾侵攻に舵を切ることは想定されにくい。その一方で台湾では、高まる反中意識と、日米のコミットメントを取り付けることができたことによる楽観的な考えが現場で見ることができた。
 日本においては、同じ価値を共有する台湾の独立が守られることは国益にかなう。日本は両岸関係が最悪の事態を迎えないよう外交努力を続け、台湾が独立した地域として存立できるよう国際社会に働きかけをしていくことが求められる。 

[1] 公益財団法人日本台湾交流協会「2021年度台湾における対日世論調査」2021_seron_kani_JP.pdf (koryu.or.jp)

[2] 同上。

[3] 台湾島・澎湖諸島における日本の統治が終了し、中華民国に編入されたことを指す。

[4] 伊藤潔『台湾 四百年の歴史と展望』(中公新書、1993年)。

[5] 公益財団法人日本台湾交流協会「2021年度台湾における対日世論調査」2021_seron_kani_JP.pdf (koryu.or.jp)

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