論考

Thesis

ジョブ型・メンバーシップ型と働き方改革:令和の時代における松下幸之助流「人づくり」

「松下電器は人をつくる会社です。あわせて電気器具もつくっております。」という言葉に代表されるように、松下幸之助塾主といえば「人づくり」によって成功した昭和の企業人の代表格のように扱われている。しかし、松下幸之助塾主が人づくりを訴えていた1960年代には、後述するように池田勇人首相の施政方針演説や『国民所得倍増計画』[1]にもみられるように、政府や企業が「職務給」を一丸となって推進し、今日の言葉で言うところの「働き方改革」の波が押し寄せていた。このような時代背景を考えると、松下幸之助塾主の人づくりは「典型的な成功した昭和の経営者」の考え方ではなく、「1960年代当時既に(建前上は)異端だった考え方」ではないかと考えられる。本稿では、松下幸之助塾主の人づくりに対する考え方と1960年の時代背景を比較し、松下幸之助塾主の考え方が1960年代において既に異端であったことを指摘した上で、松下幸之助塾主であれば、いわゆるジョブ型等の働き方の導入が喧伝される2025年の今も「企業による人づくり」、「メンバーシップ型」の雇用体系を断固守り抜いたであろうことを指摘する。

「メンバーシップ型」の松下幸之助

 「ジョブ型」の定義として、濱口(2021)は、典型的な「ジョブ型」を「まず最初に職務(ジョブ)があり、そこにそのジョブを遂行できるはずの人間をはめ込み」「ジョブディスクリプションに書かれた任務を遂行できているかそれともできていないかをチェック」「それができていれば、そのジョブにあらかじめ定められた価格(賃金)が支払われる」と定義している[2]。その対極としての「メンバーシップ型」は、「そもそも入社時に具体的なジョブのスキルで評価されているわけではありませんし、入社後も具体的なジョブのスキルで評価されるわけではありません」「では彼らは何で評価されているかというと(中略)特殊日本的意味における『能力』を評価され、意欲を評価されている」「(『能力』は)いかなる意味でも具体的なジョブのスキルという意味ではありません。(中略)潜在能力、人間力等々を意味します。また情意考課の対象である意欲とは、要は『やる気』ですが、往々にして深夜まで居残って熱心に仕事をしている姿がその徴表として評価されがちです」と述べている。
 松下幸之助塾主は徹頭徹尾「メンバーシップ型」の考え方の持ち主である。先述の有名な「人をつくる会社」のほかにも、「やはり社員の訓育といいますか、人間的な成長に、会社としていっそうの努力をすべき」「そういう考えをもって努力している会社に入ってこそ、青年社員の将来というものが、非常に明るく輝く」(『商売心得帖』)ということを述べ、あるジョブに適した人を当てはめるのではなく、その人に適した仕事を作り与え、会社が人を育てるというモデルを大切にしていた。さらに、大学の数を半分にして、「一般の高等学校に進む人が30%、職業学校なり職業専門学校へ行く人が40%、あとの30%はすぐ働きについています。(中略)多くの中企業、大企業ではその社に学校を設け必要な教育を授けていますので、働きながら勉強をしている人も多いのです。」(『私の夢、日本の夢、21世紀の日本』)という社会を自身の理想として掲げ、学校による教育に代わる「会社による人づくり」を主眼として、教育体制もそちらに合わせるように変革すべきではないか、と訴えていた。

「ジョブ型」に突き進む1960年代日本

 一方、1960年代の日本は「ジョブ型」に向かって突き進んでいた。2025年の石破茂首相の演説の中に登場しても違和感がない、「従来の年功序列賃金にとらわれることなく、勤労者の職務、能力に応ずる賃金制度の活用をはかるとともに、技能訓練施設を整備し、労働の流動性を高めることが雇用問題の最大の課題であります」、という発言が1963年1月23日に池田勇人首相の第43回国会の施政方針演説にみられたように、技能訓練施設の整備によって客観的な「スキル」を労働者に付与し、(社内の労働市場に対抗しうる)外部労働市場を整備し、労働者の職務(ジョブ)に応じた賃金制度へと切り替えるという典型的なジョブ型の発想を1960年代の日本は取り入れようとしていた。「経営『学』の神様」[3]と呼ばれ、池田・佐藤内閣で経済審議会の委員を務めた坂本藤良教授[4]も、「私は、これまでいくつかの著書で『職務給』への転換の必要性を主張してきた。『職務給』こそ、『同一労働同一賃金の原則』にもとづく、近代的な給与制度である」(坂本、1959)と主張し、政治・使用者・学界[5]の側から、今日でもそのまま通用するような「ジョブ型」の議論が出てきたことは注目に値する。

松下幸之助と教育

 松下幸之助塾主は企業の中で「人づくり」を行うだけでなく、公教育の「人づくり」のあり方も変えようと考えていた。池田勇人首相は1962年8月10日の所信表明演説の中でも「特性を涵養し、祖国を愛する心情を養い、時代の進運に必要な知識と技術とを身につけ、わが国の繁栄と世界平和の増進に寄与しうる、より立派な日本人をつくりあげる」とうたい、道徳教育を進める[6]にあたって森戸辰男を会長とする中央教育審議会に諮問したが、その中の第19特別委員会(主査:高坂正顕)に松下幸之助塾主も「臨時委員」として参加した。この第19特別委員会が道徳教育に関して「期待される人間像」を草案としてまとめたところ大反響がもたらされた[7]。今までの塾主研究を踏まえると、やや引用が長くなるが、まえがきの「古来,徳はその根源において一つであるとも考えられてきた。それは良心が一つであるのと同じである。以下に述べられた徳性の数は多いが,重要なことはその名称を暗記させることではない。むしろその一つでも二つでも,それを自己の身につけようと努力させることである。そうすれば他の徳もそれとともに呼びさまされてくるであろう。」といった表記や、第2部第3章「社会人として」における「(前略)われわれは自己の仕事を愛し,仕事に忠実であり,仕事に打ち込むことができる人でなければならない。また,相互の協力と和合が必要であることはいうまでもない。そして,それが他人に奉仕することになることをも知らなければならない。(略)社会人としてのわれわれの能力を開発することは,われわれの義務であり,また社会の責任である。」といった箇所は松下幸之助塾主の思想に類似している[8]のではないかと考えられる。

2025年の日本における「人づくり」の限界

 1960年代に喧伝された「ジョブ型」導入は1973年のオイルショックで大きく頓挫し[9]日本社会や雇用環境において「メンバーシップ型」は温存されることになったが、後に[10]”Japan as No.1”などで企業別組合と並んで日本の成功の要因とまで挙げられるようになったメンバーシップ型≒終身雇用であるが、現在の2025年まで来ると相当の制度疲労を起こしている。
 まず、明示的にこなすべきジョブの内容が記載されている「ジョブディスクリプション」が与えられるジョブ型と異なり、「社員」としての会社に対するコミットが重要視されるメンバーシップ型は、出産や育児を通じて会社への全人格的な「コミット」が難しい女性の社会進出[11]と相当な軋轢をおこしている。例えば、緒方(2014)では、規制改革会議雇用WGや産業競争力会議といった政府内の議論を引用する形で、「職務や勤務地、労働時間(残業を含む)が特定されていない」”無限定正社員”を生むメンバーシップ型からジョブディスクリプションによって職務内容が明記されているジョブ型にシフトすることで、「地域限定型、労働時間限定型の正社員が普及することで女性の労働参加の促進、優秀な女性の活躍の場の広がりが期待できる」、「子育て・親介護といった家庭の事情等に応じて、時間や場所といったパフォーマンス制約から解き放たれてこれらを自由に選べる柔軟な働き方を実現したいとするニーズ。特に女性における、いわゆる『マミー・トラック』[12]問題の解消」ができるという議論を紹介している。
 また、転職がキャリアの中で当たり前になりつつある中、特に新卒や若年労働者は会社内・メンバーシップ内でだけ通用する能力ではなく、客観的な、外部労働市場で通用する「技能」の取得を求める傾向にあり、社内で業務を円滑に行えるようになる能力の取得に対して冷淡であるという点も挙げられる。
 さらに、日本企業が「失われた20年」の中で体力を失い、新卒を育てる余裕が無くなり、またせっかく育てた新卒も転職が一般化して流出してしまう中で、高等教育をより「ジョブ」と結びついた形に変更し、ジョブ型の社会へと変革していくしかないという議論も行われている。
 そのうえで、そもそも論として「メンバーシップ型」で大して人を育てられていないのではないか、という議論もある。リクルートワークス研究所によるGlobal Career Survey 2024によると、労働者[13]に対するアンケートで「OJTを受けた」と答えた割合は日本において僅か39.8%であり、各国(日本に加えアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・中国・スウェーデン)の中で圧倒的最下位であり、また職域変更の可能性が「ない」労働者は、21.1%で各国内で最多である。つまり、「日本型雇用」の強みとされてきた、「OJTで学び、柔軟な職務配置で適材適所の強みを発揮する」という物語とは裏腹に、「OJTは受けられず、硬直化した人事配置による弊害が生じている」という、現代における日本型雇用のリアルが描き出されている。

松下幸之助流:2025年の人づくり

 それでも、松下幸之助塾主は2025年においても「会社が人を育てる」という考え方を貫徹させると考えられる。1960年代において大勢に抗って「会社が人を育てる」というビジョンを貫いた松下幸之助塾主は、2025年においても会社で育てるために、以下のように考えるのではないだろうか。
 まず、会社が人を育てるために人づくりの「ビジョン」が必要である。行き当たりばったりの人づくりでは、その「ジョブ」に合致した人にその仕事をさせる「ジョブ型」の劣化版にしかならない。松下幸之助は、企業経営においても国家経営においてもビジョンを最重要視した。人づくりにおいても、この人をどう育てるのか、そういう「ビジョン」を持つ必要があると考えるのではないだろうか。
 また、そもそも「育てられる」気がない社員を育てることは難しい。松下幸之助塾主自身も、「諸君は縁あって松下電器の職を奉ずる以上、わが松下電器の使命に絶大なる歓喜と責任を自覚しなくてはならぬ。この責任を自覚しないものは遺憾ながらいわゆる無縁の衆と断じなくてはならない。」と述べている。自分たちは「メンバーシップ型」で人を育てるのだ、ということを真正面から掲げ、それにあった社員を選抜するというプロセスが必要なのではないだろうか。
 「のれん分け」も、メンバーシップ型を機能させる上で必要なのではないか。『道をひらく』においても、「ノレンわけ」と題し、現在の社会では自らがビジネスを始めることは難しいと断った上で、「ノレンわけによって、独立の営みをはじめるというあの自主的な心がまえまでも失ってしまいたくない」として、のれん分けの精神の重要さを説いている。だが、ベンチャー企業の設立が比較的容易になった現在、「メンバーシップ型」によって育てられることによって、精神だけではなく実際に独立・起業できるというビジョンを示すことで、企業内における「人づくり」が進むと考えられる。
 また、上記にみたように、今日において企業内における「人づくり」は、大企業よりも志を同じくするベンチャー企業や比較的小規模な企業で成立するのではないか。以前筆者が塾主研究で扱った『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』においても、松下幸之助塾主が[14]「中小企業の時が一番楽しかった。(中略)従業員が五十人とか百人程度の中小企業であれば、経営者も全員を掌握することができるからでしょうね。一人一人の顔と名前が一致しますし、社長の考えというものが文字通り会社のすみずみまですぐに行きわたる。」「一番強いのが中小企業だ」いう発言をされていたことからも分かるように、塾主は今日では「人づくり」のために、社員というメンバーを育てるために、(もう一度)中小企業を始めるというアプローチを取る可能性があると考えられる。このように考えると、松下幸之助塾主が日本で初めて導入した「事業部制」も、機能別組織と対比した際に、大企業になりつつある松下電器において、どのようにして中小企業時代のような「メンバーシップ型」を維持するかの考慮の結果だと考えられるのではないだろうか。

参考文献

・松下幸之助塾主の著作は以下の4冊を挙げるにとどめる
 松下幸之助『道徳は実利に結びつく』パンフレット版、1966年
 松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1968年
 松下幸之助『商売心得帖』PHP研究所、1973年
 松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』PHP研究所、1977年
・内閣総理大臣官房総務課「国民所得倍増計画について」『内閣公文・財政・経済・金融・経済・国民経済・第2巻』1957年-1960年
・坂本藤良『経営の構造』有紀書房、1959年
・川上恒雄『「ビジネス書」と日本人』PHP研究所、2012年
・日本労働協会編『労働組合と賃金―その改革の方向』1961年(濱口桂一郎『日本の労働法政策』独立行政法人労働政策研究・研修機構、2018年から孫引き)
・ジェームズ・C・アベグレン、山岡洋一(訳)『日本の経営<新訳版>』日本経済新聞出版、2004年
・エズラ・ヴォーゲル、広中和歌子他(訳)『ジャパンアズナンバーワン』CEメディアハウス、1979年
・カレル・ヴァン・ウォルフレン、篠原勝(訳)『人間を幸福にしない日本というシステム』毎日新聞出版、1994年
・リクルートワークス研究所「『日本型雇用』のリアル ―多国間調査からいまの日本の雇用を解析する―」2024年
・緒方桂子「『女性の活躍』と労働規制緩和―ジョブ型正社員論を中心に」『月刊DIO 連合総研レポート2014年10月号』公益財団法人連合総合生活開発研究所、2014年

注釈

[1] 「労務管理制度も年功序列的な制度から職能に応じた労務管理制度へと進化して行くであろう。それは年功序列制度がややもすると若くして能力のある者の不満意識を生み出す面があるとともに、大過なく企業に勤めれば俸給も上昇してゆくことから創意に欠ける労働力を生み出す面があるが、技術革新時代の経済発展を担う基幹的労働力として総合的判断に富む労働力が要求されるようになるからである。企業のこのような労務管理体制の近代化は、学校教育や職業訓練の充実による高質労働力の供給を十分活用しうる条件となろう。労務管理体制の変化は、賃金、雇用の企業別封鎖性をこえて、同一労働同一賃金原則の浸透、労働移動の円滑化をもたらし、労働組合の組織も産業別あるいは地域別のものとなる一つの条件が生まれてくるであろう。」(第4部「国民生活の将来」第1章「雇用の近代化」)た。

[2] 濱口はジョブ型にありがちな誤解として、「ジョブ型は成果主義ではない」「ジョブ型は解雇しやすいわけでもない」「ジョブ型はマネージャーやスペシャリストのような『エグゼンプト』ではなく、ブルーカラー労働者のような『ノンエグゼンプト』の典型の働き方である」という点を述べている。ジョブ型では、ジョブディスクリプションの任務が遂行できているかのみをチェックするため、一般の労働者の細かな「仕事ぶり」を評価する体系にはなっていない。また、確かにジョブ型の国であるアメリカは原則として「解雇自由」であるが、アメリカ以外のジョブ型諸国では正当な理由のない解雇は規制されており、「ジョブ型=解雇自由」というわけでもない。さらに、厳しく成果で評価され、ジョブディスクリプションも広範かつ曖昧になりがちなハイエンド職ではなく、工場のブルーカラー労働者のようなある種定型的な働き方が、ジョブ型が一般的な対象として想定する労働者像である、と指摘している。

[3] 鍵括弧は筆者(栗山)による強調。無論「経営の神様」松下幸之助との対比を意図している。なお、本稿で引用した坂本『経営の構造』においては、坂本教授と松下幸之助塾主の対談が収録されており、対談の主題は異なるものの(事業部制及びいわゆる「社員稼業」についての考え方がメイントピック)、「ジョブ型」を喧伝する「経営学の神様」と、「メンバーシップ型」的社員教育を前面に押し出す「経営の神様」の対談という構図で興味深い。

[4] 坂本藤良を扱った川上(2012)によると、1950年代後半から1960年代前半にかけての「経営学ブーム」は、「日本企業の経営が遅れている」という見解に至ったGHQ内のCCS(民間通信局)による電気通信工業関連企業に対する経営技術指導、及びそれを発展させた「CCS経営講座」がその一因となったとされる。職務給導入も、「遅れている」日本企業に「進んでいる」アメリカ流の制度を導入しようという姿勢の現れであると考えられる。

[5] 労働側は「不思議なことには、総評のような労働組合までが、このような不合理な封建的給与制度を支持して、その改革に反対している」(坂本、前掲書)という態度を取っていたが、職務給への変更に伴い、労働者個人単位で減給となるリスクがあるという労働内のジレンマに加え、職務給への変更が労働側全体に対する不利益変更の押し付けの口実に使われるのではないか、という懸念もあった。近年の「ジョブ型」導入が、ともすると中高年労働者に対する不利益変更の押し付け(例えば、「部長」業務(=ジョブ)を問題なくこなせている中高年高給与労働者を、ジョブ型導入を理由に降格させることは、いかなる点においても真の意味でジョブ型的ではない)の口実になっているのをみるに、こうした労働型の懸念が全くの杞憂であったとはいえない。なお、労働側の中で全国産業別労働組合連合(新産別)が、前記の理由から職務給の導入に後ろ向きであった総評・全労(後の同盟、また中立労連の公式の意向は引用元からは不明)に対し、「賃金の体系の近代化という点については、労働側もまた使用者側もいずれも主体的に立ち遅れている」「この際、そういう条件(職務給移行、栗山注)に乗って、積極的に賃金制度を近代化し、日本の賃金を改革しようという積極的な方向を持つ必要がある」と積極的な姿勢を示していることは注目に値する(日本労働協会、1961)。

[6] 「ジョブ型」の観点からは、道徳教育に並行して行われた、教育投資論や人的資本論に基づく能力開発の観点も興味深い。「日本の成長と教育―教育の展開と経済の発達」(文部省『教育白書』1962年8月)や「経済発展における人的能力開発の課題と対策」(経済審議会人的能力部会答申、1963 年1月)のように、「人づくり」は道徳に偏重していたわけではなく、むしろ技能訓練等を通じた労働者のスキルの獲得による人づくりこそが主眼にあったのではないかとも考えられる。

[7] 中間草案(1965年1月)の段階において賛否双方の反響が大きく、その影響もあって最終的な答申(1966年10月)においては、「期待される人間像」は別記の扱いになっている。

[8] なお、松下幸之助塾主にとっては、「期待される人間像」も不十分な内容であり、1966年に発行した小冊子『道徳は実利に結びつく』の方がより松下幸之助塾主のアイデアをダイレクトに反映したものであるとも考えられる。「人間像」と『実利に結びつく』の大きな差異として、前者が道徳による精神面の向上を主眼に置いているのに対し、後者は精神面のみならず交通道徳の向上による「交通戦争」の解消や商道徳の向上による取引の円滑化などタイトル通り道徳による実利実益を強調している点が挙げられる。

[9] オイルショックを受けて拡大した雇用調整助成金(会社『内』で雇用を調整する制度)がその後恒常化したことによる影響も大きい。

[10] 「日本的経営」という概念を紹介したはしりはアベグレン『日本の経営』であると考えられるが、トヨタ生産システムやQCサークル活動といった日本的経営が日本企業の「強み」であり、経営手段として学ぶべきもの、あるいは制度や慣行も含めた広い領域で米国流の自由主義経済の脅威となり、警戒・対抗すべきもの(ジョンソン(1982)やウォルフレン(1994)など)といった評価が確立するのは80年代以降であると考えられる。

[11] 「女性の社会進出」を切り口に論じられることが多いが、男性が「本来」家庭内で果たすべき役割や、障害をもった人の働き方のあり方、またそもそも論として会社に全人格的にコミットする働き方やそれを評価する文化を肯定的にとらえてよいのか、といった点も問題である。

[12] 筆者の言葉で補足すると、現在のメンバーシップ型社会では、「無限定正社員」でない働き方は得てして「二線級」として扱われるため、そもそもそういった働き方を選択しえない女性の評価が「ジョブをこなすスキルの有無」と関係なく低くなる恐れがあるのに対し、ジョブ型では「ジョブが遂行可能かどうか」のみがジョブに対する適格性を判断する基準となるため、ジョブに対するスキルを持っている女性の活躍を推進しやすいといった側面がある。

[13] 各国における調査対象は厳密には一致していないが、例えば日本の調査においては「労働力調査」にあわせて正規・非正規割合を調整する等、一定程度サンプルを労働者を代表する形に調整する試みがなされている。

[14] 小説内の「通産事務次官」の発言として

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栗山博雅の論考

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Hiromasa Kuriyama

栗山博雅

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