Thesis
「人間は万物の王者である。それ故に万物を統べる義務を負う。」しかし、その人間の本性・使命と科学の進歩や文明の発展とが、正しく調和ある姿において生かされていなければならない。そうでない現状を、調和ある姿にする視点を"臨床"で探る。
現在は、空前の"まちづくり"ブームである。まちおこし(都市再生)がこれほど流行しているときは、これまでになかった。この根底には、「このままではダメだ。どうにかしなければ」という危機感が、多かれ少なかれ認識されざるを得ない背水状態と、グローバル化によって自らの立ち位置を再確認する必要性が現れたことがある。しかし、「どうせもうダメだ」という抗い難い絶望がそこに横たわっていることも常である。そして、まち中に加害・被害という対立が深く根を下ろしている。その分裂を修復し、再生という同じ目標に向かって手を取り合う機会を提供するサステイナビリティーの発想。それは、塾主、松下幸之助のいう「万物の王者」という人間の本性・使命を体現する糸口なのかもしれない。
しかし、サステイナビリティー概念を人間の本性・使命を体現に導くものとするためには、現在の「持続可能性」や「環境と経済の両立」という紋切り型の決まり文句を改めて見つめなおし、サステイナビリティー概念を再定義する必要があるように感じる。
ここ数ヶ月間、個別研修で南の地方を巡っていたが、町並みが整備されていて綺麗だなと思った地域に、小倉の町がある。小さい頃、話の内容はよく覚えていないが、ある話で記憶に残った町で、いつか行ってみたいと思っていた所でもあったが、想像上の町と実際の町並みがかけ離れた近代性を持っており、少なからず驚いた。殊に小倉城の掘に通じる紫川近辺は、ちょうどクリスマスの時期に重なったこともあり、ライトアップされたその幻想的な水辺が印象に残った。東京圏の類似の場所と異なり、あらゆる年代の方々、そして家族連れ、特に幼児が多く夜の町に連れ立っていたのも、目を引いた。
今回の研修旅行の目的は「まちづくり」の調査ではなく、自治体レベルの国際経済連携調査であったのだが、調べていくうちに両者が不可分一致の事項であることを確信した。そして、現在の状態に町を持ってくるための必死の「まちづくり」の努力とその構想の歴史を通して、延長線上に国際経済連携を置く必然性が見えてきた。まず、小倉の町が現在の北九州市として“再生”する過程を辿ってみる。
(1)九州市
かつて鉄の町として名を馳せ栄えた町は、1980年代までに公害の町に変わり果てていた。現在、北九州市はエコタウンとして世界的にも有名となり、あちらこちらにその生まれ変わりの成功例として注目され、また紹介されているが、そのいずれもが必ず、「大腸菌も死滅する死の海」を抱える町として当時を表現している。膨大な人と土地の余剰を抱え、街も人も疲弊し、ギリギリの状態にあった。
1987年、前市長である末吉氏が初当選し、北九州市の"ルネサンス"を旗印に街を根底から変える構想を掲げた。そして、2年間の基本構想期間を経て20年近くにわたる長期展望の下、その再生事業を開始した。しかし、当初は市民にその必要性が理解されず、計画などよりも打ち上げ花火のひとつふたつでもやれという諦めムードが漂っていたというが、それも10年が経ち形が見え始めて、やっと計画の大切さが理解されていったという*1。
北九州市の長期計画の独自性は、自身の特性をこれまでに培ったストックに求めたことである。既にあるものの価値を再検討して生まれ変わらせようと、様々な発想の転換を行った。その成果が、鉄道ストックの都市交通への変換、歴史資産である門司港周辺のレトロ観光地区への変換、そしてかつての製鉄技術のリサイクル事業実用化開発への転換等である。環境産業を基幹産業として、ものづくりだけに頼らずに観光業がそれを補完する街へと着々と変貌を遂げている。しかし、大企業中心の最先端リサイクル事業に加え、従来の中小企業による伝統的な廃棄物処理のもの循環ネットワークを、再活用するために統合できるかどうかが、"サステイナブル"な循環型社会への試金石であるという*2。
(2)ビルバオ
「都市再生の日欧比較-ビルバオと北九州」という論文がある。これは建築家の岡部朋子氏の著作の第一章*3なのだが、筆者が考えていたことと通じる視点が提供されているため共感した。その視点に入る前に、対比の一方であるビルバオの説明を上記著作を参照してまとめさせていただく。
ビルバオはスペイン北部に位置するバスク地方の中心都市である。北九州同様、鉄の街として栄えた歴史を持ち、地理的にも立地条件が極めて類似し、人口規模も同様の100万人である。しかしこれまた同様に、1970年代から80年代にアジア諸国との競争に敗れ、失業と環境汚染が蔓延する絶望の街と化した。ビルバオでも長期都市再生計画が練られたが、やはり当初は悲観的な見方が勝っていたという*4。
北九州と一線を画すのは、再生の注力分野を産業でなく文化に据え、文化とビジネスをリンクさせてのイメージ戦略による観光集客を目指した点である。その切り札が、アメリカのグッゲンハイム美術館の誘致であった。これは多分に運が良かった面も否定できない*5が上手くいき、ビルバオという都市はイメージ・チェンジを成し遂げた。更に"グッゲンハイム効果"だけに頼ることなく本物の文化都市へとこれまでの動きを繋げていくために、スラムと化していた歴史市街地であるラ・ビエハ地区を芸術活動の拠点として整備し、若者や海外も含めたアーティストへの芸術支援に力を注いでいる。そしてその間、やはり街中を流れる死の川、ネルビオンの環境問題をきっかけに、住民の対立が解け協調路線へと変貌している。
"サステイナビリティ"は、「いかようにも利用できる曖昧な概念」*6であるが、俗に“持続可能な”という定訳が為されている。何が“持続可能”なのかについて、岡部氏は「人の生活が持続可能である」こととし、「都市における人間の復権」が都市再生の主眼だとしている*7。
先に筆者は、「今回の研修旅行の目的は「まちづくり」の調査ではなく、自治体レベルの国際経済連携調査であったのだが、調べていくうちに両者が不可分一致の事項であることを確信した。そして、現在の状態に町を持ってくるための必死の「まちづくり」の努力とその構想の歴史を通して、延長線上に国際経済連携を置く必然性が見えてきた。」と書いた。これは一言で言うと、"人間中心"の視点である。自治体を国に例えると、"まちづくり"は国内問題、"国際経済連携"は外交といった感じの区分けが為され、別々の問題と捉えられており、両者がまるで全く関係のない事象・事項として語られていることに、調べているうちに違和感を覚えた。その他のことにしてもそうである。確かに、分類は必要であるし大切なのだが、それ単体で扱えるものなのだろうか?
今年度の半年ほど、あちらこちらで色々とお話を伺わせていただくうちに疑問に思い、常に頭にあったそれを考えて、やっと気付いた。両者に否応なく共通するもの。それは人間であると。これは当たり前のことであるが、どの現場からもその行動主体である人間の存在感が、全く語られず、認知もされていない。その行為の対象のみが一人歩きしているのである。塾主は言っている。
「共同生活におけるもろもろの活動というものは、本来全て共同生活を高め、人間の幸せにプラスするところに、その基本の意義があるのであって、これに反するようなものであってはならないわけです。・・・・・・(中略)・・・・・・決して政治のために、経済のために人間があるわけではありません。人間のための政治、人間のための宗教、人間のための学問、教育、思想すべてそうでなくてはならないと思います。・・・・・・(中略)・・・・・・どの分野も共同生活を高めていくという意味において、きわめて重要であるということになりますが、しかし、ここで忘れてならないことは、それぞれの分野がいかに巧みに調和していくかということです。いままではどちらかということ調和ということよりも、進歩することにより大きな努力を払ってきた、・・・・・・(中略)・・・・・・したがってこれからは、それぞれの分野が進歩すること以上に、お互いがいかに調和しあうかということに力をもちいていく必要があると思います。(下線部筆者)」*8
今回、本稿を書くために改めて、しばらくぶりに塾主の『人間を考える』を再読したが、前回読んだ時には全く重要事項として筆者にひっかからなかった上記文章が、鮮やかに眼に飛び込んできた。上記引用箇所は「補章1 人間の共同生活の意義」という章の一部であるが、ここは今回読むまで全く印をつけて読んだ跡がなく、真っ白なままになっていた。一年次のカリキュラムである「塾長講和」の時間によく塾長が「幸之助の哲学は頭で考えたものではなく、“臨床哲学”だ」と繰り返し述べておられたが、それを実感した次第である。
さて、これまでの個別研修活動を通じて、この塾主の言う人間の(共同生活の)ための"調和"、これが"サステイナビリティ"なのではなかろうかと思うようになった。本来の言葉の意味そのものは"持続可能"であることは確かなのであるが、(経済)開発と環境の文脈で一般的に用いられるようになった"サステイナビリティ"の原義は、1987年に国連の環境と開発に関する世界委員会が出したブルントラント報告書に述べられており、それは以下のように"サステイナビリティ"を定義している。
「将来の世代が自らの欲求を充足する能力を損なうことなく、今日の世代の欲求を満たすこと」*9
今日の広範な意味を包含する"サステイナビリティ"の原点である『人類共有の未来(Our Common Future)』と題されたブルントラント報告書は、端的には世代間の"調和"による人類文明の営みの永続をさしているようだが、"調和の礎の上に築かれる共同生活の進歩(サステイナブルな発展)"を語る際には、社会的、経済的、生態学的、空間的、文化的の5次元が考慮される*10。しかし、経済的および生態学的次元におけるサステイナビリティ論が突出しているように思われる。これが、「経済と環境の両立」という紋切り型の決まり文句につながってしまっているように思う。その通りなのであるが、ここにはその営みの主体である人間の存在が希薄である。もう一歩高次元に視野を広げ、人間中心の視点から、「"人間の"生活の質と生きる手段の発展の"調和(リンク)"」と"サステイナビリティー"を定義したい。そして、都市再生の文脈においては、これを"まちづくり"と定義する。よって、町おこしも、防犯パトロールも、国際経済連携も、同じ土俵で語られなければならない。全ては人間中心に考えるべきだからであり、それら全ては人間に付随する活動だからである。
とはいえ、実際に行動を起こす際には、いずれかの“分野”に絞って処方箋を書く必要があり、都市再生において人(環境)と産業(経済)と、どちらを優先するかの二者択一を迫られる。ここで先の北九州とビルバオを思い出していただきたい。結果として両者とも良く似た再生となったが、その入り口は北九州が環境ビジネスという産業を優先したのに対し、ビルバオが文化という人間の生活を優先させたという事実である。「両者の根底に横たわる再開発の哲学が正反対(下線部筆者)」*11だということだ。どちらが良いとは決していえない。「衣食足りて礼節を知る」とは言いえていて妙だが、日本人は、その営みの主体である人間よりも産業をあまりに優先しすぎてはいないだろうか。日本国のイメージである経済大国というそれが、端的に全てを物語っているように思われる。そのおかげで日本は環境技術では進んでいるのであるが、その因果関係を思うと複雑な気分になる。もっと"人間の本性・使命"に着目した"まちづくり"を行っていくべきである。
それに適した動きが、現在世界的に起こっている。
先日、九州で某先生が現在の空前のまちおこしブームについて、以下のような説明をしてくださった。人間の集落化(共同体)にはサイクルがあって、都市化→郊外化→過疎化→再都市化、という一連の流れとなる。この郊外化から過疎化の過程に必ず少子化という要因が加わり、そこでコミュニティー崩壊が起こる。ここで原子(個人)レベルにまで分解された人間が、新たな拠り所としての共同体を探したとき、それは人間にとって一番身近なコミュニティーである町であった。この過程で起きた「誰かとつながっていたい」という欲求にケータイネットはマッチした。
上記の先生は「考えたこともなかった」とおっしゃったが、筆者はこの背景、つまり根本原因はグローバル化であると思う。グローバル化の推進原動力はITである。ケータイネットは過疎化への過程で生じた「誰かとつながっていたい症候群」にマッチした側面以上に、過疎化および再都市化の過程を加速する触媒という側面が強いと思う。インターネットの世界では、これが世の中に普及しだす黎明期から、中央集権化された近現代社会を再度中世化(都市化)させると言われてきた。そして、現在のごく少数の巨大な排他的特権集団を分解し、個人がその権利を持つ社会へと変えるとされた。これが今流行の「フラット化する世界」の意味、つまり、分散化と平準化の過程であると思う。よって、これまでの特権集団、例えば国という枠組みがこれまで以上に存在をアピールしだすのは、その地位を守るための当然の帰結といえる。と同時に、国の力が相対的に弱くなり、頼りにならないとしてそれ以上あるいは同等の力を求め、現状類似の構造により安定を保とうとして地域の国際連携が起きている現状も、また必然といえる。皮肉なことに、"国際化"の代名詞とされた地域統合も、実際には"グローバル化"の被害を最小限に食い止める砦となっている。
このような時代、都市も国という庇護を当てにできず、自らが国際舞台の主役となって自己の利益と存在を守っていく必要がある。これからの国際社会の単位は、国家でなく都市を核とした集合体(グローバル・シティ・リージョン)と化す。自治体レベルの国際広域連携が世界各地で生じている理由である。そしてこの動きが、世界が"国際化"時代に本格的に突入した1980年代中盤から始まっているのも頷ける。北九州もビルバオも、自分の足元が固まった時点で、奇しくも対岸地域との国際連携に乗り出している。北九州でお話を伺った誰もが、国際連携が地域活性化の切り札とはならないとしながらも、これからの時代には絶対に必要な事項であるとの答えを筆者にした。ビルバオでも、国境を越えた広域圏に期待しすぎる傾向を戒める意見も少なくないというが、国というフレームワークを相対化して、別のフレームワークで自都市を捉えなおす発想の必然性を感じているという*12。
情け容赦のないグローバル化の波と、そのコロラリーとしての都市の自律の必然性の出現。奇しくも道州制が導入された今後の日本において、これまでの親方日の丸の護送船団体質をいち早く払拭し、自律を確保するための方策を確立していかなければ、そのまちは消滅する。これまでとは違った"調和"の模索、もしくは発想の転換と視点の変換が要求される。今後世界がどこでどのように落ち着くかは分からないが、その着地点への変遷の過程にある現在、人間の本性・使命を達成すべく"万物の王者"がいかにあるべきか。その"調和"の姿を改めて早急に模索する段階に、我々は来ている。一刻の予断も許さない。
あと一年、気を引き締めて、自らの個別研修活動を通じて、塾主の哲学の"臨床実験(証明・気づき)"を丁寧に行っていきたい。
<脚注>
*1岡部朋子『サステイナブルシティ EUの地域・環境戦略』学芸出版社、2003年、30頁。
*2岡部、前掲書、28-29頁。
*3岡部、前掲書第一章、7-54頁。
*4岡部、前掲書、16頁。
*5当初、グッゲンハイムのコレクションに集客を期待していたが、実際に観光客が目当てとしたのは、「鉄のタコ」と呼ばれる、アメリカ人建築家ゲーリーの手による博物館の建物そのものであった(岡部、前掲書、16頁)。
*6岡部、前掲書、10頁。
*7岡部、前掲書、9頁。
*8松下幸之助『人間を考える』PHP文庫、1995年、100-102頁。
*9岡部、前掲書、125-126頁。
*10岡部、前掲書、126頁。
*11岡部、前掲書、44頁。
*12岡部、前掲書、50-51頁。
<上記以外の参考図書>
作花哲朗「北九州市の環境政策―北九州エコタウン事業を中心に」『都市問題研究』 第58巻第6号、2006年
本間義人『地域再生の条件』岩波新書、2007年
アレン・J・スコット編著『グローバル・シティー・リージョンズ
グローバル都市地域への理論と政策』ダイヤモンド社、2004年
大前研一『新・経済原論 世界経済は新しい舞台へ』東洋経済新報社、2006年
Thesis
Noriko Kazama
第26期
かざま・のりこ
Mission
アジア統合の可能性