Thesis
「食のバリアフリーを実現する」ことを志に掲げ、松下政経塾に入塾し、2年が経ちました。2年間の研修から得た知識や経験を踏まえ、改めて自分自身のビジョンを振り返ります。
日本は、東西南北に広い国土を持ち、太陽・水・空気に恵まれた環境を持つ。その恵まれた国土は四季を生み出し、多様な食文化を形成してきた。米や雑穀、麦類、芋類を主食として、野菜類、豆類、魚介類、藻類に味噌、醤油、酒、酢などの発酵食品が組み合わさった独自の食形態が生まれたのも、日本の地理的要因が大きく影響している。
その古くから伝わってきた伝統的な食文化は、ここ40年の間に大きく変化した。これまで、田んぼ、畑、森、山、川、海といった自然の恵みから生まれた農作物を口にしてきたが、食の工業化に伴い、工場で製造される「工業製品」を口にする機会が増えた。その代表格がジャンクフードであり、安価で大量な食糧が供給されるようになる。食品を均一かつ安定的に大量生産するためには、食味や保存性の向上は欠かせなく、仲介業者が増えれば増えるほど、本来の食品製造過程には必要のない添加物が増え、農作物そのものを味わうというより、知らず識らずのうちに、精製された工業製品を食べるようになった。このような工業製品化された食品には砂糖(ショ糖)や異性化糖などをはじめ、糖分や脂質が多く、依存性の高いものも多い。このことが、日本人の食習慣にも大きな影響を与えた。米からパンへの嗜好の変化、米の消費量の減少とおかずの割合の増加、特に輸入小麦粉・肉・乳製品・卵といった畜産物や、バターなどの油脂類の消費が増加した。
図1.日本人1人1日あたりの食べ物の割合の変化(カロリーベース)
(農林水産省ホームページより http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1205/spe1_03.html)
食需要の急激な変化は、米をはじめとする一次産業にも影響が及んだ。耕作放棄地の増加や食料自給率の低下を加速させ、日本の食卓の海外への依存度を高めた。食料自給率においては、昭和40年はカロリーベースで73%だったものが、平成26年は39%まで減少し、一面、日本の食は豊かなように思えるが、その食べ物の6割は輸入品であるという計算になっている。これは、主な先進国と比べても、最低水準である。
図2.食料自給率の推移(農林水産省「食料需給表」)
しかし、そうした食を海外に依存している現状を抱えながらも、日本の食品ロスは年間632万トンにおよび、世界の食料援助量320万トンを大きく上回る食品を廃棄している。目の前の整備された食環境に甘え、食を大切にたべる気持ちが薄れている結果ではないだろうか?日本の食は量的整備がなされる一方、質的整備が疎かにされ、食への無関心層が増えている気がしてならない。
その食環境の変化による副作用は、私たちの人体に現れている。肥満、若年性糖尿病、喘息、花粉症、食物アレルギー、胃食道逆流症、がん、セリアック病、クローン病、潰瘍性大腸炎、自閉症、湿疹など、私たちの身体は、現代の疫病に苦しんでいる。現代において増え続けている疾病の多くは「食源病」と表現され、食が起因して病に冒されるものが多い。これは本人だけでなく親や祖父母といった遺伝的な食習慣によっても影響される。それだけでなく、先述した「食の工業化」により、私たちの腸内環境をはじめとする微生物環境は大きく変化した。微生物がなければ、私たちは食べることも呼吸することもできない。しかし、その微生物の多様性は、農業や医療の現場で使われる抗生物質などの薬剤・薬品の影響により、失われつつある。
このままの日本の食環境は、決して持続可能な姿とはいえない。しかし、その変化を柔軟に受け入れ、新しい日本の食や健康を形成するのが、現代を生きる私たちの務めだと考える。
今こそ、日本人が大切にすべき食を見つめ直し、真の健康とはなにかを問い直したい。
(1)次世代の子どもたちの食が危ない
私は前職の活動の中で、小学校の総合的な学習の時間における食育の出前授業を実施していた。学校の中に田んぼをつくり、稲作を行い、自ら作り・自ら食べ・自ら考える場を提供していた。この時、驚かされたのが、子どもたちの食生活である。
毎日親が作るごはんを食べる子もいれば、1人で外食する子、買ってきた菓子パンだけ食べる子、お金を渡されるだけの子もいた。一概に言えることは、子どもの食生活は親の思考や習慣によって形成されるということである。正直にいえば、親世代の食に対する意識や知識に格差が生まれているといっても過言ではなかった。子どもの健康のために毎食丁寧に意識している親もいれば、仕事や経済環境により食事が二の次、三の次になっている家庭も少なくない。その親の考えがダイレクトに子どもに反映し、子どもには選択のしようがない環境が広がっていた。そうした食の格差が見えないところで起きていながら、子どもたちは一緒くたに教室にいて、給食というものが、子どもたちの健康の基盤を支える命綱であった。家庭環境が変化している中、給食や学校現場の果たすべき役割はますます大きくなっていくに違いない。
(2)東日本大震災の支援活動を通じて
食環境の整備が必要なのは平時だけではなく、有事の時の対応も重要である。私にとって、人生の大きな転機となったのが、東日本大震災である。被災時は池袋で帰宅困難となり、一夜を明かした。この時、食料品を奪い合うように買い占める人々の群れを見た時に、いかに日本は食に不安定な国であるかを考えさせられた。災害大国であるからこそ、人一倍対策をしていく必要性があると感じている。
その後、宮城県七ヶ浜町や名取市などで支援活動を行なった。ここで、食物アレルギーがあるために支援物資が食べられないという二次災害を受けている子どもたちの存在を知った。特に、津波から親は亡くなり子は助かったが、食物アレルギーの程度を祖父母が把握しておらず、津波から逃れて助かったにも関わらず、アナフィラキシーショックによって、命を落としてしまったケースがあると聞き、このようなケースが二度と起こらないような国にしたいと新潟県内の米生産会社や製菓会社と連携し、食物アレルギー対応の商品開発に携わってきた。食物アレルギーのみならず、様々な食事制限者が災害時も食に困らない環境づくりが大切だと考えている。
(3)増え続ける食物アレルギー児からみえてきた健康の重要性
食物アレルギー対応食の開発に関わる歳月の中でも、ニュースなどで年々食物アレルギー患者が増加していることが取り上げられており、この短期間に食物アレルギー患者が急増する理由はなんなのだろうか?と疑問に思っていた。
食物アレルギーの患者数は年々増加傾向にあり、公立小中高校児童生徒45万4000万人が何らかのアレルギー疾患を抱えていると言われている。
図3.食物アレルギー疾患罹患者数
(文部科学省・学校給食における食物アレルギー対応に関する調査研究協力者会議資料)
食物アレルギーとは、食物が原因で生体が異物反応と認識して、じんましんやアナフィラキシー症状を起こすことにあり、その対策としては原因である食物を除いた除去食を食べることにある。しかし、それだけでは年々増加する食物アレルギーへの対応策にはならない。食物アレルギーとは生体の異物反応、つまり免疫系の異常により引き起こされるのだが、この免疫系の6割を担うのが、腸である。近年、この腸内環境が、運動不足、ストレス、食生活、食品添加物などの化学物質、あるいは家畜に使用される抗生物質などによって悪化していると指摘され、この腸内環境の変化による免疫力の低下が、アレルギーをはじめとする様々な病気の原因となっていることが明らかになりつつある。つまり、年々増加傾向にある食物アレルギーを根本的に解決を図るには、除去食の対応と同時に、食生活を見直し、腸内環境を整えていくことが必要なのである。
(4)今こそ問い直したい真の健康とは
食生活改善を進め、腸内環境を整えることは、食源病を減らすことにつながる。食源病が減ることにより、健康に過ごす国民が増える。その効果については後述するが、まず健康の三原則とは、①適切な運動 ②精神の安定 ③正しい食生活にある。この「③正しい食生活」が私にとってのテーマになるのだが、果たして「正しい食生活」とはどんなものだろうか?
100歳以上生きる「センテナリアン」を例に考えてみたい。センテナリアンの食生活は、その国の伝統食を食べていることが特徴で、A国の長寿食といわれている食事を、気候・風土の違うB国で摂取しても健康にはなれず、B国にはB国の土地で採れたものを食べ、そこに根付いている伝統食を食べることが健康な食生活に結びつくようである。伝統食とは、そこに住む人たちが健康になれるもの・害のないものが結果的に伝統食と呼ばれているにすぎない。ならば、日本人は日本の気候・風土に合った伝統食を食べることが健康への近道といえる。
昨今、特定の食材を食べ続けたり、逆に特定の食材を摂取しないことにより健康を手にいれるといった情報が錯綜し、そのことによりマーケットは一時的なブームを起こすことがある。基本的に健康な食生活というのは、食品に偏るのではなく、バランス良く摂取することにある。この「バランス」というものが、一様に言えないことが栄養学の難しさであり、面白さであると個人的には感じている。バランスとは万人共通のものではなく、個人の遺伝、体質、環境、嗜好、精神状況などにより異なるものである。つまり、健康とはこれという正解はなく、100人いたら100通りの健康法があるのである。
(1)マグガバンレポートからみえる好ましい食生活とは
そうなると、なにを食べたらいいのか?という話になってしまう。アメリカの上院栄養問題特別委員会によって調査された、食生活の変化と病気の変化を歴史的に追跡した「マグガバンレポート」では、世界で最も健康的な食事は、日本型食生活だと言われている。ここで、日本型食生活というと、「和食」を思い浮かべる人は多い。そのことは間違いではないのだが、厳密にいうと元禄時代の日本の食事が理想的だということである。一汁一菜、一汁二菜のように、ごはんと味噌汁を中心としたシンプルな食生活が挙げられている。調理法も簡素化されたものが多く、素材を余すことなくそのまま生かした食べ方をしている。
先ほどのセンテナリアンの食事と掛け合わせると、バランスのとれた好ましい食生活は大きく3つの要素があることが言えるだろう。
①その土地に根付く食材を食べること
なるべく自分の住む土地に近い作物を摂取する、つまり、現代的な言葉でいえば、地産地消をすすめ、その土地の季節に合わせた食材を摂ることが望ましい。夏が旬の食材には身体を冷やすものが多く、冬が旬の食材は身体を温めるものが多い。旬にならった食生活は自然の理だけでなく、人体の理にかなっているといえる。
②食材はなるべく余すことなく食べきること
マクロビオティック用語でいえば、「一物全体食」である。米や小麦、砂糖、塩といったものは、精製されるとビタミンやミネラル類、食物繊維などの栄養素が削られてしまう。食材は皮や皮と身の間に栄養成分が多く含まれていることが多い。なるべく未精製に近い食品を心がけるようにしたい。
③ごはんや味噌汁を中心としたシンプルな食生活を心がけること
ごはんと味噌汁で身体に必要な7~8割の栄養は摂れる。特に大豆と麹菌で醸された味噌には大豆には含まれない有効成分が発酵という過程により生み出されている。ここに納豆や漬物といった日本のそれぞれの土地で根付いてきた発酵食品の組み合わせが望ましい。難しく考えるのではなく、長きにわたって続いてきた食事を、次世代に伝えていくことが大切だと考える。
(2)健康な食生活がもたらす効果
私自身、盲腸と腹膜炎を併発させ1か月程入院し、健康な身体は当たり前ではないこと、その健康を支える「食」は、人間の生命維持・栄養管理といった身体的機能だけでなく、精神的機能にも大きな影響力を持っていることを痛感した。今まで食べられていたものが食べられない苦痛、家族で同じ食卓を囲めない喪失感、何より健康な身体でないがゆえに、好きなことをしたり、何かに挑戦したりすることができない障壁を感じ、普段当たり前に食べていた食事のありがたみを実感した。
健康な食生活がもたらす個人的効果・社会的効果は大きい。
ここでは健康な食生活がもたらす効果について、大きく3つ述べる。
①社会保障費の是正
日本は世界二位の平均寿命を誇る長寿国であるため、一見すると健康そうなイメージをもたれるかもしれない。しかし、実際のところは、平均寿命は高いかもしれないが、健康寿命との差は男性12年・女性8年程度あり、寿命は長いかもしれないが、介護や寝たきりが多いといった現状があり、社会保障費はおよそ30年前と比べて3倍程度に膨れ上がっている。この増え続ける医療費や社会保障費は、医療や介護サービスの拡充だけでは解決にはならない。人々が病気にかかりにくくなるための健康政策、特に食生活に対する正しい知識と実践が必要であり、そのことにより、国税の削減と適正な利用につながると考える。
②農に対する理解の醸成
健康的な食事をつくるには、そもそもの食材が安心・安全である必要性がある。適正な農作物がつくられなければ、どんなに良い調理法を用いても意味がなく、また逆のしかりである。農と食は表裏一体の関係にあると考えられ、食の生産から消費までの一連の流れを理解することで、農に対する理解の醸成にもつながると考える。
③持続可能な社会の促進
国連が発表する持続な開発目標として知られている「SDGs」も、169あるターゲットのうち、54は食に関する記述が書かれている。持続可能な社会をつくる上でも、食は欠かせない要素なのである。
食事は日々の選択であり、その積み重ねである食生活は、自分の健康や人生を左右する。よりよい食事の内容・時間・空間を大切に考え、選ぶことは、自分自身の心や身体を育み、よりよい生き方につながる。それだけでなく、一人ひとりが何を選び、食べるかということが、農業・経済・安全保障・観光・文化・環境・医療・介護など様々な面に紐づいている。豊かな食生活は本人だけでなく、よりよい社会の形成にも結びついてくるのである。
だからこそ、私は「食事」という小さな日常を豊かにしていくことで、人と社会を活力あるものにしていきたい。
(3)知識と経験の環境の必要性
こうした健康な食生活を普及・浸透させるには、食を選択する上で必要な情報を知識として携えていることと、実際に健康な食生活を繰り返し経験し習慣化することが求められる。
その意味で、重要な役割を果たすのが、学校給食である。栄養不良、欠食児の栄養補給として始まった学校給食は、戦争や災害の歴史により日本全土へ広まった。その意義は、「家族以外の人と食べる」といった社会性の醸成に留まらず、子どもの貧困対策、地産地消の推進、地場産業の活性化など多岐にわたる。約960万人に一定期間・安定的に供給される学校給食の可能性は大きく、ごはんや味噌汁を中心とした給食の推進が日本の伝統食を守るだけでなく、日本の一次産業を支える一助になるだろう。
それだけでなく、給食から離れた世代へのアプローチ、給食で育ってきた子ども達が家庭で実践できるための橋渡し的要素が必要だと考える。それは、いつでも・だれでも・どこでも食に関する情報が分け隔てなく届く「知識」の側面と、農や食を知りたいと思う人が集い食べることでつながれる「体験」の側面を併せ持った「食のコミュニティ」が必要だと考えている。
(4)生きる力を育む
健康というものは、本人だけのものではない。本人が健康に支障をきたしたら、その周りの家族や職場は、介護や治療期間の雇用など代替の手段を講じなければならない。自分が何らかの病気や障害を持つことは、自分だけでなく、家族や職場への負担も大きいのである。それだけに、一人ひとりの健康を促進させることは、生き方の多様性を生む行為であり、個人のみならず社会の発展に大きな力を持っている。
人間は食べることによって生きているはずなのに、日々のことであるがゆえに、その価値を改めて考える機会は少ない。これから人生100年社会の到来と言われているが、人生100年生きたとして、食事を毎日3回摂取していると、人生における食事にかける時間は12.5年に及ぶ。この12年を超える歳月を、一人ひとりがどのような選択をしていくがで日本の未来の食は決まる。
これからの社会、人生の質は健康が左右する。だからこそ、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人を増やすことが大切だと考える。
【参考文献】
・藤原辰史『給食の歴史』岩波新書
・マーティン・J・ブレイザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』みすず書房
・幕内秀夫『粗食のすすめ 新版』東洋経済新報社
・幕内秀夫『ドラッグ食 あなたを蝕む食依存と快楽』春秋社
・幕内秀夫『もっと変な給食』ブックマン社
・枡野俊明『禅と食 「生きる」を整える』小学館
・松生恒夫『日本一の長寿県と世界一の長寿村の腸にいい食事』PHP新書
・ロバート・H・ラスティング『果糖中毒 19億人が太り過ぎな世界はどのように生まれたのか?』ダイヤモンド社
Thesis
Nari Takahashi
第38期
たかはし・なり
Mission
食のバリアフリーを実現する