Thesis
「経営の神様」と称され、日本の高度経済成長を支えたパナソニック創業者・松下幸之助。晩年の松下は、経営者の枠を超え、世界の平和と繁栄を実現すべく、政治分野に積極的な提言を行った。本レポートでは、日本が進むべき道として松下が示した国家像と政策提言を振り返る。その背景として、なぜ松下が政治へと関心を深めていったのかをたどり、最後に塾生としての私自身の思いを述べたい。
松下は1894年、和歌山県に生まれた。実家は裕福だったが、父の事業失敗により生活は一変し、小学校を卒業することなく大阪で丁稚奉公を始める。1917年に勤めていた電灯会社から独立し、翌年には現在のパナソニックの前身となる松下電気器具製作所を創業。幾多の困難を乗り越え、アタッチメントプラグや二股ソケット、砲弾型自転車ライト、日本初の家庭用ラジオ・カラーテレビなど数々のヒット商品を世に送り出し、日本を代表する電器メーカーを一代で築き上げた。[a]
名実ともに日本一の経営者となった松下だったが、彼の関心は事業経営にとどまらなかった。1946年、戦後の混乱のなかで松下は「PHP研究所」を設立する。PHPとは “Peace and Happiness through Prosperity” の略であり、物心一如の繁栄によって、平和と幸福を実現しようとする思想である。その原点には、戦後の極度な困窮や混乱を目の当たりにした経験があった。松下は「万物の王者」であるはずの人間が、自らの行為によって不幸を生んでいる現実に疑問を抱き、すべての人が自分に与えられた天分を全うすることのできる平和で幸福な社会の実現を志すようになった。を考察する。
PHPの実現には出版・啓発・提言などさまざまな手法が用いられたが、松下がとりわけ重視したのが「政治」である。松下は、松下政経塾の第1期に対しても次のように政治に対する熱い思いを語っている。
「だから、色々な見方があるけれど、私は政治が一番大事だと思います。我々がいくら一生懸命働いても、政治が悪かったら、その成果がみな消えてなくなってしまうわけです。平和を保って国家を隆々と発展させていくということも、政治力がなかったらできない。それを維持する政治力がなかったらいかんわけです。」[1]
松下がここまで政治を重視した背景には、戦時中に軍需産業を担った結果、敗戦後に会社が存続の危機に追いやられた経験や、戦後の公職追放・財閥指定といった国家政策に翻弄された苦い体験がある。 企業の命運すら国家によって左右される現実を知った松下は、政治の力に目を向けざるを得なかったのではないだろうか。[b]
松下の政治観における最大の特色は、「政治を経営する」という発想にある。周知のとおり、松下は企業経営者として豊富な実績を積み、世界的な成功を収めた人物である。その経験から、政治とは国民全体を対象とする経営活動であり、国家の運営も企業経営と同様のロジックで捉えるべきものだと考えていた。したがって、企業経営で培った合理性・効率性・長期的視点を政治にも応用し、無駄を削減して、生産性と成果を最大化することで「政治の生産性」を高め、「国家経営」の実現を目指したのである。[c]
「政治を経営する」という考えのもと、松下は戦後日本が抱える構造的課題を見据え、斬新な政策提言を次々と打ち出していく。
1952年には、政治に対する国民意識の高揚を目指し、新政治経済研究会を設立。具体的な政策提言活動に乗り出した。その年には、日本の最大の資源は「美しさ」であると位置づけ、これを海外にも積極的に開放すべきだとする「観光立国論」を発表している。観光を日本の基幹産業に据えるというこの先駆的な構想は、インバウンド政策の先駆けとも言えるものであり、2010年には観光庁より観光庁長官表彰を受けるに至った。[d]
また1968年には、廃県置州論を提唱し、現代でいう道州制の実現を訴えた。行政区分を再編・拡大し、地方行政により大きな権限と責任を与えることで、地域ごとの主体的な発展と日本全体のバランスの取れた成長、生産性向上を実現しようというものである。[e]
さらに1976年には、当時日本で深刻化していた人口爆発問題を背景に、「新国土創成論」を発表した。日本の国土は約7割が森林・山岳地帯であり、この地理的制約を克服するため、森林山岳地帯の約2割を有効活用可能な土地へと開発し、居住や生産活動に活用すべきと提唱した。また、山を切削して得た土砂を沿岸部の埋め立てに再利用し、新たな国土を創出するという画期的な発想も示している。[f]
このように松下は晩年、さまざまな分野での政治提言を行ってきたが、その中でも特に注力した一つが税制改革である。1946年のPHP研究所設立時に掲げた「第一次研究十目標」にも第7目標として「租税は妥当公平に」[2]と明記されており、また『PHPのことば』では研究所設立の動機の一つとして「税」のあり方が挙げられている。
当時の日本では、収入の大部分が税として徴収される状況にあり、それが勤労意欲の低下や消費控え、脱税・横領を誘発していると松下は批判した。この問題を是正するためには、まず国の支出構造そのものを見直す必要があるとし、1951年のアメリカ視察を機に「金と時間のかからない政治」の実現を提唱した。あわせて松下は、アメリカの国家運営方法を参考に「日本産業株式会社」という独自の国家モデルを構想した。国家を会社に、国民を投資家に、税金を投資と見立て、国家は国民から預かった資金を活かして利益を生み、その配当を還元すべき存在であると訴えた。[g]
1975年には「赤字のときこそ減税を」と主張し、減税こそが経済の循環を促進し、好景気をもたらすと提言した。そして1978年には、「無税国家・収益分配国家」構想を打ち出すに至る。
この構想では、国家予算の一部を積み立て、その資金を運用することで税収に頼らない財政基盤を将来的に構築し、国民に運用益を分配する仕組みが構想された。日本の行政制度においては単年度主義が採用されており、年度末に予算を使い切る必要から無駄な支出が生じやすい。松下は、余剰予算を積み立てて将来に備えることで、こうした無駄を抑制し、持続可能な財政運営と将来的な国民の税負担ゼロ が可能になると考えた。さらに、積立金の運用によって得た利益を国民に還元することで、税がないだけでなく、国民が国家の繁栄の恩恵を直接享受できる高福祉国家の実現を構想した。[h]
サステナビリティという言葉すら一般化していなかった時代に、将来世代の幸福と繁栄を見据えて制度設計を構想した松下幸之助の先見性は、今なお私たちに深い示唆を与えている。
そして、国家経営を成立させるうえで松下が不可欠と考えたのが、国全体の道標となる「国是」の存在である。戦後、日本は高度経済成長を遂げ、物質的な豊かさを手に入れた。しかし松下の目には、犯罪の増加やモラルの低下、財政の悪化といった社会のゆがみが顕著に映っていた。その根本原因として彼が挙げたのが、政府と国民が共有すべき国家理念――すなわち「国是」の欠如であった。
こうした問題意識のもと、松下は国家のあるべき姿として「国望・国徳国家」という理念を提唱した。これは、「人望・人徳」に通じる考え方であり、日本の伝統的な道徳観や価値観を再興し、国民一人ひとりが徳を高めることで、物心両面で豊かな社会を築こうという構想である。徳の高い国家は国際的にも信頼を得て、情報や相談が自然と集まり、日本が世界の「大番頭」として繁栄と平和を支える存在になるというビジョンが示された。
そして、国望・国徳国家の実現には、特定の分野における優秀さだけでは不十分であり、国家全体としての「総合力」が求められると松下は説いた。彼が提示した4つの条件は以下の通りである。
・マナー・モラルを高める
・日本文化のかおりが高く国土整備が行き届いて美しいこと
・建国から2000年の間培われてきた独自の文化や歴史が
国民間で大切にされ、誇りとされる
・経済活動が活発、円滑に行われ、経済力が充実していること
これらを総合的に満たすことで、精神的にも物質的にも調和の取れた国家が形成されると松下は考えた。[i]
このように松下幸之助は晩年、日本の将来を案じ、さまざまな政治的提言を行った。しかし、いかに「経営の神様」と称された松下であっても人間であり、自らの手でその夢を成し遂げるには限界があった。そこで彼は、自身の理念を受け継ぎ、実現していく人材を育成するために松下政経塾を設立した。
私たち松下政経塾の塾生は、「日本を国家的危機から救う」という使命を託されている。しかも、松下が生きた時代と比較しても、現代日本を取り巻く状況は一層厳しさを増している。食料自給率の低下、経済成長の停滞、膨張する国債に加え、少子化と超高齢社会という構造的な問題が深刻化している。さらに国際社会に目を向ければ、経済的対立や武力衝突も激化し、松下がかつて憂慮した「国家の危機」は、より現実味を帯びてきている。
このような時代だからこそ、私は松下が構想した「楽土」を、現代にふさわしい形で実現したいと考えている。ジェンダー、性的指向、民族、宗教、国籍、障がいの有無など、あらゆる違いによって人生の選択肢が制限されることのない社会。すべての人が自らの道を自由に開拓し、自分らしく生きられる社会こそが、私の志す「楽土」である。
在塾中は、塾主・松下幸之助の精神を深く学びながら、この志を実現すべく、不断に自己を磨き、実践を重ねていきたい。
[1] 松下幸之助『リーダーを志す君へ-松下政経塾塾長講話録』PHP研究所、1995年、86頁.
[2] 松下政経塾『松下幸之助が考えた国のかたちⅢ-「国徳国家」への挑戦』、n.d.、40-49頁.
[a] 松下幸之助『私の生き方 考え方-わが半生の記録』PHP研究所、1986年、14–183頁.
[b] 松下幸之助『リーダーを志す君へ-松下政経塾塾長講話録』PHP研究所、1995年、87頁.
[c] 松下政経塾『松下幸之助が考えた国のかたち-「無税国家」「収入分配国家」への挑戦』PHP研究所、2010年、44-93頁.
[d] 松下政経塾『松下幸之助が考えた国のかたち-「無税国家」「収入分配国家」への挑戦』PHP研究所、2010年、55-65頁.
[e] 松下政経塾『松下幸之助が考えた国のかたち-「無税国家」「収入分配国家」への挑戦』PHP研究所、2010年、135-140頁.
[f] 松下政経塾『松下幸之助が考えた国のかたちⅢ-「国徳国家」への挑戦』、n.d.、217-294頁.
[g] 松下政経塾『松下幸之助が考えた国のかたち-「無税国家」「収入分配国家」への挑戦』PHP研究所、2010年、50-54頁.
[h] 松下政経塾『松下幸之助が考えた国のかたち-「無税国家」「収入分配国家」への挑戦』PHP研究所、2010年、166-211頁.
[i] 松下政経塾『松下幸之助が考えた国のかたちⅢ-「国徳国家」への挑戦』、n.d.、203-282頁.
松下幸之助『君に志はあるか-松下政経塾 塾長問答集』PHP研究所、1995年.
松下政経塾政経研究所『松下幸之助がめざしたもの-松下政経塾塾生への講話から』松下政経塾、2015年.
松下政経塾『松下幸之助が考えた国のかたちⅡ-「新国土創成」「楽土の建設」への挑戦』、n.d.
Thesis
Hinari Hosoda
第46期生
ほそだ・ひなり
Mission
すべての人が自分らしく生きられる社会環境作り