論考

Thesis

崩壊したキューバ革命

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1996/8/29

今年4月、キューバを訪れた。コロンブスが「人間の目で見られる最も美しい島」と絶賛したところである。ここで、今世紀最後の第一世代の革命指導者であり、社会主義者であ るフィデル・カストロにインタビューすることになっていた……。

社会主義は21世紀も生き残れるか、また世界唯一の強大国になりつつある米国はこれか らどのような方向に向かうか、といったことについて、カストロにインタビューする予定 だった。しかし北京から23時間もかけて辿り着いたにもかかわらず、カストロに会うこと はできなかった。「北京駐在のキューバ大使館を通じて、インタビューの承諾を得てきた 」と何度掛合っても、状況は変わったというばかりで会わせてもらえなかったのである。

 状況変化とは、今年2月24日に起きたキューバ空軍機による米国飛行機撃墜事件である。この事件以来、カストロのもとへは世界中からインタビューの申込みが殺到している。

しかし、対キューバ政策の鍵を握っている米国言論以外には応じないという。そのとき私 は、自分の意図していたインタビューがキューバの現実にあまりにそぐわないことに気付 いた。

 キューバは、59年の革命以来続く米国の経済封鎖政策と社会主義兄弟国の没落、それに 最近さらに強化された米国の対キューバ経済制裁措置によって、経済はほとんど破綻状態 である。そのような状況にある彼らにとって、21世紀の社会主義の方向や国際政治の行方 など関係ないのである。今すぐ食べられるパンや着る服、住む場所だけが問題なのである 。私は取材の方向を「現在のキューバ」へ変えることにした。

 キューバの玄関ホセマルティ空港に着いたのは夜の9時。空港からホテルへ向かう車から見た首都ハバナは、幽霊都市のように暗闇に包まれていた。旧ソ連から毎年1300万トン 援助されていた石油が、ソ連の崩壊後、170万トンにまで減り、キューバは電力に関する限り、石器時代に戻ったかのようだ。

 翌日、市の中心街に出てみた。街の大きさは日本の中規模の地方都市程度である。すぐ 目につくのはあちこちにできている行列である。そのほとんどは市内バスを待つ列だった 。石油不足で公共交通機関はわずかな列車と、ハバナとキューバ第2の都市サンティアゴ・ディ・キューバで市内バスが走るのみであった。商店の前にも長い列があった。キュー バにはキューバペソを使える国営商店とUSドルを使えるドル商店がある。ドル商店では何 でも手に入るが、その値段は一般庶民には想像もできないほど高い。キューバ人の平均月 収はドル換算で約12ドルなのに、そこで売っている歯磨きは4ドル、トイレットペーパーは1ドルもする。

 92年12月からは「平和時の非常事態」と称し、食料の配給が半分になった。足りない分 は自分で調達しなければならない。しかし物が買えるのはドル商店だけで、しかもペソ商店の30倍のお金を払ってである。こうした現実の中、人々はドルを求めて街へ繰り出す。  キューバにドルをもたらすのは数少ない外国人観光客である。そこで手っとり早く稼ぐ 道は売春である。信号待ちで止まる外国人観光客の車に10代の少女が群がっている。こう した光景は街の至るところで見受けられる。事情をよく知る警察官は取り締まらない。彼 女らが稼ぐお金は1回約10ドル。これで足りない食料を補う。

 一方、ビシッと決めたスーツ姿の人からキューバには珍しく綺麗な名刺を渡されること がある。93年からできた個人食堂の案内名刺である。キューバは個人企業を許さず、ドル を持っているだけで懲役に処される国である。しかしソ連の崩壊によって、93年7月からは経済自由化政策を取らざるをえなくなった。政策の中心は、ドル所持の合法化、個人営 業の制限緩和、農水産物と手工業製品の自由市場許可、外国資本の100%投資に対する許可などである。こうした措置に続いて、95年には外資導入法を大きく緩和し、外国資本に 対し税金の減免、収益金の100%海外送金の許可などの優遇策を取っている。

 しかし、実際には個人食堂など個人営業に必要な資格条件は一般人には容易にクリアで きない。96年6月から施行された個人営業に関する新しい法律は、個人食堂の営業許可費として750ドル、1月分の税金30ドル、従業員8名以内の家族、食堂のテーブル5個以内など 実現不可能な項目ばかりである。4人家族の1月の平均生活費が約20ドルのキューバで、許 可費750ドルは天文学的な数字である。

 ところが、これほど深刻な状況にもかかわらず、街は陽気な音楽で溢れている。ハバナ はもちろん、サンディアゴ・ディ・キューバなど全国どこへ行ってもルンバの音が聞こえ 、朝早くからサルサ・リズムに会わせて踊る若い男女の姿がある。私がキューバに着いた 時は第2回コヒバカップ国際ボート大会の最中だったが、そこで私を圧倒したのは徹夜で歌い踊るキューバ人の姿である。人口約200万のハバナ市民のうち100万人ぐらいが海辺で カリブの夜を楽しんでいたという。

 こうした姿に彼らが本当に生活苦にあえいでいるのかという疑問が頭をよぎった。しか し、こうした姿にこそキューバ人の絶望感が現れていたように思える。希望もなく、耐え られない現実から逃避したい時、人間に何ができるだろう。59年の革命時には新しい国家 が建設されると期待したが、国内外の状況はもう一度キューバ人を暗闇の世界へと突き落 とした。大学を出て、旧ソ連で電気工学博士を取っても、テレビとラジオの修理工として 働くしかないという現実の前に、キューバ人は現実逃避的な心理状態へ追いやられている 。街で見かける踊りと歌が表しているのは、夢も希望も持てない人々の鬱積した気持ちな のである。

(劉敏鎬/松下政経塾 研究員)

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