Thesis
幸之助塾主が政経塾生に期待した政治家の姿の一つに「一人一党」というのがある。私はこれを「代議制民主主義を本当に動かすためには有権者の一票の重みが最大限に活かされるような魂のこもった政治活動をしなければならない、人まかせではいけない」と解釈している。
まず何から何まで全部一人でやってみよう。そんな決意を固めて、無所属で区議会選挙に出た。都議会補欠選挙に出た時も一人ぼっちの出馬、当選後も一人会派だった。区議会で5年間、都議会で5年間、今年の4月、私は政治生命満10歳を迎えた。
この10年間に感じたことは様々だ。まず現行の選挙制度が議員として適正な人材を選ぶテストとしてベストなのかという疑問。あのぶ厚い予算書を数十ページも読み進む余裕もない人が、どうして予算委員会で発言できるのか。議会がわかりづらくて新味のない読上げ芝居に堕ちている原因は、他でもない、大半の議員が基礎の勉強さえ怠っていることだ。全政党は立候補者の公認段階で、予算書を的確に判断する能力を公開検定すべきだろう。
次に品性の問題である。「政治ゴロ」という人種が有権者にも秘書にも政治家にもいる。そうでない政治家の中にもこの体質は潜んでいる。こうした悪習を乗り越えていくには普通の克己心では追い付かない。せっかく政治を志しながら新しい社会システムを創造しようとする意欲もなく、順番や肩書きの虚栄にとらわれた行動しかとれない人間に、全体の奉仕者として立つ意義がどこにあるのか。
それから政党レベルの取り引きがある。私はいまは政党に属しており、都議会の会派幹事長を経験することで、他党の代表と調整をし、交渉によって少しでも意見を通していく方法を学んだ。しかし、2つの信用組合の処理問題では、他会派の当局原案承認ムードをブチ破って経営責任を追及した。都知事選の時も、みんなが官僚出身候補を支持する中で私は複数候補への自由投票を決断した。
政治家は自分で問題に気づき、解決の道を探らねばならない。その連続なのだ。どこまでも自分で発見することなく、他人が言っても気がつかない人には、公職の仕事は向かない。幸之助塾主の「自修自得」とは、一人で道を開拓し、切り開いていく力だ。
ある先輩政治家がこう教えてくれた。「風が吹けば、凧でも紙切れでも空に上がるだろう。しかし、逆風の時にはどうするか。そこで差がつく。本当に世のため、人のために政治を志す人間と、自分のため、我欲のために地位を得んとする輩の違いがハッキリと分れる」と。
だれのための政治なのか? 政治家生活10年、私は日々新たに自問自答を繰り返している。
Thesis
Kiyoshi Tabata
第5期
たばた・きよし
Mission
社会変動と自治体・地域のあり方