松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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2010年1月

塾生レポート

苦悩と葛藤の彼方に (九百日の人間修行を振り返って)
宇都隆史/卒塾生

卒塾を五カ月後に控え、松下政経塾の三年千日の修行の中で、筆者は何を学び何を得たのか。二年半を振り返り、様々な心の葛藤と政治道への迷いまでもが感じられる、塾での修行の総括としての実践活動レポートである。

 

【はじめに】

 平成19年2月に航空自衛隊を退職し、幸之助塾主の弟子として松下政経塾の門をくぐってから、三年という歳月は文字通り矢のように過ぎてしまいました。在塾の間は、一塾生として、迷い、怒り、戸惑い、悩み、大きく迂回しながら「道」を探す日々であったように思います。松下政経塾での三年千日の修業は、常に自分と向き合うなかでの葛藤でした。今、早期離塾を目の前にして、政経塾にて学べたことを心から誇りに思うと共に、他では決して得られなかったであろう人生の羅針盤をいただいたと、心から皆様に感謝しております。

 この度は、松下政経塾のスタッフ及び、ご教授いただいた講師の先生方や、研修先でお世話になった皆様への感謝を込めて、私が松下政経塾における研修全般において得た、研修成果をご報告申し上げます。

【松下政経塾とは】

 松下政経塾と聞けば、多少なりとも政治にご関心のある方であれば、耳にしたことのある名かと思います。ところが、お恥ずかしい話ながら、数年前までの私はその存在を知りませんでした。

 松下政経塾とは、松下電器産業(現パナソニック)の創業者である故松下幸之助が、私財70億を投じて設立した人材育成機関です。その目的は、「日本の未来を担う、真の政治指導者を育成すること」であり、私塾において政界の人材育成を行う機関としては世界に類を見ないものであるため、今日においてさえ、海外からも注目されています。昭和54年の創立以来、30年間で237名の卒塾生(平成21年4月現在)を社会に輩出しておりますが、全ての卒塾生が政界にいるかと言えば意外にそうでもありません。卒塾生の進路の概要は、約4割が政治分野に、約3割が経済分野に、その他が、研究職、マスコミそして教育分野等において活躍しています。卒塾生の中には、私と同様、自衛隊を中途退職して入塾した先輩もおり、現宮城県知事の村井嘉浩さん(元陸上自衛官、防大28期)もその一人です。

 塾生の在塾期間は3年間。研修内容としては、具体的政策立案や選挙手法などを勉強していると思われがちですが、そのような講義はいっさい無く、「政経塾は人格と志を磨く道場である」と言われるほど「修身」に重きを置いた研修内容となっています。前半1年半の基礎課程では、「国家観、人間観、歴史観」を柱とした各種講義が行われますが、中でも「剣道、茶道、書道、儒学」は日本の伝統精神を体得するため必修科目となっています。後半1年半の実践課程では、志の実現のための現地現場における研修を自力で開拓し、卒塾後の活動に繋げるための実践研修を行います。

 塾生は、前職を休職しての入塾は認められていないため、入塾希望者は皆これまでの社会的地位や経済基盤を一度放棄しなければなりません。在塾中は、塾より活動資金が支給されますが、卒塾後の就職斡旋や資金援助はいっさい無いため、政経塾の門をたたくということは、まさに退路を断っての一大決心であり、自己の経歴アップなどという軽薄な理由では決して選択できないイバラの道なのです。

【受験のきっかけと退職まで】

 そんな私が、松下政経塾の存在を知ったのは、意外なところからでした。

 当時私は、1等空尉(旧軍でいう大尉に相当)として福岡県春日基地にて勤務していました。私の職種は兵器管制官といい、日本全国に張り巡らされた防空レーダーを使って戦闘機をコントロールし、空中での戦闘全般を組み立てるのが仕事です。日本の領空を脅かす国籍不明の軍用機に対してスクランブルを指令するもの私の職場の仕事であり、まさに国防の最前線に身を置いていた10年間でした。日々の職務をこなす中で、日本の国防環境と安全保障政策との問題を痛感していた私は、その解決のためには政治的決断を待つ他になく、自衛官の自分にできることが極めて限られていることに、忸怩たる思いでいました。そんな中、私は意図せずして、西部航空方面隊司令官(空将)の副官(指揮官の秘書)の職を命ぜられました。自分から望んだ異動ではなかったものの、以前の職場と異なり自分の勉強をする時間も取れましたし、副官という仕事に従事する中で、上司である司令官はもとより、異なる職種の多くの先輩方に目をかけていただきました。また、他自衛隊や外部の有識者と知り合いになる機会も多く、物事に対する視野を大きく広げるという素晴らしい勉強の機会を得ることができたと感謝しています。

 ある時のこと、福岡の政財界に精通したとある外部の方に、日頃の鬱積した想いや自己の国防論を話し、「やはり政治を変えなければならない」と息巻いていた時のことでした。すると「自衛官から政治家になるなんて、ほぼ無謀な挑戦だろう。それならば、松下政経塾でも受けてみてはどうだ。」との助言をいただきました。「なるほど、世の中にはそういう道もあるのか」と思い始めたのがきっかけでした。とはいえ、政治家になるなど今まで一度も考えたこともありませんでしたし、親戚にも市議会議員はおろか町内会長さえもいないのですから、現実的に考えても無謀なことは百も承知です。しかし、松下政経塾の試験を受けに行った当初の気持ちは、「自衛隊で育てられた自分が、社会でどれだけ通用するものか試してみたい」という程度でした。当時の私は、自衛官ほど国家のことを考えて日々を生活している国民はいないと自負していましたし、自衛官のポテンシャルは高いので、私も必ず受かるはずだという根拠のない自信に満ちていました。試験は小論文と三度の面接によって行われましたが、約40倍の倍率を「運と愛嬌」だけで乗り越えたのではないかと、今になってはそう思います。

 さて、数回の面接に臨んでいるうちは「これはひょっとするぞ」という程度で良かったのですが、実際に内定をいただくと、「退職」という、今までに想像だにしなかった選択肢が急に現実味を帯びて迫りました。「お世話になった自衛隊を、恩返しすることもなく辞めてしまってよいものか?」「政治という、自分には分不相応なことをしようとしているのではないか?」という葛藤に悩まされました。退職にすることについては両親とも散々話し合いましたし、妻にも強く反対されたのをよく覚えています。ちょうどその頃、年度末の幹部申告の時期でもありましたので、自分だけで考えていても埒が明かないと思い、素直に上司に進路相談をすることにしました。上司にとっては青天の霹靂だったことでしょう。しかし、自己実現のための退職ならいざ知らず、「私心を捨て、国家と未来の子孫のために」という志に心を燃やす私には、悪びれる気持ちなど一片もなく、「これが私なりの国防だ」とさえ思っていました。上司からの罵声を覚悟していた私でしたが、意外にも理解を示していただき、「お前一人がいなくなったくらいで揺らぐような組織じゃない。自分で決めたのなら思いきりやってみろ」と背中を押していただきました。結局、退職の意思は上級指揮官へと伝えられましたが、皆様、親身になって心配はしつつも、応援して送り出して下さったことが私には何より励みとなり、退職の日は職場の皆様からも温かい声援をいただき、思わず涙がこぼれました。

 自衛隊は、私を育ててくれた偉大なる母であり、いまでも愛してやまない私の魂の故郷だと思っています。

【研修を通じての学びと挫折】

 入塾式当日。湘南の空はどこまでも澄み、私たち28期生の表情は、新たな未来が開けることへの希望と情熱とで満ち溢れていました。式には来賓として故上坂冬子先生他、日本を代表する様々な知識人が来られていた他、自衛隊からも各幕の防衛班長が臨席されており、退職しても自衛隊との繋がりが切れていないことを嬉しく思いました。しかし、式が終わり、翌日から実際に研修が始まると、期待や希望に高鳴る思いや感動は長くは続かず、山のような課題図書と多忙なスケジュールに、政治を志すことの厳しさを思い知らされた思いでした。

 政経塾の一年目の研修は、現地現場での実体験を重視した実践研修がメインでした。和歌山の熊野の山では、第一次産業を学ぶため、チェンソーを使っての間伐作業や植林といった内容の林業研修を行い、自然の循環系に森が果たす重要性を学びました。また、滋賀では製造業を学ぶため、工場のライン作業に従事し、製造業における派遣労働者の実態を把握しつつ、現場で汗する従業員の生の声に耳を傾けました。福祉研修では、神奈川の児童養護施設に泊まり込み、事情があって家族と暮らせない子どもたちの父親代わりを務めました。「一昔前は金銭的理由が多数を占めたのに、今では親の育児放棄や虐待が主因なんです」と漏らした職員の言葉が、今でも頭から離れません。そして、何といっても一年目の最大の研究は、同期6人で協力して同一テーマを探究する共同研究です。私たち28期生は、教育経験者が3名いたこともあり、「義務教育期間における徳育」というテーマを掲げ、カリキュラムの合間を縫って、全国各地を飛び回りました。時には議論する延長で、激しくぶつかったり、お互いの価値観の違いから険悪な雰囲気になったりもしましたが、一つの成果を築き上げていく過程の中で、同志としての信頼と連帯が深まっていったように思います。4月27日に開催した共同研究フォーラムも、多くの参加者に来塾していただき、道徳教育に関する一つの明確な提言を提唱できたことが自信に繋がりました。また、この成果は、塾の卒塾生でもある海老根藤沢市長が藤沢の教育改革の一部として取り入れて下さり、研究した内容が政策として実現されていく二重の喜びを得ることができました。

 さて、二年目に入ると、自己のテーマに沿った自由研修が可能になります。私は「日本人の食農を守ること」は広義での安全保障の一つであると考え、二年目は農業に着目し、日本各地の農村を巡り、実際に農業従事者達と共に農作業に汗を流しながら、現場のヒアリングを繰り返しました。この農業研修を通して学んだことは、「農家が疲弊している」と言うのはメディアに誇張されたイメージに過ぎず、実際は企業努力により活き活きと活躍している農家が思った以上に存在しているということでした。あるインターン先の農場主は「農業には金に換えられない価値がある。現状の衰退は、農家がそれを見失ったことが問題で、所得格差が問題の核心ではない。」と教えてくれました。つまり、一般的にお金の問題だと理解されていることが、実は価値観の問題だったのです。この体験は、それまでの私の農業に対する考え方を一変させるに十分でした。現在の農業政策は、「日本の食農を守る」ことよりも、「農業従事者の所得を守る」ことに重点が置かれています。しかし、ここまで日本の農業を疲弊させたのは過剰な保護政策によるものであることは明らかです。では、今よりもずっと保護を薄くして、民間会社のように競争市場に放つべきなのでしょうか。「日本の農家は零細だから効率が悪い。大規模化、民間企業参入による産業化を促進し、高付加価値で国際競争力のある食品に力を入れるべきだ」という政治家もいます。(実際には多いのに驚かされます。)しかし、高付加価値の食品とは、値段の高い商品ということですから、購入できる人は決まってきます。例えば靴や衣類であれば、金持ちは高価な日本製品を、大衆は安価な外国産を購入すればすむかもしれません。しかし、食農は命にかかわる問題であると同時に、その国の文化全体に関わる、最も濃厚な文化要素ですからそういうわけにはいきません。何だって一様に生産でき、量や時期も計画・管理できる工業製品とは全く違うのです。しかも、安全性が高く美味しくて高価な食品は、外国のお金持ちが食し、後進国産の安全性に心配がある安価な食品を日本人が食すなんて、こんなことがおかしいことくらい誰だってわかるはずです。つまり、第一次産業はグローバル化してはいけない、否できない業種であり、ローカル経済の中で適切な保護のもとに、公的に営まれるべきものであるというのが私の農業研修を通じて得た結論でした。

 このような二年目の自由研修を行う中で、私はこのまま政治の道へ進むべきかどうかに迷いを生じていました。それは「そもそも、現在の政治の混迷は、政治家だけの責任なのだろうか」という深い疑問が生じたためです。日本の政治は、民主主義の最も悪しきパターンであるポピュリズムの泥沼にはまっています。「国民はそのレベル以上の政治家を持ちえない」とはよく言われることですが、そうであるとすれば、「日本に本当に必要なのは政治の生産性をあげることよりも、真の国民教育なのではないだろうか」と考え始めました。つまり、政治も目指す人間としては、決してあってはならない「国民の識能を疑う」という猜疑心に落ち込んだのです。「どうせ国民など馬鹿なのだから」という心を持つ人間は、決して人の上に立ってはならないと常々思っていた私は、何か政治以外で、この状況を打破する解決策はないかと思案しました。本来であれば、健全なるジャーナリズムがそれを補完すべきなのでしょう。しかし、日本のマスメディア(特にテレビ局)は、本来の使命を忘れて完全に商売重視となり、倫理観や道徳観を失っているのであてになりません。日本人の個々の精神の復興を目指すには教育しかないのですが、子どもたちだけでなく大人を教育するためには、学校教育ではできません。そこで、私は「人間の幸福とは何か」という疑問を探求しつつ、国民教育の手法を求めて、思想・哲学・宗教に関する書物を貪り読みし始めた。研究を進めてゆくにつれ、日本の歴史や政治史も学びました。哲学や思想はその時々の世相を反映していて、宗教はその国の政治と密接な関係があるので、いままにない複眼的な思考で日本という社会を見ることができるようになりました。その中で、昭和の木鐸といわれた安岡正篤先生が、同じ様に日本人の精神の頽廃を憂い「日本農士学校」を興し、日本人の心を耕そうとされたことに行き当たったとき、「これだ!」という衝撃が体中を駆け巡りました。「農業を通じて人心を耕し、外国を睥睨して毅然と生きる日本人を作るために、その精神的支柱となる理念を説く、安岡先生のような思想家を目指そう」と考えたのです。しかし、思想家になるなどと言って、誰が本気に取り合ってくれるでしょうか。しかも、農業をやりつつといっても農地を所有していない私は、農業従事者になることすらできませんでした。思想家の道にも行き詰まり、自分の行きべき道がわからず、途方に暮れながら漫然と研修を続けていた、そんな私を救ってくれたのは、やはり同期達でした。「思想家の道は晩年でも十分できる。いや、晩年にするものであって、今やるべきことは他にあるのではないか」「もう一度、自衛隊の制服を脱いでまで政経塾へ入塾した原点の気持に立ち返って、政治を志した熱い想いを取り戻して欲しい」という、仲間からの心からの叱咤激励に、涙を流しつつ、もう一度やり直す決意をしたのでした。

 もうその頃は、政経塾での研修も三年目に入っていましたが、私は「自分の志の原点とは何だったか」という、入塾の原点と向き合う作業に没頭しました。霧の中をさまよっているような、砂をかみしめながら進むような時が経ちましたが、そうこうして半年ほど経ったある日、色々な捉われの気持ちを捨て、素直な心になったとき、突然頭の中の霧が晴れるような感覚と共に「そうか」と納得したのです。長い迷いの末に私が掴んだことは、「国民の意識が低い中での政治には限界があるかもしれない。しかし、その国家の運命と国民をどこまでも愛し信じ続けることができるのが、本物の政治家である。先人は民主主義の限界も熟知しつつ、しかし国家の繁栄と国民の平和と幸福という理想の実現のため、時に国民に裏切られたりしながらも、努力し挑戦し続けることを辞めなかったのではないか。歴史とは、そんな偉大なる先人達の英知と戦いの軌跡なのだ。」という政治観でした。そして、今日の日本の政治が空虚なのは、国民の資質の低さなどではなく、「政治を行う上での根幹に存在すべき、国民を共感せしめる思想や理念」が完全に欠落しているからに他ならないのではないでしょうか。つまりは、この「理念への共感」こそが、政治の要諦であると私なりに会得したのです。私は「何年かかってもいいから、今度こそ真の政治道を目指し、どこまでも突き進もう」と、再び志を固めたのでした。

【国防の本質と保守思想】

 自衛官時代から現在に至るまで、私が一貫して追いかけているテーマは、「日本は独立国家として日本であり続けるためには、いったい何を守り受け継いでいくべきなのか」という問題です。これは、「国防の本質とは何か」とも言えるかもしれません。「国防とは何を守るのか」と問われると、「領土、国民、主権」であると殆んどの方が答えます。しかし、本当にそうでしょうか。私は航空警戒管制レーダーにプロットされた領空線を見ながら、「我々自衛官が多くの血を流して領土を護りきったとして、そこに本当に私たちが護りたかった日本は存在するのだろうか」ということを常々考えていました。「国際法規上の国家の定義以外に、守るべき大切なものが国家にはあるのではないか。」というのが私の考えです。その一例が、日本が歴史の中で紡いできた言語、伝統文化、慣習、思想宗教でしょう。つまり、国防とはただ単に領土とそこに存在する人員の生命を存続させるための軍事的活動ではなく、その国家が持つ歴史的継統を存続させるために行われる、教育、経済、食農、軍事外交等を含んだあらゆる政治的活動をいうのではないでしょうか。そのためには、その政治活動を支える背骨となる、強固な政治理念がなければなりません。そこで、私は現在「日本の新たな保守主義」についての研究をしています。これは、現存するいわゆる自称保守派政治家のそれとは全く異なる新たな政治理念です。これには、近代国家形成以降、日本は「守るべきもの」を明確に持たなかった国家ではないかという仮説が前提にあります。そもそも日本には、社会主義あるいは共産主義に対するアンチテーゼとしての保守しかなかった。つまり、現状を維持するための「No change」だったのであり、私がいうところの「新たな保守」とは、守るべき対象を明確にした「keep Japanese stance」こそ、真の保守であるということです。

 このようにして、「日本が日本であるために、何を守っていくべきか」という本質を探求していくと、現在の日本社会が直面している問題の核心が非常に良く解ります。それはつまるところ、日本的精神や宗教観、習慣や風俗等に裏付けされた「歴史的なもの・文化的なもの」と、外から導入した西欧的思想を根底に持つ「政治的なもの・市民的なもの」のギャップに他ならないのです。別のいい方をすれば、東洋的思想と西欧的思想の間の齟齬、あるいは思想・精神文明と物質・科学文明との間の衝突ともいえるかもしれません。このギャップをいかにして埋めるかという難題に対し、探求し続けていくことが、私が一生かかって成し遂げなければならない使命であると思っています。そして、二千年以上に渡る日本国の道統を継承し、輝ける未来を切り開くための、新たな保守思想に基づく国創りを実現することこそ、私の志であり、自我を捨てそれの実現に心血を注ぐことが、私なりの国防なのです。

【政治と軍事の在り方】

 最後に、安全保障問題をテーマとする立場から、政治と軍事の在り方についての個人的な考えを述べたいと思います。

 昨年、現役の空幕長が私的論文により更迭されるという事件が起きました。私はこのことを、議論上でのタブーにしてはならないと思っています。何が間違っていて、何が正しかったのかをしっかりと議論し、考えることが我々には重要であると思うからです。私は、個人的に彼に共感する部分と致しかねる部分があります。共感致しかねる部分としては、歴史認識の部分で共感しかねる部分と、空幕長という立場が持つ政治的影響力の配慮に欠けたのではないかという点です。しかし、それを差し引いたとしても、強烈に支持する面があります。彼の言いたかったことを意訳すれば、「戦争は当事国家同士のそれぞれの正義のぶつかり合いであり、軍人は自国の正義をために命をかける。にもかかわらず戦い敗れた後に、同朋である国民から犯罪者扱いされるようなことでは、いったい我々自衛隊は何のために戦えばよいのか」ということに尽きるのではないでしょうか。これは、何万もの部下隊員の命を実際に預かり、いざとなれば死地への号礼を一下することを日々覚悟する指揮官としては当然の道理ですし、軍事力の上に成り立つ平和の中にどっぷりとつかって、安穏としている日本の政治家や国民に対する痛烈な批判であり、裏返せば、毎日を真剣に闘っている部下隊員達に対する熱烈なエールだったと私は解釈しています。決して文民統制を逸したわけでもなければ、ましては違法行為でもありません。ただやり方とタイミングがまずかったと言うべきでしょう。

 自衛官は戦後長らく「政治的活動には関与せず」との呪文に縛られ、政治的活動が定義する制限内容を考えるどころか、「ただ命令を忠実に遂行するのみである」として政治的な思考停止に陥っている感が否めません。しかし、私は、自衛官が軍事のプロフェッショナルとしての戦略的見識をもって、政治家に直接意見具申できる体制こそが、健全な独立国家のあるべき姿であり、将来それができる日本にしたいと思っています。それには、政治家と官僚と自衛官が若いうちから、互いの権力意識や対立を超えて、国家の様々な問題に対して真剣に議論し合える環境と風土が必要不可欠です。その中で、憲法改正、核武装、集団安全保障等の国防に関わる諸問題についてもタブーなき活発な議論を交わし合い、自衛官が政治的感性を研ぎ澄ますことが重要だと思います。そして、軍事的必然性としての部分最適に偏らず、国家としての全体最適を考慮した意見具申ができてこそ、社稷の臣としての「真の防人」の姿であるのではないでしょうか。

【終わりに】

 松下政経塾における三年千日の修行は、万事が研修であったとおもいます。その中において、私が得た大きなものが二つありました。

 第一に、「愛することは、信じることである」ということを学んだこと。毎日朝会で唱えた、塾是の冒頭の一文に、「真に国家と国民を愛し」とありますが、その「愛する」という部分の意味をずっと考えていました。それは、この日本の運命と、この国に生まれた日本人の力をとことん信じきることなのだと思います。幸之助塾主が生前、塾生との対話の中で「日本に本当に運命があれば、必ず日本は良い国になる。だから君たちも信じなさい」と言っておられました。親が子の未来を祈るがごとく信じるように、我々政治を目指す者は、日本の繁栄と国民の平和と幸福が、未来に必ず存在することを誰よりも強く信じるものでなければならないのです。

 そして、もう一つは「仲間がいることは、何に増して素晴らしい」ということです。どんなに崇高な志であっても、一人では達成できません。自分が本当に苦しいとき、悩んでいるとき、迷っているときに手を差し伸べてくれる同期や後輩達がいてくれればこそ、私はここまでこれたのだと、本当に心から感謝しています。私が入塾した当時、政経塾は素晴らしい人材が集いながらも、そこに和の精神と信頼があるとは思えませんでした。だからこそ、私は一塾生として幸之助塾主の望んだ塾の在り方にすべく、努力してまいりました。今卒業を目の前にして、素晴らしい後輩諸君にも恵まれ、政経塾は今まで中で最も団結し、お互いに高めあえる環境にあると思っています。学年の区別なく、真の同士達を得ることができたことが、私にとっての一生の財産であると思っています。現在は私は、すでに松下政経塾を早期離塾し、政治活動を開始しています。信頼する仲間たちとは早々に離れ離れになってしまいましたが、師である松下幸之助塾主の想いを継ぎ、いつの日か志の実現に向けて、塾生が一丸となり、皆で一致団結して、日本を正しい道へと導く日が来ることを想像しています。

 末尾ではございますが、松下政経塾にてお世話になりましたスタッフの皆様の御健勝を祈念すると共に、国家のために一命を投げ打ち、共に礎とならんことを約束した五名の同期及び後輩諸君を心から敬愛して、結びと言葉といたします。

 これからも末長く、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。本当にお世話になりました。

(2009/10)
2010年1月 執筆
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