松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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100km行軍
2006年10月

研修レポート

100km行軍レポート
杉本哲也/卒塾生

 

 「果たして私は100kmを歩ききれるのだろうか・・・」
そんな不安が脳裏にこびりついたまま迎えた出陣式。出陣式に臨むにあたって、ちょうど一年前ほど前、私は自分自身に入塾資格があるかどうかを問うために、鶴見から小田原までの約65kmを13時間かけて歩いたことを思い出した。そのときは足が痛くて「もうこれ以上歩くのはとても無理だ。」と思ったのだが、今回はそれ以上長い距離に挑む。私は不安が払拭できないままに出陣式を迎えた。

 私が出陣式で述べたことは「人間の本質というのは、苦しくて追い込まれたときになって出てくる。そんな追い込まれたときこそ笑顔を見せて、みんなの心の支えになって歩き続けたい。」ということであった。ギリシャの哲学者エピクテトスは"逆境は人の真価を証明する機会なり"という言葉を述べているが、「苦しいときこそ辛い素振りを見せず率先して頑張るときだ」というのが私の哲学であり、今回の100km行軍でも苦しいときにこそ笑顔を見せる意気込みでスタートに臨んだ。

 10月19日午前10時ちょうど、スタートの合図は切られ、三チーム一斉に政経塾のアーチ門を出発した。我がチームは、約5km/時のペースで歩き続け、5kmごとに余った時間を使って休憩を行い、20km以降にある各サポートポイントで20分休憩を取るという作戦で挑んだ。

 塾を出て、まず辻堂海岸沿いの道路を歩いたのであるが、事前の練習の際に昼間練習を行っていなくて、日陰を歩くという初歩的なことができなかった。当日は気温が高かったためにチームメンバーに無駄な体力を消耗させることになってしまい、いきなりの自分の判断ミスを反省しなければならなかった。

 出だしで少し体力を浪費したものの15分の昼食休憩も含めて2時間で10km地点の稲村ヶ崎に到着といういいペースで序盤戦が進んだ。チームメンバーも練習のときと同じように元気に歩いていた。結局20kmサポート地点がある逗子に、2時間43分という予定より随分早い時間で到着することができた。サポートポイントには休憩用の毛布が敷かれており、カロリーメイトやウイダーインゼリーなどの補給用食料が用意されていた。自分たちで事前練習を行った際には、当然ながらこのようなサポートがなかったので、サポートをして頂ける有難みを実感することができた。

 その後、横須賀の街を通り抜け、35km地点の観音崎に着きそうというところでメンバーの身体にも不具合が生じてきた。同じチームの小山塾生や石井塾生の足に大きなマメができていた。もちろんマメができることは想定していたので、バンドエイドを貼り付けたり、ワセリンを塗布したりすることで応急処置をして、歩行を再開した。この頃から、私の携帯電話に、友人からの激励メールがたくさん届くようになり、最後までこれらのメールに励ましていただいた。

 この辺りから、日が落ち始めた上に、電灯の少ない場所を歩いたので、真っ暗な道を歩くことになった。暗い中、歩道のない道路の路肩を歩くこともあって、これまでの行程で安全歩行管理者である日下部先輩に一任していた安全に対して、自分の身は自分で守るという配慮が必要となった。

 夕方6時前、40kmサポートポイントである浦賀生協を目前にして、信号待ちをしていると、「バキバキッ!」という機械同士がぶつかり合う鈍い音が聞こえてきた。なんと目の前で、車3台による玉突き事故が起こったのであった。交通事故を目の当たりにして、私たちの危機管理意識はますます高まった。

 スタートから約8時間で浦賀生協の駐車場に到着した。このサポートポイントでは夕食を摂る予定であったので、生協で炭水化物であるご飯物・麺類を中心に買い込み、駐車場で身体を休めながら、ゆっくりと食べた。また後半戦の疲労防止にと、前職の会社が製造しているアミノ酸を摂取した。実はこのアミノ酸が後々大きな効果を発揮するのであった。

 30分休んだ後に浦賀生協を出発し、京急久里浜駅前の夫婦橋に向かった。夫婦橋では、8月初旬にインターン生として我々27期生の研修に参加した女子大生の藤井さんが100km歩行の特別ゲストとして参加するために我がチームに合流した。

 事前練習でも最長で40kmしか歩いていなかったために、チームとしては未知の領域に入ったのであるが、夕食の補給と藤井さんの合流によって、私たちロ組はまた完全に元気を取り戻し、三浦海岸を歩いて、約10時間半で50km地点に到着した。この100km行軍考案者である平野先生からは「50km地点に着いたら、半分来たということを実感してください。」と言われていたので、50kmのサポートポイントでは、身体を休めるとともに、これまでの50kmを振り返ってみた。反省点だらけであったので、「後半はリーダーとして他のメンバーのサポートを出来るように」と心に誓い、後半戦の第1歩を踏み出した。

 そして真っ暗な中、懐中電灯を照らしながら、狭い坂道を歩き続け、60kmのサポートポイントである宮川公園を目指した。この頃から少しずつメンバーにも疲労の色が見え始めてきた。60kmサポートポイントでは、源馬先輩がチームメンバーに対して、丁寧なマッサージをして、疲労回復にお力添えしてくださった。

 宮川公園を出発し、三崎口を通過して、日付が変わって10月20日0:50に70kmのサポートポイントがある陸上自衛隊武山駐屯地に辿りついた。時間的にも肉体疲労的にも一番眠くなる時間帯であった。メンバーの疲労の色はもはや隠せなかった。マメがつぶれて歩く度に激痛がはしる者、眠さに耐えかねて意識が朦朧としている者、足が疲労して棒のようになっている者、皆様々ではあるが、疲労感はいっぱいであった。私自身はアミノ酸が効いているせいか肉体的な疲労は思ったよりも軽いものの、昨年歩いた距離より長い距離に突入したため、いつ疲れが襲ってくるのかと不安でいっぱいであった。しかし、「辛いときこそメンバーの心の支えになる」と宣言したからには、実行しようということで、なるべく明るい話でチームを盛り上げようと試みた。ここまで頑張ってきたお陰で、時間的にも余裕が生まれたために、ここから少しペースを落として、進むことにした。

 そして少しゆっくりと進んで、75km地点のある立石駐車場に着くと、高松先輩と源馬先輩により、予定されていなかったサポートを行っていただけることになった。こういう辛い状況で、予想外のサポートは非常に有り難かった。両先輩から「メンバーの疲労状況が酷いので、もっと全員で固まって歩くように」とアドバイスを頂き、一番苦しいと言われていたゾーンに突入した。

 肉体的疲労はピークに達するものの全員で固まって歩くようになったために、チーム内での会話も増え、いいペースで進むことが出来た。しかしながら、その反動のせいか80kmのサポートポイントでは、眠りに耽るメンバーも続出した。一旦眠ってしまうと疲れがどっと押し寄せて歩けなくなるのではないかと心配したが、疲労と眠気の狭間でなんとか歩行を再開し、ゴールに向かって歩き続けた。

 85kmポイントでも少し休憩を取って、90kmポイントを目指すと夜が明け始めてきた。人間は追い込まれると、自分を客観的に見たり、走馬灯のように過去のことが思い出されるようである。私はこの頃から歩きながら、様々なことを考え始めるようになった。「どうして自分は今歩いているのだろう?どうして自分はこの塾にいるのだろう?」と現在の自分について客観的に考えたり、大学時代アメフトのトレーニングで、毎日比叡山に登っていたことを思い出して、「あのときから自分はどれくらい成長しただろう?」と過去の自分と対比して考えたりするようになった。

 90kmポイントを過ぎると、メンバーの疲労感が限界を超え、歩行中は皆ほとんど口をきかなくなってしまった。もう全員気力だけでゴールを目指していた。午前7時過ぎに最後の95kmのサポートポイントを出発して、富士山を眼前に眺めながら、ゴールに向かって辻堂海岸を歩き続けた。もはや目の前の富士山が美しいかどうかを判断する余裕すらなくなっていた。

 浜須賀の交差点を曲がると、毎日早朝研修で走っているコースに入り、政経塾が見えてきた。見慣れた景色を見て、出陣式からずっと抱えていた不安からようやく解き放たれた。

 私たちロ組は正門の手前で全員横一列になって手をつなぎ、これまで歩んできた道と同じ道とは思えないゴールへの数メートルを一歩一歩踏みしめるように進んだ。そして、22時間18分、私たちロ組は新記録のタイムでゴールテープを切った。このとき、「やっと終った」という感覚と「もう終ってしまったのか」という感覚が同時に存在する不思議な感覚に陥った。この感覚は、実際に100kmを歩いてみて初めて体感できる感覚なのだろう。

 そして一緒に歩いたチームメンバーと100km歩いた達成感を分かち合った。一人ではなくみんなで歩いたからこそ得られる達成感である。

 今回の100km行軍を通して、毎朝唱和している五誓を体感することができた。

一.素志貫徹の事
常にゴールすることを目指して、一歩一歩懸命に歩き続けた結果、いかなる困難も乗り越えることができた。完歩の要諦はゴールするまで諦めずに歩き続けたところにある。
二.自主自立の事
他を頼ったり、人をあてにしたりせず、自らの力で自らの安全を守り、自らの足で歩き続け、さらにはチーム全員の知恵と力を集めて、全員無事完歩することができた。
三.万事研修の事
見るもの感じることのすべてから学び、一切の体験が研修となった。たかが道路を歩き続けることの中にも、我が師となるものはたくさんあった。
四.先駆開拓の事
既成の作戦にとらわれず、絶えずゴールするための作戦を創造し、状況に応じて実践していった結果、新たな記録を達成することが出来た。
五.感謝協力の事
チームメンバー同士やサポートしてくださった諸先輩や職員の方々、その他支えてくださった方々と協力し合ったことで、新たな感謝の心が生まれ、真の絆が生まれた。

 後談ではあるが、翌日朝、起きたときに筋肉痛および疲労感が全くなかった。おそらく休憩中にアミノ酸を摂取したおかげであろう。まさか前職の会社にこんな形でお世話になるとは思っていなかったが、このアミノ酸を製造している前職の会社に新たな感謝の気持ちが芽生えた。

 また電車に乗ると、2時間程度で100km先まで行くことが可能であった。電車のない時代の人たちが前日の自分たちと同じように丸一日かけて100kmの距離を歩いて移動していたことを考えると、文明を進歩させた先人たちや、普段私たちが乗る電車の運行に関係している方々に新たな感謝の念が生まれた。

 結局のところ、100km行軍は「有難み」を実感することに尽きると思う。昨年自分一人で歩いたときにはなかったチームメイトの協力が有り難かった。事前練習では用意されていなかった先輩や職員の方々の手厚いサポートが有り難かった。普段何気なく受信している友人からのメールが有り難かった。普段何気なく飲んでいるアミノ酸が有り難かった。普段何気なく乗っている電車が有り難かった。

 つまり普段何気なく享受しているものでも、それは当たり前のものではなくて、有り難いものなのだ。自分が生きていられるのはそういう多くの人に支えられているお陰なのである。そういう自分を支えてくださっているすべての人や物への有り難さを忘れずに、さらなる研鑽を積んでいきたい。

 最後になったが、出陣式で激励の言葉を頂いた平野先生や塾員の方々、歩行中メールにて応援メッセージを送ってくださった友人たち、各サポートポイントで手厚いサポートをして下さり、塾に残って私たちの歩行を背後で支えてくださった先輩および職員の方々、一緒に歩いて我が班の安全を見守ってくださった日下部先輩、途中参加で歩いてくれた特別ゲストの藤井さん、ロ組で一緒に歩いた仁戸田塾生、小山塾生、石井塾生および、その他今回の歩行を支えてくださった皆様に心より御礼を申し上げたいと思う。本当に有難うございました。

2006年10月 執筆
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