松下政経塾 The Matsushita Institute of
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宗家研修
2002年11月

研修レポート

宗家研修 感想
上里直司/卒塾生

 

 「その道に入らんと思う心こそわが身ながらの師匠なりけり」

利休道歌の冒頭にある歌で、いつも読み返す私の大好きな句だ。茶道に限らず、何事にも通じる歌だと思う。この歌との出会いは、お稽古をしていただいている中島宗基先生が、お話して下さったのがきっかけだ。とてもいい歌だなと思い、誰が歌ったのだろうと考えたがそのままにしていた。それから1ヶ月がたった頃、お茶の稽古で自分がいつも使っている扇子を何気なく広げてみると、そこには利休道歌が描かれていた。なんとも皮肉な出会いなのだが、自発的に何かを習おうとすれば身近なものにこそ、身近なものに教えられることがあるものだ。

 今回の研修でもいろいろなことを教わった。先生方は細かな動作のご指導以上に、なぜそのような動作をするのかということを教えて下さった。全ての動作は、お客様にお茶をおいしく召し上がっていただくことにつながっている。心を込めておもてなしをする。このことは何もお茶の席での亭主と客の関係だけでなく、全ての対人関係のあり方を提示しているように思える。そこで大切だと感じたのは、心をこめるということだ。心を込めておもてなしをする。このことは何もお茶の席での亭主と客の関係だけでなく、全ての対人関係のあり方は提示しているように思える。日本の伝統文化という範疇を超えてもっと普遍的な価値を表すものだと感じた。

 お茶は日本の総合芸術であり総合文化である。お客様をもてなすために、数多くの道具がある。茶碗だけでなく、多くの道具があることを教えていただいた。茶室のつくり、かけられる書、活けられる花、すべてがお客様を迎え入れるための道具である。それらの道具は亭主が大切にしているものである。お客はただお茶を飲むだけでいいかもしれない。しかし、飲料としてお茶を飲むと同時に、亭主の心遣いという気持ちとしてお茶を飲めばよりいっそうおいしく感じられるように思えた。そのためそれぞれの道具への知識や美意識というのが、お茶の席で大切であり、その道具が日本文化を象徴するものであるため、総合芸術になるのであろう。

 動作について指導していただいたことで特に印象に残ったことがある。お手前のお稽古の際、私は水差しを畳の中央に置いた。自分では中央においたつもりだが、実は中央から畳の目4目分離れていた。なんだそれくらいいいのでは、と思ったが、4目も離れていたらそれは中央ではないと指摘されました。中央ぴっしりおく正確な理由は、はっきりと覚えていないが、中央に置こうとおもったらちゃんと中央に置かなければならないと言った先生の言葉は鮮明に覚えている。それがもし1目でもずれても中央でなくなってしまう。私はそのことを聞きながら、今の政治がどれだけ目標をおろそかにしているかを省みた。目標を決めたとしても、たとえそれが達成できなかったとしても、何割かまで辿りつけば概ね達成としてごまかすか思い込む。しかし、目標とするならそこにきちんとただ辿りつかなければ目標に到達してといいがたい。細心の注意をしながら、狙った目標を外さない、そんな政治を目指す必要があると思った。

 3日間の研修の最後の日、床の間には家元が書かれた「主人公」という書が掛けられていた。この「主人公」という言葉は、いろんな意味にとれそうだ。研修の終了式に中島宗基先生が、主体性の確立ということのようだ。利休道唄の歌にあるように「その道に入らん」する自発的で主体的なこころがけが必要だ。そのような心がけであればわが身だけでなく「万物ことごとくわが師」となるであろう。そのような自発的で主体的な心がけを努めていきたい。

2002年11月 執筆
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