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京都・東山山麓南禅寺の近くに、ひっそりと「真々庵」はあった。兜門から続く石畳には水が打ってあり、一面ガラス張りのロビーに一歩足を踏み入れると、そこには美しい荘厳な日本庭園が広がっていた。松下幸之助塾主はいつもこのロビーにある円形ソファーに腰かけ、庭園を眺め深い思索を巡らしていたという。私は、この静寂な一角で同じ景色を眺め、塾主がこの場所でどんな思いを巡らしていたのだろうかと考えていた。すると、塾主が凛とした姿でゆっくりと庭園を歩いてくる…、まるで本当に塾主がそこにいるかのような錯覚に陥った。
現在の松下政経塾の塾生は、直接、塾主の考えを聞き指導を仰ぐことができない。そこで、塾主のゆかりの地を訪ねることで、塾主の実像に迫り、塾主の人間観を知り、塾生としての使命を自らの中で探求する。それが「関西研修」である。今年の主な訪問先は、松下生誕の地である和歌山県千旦町の松下家の墓所、松下電器創業の地である大阪府大開町の工場跡、大阪西三荘のパナソニック本社、そして、松下の私邸を復元した兵庫県西宮の「光雲荘」、裏千家の「今日庵」。さらには、「松下幸之助歴史館」や「松下資料館」、京都の「PHP研究所」、「真々庵」である。
私が今回の研修で最も印象に残った場所が、この「真々庵」である。「真々庵」は塾主の別邸であり、PHPの研究活動の中心となった場所である。真々庵の「真々」とは、真実真理を探求する道場であることを意味している。美しい庭園には、塾主の思想が織り込まれており、松下哲学が随所に隠されていると言われる。ここで塾主は研究員とともに研究を重ねた。精魂を傾けた著書『人間を考える』は、昭和47年にこの「真々庵」の庭を眺めながら書かれたものだ。
「人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖をはじめ幾多の人びとの知恵が、自由に、何の妨げも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである」。そのような松下思想を具現化したものが、まさしくこの庭園だった。
「松下幸之助」という人物は、大阪・南船場の丁稚奉公からわずか一代で、大企業を作り上げた「経営者」である。一方で、晩年は人生、宗教、社会、政治、宇宙の根源に至るまで様々な問題について深い思索を重ね、「思想家」として世に大きな影響を与えた。その思索の末にたどり着いた哲学は、物事の本質を的確に掴んだものであり、時代が変わっても廃れることなく今も人々の心に訴え続けている。
「塾主の思想の原点はどこにあるのか」。
この答を探求することが私の関西研修の大きな目的の一つだった。そして、研修を終え自分なりの答を見出すことができた。塾主の思想の原点は、日本の伝統文化や精神であり、その中でも特に「茶道」が大きな影響を与えているというものだ。茶席における心づかい、茶室の静寂なたたずまい、心の落ち着き。茶道の心というものは、とらわれない心であり、ありのままに見る心であり、いってみれば「素直な心」そのものである。すなわち塾主が茶道に求めたものは、自らの理念である「素直な心そのもの」だったのではないか。塾主は茶道に出会い、裏千家家元と生涯にわたって交流を続け、このような茶道の根底に流れる日本の伝統精神に深い感銘を覚え傾倒し、そして、独自の人間観、宇宙観を提唱するに至ったのではないだろうか。
私にとって関西研修は、松下幸之助塾主の生きた軌跡をたどりながら、塾主の生い立ちと思想の原点を探求する旅のようなものだった。また、それは日本の伝統精神や日本人の心を探り、自分とは何かを見つめ直す旅でもあった。訪問先でお世話になった方々には、身に余る厚遇で出迎えていただき、心より感謝の念を感じるとともに、塾生としての使命と責任をより強く自覚することとなった。将来の日本を担う指導者を育てるという松下政経塾の建塾に至った塾主の強い思いを受け継ぎ、日本の発展のために働くべく、これからも日々研修に励んで参りたい。
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Kiyohiro Katayama
第31期
かたやま・きよひろ
一般社団法人 日本ブルーフラッグ協会 代表理事 / 慶應義塾大学SFC研究所上席所員
Mission
地域主権社会の実現-地域のリーダーシップで日本を変える-