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苦しい。雨でビショぬれとなった靴を履き続け、ふやけた両足の先っぽには、大量の豆ができ、ズルズルにむけていた。左足の甲の激痛と右ひざの筋肉痛はピークに達し、疲労と徹夜空けの意識は茫然としてくる。それでも、完歩への意欲は全く衰えなかった。足をただ、ひたすらに前に運んでいた。そんな中、一つのことを考えていた。「『美』とは、一体何なのだろうと」。
約一ヶ月前、私たち松下政経塾30期生は、伝統行事の100キロ行軍に臨んでいた。台風が近づき、あいにくの雨模様だ。そんな中での出陣式。この名物行事の生みの親、平野仁先生から、私たちに一つの言葉が投げかけられた。
「100キロ行軍は厳しく、辛い。だが、松下幸之助塾主が生きていたら、諸君らには次のように言うでしょう。『美を見やれ』と。皆さん、美を見てきて下さい」。
私たちの挑戦が始まった。嵐で荒れた三浦半島の剥きだしの自然の中を、100キロ、しかも24時間以内に、通しで歩き続けるという行為は、想像以上に過酷だった。登山用のつえやスパッツ、サプリメント、そして30キロ、50キロの事前練習…。出来る限りの準備はした。それでも防ぎきれない雨は、容赦なく体力を奪っていく。距離を積み重ねるほどに、体は鉛のように重くなっていった。当初は挑戦心で高揚していた気持ちも、その苛酷さに沈んでくる。そんな、自分を支えてくれたのは、ともに歩んだチームの仲間であり、別チームの同期の仲間であり、先輩や職員の方々で構成されたスタッフの方々の献身的なサポートであった。私たちのチーム3人は、細かく声をかけあい、励まし合い、気遣い合った。また、各サポート地点では、温かい飲み物、おにぎり、マッサージから豆のケアまで、スタッフの方々が、心のこもった支えを24時間態勢で与えてくれた。
何とかたどり着いたラスト10キロ。美しい早朝の湘南海外の景色の一方で、心身は極限状況だった。それでも、私たちのチームは、ラストスパートをかけ、一気に歩くペースをあげた。体力的に不安なメンバーもいたが、限界を超えて頑張ることを知ってほしかった。「これから8キロは、とにかく目の前のチームについていこう。ラストは好きなペースで歩いていいから」と声をかけた。
私たちの必死の行軍が始まった。苦しみを越えた先のゴールを見据え、断固たる覚悟を決め、チームと自らの限界に挑んだ。目前の相手チームを抜いた後も休憩を取らず、一気に駆け抜けた。そんな中、心の中は自分の苦しみよりも、懸命についてくる仲間と、献身的な先輩たちのサポートの姿のことしか考えていなかった。ラスト2キロでは、先頭を歩いていた、同期のもう一チームに追いついた。「全員で一緒にゴールしよう」。思いは同じだった。彼らのチームメンバーの一人は途中で体調を崩しており、彼の歩みに合わせた行軍となった。「頑張れ。ここまで本当にきつかったけど、あと、ほんの少しだ」。これまでの苦労を語り合いながら、冗談を交え、彼を励まし、全員で歩んだ。
その時、唐突に平野先生が話した『美』の意味が理解できたような気がした。「『美』とは「人間の姿そのもの」ではないだろうか」と。仲間同士、信頼し、助け合い、思いやる姿。ひたすらに心のこもったサポートをしてくれるスタッフたち。そこには一遍の曇りもない、損得の感情もない、純粋な思いだけがあった。周囲の支えがどれ一つ欠けても、恐らく完歩することは出来なかった。形には見えない何かが、自分を支えてくれ、力を与えてくれたのだ。
ただただ感謝の気持ちが心から湧きおこり、目頭が熱くなってきた。最後に、同期全員で一緒にゴールした瞬間は、涙が止まらなかった。今回の行軍を通じて、何かかが自分の中で変わったと思う。それは、自分の心の奥深くに残るものであり、時間をかけて自分の中に染み込み、20年後、30年後の生き方に影響を与えていく何かなのだと思う。
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Shuhei Chiba
第30期
ちば・しゅうへい
仙台市議(太白区)/自民党