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「100km行軍、あんたが一番心配やったんや」。100km行軍を終えたあと、関理事長からそう言われたのを覚えている。平均年齢34歳の「高齢」の29期塾生のなかでも、長年の運動不足がたたった私は、体力面ではいささか心配があったのは事実だ。
24時間で100kmというと、大変そうだぐらいにしか思わないかもしれないが、実際にこれを数字に落とし込んでいくと、次第にイメージができてくる。100km÷24時間=時速約4.2km。時速4kmでは、休みなしで歩き通しても完歩できない計算である。大谷、冨岡、高橋の「い」組は、事前に先輩方から教わった通り、時速5kmで歩き、5kmごとに5分程度の休みを取る作戦で100km行軍に臨んだ。
ほんとに歩けるんだろうか―。その日が来るまで不安は高まるばかりであった。体力面での不安に加え、巨大な台風がちょうど上陸するタイミングでの100km行軍になりそうだったのだ。雨が降るだけでも歩くペースは落ち、体力は消耗し、気力も萎えかねないのに、ましてや台風となると…。100km行軍の前々日に、台風が直撃した場合に100km行軍は延期にならないのかと古山塾頭におずおずと尋ねたが、塾頭は「29期生も大変だな」とただただ笑うだけであった。
10月2日当日。驚くべきことに、上陸予定だった台風は急速に進路を変えた。空は澄み渡り、日射しはまぶしいくらいであった。100km行軍の日はなぜか晴れる、という。100km行軍の考案者である平野先生からお言葉をいただく。「これは血の出ない戦争である。敵は北の某国でもなく、大陸の某国でもない。敵は己自身である。無事100kmを完歩し、この戦争に勝ってほしい」。力強いお言葉に奮いたち、10時に政経塾を出発した。
我々は、前半50kmを速めに歩いて時間的余裕を作り、後半50kmは余勢で歩き切る、という以前の作戦を直前に放棄し、1時間5kmのペースを愚直に守り続ける作戦に変更した。結果的にこれが大成功であった。前半飛ばしていた「ろ」組が次第にペースを落としたのに比べ、コンスタントに歩き続けた「い」組は、22時間29分の好記録でゴールすることができた。
無事100km完歩できた要因を考えると、天の時、地の利、人の和、ということではないかと思う。直前の天気予報のとおり台風が直撃していたら、時間内に完歩はできなかっただろう。100km行軍の時期が真夏の暑い盛りであったり、真冬であったりしたら、これもまたしんどい。そういった意味では、天の時としては万全であった。
地の利ということでは、やはり地元ということである。また、準備として三浦海岸から茅ヶ崎の政経塾までの50kmを事前に歩いていたことがとても効果的であった。これによって後半50kmは見知った道のりとなったので、コースを間違えたり、いたずらに不安になったりすることなく、歩くことに専念することができた。
そしてなによりも大きいのが、人の和ということだ。3人一組のチーム制であり、もしチーム内で脱落するものがいたら、全員で翌年再チャレンジしなければならないルールのため、脱落せずにすんだのだと思う。個人参加であったら、到底歩き切れなかっただろう。疲れ果てた時に励まし合い、残りの距離の長さにうんざりした時に話をして気分を盛り上げ合ったりできる仲間がいるというのは、なんと心強いことか。
10kmごとのサポートポイントで支えてくださったスタッフの方々、先輩がたのあたたかい励ましも忘れることができない。あと数キロ歩けば皆の顔が見られると思うだけで、前へ進むことができた。スポーツドリンクやお茶をもらったり、食事を用意してもらったりといった直接のサポートだけでなく、仲間というのはそこに待っていてくれるというだけで力を与えてくるものだということを、100km行軍を通して痛感した。
100km行軍というのは、本当によい研修である。完歩するぞと決意し、為すべきことを為していく。自らの足で一歩一歩進んでいくことでしか、道は開けない。仲間に感謝し、互いに協力する。五誓の精神の塊である100km行軍を終え、入塾後半年たった今、やっと真の塾生となることが出来たのだと思う。
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Hirokatsu Takahashi
第29期
たかはし・ひろかつ
医療法人理事長
Mission
医療体制の再生 科学技術による高齢化社会の克服