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アイツがやって来たのは、ちょうどスタートして5km地点あたりだったか。
そう、準備は万端だった。一月前から、我らロ組は、30kmと50kmの準備歩行をこなし、念のため、クルマでコースを再チェックした。前日はたっぷり睡眠をとった。自信があった。50kmまでは苦にならない。そのあとの未知の領域も気力でカバーすれば、必ず帰って来られる。意気揚々と出発。天気は上々。しばらくは海の景色を満喫しながら、軽やかに、のどやかに、の、はずだった・・。
しかし、異変は突然やってきた。どうも歩きにくい。いや、歩きにくいという類のものではない。はっきりと痛みを感じる。足ではない。尻に、である。
当初、何が起こったのか理解できなかった。昨年、病院で医師に「もうそんなに若いわけじゃないんだから」と言われたことを思い出した。「ああ、またひとつガタが来たのか・・、それにしても、よりによってなぜ此処で、なぜ今なんだ。」
明らかに口数が減っている様子に、仲間が気づく。「今日テンションひくいっすね?」
「いや、セーブしてんねん。」そう答えるのが精一杯だった。やがて、その痛みは、またずれ(正確には尻ずれというべきか)だということに気づく。1週前の50Km予行のときに、徐々に進行していたものが本番早々顕在化したらしい。
こうして私の100km行軍は、幕開けから尻に激痛を抱えるという、涙なくしては語れない、いや歩けない、一種の荒行のような厳しさを伴うものとなった。しかし、ここまで準備して断念するわけにはいかない。第一、断念の理由を人に話せない。まさにお尻に火がつくとはこのことだ。私は、極力、神経を尻から遠いところへと遠ざけた。別のことを考えるようにした。そしてついに23時間と10分がたち、私と私の尻は、100kmの痛みに耐え抜いたのだ。
出発前に、100km行軍考案者の平野先生の前で歌を詠んだ。
「血染むともなどかは痛しけものみち 我らは道を開く者なり」
大げさに詠んだつもりが、決して笑えない結果となった。
しかし、ともかくもゴールした。3人そろって。前々日に振り付けを考えて前日に曲合わせしたばかりのダンスを踊りながらのゴール。仲間の一人は、最後10km足を引きずっていた。「でも、最後はみんなで一緒にダンスを踊ってゴールすることを楽しみに歩いてきたから。」彼女の目がそんなメッセージを発していた。私たちも同じ気持ちだった。不思議な一体感、無言のハーモニーがそこにはあった。彼女はゴール後、地べたにうずくまったまま、動けなくなった。私はゴール後、自転車にまたがって、でもサドルから腰を浮かせて後続のチームを迎えるために飛び出した。そう、みんなが一緒になった。みんながあの一体感を感じていたのだ。
あんな痛みをかかえながら、でも、ゴールしてみたら、爽快感となんともいえない包まれるような幸福感があったのは、仲間がいたからだ。
気持ちいい景色が広がったときは、みんなで歌を歌った。
夜真っ暗な道を歩くとき、やっぱりみんなで歌を歌った。
長い坂道をえっちらおっちら登るとき、みんなで歌を歌った。
楽しいときも、くじけそうなときも、そこには歌があった。
そして、何より笑いがあった。
先輩たちが、スタッフが、サポートポイントで笑顔で出迎えてくれた。
車から声をかけてくれた。
ずっと最後までついていてくれた。
どんなに足が痛くても、どんなに尻が痛くても、笑っていられた。
見知らぬ人たちからの応援もあった。
栗やみかんをいただいた。
「重いよ。今食べられんよ。」なんていいながら、ジーンと来ていた。
頑張ろうって気になった。
「ああ、笑顔っていいもんだね、出会うって素敵なことだね。」
そう。100km行軍は、ちょっとした人生です。
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Kazushi Kaneto
第26期
かねとう・かずし
株式会社空と海 代表取締役/海賊の学校 キャプテン