Activity Archives
①目的:「塾主を知る」
②スケジュールおよび研修先:
2004年5月10日(月)~5月14日(金)
5月10日(月) | 松下資料館 高橋支配人 | ||
5月11日(火) | ・松下電器 本社 経営企画グループ 社会文化グループ 松下名誉会長 松下副会長 | ・松下電器 技術館見学 | ・松下電器 歴史館見学 |
5月12日(水) | ・PHP研究所 江口副社長ご講話 | ・真々庵 見学 | |
5月13日(木) | ・塾主墓参 | ・和歌山城見学 ・川条志嘉選挙事務所 | ・福島区 「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会 |
5月14日(金) | ・光雲荘 見学 | ・阪神淡路大震災記念館 見学 |
③研修者:第25期生
④研修で得たことおよび感想
京都駅から約50分近鉄京都線山田川駅から徒歩5分、山を切り崩したような高台。のどかな駅周辺からは想像もつかないような近代的なピラミッド型の建物と研究所のが立ち並ぶ敷地内に、松下資料館がある。高橋支配人のお心使いで休館日に来館をさせて頂いたこともあり、見学者は私たち政経塾生のみであった。図書館も併設されているが、開放的な空間というよりむしろ松下幸之助研究者向きとも言うべき上級者向けの、静かで重厚な雰囲気がある資料館である。
一方、大阪門真の松下電器敷地内の歴史館は、創業当時の大阪大開町の松下電気器具製作所の作業場・所主室の復元や、マルチメディアコーナーで松下幸之助の手相を復元、タイムカプセルや写真・映像をふんだんに展示することにより、初心者も上級者も、子ども大人も気軽に松下電器と松下幸之助を知ることができる。
上記2館に共通して、私が最も印象に残っているのは、松下幸之助を語る部下の方々のお話の映像である。誰もがその映像の中で松下幸之助を熱く語り、よい事も悪いことも創業者とのやりとりをまるでかけがえのない宝物のように話している。創業者のお人柄もさることながら、従業員3人で事業を始め一人ひとりを大切にし優秀な人材を養成していったことが伺える。どんなに厳しい叱責を受けても奮起して創業者に感化され、向上してきた人々の姿が映像の中に見ることができた。
また、松下電器社会文化グループの松本様のお話の中で、〝本業が発展していくために、皆さんを支える、従業員の方も来て頂いている。仕事を終え、会社を離れれば、社員も一国民であるのだから、企業のメセナ活動は必要です〟とおっしゃっていた。1990年経団連が企業の社会貢献活動として経常利益の1%を拠出していたが、不況になった今、企業は効果が見えにくいメセナ活動を取りやめ、自らの利益追求に専念するようになっている現状がある。そのような中、松下電器が予算を確保してまで、社会貢献活動を継続しているのは、社員を大切にし世間を大切にする創業者の精神が受け継がれているからだと思った。
松下電器社員でも部長・取締役以上が立ち入ることができないという、かつてのPHP研究所であり別邸でもあった京都東山の松下美術苑真々庵。そして、松下幸之助創業者の私邸そして松下電器の迎賓館であった兵庫西宮の光雲荘。
両者に共通している点は、建築にあたって松下幸之助が途中で何度も変更を加え、非常な情熱を注いだことである。前者について、徳田苑長は、創業者は庭園を作る際に池を広げたり、流れを変えたり、石組みを隠したりして、自らの宇宙観や哲学を投影させたとおっしゃっていた。お客様をお迎えするのに、庭の白砂を整えるのに約50分、庭の水打ち落ち葉拾いにも一時間以上かかるとみられる。後者については、書院造りの質素な形式にもかかわらず、その内側は、天井・廊下・欄間・照明など部屋ごとに趣向がこらされている。その部屋を使用する人や目的が考えられた内装が施されている。これは、PHP 江口副社長もおっしゃっていたように、塾主は〝他人を喜ばせることに喜びを感じる〟人であるからと言える。お客様、社員、社会の人たちに喜んでもらおうと生きてきた塾主の姿は、松下電器そして真々庵、光雲荘に現れている。そして、自分自分がという考えではなく、自分にとらわれない心で他人の喜びをどう実現させていくか、私自身の大きな課題となった。
PHP江口副社長のご講話の中や、塾主にお会いした方々のお話を伺っていると、「松下幸之助さんは3分で人の心に灯をつける不思議な魅力がある〟〝また会って自分の話を聞いてもらいたくなる〟というように、余韻を感じさせる人物であったと言う。余韻は、会った後でもずっとその人のことが気にかかったり(多くはよい意味で用いられる)、その人の想いや言葉に感化されたり、あたかもまたその人が自分の近くにいるように感じることかもしれない。そして、これは余韻を与える人間は、余韻残すようなエネルギーを相手に発信するのではなく、むしろ「つつましさ」であるとか一歩引いて静観できるような人間としての「余裕」から生まれるものであるような気がする。江口副社長は、塾主のような態度や雰囲気を身につけなさい、とおっしゃったが、これは得ようとして簡単に得られるものではないように思う。私は、一つ一つの信念が伴う行動を重ね、陰徳を重ねることによって、塾主の雰囲気をつかんで行きたいと思う。
松下電器社員でもお会いする機会を持つことが難しい松下名誉会長に、直接お会いしお話を伺えることに感謝します。会長が私たち塾生に伝えたいことは、ただ1つ、〝なぜ松下幸之助が政経塾をつくったのか〟その答えである。それこそが私たちの使命であり、松下電器や国民の方々から汗水かいて集められた塾主の私財によって学ばせていただいている意味であると思う。また、松下副会長は〝経営という立場で国を見ると国の方針がみえない〟とおっしゃり、戦後権利ばかりを追究してきた国民のあり方を嘆いていらっしゃった。〝先進国の常識が世界の常識ではない〟という考えは、途上国を考慮したうえで視点である。松下電器副会長という地位にも関わらず、社会的に弱い立場にいる方々に目を向け、未来を気づいていこうとする姿に、松下精神をみたような気がした。
私たちは、4月よりいわば松下グループの一員となり、松下政経塾という政治を担う部署に配属されたのだと思う。松下名誉会長・副会長はもちろんのこと、懇親会でお会いした松下電器労働組合の方々、PHPの方々、松下幸之助の足跡をたどり精神を受け継ごうと活動されている大開町の皆さん、皆それぞれのフィールドで松下幸之助の精神を共有し、志をたて、活動しているのだと感じた。研修初日に伺った松下資料館の高橋支配人が〝松下幸之助は宗教のようなものです〟とおっしゃった意味が、最終日になってようやく少し分かるようになった。この研修で塾主を知るという過程を通じて、自らの志を確認し強め、これから自分が何を担っていくのか選択する過程になったように思う。
以上
2004年5月 執筆
Activity Archives
Yukie Nogami
第25期
のがみ・ゆきえ