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言葉では表現し得ない「緊張感」と「感動」を覚えた3日間であった。「緊張感」は、「お点前」や「作法」の実技研修もさることながら、聖なる根源の地に宿るある種独特な空気や歴史、1つ1つの物や所作に体現・表現されている奥深さから感じたものである。そして「感動」は、そうした「茶道」の文化に私自身がまさに触れている、ということから湧き上がり、感じたものである。
4月から習い始めた「茶道」であるが、これまではどちらかと言えば1つ1つの作法をうまくこなすことだけにとらわれていた。今回の宗家での研修を通じて、これまで頂いた数々の教えが、点から線となり、線が面となって自分の中に広がっていくように感じることが出来た。
「茶道」とは、単に茶を飲むことや飾ることや振舞うことでは決してなく、日常生活における自己の立居ふるまいや他の人間との関係やまわりの自然との関係に多くの教えをもたらしてくれるものであることを実感し、共感した。「茶道」を習い始めた一人の人間として、「和敬清寂」の心構えを大切に、それを体現すべく「花は野にあるように…」と利休七則にある「あたりまえ」を日々実践してまいりたい。
「茶道」において重んじられる「わび」という美的観念にも興味を持った。それは、心のあり様にも通ずる奥深いものであり、一生かかっても究めることは難しい観念・境地なのかもしれない。現時点では、自分なりに、「あくまで自然の風情を大切に、簡素に、それでいて秘めたる華やかさが表現される様」だと解釈している。事実、拝観した「今日庵」の茶室や茶庭は決して華やかに完成されたものではなかった。それでいて清らかで、凛とした、温もりある雰囲気が漂っていたこと、より華やかさを、より完全さを追求しようとする強さや貪欲さが控えめに表れていることが印象的だった。そんな飾らぬ、素朴で純粋な「もてなしの心」を大切にしたいと思う。
同時に、「茶道」における美の中に常に意識される「対立と調和」という観念にも感銘した。「陽と陰」「光と影」「明と暗」「動と静」…。すべての物や所作、またその組み合わせが、対立しながら絶妙に調和している。その様子は、決して同一ではない「自己と他人」の対立しながらの調和、共生共存の重要性を、私たちに伝えてくれている気がしてならなかった。
重要文化財である「裏千家今日庵」を拝観中、第十五代家元の鵬雲斎宗室にお目にかかり、お言葉を頂く光栄に浴した。ものの数分であったが、家元が両手でご自分のお腹を叩きながら、「期待しています。志を高く持って頑張ってください」と仰って頂いた時のあの「迫力」が忘れられない。ご高齢でもあられるし、どちらかと言えば「しなやかな方」をイメージしていただけに、度肝を抜かれた。研修後、頂いた著書『お茶をどうぞ』(日本経済新聞社)を読んで、納得した。そこには、戦時中、海軍に従軍され、戦後は修行と共に、「茶道」の普及と発展、「一わんから平和を」の精神での世界平和構築に向けてご尽力されてこられた激動のご生涯が綴られていた。「迫力」やそれを生み出す「胆力」は、そうした数々のご経験とご労苦により培ってこられ、自然に発せられるものなのだろう。著書の中で紹介されていた列子「愚公山を移す」の教えを胸に、私自身愚公になりきり、日本の生成発展の前に立ちはだかる山を動かしてまいる所存である。
この度、「茶道」を習い始めて7ヶ月余りの私たちが、裏千家の源の地で、「茶道」の心、「茶道」の作法を直接ご指導賜るという、信じられず、有り難い機会を得た。「茶道」を通じ、日常生活を、人間を、そして日本を感じよと私たちにこのような機会をお与え下さった松下幸之助塾主をはじめ、ご尽力・ご配慮・ご指導賜ったすべての方々に心から感謝申し上げたい。
まだまだ「茶道」の奥深さ、味わい深さ、広さ、親しみやすさなどに気づき始めた段階であるが、利休道歌にある「その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ」の精神で、今後も「茶道」を、自分に出来る範囲で学び続け、学んだことを日々の生活の中で実践していくことに心がけてまいりたい。
以上
※研修概要 | |
○日 時 | 2002年11月13日(水)~15日(金) |
○場 所 | 裏千家茶道会館、今日庵等 |
○内 容 | 作務、点前実技研修、講義・見学、宗家・大徳寺拝観等 |
2002年11月 執筆
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Taizo Mikazuki
第23期
みかづき・たいぞう
滋賀県知事/無所属
Mission
日本の教育を考える 現在(滋賀県知事として)