Activity Archives
私が所属する松下政経塾の男子トイレの壁には、ある注意書きが貼ってある。「一歩前進」というのがそれである。私はトイレの落書きなどに結構見入ってしまうタチで、学生時代に雀荘で目撃した「急ぐとも心静かに手を添えて、外に漏らすな…」という五七調の注意書きなどは、いまだに鮮明に覚えているほどである。といっても勿論今回のテーマはトイレでも落書きでもない。つい最近「一歩前進」という言葉の重みを、身を持って実感させられた機会を持ったので、それについて書くことにする。
今年も「100キロ歩行」の季節がやってきた。100キロ歩行は松下政経塾の通過儀礼と言っても良い行事で、塾を出発点に往復100キロの道のりを夜通し掛けて歩くというものである。制限時間は24時間。今年は10月25日の午後10時に塾をスタートし、藤沢・鎌倉・横須賀・三浦・葉山等を通り、茅ヶ崎-三浦半島間を往復するという昨年同様のコースとなった。マラソンやラリーに完走、大食いに完食があるように、政経塾の100キロ歩行にも「完歩(かんぽ)」という言葉がある。こうした競技の中では、とかくタイムや順位に次ぐ最低限の目標とされがちな「まっとうする」という概念であるが、100キロ歩行では「弱い己に打克ち、完遂すること」が至上命題とされている感がある。かつて野生の王国と言ったTV番組等でアフリカの男たちが成人の証にバンジージャンプを試みるというシーンを観たことがある。100キロ歩行には、どことなくその種の匂いが漂っている。これが先に通過儀礼と書いた訳だ。なんとしてでも100キロ歩き切らなくてはならない。そう心に誓った。
夜の海の波音は良いものである。闇に浮かぶ白い姿を眺めるのも良い。しかし気持ちよく歩けたのは30キロまでであった。40キロ付近から足首や足の裏が痛み始める。以後は10キロ毎の休憩地点でソックスを履き替え、マメが出来ぬように足の裏の乾燥を保つよう気を付けることとする。ここまでのタイムはおよそ7時間。フルマラソンを、しかも女性でありながら2時間10分台で走る高橋尚子の凄さを思った。50キロ付近で夜明けを迎えた。城ヶ島にほど近い三浦半島の小高い丘から見る朝陽が美しい。少し気分もリフレッシュさせられ、あとは慣性の法則さながら、いや惰性に従いひたすら歩き続ける。エルガーの行進曲「威風堂々」が頭の中を駆け巡る。私は右足と左足を交互に出す。
水だけで3リットルは飲んだ。そこら中にある自動販売機のおかげで、水分補給に困ることは無い。日本にある幸せを思う。昔『サハラに死す』という本を読んだ。1975年5月、サハラ横断を試みた主人公の上温湯隆青年はマリ北部の砂漠で渇死した。日本にいる限り、私は恐らく渇死しない。80キロを過ぎ、足首の痛みが増してきた。大丈夫、エルガーはまだ鳴り響いている。鎌倉を超え90キロ地点も超えた。
昼下がりの湘南海岸が日の光を反射してまぶしい。最後の10キロほど「一歩前進」の言葉の重みが感じられらたことは無い。江ノ島が遠い。出発前、先輩塾生からおくられた「一歩前へ」という励ましの言葉が思い出される。もう踵から着地するようには歩けない。歩道にはごく浅い直線的な溝が刻まれている。一辺50センチ程度の四角形を、すり足で一枚、また一枚と超えていく。頭の音楽も何処かへ去った。残り約3キロとなった。ここからは日ごろ往復50分から1時間弱で往復している馴染みの距離である。今日は往路のみだから半分で30分。疲れを差し引いて40分と言うところか。残り2400秒のカウントダウンが始まった。もはや数を数えることでしか痛みが紛れない。
結局最後の10キロに2時間半近くかかり、17時間半でゴールインした。その中で私が学んだこと、それはやはり「一歩前進」である。この言葉は私にとって3つの意味を持つ。第1は「目標に向けて、さらにあと一歩努力すること」である。あと一歩、この自分との戦いがどれだけ重要か、文字通り身を持って体感した。第2は「一歩ずつ努力すること」である。目標への近道は無い。オーバーペースは途中での息切れを生み、また慣れないチェンジオブペースは無用な呼吸・リズムの乱れにしかならず、時にはリタイアの原因ともなる。まわりにとらわれることなく、焦らず地道な努力を積み重ねて行くことが重要である。第3は今回の歩行とは直接関係が無いが、私が普段から自身に言い聞かせている「一歩だけ前進。相手の少しだけ先に出て導く。自分の仲間にしたいと思っている人を決して置いてきぼりにはしない。」ということである。平たく言えば「生活から遊離したごたいそうなお題目をならべるよりも、少し先の欲望を順に満たして徐々に最終目標を目指すアプローチの方が世の中良くなる。」ということになる。松下幸之助は「人間本然主義の政治」という概念を掲げ、「政治の要諦は国民それぞれの欲望を適正に満たしていくところにある。」と述べている。マスローの段階説を持ち出すまでも無く、人間の欲望には序列がある。生きて行く為に最低限必要な生理的欲求から身体的な安全を求めるもの、さらには自らが尊敬されることへの欲求へ、そして自己実現への欲求へと進む。この序列に従いながら一歩ずつより高次の欲求を満たしていくことこそ自然な変革であろう。日常生活から遊離したスローガンは、ひとりよがりで空虚なお題目になる可能性が高い。
一歩前進。実に深い言葉である。最も目にする機会が多いと思われる場所にさりげなく掲げる(関係者の)その慧眼。そしてこの100キロ歩行と言うカリキュラムが連綿と続けられていると言う事実。やはり塾は只者ではない。たかがトイレに貼ってある注意書きなどと侮って良いはずが無い。以来明けても暮れても、私は日々こいつとの真剣にらめっこ勝負を続けているのである。
以上
Activity Archives
Daisuke Matsumoto
第22期
まつもと・だいすけ