論考

Thesis

—文化発信を通した精神大国の実現:一経営者としての心を忘れず—

日本の伝統精神の希薄化

 「日本はよい国である。自然だけではない。風土だけではない。長い歴史に育まれた数多くの精神的遺産がある。その上に、天与のすぐれた国民的素質。勤勉にして誠実な国民性。日本はよい国である。こんなによい国は、世界にもあまりない。」[1]
これは、松下幸之助(以下、塾主)の著書「道をひらく」の一文である。この一文を例に、塾主は繰り返し日本人の国民性の貴重さを問うていた。例として報恩の念に厚い、きめこまやかな心くばり、自然や美を愛する心、礼節を重んじる、勤勉[2]などを挙げているが、これらの精神は、たまたま日本人特有の特徴として持っているが、本来はすべての人間が普遍的にそなえるべき素質である。したがって、日本人が自国の伝統精神を保持し発信することは、他国の人々に新たな価値観を提供し、相互理解や協調を促すことにつながる。その延長線上にこそ、ゆくゆくは世界全体の繁栄が実現されるのである。また、塾主は日本の伝統精神の中核を「衆知を集める」「主座を保つ」「和を貴ぶ」という三つに整理している。他者の意見を尊重しつつ自主性や主体性を保ち、全体の調和を重んじる姿勢こそが、日本がこれまで存続・発展してきた根本の理由であった。反対に、この三つが揺らぐ時、社会は精神の弱体化による混迷に直面する、と塾主は警鐘を鳴らした。

 しかし、現代において塾主の懸念は現実のものとなりつつある。日本人の精神性はもはや統一されたものではなく、価値観は多方向へと拡散していると思われる。それは多様性の尊重という側面もあるため必ずしも悪いことではない。しかし一方で、多様性が誤って「自己中心的な権利主張」と結びつくとき、塾主のいう「勝手主義」――個人の自由や快適さを優先するあまり、社会全体の理想や責任を顧みない風潮――が生じるのである。
 日本は、世界から精神面で尊敬される、いわば精神大国となれる素質を持つ国である。しかしその素質を十分に理解し、国内外に発信できているかと問われれば、答えは否である。日本の伝統精神は希薄化し、国としての存立の基盤さえ失うほどの危機に直面しかねない。これこそ塾主が最も危惧したことであろう。

生活と文化に息づく日本人の精神性

 では、この伝統精神をいかに再生し、未来に継承するか。ここで重要なのが、精神性が単なる理念ではなく、生活や文化の中に息づいているという点である。たとえば、日本建築の間取りや茶室のつくりには、他者との距離感や控えめな美意識が反映されており、そうした感性こそが「日本らしさ」の根底をなす。
 塾主自身も伝統工芸や茶道に触れ、「モノに宿る心」を重んじていた。美術品を見る目は持ち合わせていないと言いながらも、実際には、多年にわたり絵画から工芸作品にいたるまで美術品を収集した。[3]こういった文化人としての塾主の側面は、作品収集そのものを目的化していたわけではない。むしろ、電化製品の大量生産を営みとした松下電器においても、工芸品や美術品に宿る精神性を手がかりに、製品ひとつひとつに「モノに宿る心」を込める経営哲学を培うためであったのではないか。
 我々46期生が関西研修でPanasonicグループの迎賓施設「真々庵」を訪れた際、人間国宝の方々からお借りし展示されている伝統工芸品を見て非常に感銘を受けた。企業の顧客にこういった工芸品を見せることで、一品一品に込められた作者の意匠、作品から言葉を介さずに伝わる日本の伝統精神を伝えたかったのではないか。単なる装飾ではなく、「モノに宿る心」を伝える誠意であり、「伝統工芸は日本のものづくりの原点である」[4]と述べたように、人々の幸福に貢献する製品を創るものづくり企業として、利益追求に走らないための心がけの象徴としてものづくりの原点である伝統工芸を生涯愛したのではないだろうか。
 ここで強調したいのは、受け継ぐべきは「モノ」そのものではなく、モノに宿った日本人の精神性である。国内においては伝統精神を継承し、国外においては、文化を通じて「心」を体験的に伝え、日本人の良い特質を拡散することで世界繁栄に貢献すること。この両面からアプローチすることで、日本は世界から尊敬される精神大国に必ずやなっていくだろう。

海外における文化発信

 現在の文化政策では、経済的な即効性を持つポップカルチャーやコンテンツ産業が優遇される一方、伝統文化――たとえば能楽、邦楽、工芸、茶道などは後回しにされがちである。しかし、伝統文化には礼節・調和・自然観といった日本人の精神性が具現化される精神性の根幹をなすものであり、短期的な収益では測れない社会的・教育的価値を持つ。そして「精神大国日本」を海外に向けて発信していくためには、一見経済的な即効性を持たない伝統精神を伝える必要がある。
 実際、日本の「モノ」だけでなく、こういった精神性にも国際的な関心が寄せられている。実際に、外務省による令和5年度の「ASEANにおける対日世論調査」によれば、ASEAN諸国の人々が「日本に関してもっと知りたい」と思う分野について、「和食」に次いで多かったのは「生活様式、考え方」であった。[5]しかし、こうした精神性は言葉や説明だけでは十分に伝わらない。むしろ、芸術や工芸、あるいは生活文化を通じて、身体的に、感覚的に、そして体験を通してこそ深く受け取られるものなのである。塾主が現代に生きておられたならば、無形文化の体験を通した発信の必要性を強く訴えられたであろう。
 たとえば、茶道の体験を通じて「客をもてなす心」や「道具を大切に扱う精神」など、日本人の持つ繊細な感受性と敬意の文化が、言葉を超えて、感性や体験を通して外国人の心に届くのである。金継ぎによって割れた器を美として再生する伝統は、まさに「物を大切にし、再生する」という日本人の価値観を象徴するものである。東京タワーで行われている茶道体験プログラムなどは、その成功例といえる。見るだけではなく、触れ、使い、味わうことで初めて伝統精神が他者にも共有される。その延長線上に、文化を通じたインバウンド経済の発展も見込まれる。

経営者の視点での精神性の発信

 先述したような、工芸品や美術品など日本の伝統精神が宿る「モノ」を通して精神性の発信を国内外に発信していくことは塾主が望むことだろう。
 文化の担い手が存続するためには、持続可能な仕組みづくりが必要であり、その際に“経営的な視点”が不可欠である。文化を国家戦略の手段として道具化することには危険が伴うが、文化の内にある精神性を大切にしながら、それを社会に根づかせるための経営努力は不可欠である。しかし、この経営努力は単に利益を追求することではなく、社会利益を追求することである。
 塾主の経営哲学は、企業活動にとどまらず、文化活動にも有効である。顧客を忘れない姿勢、無駄を省いた効率的な運営、社会情勢への洞察、さらには「清貧」を美徳とするだけではなく経済的自立を目指すこと――これらはいずれも文化の持続に必要な態度である。一見すると精神性を守る営みと経済的な自立は相反するように見えるが、塾主が商売を通して社会利益の追求を目指したように、「稼いだ先に精神性を堅持する」という道もありうる。すなわち、文化を金銭換算できる輸出品として扱うのではなく、社会に根づいた「精神のインフラ」として捉え直し、それを支える経済的・制度的仕組みを整えること。そのとき初めて、日本は自国の文化を、誇りをもって発信しうる上に、世界もまた日本の文化に真に魅了されるであろう。
 今求められているのは、伝統精神を日本にとどめておくのではなく、体験を通じてその「心」を国内外へと伝えていく姿勢である。塾主が説いた「衆知を集める」「主座を保つ」「和を貴ぶ」という精神を現代社会に再生させることは、日本人自身の誇りを取り戻すことに直結する。そして、伝統精神を社会に息づかせるための仕組みづくりを怠らなければ、日本は世界から精神面で尊敬される「精神大国」としての地位を確立できるだろう。そして、日本人の良い特質を拡散することで世界繁栄に貢献することができる。
 互いに協力しあってこそ、信頼が培われ、真の発展も生まれてくるのである。

引用・参考文献

[1] 松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1968年、P270

[2] 松下幸之助『日本と日本人について』PHP研究所、2015年、P120-121

[3] 幸之助と伝統工芸 | パナソニック汐留美術館 Panasonic Shiodome Museum of Art |Panasonic
https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/13/130413/index.html
(2025年8月18日最終閲覧)

[4] 細尾真孝『日本の美意識で世界初に挑む』ダイヤモンド社、2021年、P32

[5]  外務省令和5年度「ASEANにおける対日世論調査」

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関口真生の論考

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Mao Sekiguchi

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