論考

Thesis

PHP理念から考える建塾理念
〜人類の繁栄幸福と世界平和実現を目指して〜

1.はじめに

 松下幸之助塾主(以下、塾主)はパナソニックグループの創設者であり、また、経営の神様と言われるように、産業人としての印象が強い。確かに、第二次世界大戦前の塾主の半生を振り返ると、9歳の秋に大阪の火鉢屋に丁稚奉公へ出て以降、15歳で大阪電燈(現関西電力)へ入社、その後23歳で独立し松下電気器具製作所創立、当社を順調に拡大させた。まさに生粋の産業人であったと言っても良いだろう。しかしながら、塾主を語る上で忘れてはいけないもう一つの顔が、第二次世界大戦後に立ち上げたPHP研究所の創設者、いわゆる「思想家」としての一面である。本レポートは、そんな「思想家」としての塾主が追い求めた理念「PHP」をテーマに、建塾理念について考察したものである。

2.PHPの定義

 はじめに、PHPという言葉の定義を明確にしておきたい。PHPとは「Peace and Happiness through Prosperity=繁栄によって平和と幸福を」[1]の略である。ここで言う繁栄とは、単に物だけではなく、心の豊かさも含む、すなわち物心一如の繁栄である[2]。そして、平和とは活的平和(対立しつつ調和しながら常に生成発展していく姿)こそが真の平和であるとされている[3]。最後に幸福とは、まずは人間自らが幸福を感じるとともに、その幸福感が社会の良識によって承認され、と同時にその両者が真理に順応した上に成り立っていることが、真の幸福とされている[4]
 そして、PHPは研究と運動の2つの両輪で成り立つものであるとされ、その活動の母体となっていたのは、1946年11月3日に設立されたPHP研究所だ。PHP設立趣意書によれば、PHP研究とは「早くいえば人類に繁栄をもたらす方策の研究」、PHP運動とは「PHP研究を助成し、研究の成果を普及し、これを実践して繁栄を実現する運動」とある[5]。加えて、設立趣意書と同時に発表された「第一次研究十目標」は、当時の塾主が考えた我が国の窮境を打開するために、特に急速に対応しなければならない事項をまとめたものである[6]


 ①働く者に豊かな生活を 
 ②自由で明るい働きを 
 ③民主主義の正しい理解を
 ④労使おのおのその営みを 
 ⑤まずムダを省こう 
 ⑥国費は少なく、効果を大きく
 ⑦租税は妥当公正に 
 ⑧企業の細分化によって画期的繁栄を
 ⑨働く者を生かして使え 
 ⑩教育は全人格を

 塾主は52歳でPHP研究所を設立して以降、この活動の先頭に自ら立ち続け、塾主亡き後も今日まで、PHP研究所はシンクタンクとしての研究事業、「月刊誌PHP」や「月刊誌Voice」をはじめとした出版・啓発事業を軸に、より良い21世紀の日本と世界の実現に向けて活動を続けている。

3.PHP研究所誕生までの道程

 ではなぜ塾主が世界の真の繁栄・平和・幸福を願い、PHP活動を始動させたのか。その大きなきっかけは、前述の通り第二次世界大戦における日本の敗戦である。終戦間もなくの日本は非常に混乱しており、食物がない、家がない、着るものがないという悲惨な状態であった。それに対し、山野を飛んでいる小鳥を見るとみんな栄養満点で満腹している。小鳥に限らず、兎でも、魚でもみな満腹している。人間だけが栄養失調になっている。その状況を見た塾主は非常に憤慨し、「鳥獣よりも人間が劣っているという、そんなバカなことはない。人間は万物の霊長と言われるくらい、すべての点において優れている。にもかかわらず、自ら招いて貧乏している。栄養失調に陥っている。これはおかしい」という気持ちなどから、PHP研究をスタートさせたのである[7]
 しかし、このPHP誕生の背景には、当時の松下電器産業や塾主が、「制限会社の指定」にはじまり、「財閥家族指定」、「賠償工場指定」、「軍需補償打ち切り」「公職追放」等々、GHQから厳しい制限を受けていたという事実がある。つまり、塾主自身も給料が制限されるなどして、食べることすらままならないというような非常に苦しい日々の中で、PHP研究を始めたということだ。ここに塾主のPHP実現への並々ならぬ想いが伺える。

4.PHP活動を通じて塾主がめざしたもの

 
 上述の通り、PHPの理念は「物心一如の繁栄によって、平和で幸福な社会の実現を目指すもの」であり、その物心一如の繁栄社会を実現するには、健全なる社会、すなわち政治と経済と宗教とが完全に調和し、一体となった社会を形成することが必要とされるというのが、塾主の基本認識である[8]。この基本認識の上、塾主はPHP研究所の創設と同時に、独自の立場での政治改革・啓発運動を開始した。例えば、各所でのPHP講演会や、他方、1947年4月に月刊誌PHPを創刊してからは、「PHPのことば」あるいは「PHPの原理」として誌上での啓発活動等が挙げられる。
 その物心一如の繁栄社会の行き着く先が、塾主の言葉でいうところの楽土(らくど)と言える。楽土とは、簡潔に言えば、誰もが天分を自由に生かすことのできる社会のことである[9]。そして天分とは、社会の一人一人が、それぞれ自分に与えられている生命力のことである[10]。塾主は、お互い人間がみずからに与えられた生命力が素直に生かされた時に最大の幸福が味わうことができ、この人間が最も幸福な状態でいられる社会を楽土と表現した。そして、「この楽土は死後の世界だけにあるのでもなければ、地上を離れて架空に存在するものでもない、この我々の住む地球上にある、我々の考え方と労作によってこの地上にこそ歓喜あふれた楽土が建設できる」と述べた。加えて、「天分は人によってみな異なるから、その天分をできるだけ多く生かすために、それぞれの天分に応じて、できるだけ多くの職種をつくり出す必要があること、そしてそれは物心両面の文化を高めることによって生まれてくるものであること、またこれが同時に民主主義の本領であること」と述べている[11]
 まとめると、物心一如の繁栄社会というのは、お互いの生命力が自由に生かされる社会でなければならない、言い換えれば、一人一人の天分が自由に発揮される社会でなければならず、且つ、この社会は我々自らの意思と努力、民主主義によって衆知を集め、文化を高めていくことで作ることができるということだ。その上で、私は、この物心一如の繁栄社会に到達するために必要な行動理念は、以下2つに集約されると考える。

①真理に順応する
「PHPのことば その一/繁栄の基」では「限りない繁栄と平和と幸福とを、真理は、われわれ人間に与えています。(中略)お互いに素直な心になって、真理に順応することに努め、身も心も豊かな  住みよい社会をつくらねばなりません。」とある[12]。ここでいう真理とは「宇宙根源の力」と同義である。そして、真理に順応するために最も必要な観点が「礼」である。塾主は礼について「素直な心になって感謝と敬愛を表する態度」と述べており、そして、その礼は宇宙根源の力に対する礼(第1の礼)、人間に対する礼(第2の礼)、物に対する礼(第3の礼)の3つの礼に分かれている[13]。この3つの礼により、人間が真理との繋がりを認識することができる。

②人間を理解する
繁栄・平和・幸福というのは、人間に本来与えられているものであり、これは人間同士の営みによって成し遂げられるものである。だからこそお互い人間とは何か(=人間観)をよく理解する必要がある[14]

 そして、物心一如の繁栄社会を実現する具体案として、塾主は「物的観点」に属するものとして政治・経済を、「心的観点」に属するものとして宗教・教育(学校教育と家庭教育)をそれぞれ分けて説明した[15]。これらの要素の中でも、塾主は政治に重点を置いた。塾主はその背景について「国民生活を繁栄ならしめるためには、政治のみならず経済も教育も宗教も、すべて正しく活発に活動しなければならないが、これらを円滑にいきいきと働かしめるためには、何といっても政治のよしあしが根本になると思う」との見解を示している[16]。加えて、塾主は「国民の一人一人が政治に強い関心と責任を持ち、悪政は自分たち一人一人の責任であることを自覚して、もっと身近に、そしてもっと真剣に、政治のあり方を考え、国事をわがごととして、人間本然の姿が発揮されるような政治の仕組みに持っていかなければならないと思う」と述べている。つまり、現代社会は民主主義であり、政治のよしあしを決めるのは国民である。国民が政治に強い関心と責任を持ち、政治に参加し、政治の主役にならないと結果として良い政治生まれてこないということではなかろうか。

5.松下政経塾設立と塾生への想い

 第二次世界大戦後、塾主はPHP研究所の創設と同時に、独自の立場での政治改革・啓発運動を開始したが、何事も実践を重んじる塾主は、月刊誌PHPでの政治改革に関する見解と私案の発表のみでとどまらず、1952年8月1日に政治啓発運動の実践機関として「新政治経済研究会」を設立した。その後、新政治経済研究会は1966年11月に事実上の活動を停止し、PHP研究所に吸収されたが、活動停止以降、塾主は以前にも増して国家を経営する観点からの提言を発表するようになった[17]。そして、その過程で1965年12月3日に京都PHP研究所における研究会で、松下政経塾の原型となる「新政治研究所」について初めて検討を行った[18]。その後、趣意書や募集要項等の修正等、紆余曲折を経て、最終的に1979年6月21日に松下政経塾開塾という形で終着したのである。
 そして、塾主は、我々塾生に対し「塾是・塾訓・五誓」を教育指針とした上で、「国家百年の大計を作ること」と「実践者になること」を求めた。言い換えれば、塾生は理想ビジョンを作るだけでなく、そのビジョンの具現化に向け自ら先頭に立って実践する、いわば二刀流を求めたのである。

6.おわりに

 今回、PHP理念から建塾理念について考察をする中で、改めてこの松下政経塾が、PHP活動の重要な一翼を担っていること、そして、我々塾生の使命の大きさを改めて痛感した次第である。開塾して46年経った現在でも、全く色褪せないPHP理念というバトンを、我々塾生がしっかりと受け継ぎ、「人類の繁栄幸福と世界平和を実現させる」という強い想いのもと、日々の研修に励んで参りたい。

引用

[1] 松下政経塾「松下幸之助が考えた国のかたちⅢ」PHP研究所、2010年、P40-P41

[2] 松下幸之助「松下幸之助発言集37巻-PHPのことば その二八」PHP研究所、1992年、P372

[3] 松下幸之助「松下幸之助発言集37巻-PHPのことば その四八」PHP研究所、1992年、P400-P404

[4] 松下幸之助「松下幸之助発言集37巻-PHPのことば その四九」PHP研究所、1992年、P218-P224

[5] 松下政経塾「松下幸之助が考えた国のかたちⅢ」PHP研究所、2010年、P40

[6] 松下政経塾「松下幸之助が考えた国のかたちⅢ」PHP研究所、2010年、P44-P49

[7] 松下幸之助「リーダーを志す君へ」PHP研究所、1995年、P25-P27

[8] 青野豊作「松下幸之助の遺言“繁栄日本”は必ず実現できる」PHP研究所、2010年、P191

[9] 松下幸之助「松下幸之助発言集37巻-PHPのことば その四二」PHP研究所、1992年、P386-P387

[10] 松下幸之助「松下幸之助発言集37巻-PHPのことば その二八」PHP研究所、1992年、P373

[11] 松下幸之助「松下幸之助発言集37巻-PHPのことば その四二」PHP研究所、1992年、P389-397

[12] 松下幸之助「松下幸之助発言集37巻-PHPのことば その一」PHP研究所、1992年、P21

[13] 松下幸之助「松下幸之助発言集37巻-PHPのことば その二九」PHP研究所、1992年、P250-P260

[14] 松下幸之助「人間を考える-第二章 宇宙と人間との関係」PHP研究所、1995年、P46-P58

[15] PHP研究所「松下幸之助 PHPにかける私の願い」PHP研究所、2014年、P48-P49

[16] 松下幸之助「松下幸之助発言集37巻-PHPのことば その三六」PHP研究所、1992年、P426

[17] 青野豊作「松下幸之助の遺言“繁栄日本”は必ず実現できる」PHP研究所、2010年、P197-P200

[18] 松下幸之助.com「松下政経塾の最初の構想–PHP活動<63>」PHP研究所(参照:2025-09-01)
https://konosuke-matsushita.com/column/phpshashi/no63.php

参考文献

・パナソニックホールディングス「パナソニックの歴史-社史」(参照:2025-09-01)
https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/chronicle.html

・パナソニックホールディングス「パナソニックの歴史-松下幸之助物語」(参照:2025-09-01)
https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/founders-story/5-2.html

・松下幸之助.com「松下幸之助資料収集・整理」PHP研究所(参照:2025-09-01)
https://konosuke-matsushita.com/datacollect/

・松下幸之助「設立趣意書」松下政経塾(参照:2025-09-01)
https://www.mskj.or.jp/about/mission.html

・松下幸之助「塾是・塾訓・五誓」松下政経塾(参照:2025-09-01)
https://www.mskj.or.jp/about/oath.html

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