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卒塾生と現役塾生が語る、自修自得の研修 ~入塾説明会(新宿会場)
パネルディスカッション「松下政経塾の研修」(1)
塾に入るきっかけ、塾生として学んだこと (2/4)

2015/7/27

本間: 今の塾生が一体何を目指して政経塾に入ったのか、どんなことを学んで来たのかを、パネルディスカッションでやっていこうという話です。佐野君からどうぞ。

佐野: 私が塾に入るきっかけは、大きく二つあります。
 
一つは高校生の頃、テレビを通して海外で行われている反日活動を見て、世界には日本に悪い印象を持っている人がいるという事実を認識し、これを何とかならないものなのかという思いを抱きました。
 
もう一つは、そのあと、大学生になって、日本で国際交流のイベントをしていたときに、日本に来るまでは日本に対して良くないイメージを持っていた外国の学生が、日本に来て実際の日本を体験してみて、「日本の良さに気付いた。自分の国に帰ったらそれを伝えたい」と言うのを度々見てきました。
 
これらの経験を通して、日本の姿を理解してもらうことの重要性と可能性を強く感じました。その時にまず、日本を海外の人に伝えられなければならない。でも自分はまだまだ日本のことを知らない。日本のことを知る場所としてどこがいいのだろうと考えた時に、松下政経塾が一番いいのではという想いを持って、塾に入りました。
 
政経塾では最初の2年間は、自分のテーマは少し置いて、政治や経済、日本の文化をいろいろ学びます。そういう2年間を通して、日本を幅広く学ぶことができたと思っています。また普段自分一人ではやらないようなことも、塾に入るとやる、これは非常にいい経験だったなと思っております。
 
その2年間を経て、3年目の前半は東京を中心に、後半は東南アジアを中心に活動したいと思っています。来年はアメリカに行って、日本に戻って来て最後2年間の研修成果をまとめ、社会に少しでも貢献できる人材になりたいと思っています。

木村: 私は政経塾に入るまで約10年、技術職そして研究職にいました。皆様の中にも技術関係の方もいらっしゃるのではないですかね。

本間: 理科系、技術系の人、どのくらいいますか?結構いますね。

木村: 私は水素エネルギーの研究開発に携わってきたのですが、エネルギーの分野では石油屋さん、天然ガス屋さん、原子力屋さんと技術自体が縦割り構造になっていると思っています。そのため、分野を横断するような新技術を導入するには、既存の技術分野の壁を乗り越えて議論を進められるようにならないと、と思うようになりました。そこで技術を活かすための大きな視点と、実用化の方法論を追求したいという想いから、政経塾に入りました。
 
今は、2045年エネルギー融通国ということを考えています。エネルギーが一つのキーワードとして起こった戦争の100年後までに、日本をエネルギー輸出国にするという夢です。これは、再生可能エネルギーを含めた日本のエネルギー開発余地を考えると計算上可能であることは分かっているのですが、どうやって実現するのかがキーポイントなのでそれにチャレンジしてみたいなと。まずは国内で、海洋エネルギー先進地の五島列島に入り、そこでエネルギーを作って本土に送ることから始めたいと思っています。ゆくゆくは、九州全体を輸出用エネルギーの生産地域とし、生み出したエネルギーを韓国経由で大陸に送るというプロジェクトを考えています。
 
塾の研修で学んだことは、理念の大切さ。書いてあるだけではなくて魂の入った理念の大切さというのが、少しですけど、分かってきたところです。

山本: 私のテーマは、家庭環境が厳しい子供たちに充実した教育を提供することです。私自身が母子家庭で育ったのですが、高校時代、周りの友達は予備校に通いながら家庭教師を付けて勉強している中、私は月数千円のお金でどう戦えばいいのか、平等とは何かを考える青春時代を送っていました。
政治家になりたいという思いはありつつも、政治家の2世や3世ではなく裕福な家庭でもなかったことから、なれないと自分で決めつけていました。しかしある時政経塾の存在を知り、受験しました。

政経塾で学んだことですが、1年経って今思うのは、知識が習得できたという印象ではなくて、それぞれの現場の方の顔が思い浮かぶということです。書面ベースの、知識ベースのことだけで判断するのではなく、農業なら自分がお世話になった方の顔を一度思い浮かべてから判断すること、それがこの一年間で学んだことです。

本間: 政経塾の研修の一つの特徴は、現地現場主義。実際に行って見て来る、現場の方の話を聞いてくる、それが政経塾の持ち味だと思うのですね。紙の上の話だけじゃないぞと。松下幸之助さんのオフィシャルな教育は、小学校4年までしか受けてないわけだから、しかし彼が、体験を通じて学び続けて来たというのが、我々にとってすごいお手本になっていて、僕自身は教育学に変わる学習学を作ろう、「最終学歴」という言葉を死語にして、「最新学習歴」という言葉をポピュラーにしようというのが目標ですけどね。

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